空気の日記

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新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。
多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。
未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。
「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。
2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。

MEMBER

oblaat(オブラート)は、詩を本の外にひらいていく詩人の集まりです。

「空気の日記」執筆者

新井高子
石松佳
覚和歌子
柏木麻里
カニエ・ナハ
川口晴美
河野聡子
さとう三千魚
白井明大
鈴木一平
ジョーダン・A. Y.・スミス
田中庸介
田野倉康一
永方佑樹
藤倉めぐみ
文月悠光
松田朋春
三角みづ紀
峯澤典子
宮尾節子
山田亮太
四元康祐
渡辺玄英



空気の日記


9月1日(火)

ただ
ただただ
だだだだだ
だだだだだだ
だだだだだだだだ
だだだだだだだだだだ
だだだだだだだだだだだだだ
だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ
だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ
だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ
だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ
だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ
だだだだ
無駄に続く人生もあれば
だだだだだだだっ
七発で終わる人生もある。

*

鳴り物入りの
八月が終わり

あなたの健康を守ることと、わたしたちの
平和を守ることが、繋がっているとすれば
誰にとっても幸いなことです。

蝉の声に虫の声が混ざり
今日から九月の

てすてす、てす。
朝夕は少しましでも

まだまだ昼は暑くて
流れに足を入れると

入間川が
人間川に、見える。

埼玉・飯能
宮尾節子


8月31日(月)

高校の同期と会いに上原へ。駅の改札口で待ち合わせて、同期の知り合いがやっている居酒屋に入る。出会い頭に手の包帯を笑われる。外出前に針を刺して水を抜いても、しばらくすると開いたはずの穴がふさがっていて、抜いた分の水がたまっている。腫れはすこしずつ引いているとおもう。心なしか腫れた部分は触るとひんやりしていて、右手を額に置いて眠ると気持ちがよかった。
店員の人は、同期といっしょの劇団で芝居をしていたらしい。同期の芝居は何回か観に行ったことがあるので、店員の人の芝居もそのときに見ていたのだとおもう。高校時代の思い出話をしていると、「晩秋」(ガガガ SP)が爆音で流れはじめる。店を出て、二人で新宿まで歩く。時計台を目印にすると同期が咎めてきたので、地図を使わずにデタラメな方向を歩く。公園を見つけてすこし休んでいると、スマホにオンライントークの通知が入る。
――(作者)なんか大学の同期が飲み会やってる。
――(高校の同期)お〜、紹介して!
――今入るから待って!
大学の同期と、後輩三人(一人は添削担当)がオンライン飲みをしていた。高校の同期と片耳ずつイヤホンを付けて参加する。
――(作者)ゲスト紹介します! (高校の同期)です。
――(高校の同期)こんにちは〜、お世話になってます!
――(後輩)どうも〜! 一平さん地元にいるんすか?
――(作者)新宿まで散歩してる。
――(添削担当)一平さん、「日記」が近づくと徘徊するやばいやつになってますよ! 来週ですよね?
――(作者)べつに「日記」にしようとおもって歩いてないから。
同期がコンビニのトイレへ行っているあいだ、信号機が妙に低い場所に設置されているように感じたので、ジャンプして手が届くかどうか試す。思いのほか届かず、スマートフォンを地面に落とす。画面がバキバキに割れてしまう。スクリーンショットを撮ってグループチャットに貼り付けると、ひび割れのないきれいな画面になる。新宿を意識しながらてきとうに歩いているうちに、大学の同期の最寄り駅にたどり着く。記憶を使って同期の家の前まで行く。エレベーターで五階にあがり、同期の部屋のインターホンを押す。スマホの画面に映っていた同期がびっくりしたような顔で振り向いて、画面から消える。インターホンを何度か押す。玄関のドアが開いて、さっきまで画面の中にいた同期が出てくる。
――(大学の同期)隣の人いるから……。
――(作者)(大学の同期)の家に着きました。
――(高校の同期)こんにちは〜。
オンライン飲みを続ける同期(大学)のうしろで、ベッドを占拠して酒を飲む。真面目な話をしているようなので、ふざけて暴れる。ベッドの足が折れて、衝撃で腰を痛める。本を積んで支えにしても、暴れるとすぐに崩れてしまう。残った足を切り離してベッドを床に敷く。同期(大学)が即興で曲をつくってみんなで歌う。寝るまでオリジナルの迷信を順番につくり、同期(高校)が提案した《利き手で人を殴ると寿命が短くなる》が優勝する。いやな夢を見る。
翌朝、顔を洗って酒を飲む。三人とも暇なので、どこに行って遊ぶか話し合う。同期(大学)の提案でミヤシタパークに決まる。同期(高校)が着替えたいといったので、いったん解散してから渋谷に集まる。同期(高校)からドタキャンの連絡が入り、同期(大学) から三〇分遅れると連絡が入る。集合時間の二〇分前に着いてしまったので、家から持ってきた山田亮太『オバマ・グーグル』(2016 年、思潮社)を読む。同期がやってきて、二人でスクランブル交差点を渡る。右手に曲がり、高架下を過ぎると《MIYASHITA PARK》の文字が見えてくる。開放的な空間の向こうから人が流れるように歩いてくる。一階の飲み屋街がたくさんの人出でにぎわっている。真っ赤な色の掲示物があちこちに貼られている。笠井さんが近くにいるらしいので呼び出す。三人で四時間近く歩き回る。建物全体が巨大なモニュメントのようだとおもった。

みんなのミヤシタパーク※

落書き禁止「きれいなまち渋谷をみんなでつくる条例」違反者は、処罰されます。 見つけた人は警察に通報してください。/この遊歩道の下には、渋谷川が流れています。/宮下公園は、誰もが自由に遊んだり散策できる憩いの場です みなさんが、気持ちよく使えるように お互いにルールやマナーを守りましょう/ NO SMORKING 禁煙 喫煙は指定の喫煙所をご利用ください。/お知らせ 渋谷区立宮下公園では、安全管理のため、 以下の物を使用する為に持ち込むことを禁止ます。 ご理解ご協力をよろしくお願いします。 ●花火・火薬などの火器 ●タバコ類(喫煙) ●銃及び剣類(モデルガン、模造刀、木刀、竹刀を含む) ●野球、テニス、サッカー、ゴルフ等の球技の用具類(ビーチスポーツを除く) ●テント・タープ ●のぼり旗類 ●拡声器、メガホン等 ●ラジコン等(ドローン含む) ●ブーメラン、フリスビー類 ●凧、バルーン類 ※その他、安全の支障になるものは持ち込みできません。 ※スケートボード、インラインスケートは、スケー ト場以外では使用できません。/お知らせ 渋谷区立宮下公園では、快適な公園利用のため、以下の行為を禁止します。ご理解ご協力をよろしくお願いします。 ●施設を損傷、 汚損する行為 ●焚き火などの火器の使用 ●貼紙や貼り札、または広告の表示 ●大音量の演奏や合唱、演説 ●ビラや物品、飲食物を配布 ●工作物の設置 ●寝転がるなど 来場者や歩行者の妨げになる行為 ●長時間のベンチ等の使用 その他、下記行為をしようとするときは、管理者の許可が必要です。 ・物品の販売その他の営業行為 ・業として写真又は映画の撮影など ・演説または宣伝活動をすること ・集会、展示会、競技会その他これらに類する催しのために公園の全部または一部を独占して利用すること ・募金、署名運動など ・興行を行うこと/きゅうちゃん Kyu-Chan 2020 Colliu 名前の由来は宮下公園の「宮(きゅう)」から来ています。/新型コロナ あんしんチェックインサー ビス/この施設の利用者などから新型コロナウイルスの感染が確認された場合、 接触の可能性がある方に LINE でお知らせします。/ A year in the life shibuya/Takeshita Street Welcome to Harajuku / WOMEN’S RUN/渋谷バル SHIBUYA コミュニティ BAR/純喫茶&スナック思ひ出。/力士めし萬/鶏・かしわ・焼鳥 布袋/精肉 大黒 牛 豚のアパート/魚利喜 魚貝百貨店/北海道食市/東北食市/関東食市/横浜中華食市/ 北陸食市/東海食市/近畿食市 2 /近畿食市 1 /中国食市/四国食市/韓国食市/九州食市 /沖縄食市/エレベーターのご利用は 最大 4 名 とさせていただきます。 できるだけ 離れてご利用ください。/&BASE WORK STYLING / adidas / LOUIS VUITTON / GUCCI / TADANORI YOKOO for GUCCI / DADAÏ THAI VIETNAMESE DIM SUM / BALENCIAGA / PRADA / KITH / BEING HERE MAKES YOU ONE OF US. / or / Any 2020 Stone Designs 多様な人々、人種、ジェンダーが融合して新しい文化をつくる渋谷を象徴します/エスカレーターでは間隔をあける/歩かない 手すりにおつかまりください/進入禁止/ COACH/KITH. TREATS. / KITH. KIDS/EYESTYLE / SOPH. / FIRST HAND / TOKiON /国籍や人種、言語、宗教問わず、花を贈る人間の心は万国共通である。/ CAFÉ KITSUNÉ/Hender Scheme スキマ/ GUCCI / VISIONARIUM THREE / Luis Vuitton “VIRGIL” NIGO / GRIT NATION / REDUCE REUSE REMAKE ムダのない未来へ adidas / adidas Belista のアパレルはユニークなシルエットで強気のフェミニンスタイルを演出/ Positive Attitude for Transformation /完全燃焼の夏にしろ REDAY FOR SPORT ROLA / BALANE/STYLE / and wander / CONVERSE STARS/SOCIAL DISTANCE SOCIAL DISTANCING /社交距離/社交距离/人との距離をあけて、 新型コロナウイルス感染症の 拡大防止にご協力ください。 2m /防犯カメラ作動中/検温実施中 感染拡大防止のため 入館時検温を実施しておりま す。 体温を測定いただき、 平熱であることを確認の上、 ご入館ください。/黄色のセンサー部分に手首を近づけて測定してください。/ SHOW YOUR COLOR #FFFFFFT.zip / The Editorial /年に一度、誰にでも誕生日はやってくる。/あの人を想うあたたかな気持ちが たくさんの人につながっていきますように。/ eggslut / G-SHOCK / L&HARMONY / uka / gram / DENIS MADE IN TOKYO / NOSE SHOP /他の誰でもない、あなたの鼻が主役のお店。/インディペンデントでハイグレードなフレグランス専業メゾンを 世界中からセレクトしてお届けすることで、 最上級の香りと共に暮らす喜びや楽しさをお伝えします。/ Follow your NOSE.(自分の鼻を信じて進め) / ALG BRIEFING / MIYASHITA CAFE+SOFTCREAM / KISSHOKARYO KYOTO / comma TOGO / jamba /パンとエスプレッソとまちあわせ/たまご はじめ ました/こちらの 待ち合わせスポットはとりかごと言います/ HARIO Lampwork Factory /もし割れてしまった場合はお直しもできます/ HIGHTIDE STORE / TINY DWELL SASAKI RYOHEI exhibition /訪ねたことのないサンフランシスコに行ったつもりで、 活動拠点の福岡市内を歩き、坂に建つ家を観察し描いていく。/制作背景が見えてくるような道具や端材といった、オブジェクトと合わせてお楽しみください。/ KITKAT Chcolatory / THE SHIBUYA SOUVENIR STORE /渋谷区にくらす・はたらく・まなぶ人々が渋谷の魅力を 伝える“渋谷のお土産”/ペットボトル 100%再利用 サスティナブルバッグ/生殺与奪の 権を他人に握らせるな!! /倍返し饅頭/ MOOSE KNUCKLES / SSZの仮店舗 TEMPORARY STORE OF SSZ / L’ÉCHOPPE /エスカレーターでは間隔をあける/歩かない 手すりにおつかまりください/進入禁止/ FOOD HALL / TACO BELL / New York Ramen KUROOBI / PANDA EXPRESS / Mcdonald’s / MAGURO MARKET / Valume CAFE&BAR / NEW LIGHT /中華 青山 シャンウェイ/海南鶏飯食堂 5 /うしとら STAND / GRAN SOL TOKYO /周囲の方と距離をあけて ご利用ください physical distance PLEASE KEEP APART / PIZZAとナチュールワイン戦隊 DRA エイトマン/ミヤシタ 成ル/渋谷ワイナリー東京/ご利用のお客様に マスクを プレゼント中です ☆ / Small flowers blooming on the earth 2020 福津宣人/筋肉食堂/高タンパク 低糖質 低脂肪 低カロリー 今日の食事が明日の 自分のカラダを創る/ EEEEEEEEENNNNNNNNNSSSSSSSSSTTTTTTTTTUUUUUUUUUDDDDDDDDDI IIIIIIIIOOOOOOOOO /
F.A.D JOINT EXTHIBITION / F.A.D 最高―!! / FAD! 最高!! /こうや、そうた、かざし、 Dy、ダイソン、すぐる、りょーが/좋아요❤️ /#FAD しか勝たん! ミリア❤️ / FAD しか勝たん!! / F.A.D しか勝たん! /チョアヨ/チョアE /宮下パーク/希実❤️ /좋아~❤️ 리자・가나/ F.A.D /みやした/死ぬ事以外かすり傷/さばくのはおれのスタンドだ/中川パラダイス/「SAIKO-Y ちゃんねる」 TOP DANDY / Porn hub / fuckin’ CORONA / To がんみ❤️ きましたお! toribird_go❤️ Harumi /目指せ甲子園!! /夏はこれから! FAD 最高 あつキ/弱気は最大の敵!! /ぱおん/かざし/ En THE BEST❤️ / EQUALAND SHIBUYA / TRUST /信じることからすべてはじまる。/信頼できる人やコミュニティが紡ぎ出す思考のつながりがこれからの時代のスタンダードな価値観となっていきます。/手指を消毒してください/作り手と消費者は、衣服に対する当たり前の意識をアップデートさせなければならない。/プラスチックと賢く付き合うってなんだろう? /太平洋にはごみが集まってできた「ゴミ諸島」が出現しています。/一人でも多くの方が、地球環境問題について考えるきっかけになればと願っています。/手指を消毒してください/現在、海へ流入するプラスチックゴごみは世界で年間 800 万トンと推計されており、その約 8 割は、内陸から流れ込んでいます。/環境汚染だけでなく、問題が複雑に絡み合う現代にあって、全ての課題を 0 か 100 で議論し解決することは不可能で、一時のアクションで持続可能な未来は作れない。/なくても困らないものを「断る」こと。「いりません」の一言は、自分から変えていくという、社会課題の解決に貢献していくポジティブな意思表示なのだ。/バイオマスフィルムを使用していることがお客さまにご理解いただけるよう、ロゴをつけました。/まるごとやさしい毎日へ/ポテトとジンジャーで世界 を平和にする/せんべいを、おいしく、かっこよく/明日わたしは柿の木にのぼる/手指を消毒してください/ NEW ERA / ellese TOKYO / MINOTAUR INST. /臭わない、 を着る。/ BOOK×写真×CAFE 天狼院カフェ SHIBUYA /人生を変える書店/お客様 が求める有益な情報が「本」であり、その情報を最適な形で提供するのが次世代の「本屋」の役割である、と定義をしています。/ instant / DAYZ / SAI collection / Campbell’s CONDENSED TOMATO SOUP 12・23・80 Andy Warhol/Face Records / GBL /あなたがいちばん最初に見た、ジブリの作品は何ですか?/ MAMMUT /エスカレーターでは間隔をあける/歩かない 手すりにおつかまりください/進入禁止/ NO DRONES!/はなれてあそぼう 2 メートル Keep Your Social Distance はなれていてもできるあそび /ご注意 テーブル以外の利用はご遠慮ください。 物を落とさないようにしてください。/芝生ひろば LAWN FIELD 公園から落下する恐れのある遊具 (ボールなど)の使用は禁止します テントなどの工作物の設置は禁止します 芝生を傷める恐れのある履物 (ハイヒールなど)の使用は禁止します 長時間の芝生ひろばの占有はお控えください 芝生の管理上、定期的に散水する場合があります その場合は速やかにご退場下さい その他管理上、 利用を禁止する場合があります/ WARNING 防犯カメラ作動中/ MULTI-PURPOSE SPORTS FACILITY 〈多目的運動施設利用のご案内〉/ BOUL-DERING WALL 〈ボルダリングウォール利用のご案内〉/BOARD PARK 〈スケート場利用のご案内〉/区民以外の者が使用する場合の使用料は、本表使用料の倍額とする/登るな危険/こちらのベンチは ご使用をお控え下さい/新型コロナ対策として 間隔をあけてお座り いただいております/ SHIBUYA HACHI COMPASS 渋谷の方位磁針| ハチの宇宙 鈴木康広2020 /自販機専用 公園のゴミ箱ではありません。 自販機以外のゴミは 入れないでください。/自販機以外のゴミは捨てないでください/このゴ ミ箱は缶、瓶、ペットボトル専用です。/ 関係者以外 立入禁止/ 多目的トイレをご利用の際は パークセンターへお声がけ下さい/新型コロナウイルス感染予防のため このスペースでの滞留はご遠慮ください/ NO DRONES!/STAFF ONLY /利用禁止 SOSIAL DISTANCE / VALLEY PARK STAND /ハシグチ リンタロウ zymotic electro plants, 2017 『発酵発電所』/いまではどういう働きなのかがある程度明らかになり、加工技術となっている「発酵」は、発見されるまでは、誰も知らないところで、勝手に起こっていた。/ The Chain Museum /この作品に対する他の人の感想を のぞいてみませんか/田村 琢郎 Lovers /恋人を愛する様に自分を愛し 恋人を見詰める様に自分を見詰める/ The Chain Museum /この作品に対する他の人の感想を のぞいてみませんか/東 慎也 Humans /人間を、絵に描く。 バカっぽさ、苦しさ、真剣さ、そしてやっぱりバカっぽさ。 全部丸ごと描く。/ The Chain Museum /この作品に対する他の人の感想を のぞいてみませんか/ STOP●前の方との距離を空けて並びましょうKeep Your Distance / STOP●前の方との距離を空けて並びましょう Keep Your Distance / STOP●前の方との距離を空けて並びましょう Keep Your Distance / STOP●前の方との距離を空けて並びましょう Keep Your Distance / STOP●前の方との距離を空けて並びましょう Keep Your Distance/STOP●前の方との距離を空けて並びましょう Keep Your Distance / Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ Keep your Distance 間隔をあけてお並びください●適切な距離を保ちましょう/ 12 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 11 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 10 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● /9 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 8 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 7 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 6 Please Wait Here 番号 に沿ってお進みください● / 5 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 4 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 3 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 2 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / 1 Please Wait Here 番号に沿ってお進みください● / STARBUCKS COFFEE

ミヤシタパークを出て、代々木公園に行く。笠井さんが帰る。コンビニで買った酒を飲みながら歩いていると、地図アプリに表示されていた予定到着時間がどんどんのびていく。もう一度ミヤシタパークに戻り、横断して反対側へ。代々木公園に着くと、荷物を背負った人たちが列をつくって並んでいる。列は公園の奥の闇に紛れて、どこまで続いているのかわからない。先頭で薬や絆創膏、お菓子のようなものを配っている人がいる。同期がその人に話しかけると、ホームレスの人たちへ給付金申請の手続きを呼びかけていたという。住所がなくても、特別に給付金申請のための住所登録ができるようになった、渋谷区では明後日までに登録する必要があるとのこと(注:作者が話をちゃんと理解しているかどうか自信がない。本人確認が取れて住所登録の見込みがつけば、給付金の申請ができる?)。

すこし前に署名を集めて、総務省に要望書を出したらしい。NHK デモの帰り? と聞かれたので、同期が、――こいつ(=作者)が詩人やってて、二人でミヤシタパークに行って詩を書いてきたんです、と答える。「みんなの宮下公園」を説明して、かつての宮下公園ナイキ化についての話を聞く。詩ができたら読ませてほしいといわれる。今度の木曜日に adidas 前に集まって、公園課と交渉するという。
しばらく話したあとで別れる。公園の奥から実況音声が聞こえてくる。運動場が見えてきてたくさんの人たちがトラックのまわりを何周も走っている。ちょうどいいスペースを見つけて、同期がつくった音楽を聴いたり、思いつきでつくった歌詞を乗せて歌ったりしながら酒を飲む。コオロギの鳴き声を身近に感じたので、写真に撮ろうとする。フラッシュの操作に手間取っているうちに同期が近寄ってきて、コオロギが逃げてしまう。ブルーシートの家が点々と並んでいる。汗をかいたので、暗闇のなかで服をぬぐ。水飲み場で体を洗う。大雨がふってきて、知らないマンションの駐輪場に避難する。排水溝から水があふれ出してくる。休めそうな場所を探して、同期の家まで歩いて帰る。一週間後、山本と次に書く原稿の打ち合わせをして、二人でミヤシタパークに行く。「みんなのミヤシタパーク」最終調整。見逃していた言葉を足して、消えてしまった言葉を削る。

※2020 年 8 月 30 日時点にミヤシタパーク(商業施設「RAYARD MIYASHITA PARK」、 公園「渋谷区立宮下公園」、ホテル「sequence MIYASHITA PARK」)内に存在した文字により構成した。
本作品は、山田亮太『オバマ・グーグル』(2016 年、思潮社)所収の「みんなの宮下公園」 (2010 年)で描かれた場所の10 年後を舞台としている。 制作にあたり使用した文字はミヤシタパーク内の掲示物の他、商業棟内テナントの店名お よび店内掲示物を参照している。店内掲示物のテキストを使用した店名を以下に列挙する (五十音順)。
adidas Brand Center / EQUALAND SHIBUYA / The Editorial / En STUDIO / KITH. / 筋肉食堂/ GUCCI / SAI collection / THE SHIBUYA SOUVENIR STORE /渋谷ワイナ リー東京/ FFFFFFT.zip / GBL /天狼院カフェ SHIBUYA / TOKiON / NOSE SHOP / HIGHTIDE STORE / HARIO Lampwork Factory /パンとエスプレッソとまちあわせ/ VALLEY PARK STAND / MINOTAUR INST.

東京・渋谷
鈴木一平


8月30日(日)

うちには猫が一匹いて
柏市の里親探しNPOからもらってきたから
名前をカシワというのだけれど
巣篭もりのあいだに
もう一匹飼うはなしがでていた
カシワはすっかり外猫だが
次の子は今どきだし家猫として育てるという
その子は自由なカシワを見てどう思うのだろう
そんなかわいそうなことはできない
それで話は立ち消えていた
今日、次も外猫でいいのではないかと言ってみた
「そうね、どうしたってそうなるよね」
「ならば、反対する理由はお父さんにはないよ」
仔猫が来た日の愛らしい衝撃を今から想像する
カシワがとまどい、やがて愛し
連れ立って歩くさまを想像する
二本の長い尻尾が会話をしている
悪いことも想像してしまう
仔猫が車に轢かれて
カシワが嘆くすがた
聴いたこともないくらいするどく遠くにとどく声で
泣き続ける
抱いても石のように重い
想像を
たくさんしてきた
子供達のすばらしい活躍
おそろしい想像もたくさん
頭を離れない
脂汗をかく
でも、何もなかった
みんな元気に
普通に暮らしている
未来ばかり
考えてきたのか
仕事でも暮らしでも
お盆に墓参りをした
砂漠のように熱かった
墓がすきだと思った
未来は心をひっぱりまわして
たいしたことは何もないけれど
墓は確かにあったものだけの
動かぬ証拠だ
我が家の墓には
誰だかよくわからぬ人の骨壺が
ひとつ入っている
戦時中の混乱のせいだろう
それを放り出すわけにはいかない
何かの縁と思って
そのままになっている
確かに誰かが生きて死んだのだ
「空気の日記」をはじめて
詩についての考えが変わってきた
それまでは
まだ書かれたことのない表現や方法に
憧れがあった
毎日受けとる詩と
順番が回ってくるたびに書く詩を
考えるうちに
詩は感情の墓になればいいのではないかと
思うようになった
確かに生じた心が
そこに止まるとしたら
それでいいのではないか
「空気の墓地」というタイトルを思いついた
そうもいかないけれど
それで素直にほぐれる気持ちもあるのだ

東京・世田谷
松田朋春


8月29日(土)

100 均でシールを買う。ノートに貼るためである。私はいろいろなシールを持っている。猫、犬、パン、ヒコーキ、ゾウ。シールは何事かをなしとげたときに貼ることになっている。最初にシールを貼りはじめた頃は、家事その他の日常タスクをひとつこなすたびに貼っていた。現在はまとまった文章を書いて公開するたびに貼ることにしている。シールを貼るのは赤い表紙のノートで、実験音楽とシアターのためのアンサンブルのツアーでベルリンに行った時、自分用のお土産として買ったものである。この文章を書き終えたあとも私はシールを貼るだろう。10 日ほど前からは、寝る前に飛び跳ねないダンスを踊りおわった時にもシールを貼ることにした。何事かをなしとげたときのしるしがあるのはいいものだ。日常はものごとを平坦にする。平坦さにのまれる前に人類はシールを貼るべきである。我が家にはテレビがないので政治番組をみるときは YouTube ライブをプロジェクターで壁に大写しにするのがここしばらくの習慣である。昨日の夕方は内閣の記者会見も YouTubeで鑑賞した。けなげさやもろさというものは武器や防具になりうると思ったし、それらをいかに表出できるのかは、生まれつきの属性や社会的立場ではなく訓練と才能によるものではないかと推測した。けなげさやもろさが武器や防具になるのは相対的に強い力に守られている場合のみだが、いざ目撃したときはそんな些末なことは忘れているものである。けなげさ、もろさというエンターテイメント。ライブがおわっても日常はつづく。

東京・つつじヶ丘
河野聡子


8月28日(金)

たとえば
ウイルスと人類はよく似ている
ウイルスが他の細胞をつかって自己複製するように
人類は他の存在をいつも利用しながら
地球という惑星に付着して倍々に増殖してきた
地をおおい 根をはりめぐらせ 空を埋め尽くし

ぼく一人では地球より遠い所へは行けないが
ぼくの遺伝子と模倣子は はくちょう座をめざしている

夏の日に
汗ばんだ手できみの手を握りしめて
そんなことをあつく語る
そう ぼくらは遠くへ行ける
きっと地球よりももっと遠くへ行くために
いまとりあえず必要なのは
クーラーが利いてて 冷たいソーダ水だってあるところかもしれないけれど
でも白鳥座へ行くためには
きみがいてくれないと困る
だから もう少し一緒にいませんか?

夜になれば 夏の大三角が星空にかがやく
遺伝子と模倣子が夜空を駈けていくのを見上げながら
ウイルスとか黴とか細菌とかヒトとか
寄り添って生きていくしかないのだから
ぼくらが消滅する日まで
もっと近くへ

福岡市・薬院
渡辺玄英


8月27日(木)

(海水浴場は開設していません
十分な安全対策が
確保されていないため
遊泳はお控えください
神奈川県藤沢市)

遊興の人々を集め
連日海は騒がしい

看板は浜に立て去られ
ひっそりと伸ばす影の直線を
軽々跳び越える歓声と
躍起になって追いかける
ことさらなテレビの画角を見比べ
私は考える

感染者はちっとも収まっていないし
ここだって高齢者は多いし
ワクチンなんて先の話だろうし
だけど私達は疲れてきたし
上の人たちはGo toと言ってるし
それにも増してとにかく暑くて
ことさらな人達にしたところで
どこかで休暇に加担してるだろうから
私は考える

陽が落ち
夜になると
コンビニから買ってきた手持ち花火を抱えて
海へと戻ってくる
彼らが代わる代わる手先に掲げた
パチパチとした音と火が
浜に散らばっては消えてゆき
ピストルのような音を破裂させ
打ち上げられる火花がつくる
煙がけむたい幕となって
対岸から見据える江ノ島に
おもたく幾重もまつわっては
神の目より所業を隠す

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹


8月26日(水)

カレンダーの妙に鮮やかな横木を
一本  ​一本、​ 降りる
昨夜、深夜の締め切りの目やにを
コーヒーの香りに取り除いてもらい

断酒に興味のないアル中っぽい遠い親戚を巡る電話を挟み

肖像詩の夢を追う仲間と
顔の共通性と個性の間に
揺らぎと流動性の翻訳で
普遍の土台を創り上げる
顔はアートでもあって
ギャラリーでもある

とばくに関する打ち合わせが
風邪に削除されたことを
知らなかったシンガポール人に
初めまして衝突
タイムトラベルした人が
目的時代に突然に
現れるように
びっくりしゃっくり
マルタの鷹

アッサムブラージュからできる日本酒を
飲まずに言葉にする
漆黒から注がれるのは
光なのか煌きなのか

金融の霧の向こうから浮かんでくる
幻想のイギリス人とニューヨーク人
概念と人間のパスティーシュ

飛行機なき国際的な日々を
降りても降りても
朝になると
また梯子の上に立っている

東京・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス


8月25日(火)

          前を歩いていた女の素足からヒールがすっぽ抜けた。コロナでなければ、踵の紐を摘み上げて手渡してやっただろうか? 福岡発羽田行きスカイマーク 018。灼熱の地上どこ吹く風の雲の上への天の浮橋。女がしゃがみ込んで奪い取るように手を伸ばした。鋭い目力。マスクの下から、かすかな舌打ちの音が聞こえた。

                        薄墨を引いたような空の波にそそり立つ水の断崖が、バラ色に染まっている。あの下でゲリラ豪雨の瀑布が虹を浮かべている?丸い窓の向こうをどんなに覗きこんでも、触れることはできない。実存のディスタンシング。生は彼方に(クンデラ)。いつだってこの小窓を覗き続けてきた気がする、詩を書き始めるずっと前から。

    また見ることのない山が遠ざかる。膝の上を托鉢の乞食僧が歩いてゆく。彼にとって、山は絶対的な他者であり、永遠に辿り着けない外部であり、放蕩に身を滅ぼした父であった。水は雨、波、涙、酒、尿(しと)など様々に変容しながら彼を包み込む。人のために時雨れて仏さま。ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯、は羊水の喩か? 彼の母は彼が十一歳のとき井戸に身を投げて自殺した。

                両肺に水が溜まって餓鬼の海。妻が通販で買った父の故郷の海の写真集を、病室のベッドテーブルに残してきた。今頃はもう目を覚まして気づいただろうか。あれくらいの重さでも、持ち上げようとすれば痛みが波立つのだろう。心の床に寝たきりの阿弥がいて。その父は実際に会って手で触れることのできる父よりも濃い、と思う。そこにない実体の影を喰い。手に届かないというそのことで、却って何もかもが鼻先へと迫ってくる。もう抱くことのない女が服を脱ぐ。

    真空は空っぽではありません
    真空のなかには波紋がいっぱい
    驟雨のシュテルンベルガー湖の面のように
    沸騰刹那の鍋底みたいに

    真空は待っています
    場が笑い出して
    時の泡粒が一斉に励起するのを
    世界が愛で重くなるのを

                           翼の先に、 Fuji-yama! いまやすっかり色を失ったダークグレーの屏風に、巨大な影が幽玄している。 いや、有情かな。ほかの乗客たちは誰ひとり顔を上げない。通路を挟んだ隣の男と、その前の男がそっくり同じ姿勢で携帯の画面を覗きこんでいる。まるで右スピンと左スピンの素粒子のペアのようだ。何を見ているのだろう。板一枚下の奈落の薄明かり。みんなして心あわせて、南海トラフにでも呼びかけている風情。ほうホタル破滅飛び交う岸辺哉。

    どす黒い大蛇が富士の裾野を滑り降りて、都心の瞬きのなかへ入ってゆく。座標軸に浮かび上がる欲望のプレーン。不死を得るには大き過ぎ、永遠を俯瞰するには小さ過ぎる我らのスケール。時間だけがまっすぐ前に進んで、空間は錐揉みしながら斜めに押し流されてしまう。ジグザグ。三列先の座席の端から、こんがり焼けたノースリーブの肩がはみ出している。ジグザグジグ。ヒールを飛ばしたあの女だろうか。なんという丸みだ。ザグジ。齧ってやりたい。

注:太字は種田山頭火の句。

機中にて
四元康祐


8月24日(月)

自粛を自縛にはしないよ。政権が最長を記録した今日夜遅く、お湯の中の東京をあとにして、あなたが山に来た。仕事場から新宿駅まではヒトだったが、特急に乗ってすぐ指に水かきが張り、県境あたりで完全鰐と化したらしい。

車両には他に誰もいなくて、さらには座席にすわるとタテにとぐろが巻かれて腰にくるから、床にほふくさせてもらったそうだ。車掌が胴をまたぐとき帽子を取ってあいさつしてくれた。JR にも思うところがこの時節さまざまある。

夜汽車は本がよく読める。気づくと寝ていたり目が覚めてまた続きを読んだり。降りる駅ですかとゆり起こされると車掌の顔が間近にあって、ああ、ありがとうございます、そう言いながら、つい手のひらで口をかくそうとしたという。

近距離会話の動作が、ならいせになっていたから。けれど鰐では腕が顔まで届かない。それを忘れたまま気づけば大きく裂けた口の両はしに水かきの手をあてがっていて、思いがけずかわいいポーズになってしまったとため息をつく。

こっちの夜は風があるねえ。流れ星見えた? ネオなんとか彗星。それがね晴れてたのに見えなかったの。眼が悪くなってて星が特定できなかった。ふうん。でも平気だよ。かわりに別の感覚が冴えていくよ。嗅覚とか予知能力とか。

特急でわざとがまんしたビールを飲んでいる。おいしいね。ありがたいね。大きな口の端からこぼれないようにのどを立てて。みんなが取り戻したいと言う「元どおり」。鰐変化をくりかえしても、あなたの心とことばは変わらない。

コロナよりずっと前から私たちはおだやかな非常時を暮らしている。いつでもこの日々を成仏して終えられるように、手放すものを手放せることを救いにして。投げ上げるときの放物線がめぐらせてくれた結界の内側で。

今夜からは鰐がいるので窓を開けて眠れる。みんななぜ猫を飼うのだろう、鰐にすればいいのに。ヒトが神の似姿につくられる前の地球では、龍神に似せて鰐が生まれたという。遠雷が途切れない。龍が吼えている。水の匂いがする。

八ヶ岳
覚 和歌子


8月23日(日)

昼間の空気は知っている夏よりもさらに苦しい厚みを持っていたけれど、夜に鳴く虫は明らかに秋だと主張して到来を告げている。

大気の激しさに挟まれてうるわしい緑が自慢のアマガエルはすっかり皮膚を土気色にしてただただ微笑む中、私はどうしてもあの子の命に介入したくなって霧吹きで水を吹き付け凍らせたペットボトルを窓辺に置いていた。どれもこれもが恐らくは過不足であるのに、小さな命はそれを通過して、数週間ぶりにようやく降り出したまともな雨にひたることができた。

誰とも共にあることのない
密やかな時間が鮮やかにあって

にぎりしめた線香花火
トウモロコシをしゃりしゃりとほおばる音
フレッド・アステアと一緒に踏んだステップ
夕空に広がるたくさんのトンボ

それ以上のことなんてどうしたってないのに

向けられないまなざしと
解消されない期待を抱えている子どもが
ななめにだらけきった口元で
「別に、なんでもありません」と

何もかもある声で
放つのをくらう

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ


8月22日(土)

夕刻前に
少しの間だけ雨が降った
晴れているにもかかわらず

そういえば天気雨のことを
子どもの頃は狐の嫁入りと呼んでいた
時が経って学生になり
俳句の中だったか
日照雨、という名があることを知った

通りを歩く人は
みなそれぞれの感性で傘を差している

眩しい陽光の中で
傘がいくつも揺れ動き
夏がこのまま
消えてしまうのではないかと
思ってしまった

福岡・博多
石松佳


8月21日(金)

弟 1 の、あるいは弟 2 のだったか、いずれかの弟の同級生に不登校児がいるという。彼は 小学校に行かずに何をしているのか。インターネットをやっているという。インターネット ってあれでしょ? 調べものをしたり、Eメールをしたりするんでしょ? 母に頼まれ、私 は彼に E メールを送ることになった。私は彼と会ったことがないし、E メールなんて書い たことがない。いったい何を書けばいいのか。ひとまず自己紹介をして、好きな音楽やマン ガのことなどを書いた気がする。がんばって学校に行くように、といった説教は書くべきで はないとどこかで教わったから書かなかった。彼から返信はなかった。本当に届いているの だろうか。しばらくして、彼は私の E メールを読んだらしい、返事はないかもしれないけ どまた送ってね、と母から言われる。私はもう一度 E メールを送った。やはり返信はなか った。

あなたは言う。家庭とはおぞましい場所だ。すべてのこどもは養育施設に集められ、家族か ら切り離されて育つべきだ。この国の誰もが誕生したその瞬間から一律に国家による管理 の下、平等に適切な教育をほどこされるべきだ。そうすることによってだけ、血縁への執着 と無責任な願望に染まった忌まわしき家庭の呪縛から私たちは解放される。

考えられる限りで最悪の人間が育つとしよう。ものを盗み、人を殴り、家を燃やす。加害に いかなる痛みも伴わない。あるいは伴うとしてもそれを超える行為への衝動がある。理由が ある。企みがある。だがこんな想定は無意味だ。どれほど恵まれた環境で、適切な方針のも と、多大な愛を注がれて、大切に育てられようと、人は、最悪の行為をなしうる。

誰であれ、自らの命と生活を守ることを何よりも優先してよい。これが原則だ。もしもあな たの選択が、あなた以外の人、すぐそばにいる人、遠く離れた場所にいる人、顔の見えない 人々の命と生活に関わるのならば、そしてその数が多ければ多いほど、選択の根拠は複雑さ を増す。高度な判断を要求される立場にある者は、できるだけ誤りの少ない判断をくだすた めのコンディションを整えておくべきだ。そのための休暇も必要だ(いや、誰であれ、休暇 は必要だ)。だがもしも、あなたに最初から正しい判断をくだす能力がなかったとしたら? あなたの不在こそがむしろ望ましいとしたら?

東京・調布
山田亮太


8月20日(木)

コロナで遠方へ出られない夏休みに
実家の子供部屋を整理することになった
まず段ボール箱を60箱発注
箱と言っても折りたたんだ板。
腰の高さまで重なっている

子供部屋は30歳で出奔したときのまま
黒くよどんで埃が積もっていた
学生時代の教科書
学生時代に影響を受けた生物の本
学生時代に買いそろえた脳科学の本
アウトドアの本、地図、エッセイ集、詩集歌集哲学書。
棚一杯の文庫本。古今東西の名作。椎名誠全部。
木山捷平。安岡章太郎。赤瀬川原平。開高健。
なんだかわからないコピーの束。
なんだかわからない書類の束。
そしてこれは幼年時代の日記。
これもそうだ。
これもまた。
親切な子孫がいつか
書物にしてくれる
そのような幸運にめぐまれるか
まったく誰にもわからないが
箱にまとめてとっておこう

家も建てて
五十年が経つと
もはや屋敷神のようなものが住みついて
人間たちの去来をみまもっている
入れ替わり立ち代わり
生まれ変わり死に変わり
いろいろな方面の《教養》を摂取して
さまざまな《仕事》を残していく

著者として、あるいは編集者として
それぞれがつくった
大量の本。

この家を建てた
父も
母も
もはやこの世のものではない。そのかわり今は
新しく家族四名がうごめいている
この家に激しくエネルギーが流れ始めた。
今は。
そうだ。
本を出そう。新しい本を。
そうしてこの部屋はもうきれいに片づけて
子供たちに使わせよう

東京・西荻窪
田中庸介


8月19日(水)

オンラインで
詩のワークショップをしたのは
今日が初めてで
画面の向こうには鳥取の昼の光が
小学生と
大人がちょうど半々
というのも初めてで手探りなこともあったのか

終わったら
どっとくたくたで
三時間前に昼を食べたばかりなのに
たまらなくお腹がすいて 厚揚げとごはん一膳食べたところに

わたしもおなかすいた、て
うたがヨーグルトを食べようと
午前中はびくともしなかった
はちみつのふたを今度こそ
どうにかして開けようと
すべり止めにふきんを当てたり
ふたに輪ゴムをはめたり
細っこい腕で力を込めても歯が立たなくて

ぼくも手伝って
(いまは手の指を傷めていて
あまり強くものを握れないのだけれど)
ゴム手袋で思いっきりやっても
ちょっとも動く気配がしない

湯を温めて
熱くなったミルクパンの底を
ふたの上に乗せて
熱伝導で固まったはちみつを溶かそうとか
いっそ瓶を逆さまにして
湯の中に浸けたりとか
これならどうかとやってみても
じっと閉じたまま

ネットで調べてみたら
もう試した方法ばかりが載ってる中に
さすがにこの固さで
そんなやり方じゃむりだろう、て思いながらも
ふたの横を叩くんだって
うたに伝えると
すりこぎで軽く何回か
台所から乾いた音が聞こえたあと

開いたあ
、て大きな声がした

おとうさん ガラスの器取って

おとうさんは何にもしてないから
うたがはちみつのついたスプーンで
おとうさんはヨーグルトのついたスプーンね
、て
器に盛ったのをふたつ運んできてくれて

甘い甘いはちみつの
いつもよりたっぷり入ったヨーグルトを
スプーンについたのまでなめながら
二人でたいらげた

沖縄・那覇
白井明大


8月18日(火)

うしなった居場所で
きみはねむり続ける

つもりはじめた記憶と
まじりあう感情が
ひかりを放つ

ふくらんだ山々
伸ばす枝が
うれしそうに身体を揺らす
まもなく分断されて白く染まる

そこなった時間を
わたしたち、
どうせ 忘れてしまうんでしょうけれど

氷が溶けない速度で
きょうのことを記そう
容赦ないころしあいの匂いが
窓から熱となって溶けた

あいかわらず
きみは起きなくて

誰も知らないあいだに
降る雨は
やさしい

北海道・札幌
三角みづ紀


8月17日(月)

今日も

浜松で
気温が40°Cを超えた

この辺りでは
そこまでいかない


木蓮と

南天と金木犀
あじさい

ヤブタビラコに

水をやった

緑が水を受けて光ってた

光って
凉しくなる

入院している秋田の兄に
LINEを送った

「いま浜松で40°だって!
 猛暑というか灼熱だね。

 モコと冷房の効いた部屋にいるよ。」

兄が入院してひと月がたったが
面会することができない

「それよりそちら、コロナ大丈夫? 気をつけてね。」

兄から
LINEの返信が届いた

ウイルス

生を媒介してひろがる

生は分断され
試されている

静岡・用宗
さとう三千魚


8月16日(日)

八月十六日 角影(つのかげ)の裏の山畑にて
 敗戦の日、胸が一杯になってただむしゃくしゃ日本のやり方が
 悲しかったけれど、今日はそのほとばしるような激した感情が潮を
 引いたように静まりたまらなくやるせなく寂しい心で一杯になった。
 深々とした大地のふところにいだかれ遠くアルプスの前山をのぞみ
 ジージーという蝉の声をきく。久しく遠ざかっていたスケッチをしつつ
 (『いわさきちひろ 若き日の日記「草穂」』松本由理子編より)

奥付を見ると「二〇〇二年九月六日 第一刷発行」とあり、この本が刊行されたときに記念に開催されたはずの、練馬のいわさきちひろ美術館での企画展のとき、美術館の売店でこれを買ったのだったか、とにかくもう十八年も前の話で、そのころに買って、夢中で読んだ本で、一九四五年八月十六日から九月六日までを記した手帳が、全頁、原寸大で収録されている。殴り書きのような文字に、スケッチもたくさんある。二〇一五年の八月には、この手帳(を収録したこの本)をかたわらに置きながら、私は毎日詩篇を書き殴っていた、あと二冊、講談社文芸文庫の石原吉郎の詩文集と、岩波文庫の原民喜全詩集。あるとき、まんをじして、広島をおとずれたちひろだったが、原爆資料館の近くまで訪れたものの、こみあげるものがあまりにもあったためか、ついにそこに足を踏み入れることができなかったのだった。いま、この日記の文章をうっているパソコンから目をあげると、文庫本の山の中に、講談社文庫の『ちひろ・平和への願い』の背表紙が目に入り、ひっぱりだすと、表紙の桃色が裏表紙のそれにくらべて、だいぶ色あせている。奥付を見ると「1995年6月15日第1刷発行/2001年11月26日第5刷発行」とあり、『草穂』の本とおなじころに買ったのだったとおもう。ぱらぱらとめくると、さっき、わたしがうろ覚えで記した、ちひろの広島を巡るエピソードについて記されたくだりはすぐに見つかって、「ちひろは広島へ取材旅行に出かけますが、中心地の平和公園の近くに泊まったとき、「この床の下にも子どもたちの骨があるのよね」と言い、一睡もできませんでした。広島の町を歩きながら、一足ごとに死んでいった子どもたちのことを思い浮かべひどくかき乱され、予定されていた原爆資料館や原爆病院は訪れずに帰ってきてしまいます。これらのエピソードからは、ちひろの感受性の強さと、悲惨な光景に本能的に目を伏せてしまう性質がうかがえます。どこまでも酷い現実を凝視し、地獄絵を再現して反戦を訴えることがちひろにはできませんでした。」(講談社文庫『ちひろ・平和への願い』広松由希子による解説文より)。同じ文庫本から、目にとまったところをいくつか引いてみる。

 戦争の悲惨さというのは
 子どもたちの手記を読めば
 十分すぎるほどわかります。
 私の役割は
 どんなに可愛い子どもたちが
 その場におかれていたかを
 伝えることです。
      ちひろ・一九六七年

戦時期に青春を送り(「草穂」を記した1945年が26歳)、はやすぎる晩年(1974年に55歳で亡くなっている)をむかえたちひろは、ベトナム戦時下の子どもたちに思いを馳せながら、その終結を見ることなく亡くなっている。

 戦場にいかなくても戦火のなかで子どもたちが
 どうしているのか、どうなってしまうのかよく
 わかるのです。子どもは、そのあどけない瞳や
 くちびるやその心までが、世界じゅうみんなお
 んなじだからなんです。
             ちひろ・一九七三年

「「ベトナムの本を続けてやるのも、私はあせって、いましなければベトナムの人は、あの子どもたちはみんないなくなっちゃうんじゃないかと思って……」。ちひろは一九七二年にベトナムを舞台にした『母さんはおるす』(グェン・ティ作)を、また翌年、詩画集のような絵本『戦火のなかの子どもたち』を発表します。
 一九六四年から、一九七五年のアメリカ軍撤退まで続いたベトナム戦争では、百万人以上ものベトナムの人々が犠牲となりましたが、そのうちのおよそ半数が子どもだったといわれています。核兵器以外のあらゆる兵器が使用され、野山を汚染した枯葉剤などは、母親の体を通して、戦争を知らない胎児をも冒しました。
 日本にある米軍基地から、子どもたちの頭上に爆撃機が飛び立ってゆく現実に、ちひろは怒りを禁じえませんでした。体調が悪く、入院で制作が中断されることもありましたが、「私のできる唯一のやり方だから」と、はやる気持ちで筆をすすめていました。『戦火のなかの子どもたち』を描き上げて一年後、ベトナム戦争の終結を知ることなく、ちひろは他界しました。」(講談社文庫『ちひろ・平和への願い』広松由希子による解説文より)

あれは、ちょうどグレタ・ガーウィグの若草物語が公開されたのと同じくらいで、つづけて見て、そのコントラストに眩暈がしそうだったのを覚えている。Netflixで、スパイク・リー監督の新作『Da 5 Bloods』は、折りしも、Black Lives Matterの只中に公開されて熱狂をもって(アメリカで)迎えられた、5人の黒人の、元ベトナム戦争従軍兵が、当時は十代とかだったろうか、それから四十年以上を経て、みな初老から老齢といっていい年齢になっている、このメンバーの一人が、当時ベトナムに金塊を埋めておいたという、それをいま、まんをじして取戻しにいくのだという、それで当時ベトナムにて戦を共にした5人が再集結して、かつての戦場へと向かう、といった筋で、一見コミカルな感じで物語は始まるのだが、現地に到着すると、「闇の奥」に向かうにつれて(当然、コッポラ「地獄の黙示録」へのオマージュもある)、かつての現場のさまざまのトラウマの記憶がフラッシュバックし、彼らの心身は不調をきたし、変調しだし、じりじりと追い詰められていく。

とうとう一人が、四十年以上の長きにもわたって埋められつづけ誰かに踏まれるのを待ちつづけていた地雷を唐突に踏みつけ、下半身が木端微塵になる。のこされた半身の、傷口というにはあまりにも大きすぎる傷口から、だはだばと血があふれ流れる。それをカメラが真上からとらえていて、いま死にゆくひとの眼を、私たちは目のあたりにしてしまう。

いわさきちひろの描く絵のなかの子どもたちの、とりわけ初期のものがそうなのだけど、子どもたちの肌がとても茶色い、あるいは黒い。日焼けをしているのだろうか。そういえば、昔は夏に真っ黒に日焼けをしている子どもをよく見かけたが、いまはそんなに見かけない気がする。

しかしあまりにも日差しが強く、日中屋外にいることは危険といわれていて、NHKなどを見ていると、Lの字を右90度に倒した緊急の報せを告げる文字情報がずっと出つづけていて、熱中症への注意喚起と新型コロナウィルスの情報が交互に流れてくるのだった。それで外で遊ぶこともままならないので、つい1週間前にも行ったばかりなのにまた、最寄の駅から地下鉄で3駅で行けて、しかも駅直結で、避暑しつつ、買い物もの食事もできれば水族館ほか遊ぶスペースも充実している、スカイツリータウンに行くのだが、いま、観光客が激減しているため、おそらくはその収益減を補うための策なのだとおもう、都民はスカイツリーの展望台チケットがいまだけ半額とのことで、このスカイツリータウンには、2013年だかに開業して以来、これまで何十回も訪れているのだけど、ここへ来てはじめて、展望台へのぼってみることにしたのだ。

遠くのほうはかすんでいて、見えるものといえば、川と川とにはさまれて、ひたすらにビルや家々の屋根ばかりなのだが、75年前の今ごろにはここが一面焼け野原だったとおもうと、いやそう思う前からなのだが、眩暈がするのだった。

去年みたあるアニメ映画では、はんたいに、あまりにも長きにわたって雨が降り続き、いま見えている景色の半分ほどが水浸しになってしまったのだった。

サステイナブルがいま一つキーワードになっているが、どんなにサステインしたとて、やがて、いずれは人類は滅びてしまうのだった。

それは、それだけが確かなことなのだと、いいうるのかもしれなかった。

人類のはるか未来の子どもたちを守れない。

この圧倒的な無力感とどう対峙していけばよいのか。

ああ。死が、絶滅が、不可避であるわたしたちは、わたしは、なぜ、どうして生きるのか?

といった、中学生か高校生かがかんがえるようなことを、そのダブルスコアでもトリプルスコアでもある年齢でかんがえているわたしなどは真っ先に滅びるべきなのかもしれなかった。

そんなことを考えているうちにいよいよ眩暈がひどくなり、頭痛薬をサイダーで流し込みつつそうそうに地上へ下りて、押上駅で半蔵門線にとびのって、17時までの展示にまにあうように、江戸川橋へ向かったのだった。今週はあまり展示が見られなかった。

先週はわりに見られたのだった。

先週の日曜日にはスパイラルで桶田夫妻のコレクション展とエヴェリナ・スコヴロンスカの展示を見て、ユトレヒトまで炎天下、日傘を差しながら住宅街を10分くらい歩いていって長島有里枝の新しい写真をめくって(ミヤギさんが店番をしていらした)、GYREでヒストポリス展、新しくなった原宿駅からJRに乗って新宿、駅前のタワーレコードで予約しておいた7インチのレコードを買って、地下鉄で日比谷、新しくできたスペースCADAN有楽町でグループ展、日本橋三越で川内理香子の個展、一旦家に戻って自転車を20分くらいこいで無人島ギャラリーへ、臼井良平展。そういえば数か月前は、いっさいの展示が閉まっていたのだが、すっかり通常モードに戻っていて、ただギャラリーに入るときにマスクをつけたり、手を消毒したり、ときどき検温をされたり、事前予約が必要なところがあったりすることくらいが、異なっているのだった。

その、先週の日曜日にスパイラルで見た、エヴェリナ・スコヴロンスカの展示で、ステイトメントで、古代ギリシャの詩人サッポーについて書かれていたのだった。いま、わたしは、はじめギリシャの女性詩人と書いて、いやだな、とおもって、女性の文字を消して、詩人としたのだが、詩人にしろ、アーティストにしろ会社員にしろ職人にしろ作業員にしろなににしろ、属性に、というか、人類に、性別というものがあるというのはほんとうにうっとうしく、わずらわしく、神様(と、信仰というものの全くないわたしが、アイロニーの限りを込めていま記してみる、something)の設計ミスとしか、近年ますますおもえなくなっているのであった。

それはさておき。

そのはるか昔のギリシャの詩人である、サッポーの、約1万篇の詩篇で、完全なかたちで残っているのは2篇のみで、あとは欠落していたり消失していたりするとのことであった。エヴェリナさんは、その欠落ないし消失こそを創作の契機として、抽象化されたグラフィカルな身体の断片の描写と、サッポーの詩のことばの断片とを、響きあわせて、継ぎ合せて、新しい作品を生成されているのだった。

今週の、つまり今日のほうの日曜日に、スカイツリーから下りて向かった、江戸川橋WAITING ROOMでの飯山由貴さんの展示で、前回の彼女のWAITING ROOMでの展示は2014年で、まだWAITING ROOMが恵比寿にあったころで、そこで見たことを思い出したのだった。そのときの記憶だけをとりだすと、せいぜい去年かおととしのことのようにおもえるが、もう六年も前のことなのだった。およそ30分間の映像作品を見ながら、そのことを思い出しながら、映像の中の島やら神話やらの時間と自分自身の時間とかがごちゃまぜになって、時間が、時間というものが、時計の文字盤が、たとえば半分に切られた、半球のミニトマトででもあるかのように、あまりにも赤く、半球で、不確かなのであった。島に生息している、たくさんの猫が映像で流れて、猫の時間ということの不思議についても考えたのだった。

そんなことを考えながら夜、ひさしぶりにポテトサラダをつくったのだった。

いもの皮むきにかんして、わたしはにんじんの皮をむくのには皮むき器をつかうけれど、じゃがいもには皮むき器をつかったことがなかったのだけど、あたらしいことにも挑戦してみようとふとおもい、皮むき器をつかって皮をむいて、しかしやはりじゃがいもの凹凸の凹のところに皮がのこってしまう、でもそれはもうそのままでいいや、という境地に、いつしか達していたのだった。よくもわるくもいいかげんに、なってきたのだった。

鍋に皮をむいた、あるいはむききれていない、じゃがいもらを入れて、そこに水をひたひたにいれて、火にかける。塩と、しょうしょうの砂糖をつまんで入れる。つぎに、たまごを冷蔵庫から出して、水を入れたもうひとつの鍋に入れて火にかける。強火。前回ゆでたまごをつくったとき失敗した。今度は成功させたい。

きゅうりをほそい輪切りに刻む。ボウルに入れて塩をふりかけておく。しばらく放置する。

楕円形のハム3枚を、いまパックの上で段状になっているものを、まっすぐにそろえなおして、まず縦に二等分する。それから横にして、幅7mmほどの長方形に切っていく。

たまごのお湯がぐつぐつしだしたので、キッチンタイマーを8分でセットする。

(ここで、主菜のお魚を煮はじめるが、これはあくまで夕食の支度全般ではなく、ポテトサラダについての描写であるので、割愛する。その他の副菜やみそ汁についても。)

ミニトマトをパックから6個とりだし、へたをとって半分に切る。12個の半球のミニトマトが現れる。

ボウルに水を張って、そこに保冷剤を入れる。

キッチンタイマーが鳴る。

保冷剤を入れてよく冷やした水をはったボウルにたまごをぶっこむ。
流水にあてたまま、卵をむく。今回は、きもちいいほどきれいに剥ける!

卵切り器でたまごを刻み、さらに刻んだ卵を90度回転させてもう一度卵切り器で刻む。

じゃがいものほう、ゆで上がり、水をよく切って、おなじく水を切ったさっきの輪切りにしたきゅうりのボウルに放り込む。

じゃがいもをフォークの柄でつぶしていく。刻んでおいたハムと、ゆで卵を、入れる。

マヨネーズとこしょうを少々かけて、全体を木べらでかきまぜる。それぞれの素材感や食感がのこるように、かきまぜすぎないように、適度に、粗く。

円形のうつわに盛って、丘状に盛ったポテトサラダのまわりに時計のように、12の、半分に切られて半球のミニトマトを、文字盤の数字替わりのように並べる。

食事のあと、今日かばんに入れていた、3冊の本、いつものように、今日が誕生日か命日のどちらかである人物らにまつわる、今日は3冊ばかりの、本をとりだして、つづきをすこしずつ読む。

1冊目、木田元『反哲学入門』(新潮文庫)。大病をした木田さんが、病み上がり、自宅療養しているところを、お見舞いに編集者が幾度かたずねてくるうちに、哲学にくわしくないビギナーの読者に語りかけるように、インタビューの形式で、何回か収録したものを、連載としましょう、ということになったという、この本のなりたちについてのまえがきを読む。欧米の哲学について本当に理解することは日本ではそもそも不可能なのではという疑問を木田さんは呈されていて、それに対しての、タイトルにも掲げられている「反哲学」であるが、それがやわらかい、口述で解かれていく、という姿勢ないし形式じたいが、そもそも「反哲学」的なのだとおもう。

2冊目、大庭みな子『津田梅子』(小学館P+D BOOKS)。みな子が津田塾に入った年に、津田塾のある小平市の、鷹の台駅の、尞の近くで春、満開の桜の木の下で、さまざまに去来するもの思いにとらわれながら、満開の桜を眺めていると、塾の昔の卒業生らしい、妖精のような不思議な老女にふいに声をかけられる。彼女はみな子に、唐突に、「あなた、津田先生って、カエルの卵の研究をしていらしたのよ、アメリカの大学で」と声をかける。たしかに、実際、梅子はアメリカ留学時代に生物学を先攻し、カエルの卵に関する論文を一八九四年英国の「マイクロスコピカル・サイエンス」誌にモーガン教授と共同で発表、そのモーガン教授は一九三三年に、ノーベル賞を受賞したのだった。「彼は後年梅子について、その才能と人柄を称賛し、「あの優秀な頭脳は――教育者として立つために、生物学ときっぱり縁を切ったわけだ」と語った。」の一文で、この章はしめられる。あの妖精のような老女はなんだったのだろう?

3冊目。『文藝別冊 ビル・エヴァンス〈増補決定版〉没後40年』(河出書房新社)。1970年に、ジャズ批評家の児山紀芳氏が、ニューヨークで、エヴァンスの自宅で、ロングインタビューを収録することに成功する。クラブか何かのお店であったとき、初対面にもかかわらず、今度自宅でゆっくりインタビューさせて欲しいというオファーに対し、「部屋にはいろんものがあってゴチャゴチャしているから…」と一度は断られたものの、あとで思い直したのか、エヴァンスみずからわざわざ電話をかけてきてくれて、「この前のインタビューのことだけど、よかったらどうぞ」と快諾をしてくれ、実現したのだった。エヴァンスの部屋は、話とはちがってひじょうに整理されていて、古いピアノと、二匹のシャム猫がいる。メラニーとリタという。デビューにいたるまでのこと、スコット・ラファロの死、インタビュー当時試みはじめていたエレクトリック・ピアノのこと…など、私たちが知りたいことを、半世紀前の児山氏が、半世紀前のエヴァンスからするすると引出し、語らせてくれる。昼ごろの日差しはやわらかく、ほとんど人付き合いをしないというエヴァンスも、自宅のリビングで、コーヒーを片手に、遠い日本からの来客を相手に、リラックスしているように見える。エヴァンスの眼鏡の片方にはメラニーというシャム猫が、もう片方にはリタというシャム猫が映っている。頼んだわけでもないのに、私たちの愛してやまない、「ワルツ・フォー・デビー」を弾いてくれ、さらには、これまでライブで演奏したことがないという、「ピース・ピース」らしき曲の旋律をつま弾いてくれる。セカンド・アルバムに入っているこの曲は、「自分の求めているサウンドをつかんだ最初のものだった」と語ってくれる。かつて、禅や日本の墨彩画に傾倒したことなども語ってくれる。そういえば、エヴァンスも参加しているマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』の、エヴァンスによるライナーノートにも、ジャズ演奏を墨彩画にたとえた箇所があったはず。かつて、わざわざ出版社へ行ったり、図書館に通ったりして、禅に関する書物を探したのだった。現在までに、というのはつまり1970年、いまから半世紀前までに、少なくとも、禅の書物を四冊発見して、その頃、墨彩画についての知識も得た。「そして、この単純な墨一色の絵の手法に、私は、ジャズの純粋な即興演奏の精神と相通じるものがあることを知ったのです。」ライブのときには、あらかじめセットリストを決めたりせず、その日の会場、観客の雰囲気に応じて曲目を、演奏しながら決めていく。演奏をはじめる際にも、ベーシストやドラマーと、「つぎはこの曲にしよう」などと、言葉で示しあわせたりしない。そんなことを語っている、エヴァンスの足元で、二匹のシャム猫がじゃれあっている。

東京・深川
カニエ・ナハ


8月15日(土)

よく名付けたもの、
液晶とは
液体の結晶とは

そこで話すわたしを
野生動物がみたら
水鏡と、
たわむれてる、
そう思うんじゃないかしら

ちぃちゃくてふかい池だよ
水面がうつす顔たちを
覗きこんで
会議したり講義したり
笑ったり
たまには、缶ビールを開けてみたり、

じぶんの顔もうつるんだもの、
鏡のくにだよ

ポンッと
その底へ抛ってしまった金の斧は
あいづち、
じゃないかしら
小きざみに波が立つのがうるさくて
もっぱら黙って、
あいての話を聞くようになりました

うん、そうそう、
へぇー、はぁ、
ほう、さぁ、
ふーーん、
書き出してみれば
サ行とハ行とン、
つまり、呼吸音のだし入れを
やめたってことか

いらないものね
水面の像たちに、
息は

いらないものね
黄泉の顔たちだって、
息は

お線香をあげましょうか
地下の三途も、
地上の水辺も、
蝉しぐれだよ

神奈川・横浜
新井高子


8月14日(金)

ことしは かえれないの?
うん、
いつもならね いまごろね
電車にのって
隅田川をわたって
すこしうとうとしているうちに
むらさきいろの山が見えてくる
うん、いつもならね いまごろね
改札で おじいちゃんが待ってるんだよね

いつもならね いまごろね
という ことばを
子どもはなんどもくりかえす
この夏やすみ

いつもならね いまごろね
でも
ことしは、ね
そのさきのことばを
のみこんだまま
子どもは
眠ってしまう

いつもならね いまごろね
山のふもとの家に着いたらすぐに
花をもってお寺へ行く
そこには
たぶんことしも
サルスベリの木が立っている
ここで眠るひとたちが暑くないように
花のいろを見られるようにと
木を植えたひとも いまはその蔭で眠っている

いつもならね いまごろね
木蔭で眠りつづける 父たちと 母たちに
じゅんばんに花をそなえ 水を飲ませたあと
だいぶ歳をとった木にも
水を飲ませる
いつか別れてゆく、と
家族のだれもが わかっていても

それはいつものことだから
まいとし まいとし 花を
まいとし まいとし 水を
でも
ことしは、ね

そのつづきを話さないうちに
わたしもまた
真夏日の
みじかい眠りにおちてゆく

東京・杉並
峯澤典子


8月13日(木)

もうじき訪れる
端正な
雷雨を
待つ

木々もわたしも
それを受けいれて

木は色を濃くして身をかがめ
わたしは室内に
午後遅い蝋燭を灯して

聴きなれた蝉の声の中に
かぼそい
ツクツクボウシを聴いたのは昨日

明日
友人に会う
まったくちがう生き物になって
脱皮して会うふたり
待ち合わせるのが少し
気はずかしい

窓の外には
伸びすぎた百日紅が
花束のように広がる

十方世界
充足していないものは
なにもない

千葉・市川
柏木麻里


8月12日(水)

詩を書く人の
詩を書く朝に
詩は次々と
逃れ去る

某大手不動産の
虚偽申請への対処
罰則の無い条例に翻弄されながら
どうやって区民の
財産を守ろうか

いつも上から目線のこの会社の
女営業所長が夢枕に今日も立つ

温厚そうな中年男は
まだ約束の書類を出してこない

口の聞き方が悪いとキレた若い社員は
ルール違反を強要する

すべて同じ不動産会社
役人への上から目線は
社としての方針なのか

ヤクザの方がぜんぜんマシだ

と、休暇の居間で愚痴を書いている

どうやっても詩にならない
コロナの日々を今日も生きている

東京・小平
田野倉康一


8月11日(火)

遅かった梅雨明けからの猛暑で
ベランダの温度計が40度を超えて二日目だ
日向の草木は水をやっても萎れていくほど暑い
安倍首相の支持率は気温より低くなった
テレビの画像では覇気がない
情報だけは入ってくる立場にいるから
この後に続く難局を見通せるし
もうやめたくなっただろうな
むりないなと思う
海外のコロナのニュースがこのところあまり聞こえてこない
ワイドショーはいつもの出演者が前日のネットニュースをなぞっている
どこにいっても大勢の人がいる
マスクをしているだけでみんな普通にリラックスしている
ただ何かしようとするとすぐに行き止まりがある
この暑さだってそうだ
まっすぐ飛べなくなったシオカラトンボがくるくる回っている
調子の狂ったものを見つけるとつい自分を仮託してしまう
世界なんてもともと狂っているのさ
アニメのセリフを思い出す
ここにもまた行き止まりがある

東京・世田谷
松田朋春


8月10日(月)

今日は祝日だ。
えっと、何の日だっけ

山の日。
祝日法第2条によれば「山に親しむ機会を得て、
山の恩恵に感謝する日」とある。

本来は明日(8月11日)が
今日に(特措法により)なったのだそう
開催予定の東京五輪への特別措置で、ということだ。

夏の川面を船に曳かれて――
お台場に置かれていた
五輪の輪がしずしずと退場していった

山あり谷あり五輪延期ありの、今日は山の日。

じんせい
なにがあるか、わからない。
そして
なにがなくなるかも、わからない。

夏の川面を船に曳かれて――
五色の輪がしずしずと退場していった
「また、戻れると良いけれど」の声に見送られて。

Go to(いけ)と
Stay home(おうち)のことばの扉が
ひらいたり、とじたりしている。

憂鬱になれば、きりがない。
こうなったら
腹をくくって、もしかしたら何百年に一度の
災難に当たったことを、宝くじのように愉しむのも
手ではないか。

どうせ、脳には
喜びと悲しみの区別はつかないらしいし。
胃袋の暗がりに、
フランス料理とカップ麺の区別がつかないように。

いよいよ、恐怖はひとを変容させはじめた
ようだ――
「帰ってくるな」と玄関に手紙を投げ込むひとと
「マスク不要」と駅前で音楽フェスをするひとと

珍種はやがて新種になるのだろうか。

ひとの普通がゆれている――
ゆれてるときは動かない、葉っぱにとまった
虫たちは。

***

こしあんの好きな義母に、評判の水羊羹を
商店街で買った。

和三盆ですか?
いや効かせ程度です、全部ワサでやると
くどくなるから。

夏祭りなくなりましたね、秋はどうかな。
中止になりましたよ、16万人も出るからね。

お店は、痛いですね。
仕方ないですよ、感染広がってるから。

「仕方ないですよ、***だから」

きっと、同じことばが75年前にも
ここを、通った。

***

夏草は元気いっぱいだ
なんでや
と、問いたいぐらいだ
なんとか
と、頼みたいぐらいだ
元気の秘訣を。

それでも
じっと目を凝らせば

夏の葉も病んでいた。

埼玉・飯能
宮尾節子


8月9日(日)

隣の人が拠点を地元へ移すことになり、大学の同期と後輩を呼んで退去の手伝い。隣の人の家族がトラックをアパートの向かいに停める。持ち帰る家具を荷台に積んで、捨てる家具は大家の駐車場へ運ぶ。右手が使いものにならなかったので重い荷物を二人に任せて、代わりに部屋の片付けをする。壁紙の一部がはがれかけていて、中に絵はがきが刺さっている。本棚には語学と演劇の本が多く、気になるものをいくつかゆずってもらう。お昼から始めて夕方頃には作業が済んだ。食事をごちそうになり、隣の人が思い出を話し始める。あの部屋に十三年ほど住んで、人生の三分の一近くをそこですごした計算になる。もともとは女性専用のアパートだったのに、鈴木さんが引っ越してきておどろいた。たまに大家さんに呼ばれて、鈴木さんや前に住んでた○×さんとご飯食べたけど、東京に来てそういうご近所付き合いするとはおもわなかった。一回だけ、鈴木さんとだれかがギター弾きながら大声で歌ってて、苦情入れたことがあったけど。それはたぶんオレですね……と同期がいった。
――(隣の人)あ~、鈴木さん朗読してくださいよ。
――(作者)え!
――詩を書いてるって、前に大家さんから聞いたんです。
――(後輩)一平さんとこの大家どうなってるんですか?
しばらくして、書きかけの詩を朗読させられる。

   だ れか きて  わ  か ら
夜道の人に冷夏の帰路が、忘れる体を分からせて
な   い  す が     た    で
空が指を組む、砂を固めてつくる種、わるい芽を
         ね    が  う
つんで、鳴きながら家の屋根を描く、向こうでは
ぴ  た り    と  や む
冷えた石の裏を流れる息が、鳥の影を引き受けて
      あ め    を ね じま げ
矢印のように草を打つ、その奥で眠る地面に手を
         る  あ お い
ついて、古い器に、溶いた雨の色を重ねていくと
           か  ら     だ
あたらしい器ができる、忘れる体が、それを叩く

隣の人が帰ったので解散し、三人で周辺を散歩。道に迷って、見つけたラーメン屋に入る。カウンター席が少なく、代わりにテーブル席が四つある。店主はずっとニコニコしていて人当たりがいい。和服を着た女とスーツ姿の男が入ってくる。女は四十すぎ、男は還暦を迎えたぐらいの年齢に見える。店主が注文を取りに来る。女が手慣れたような感じで、――フルーツとジュースをください、と答えると、店主がよく冷えたリンゴとメロンを切り分けて、瓶に入ったオレンジジュース(?)といっしょに持ってきた。
――(後輩)どういう店?
――(同期)思い出した。なんかさ~、オレもこのあいだ飯食ってたとき、へんなことあったんだよね……。
五月の半ば頃、同期が昔のバイト仲間と三人でお酒を飲みに行った。二軒目がビルの地下にある、こじんまりとした居酒屋だった。あるとき、飲んでいたうちの一人(Aさん)と、おなじタイミングで外のトイレに立った。入るときは気がつかなかったが、トイレの脇にガシャポンが並んでいて、全部の機体が白いガムテープで隠されていた。中に景品は入っているらしく、なにが入っているのか確認しようとしていると、Aさんがトイレから出てくる。二人で席に戻る途中で、席で待っているもう一人(Bさん)についての話をする。
――(Aさん)ずっと彼氏できないんだって。
――(同期)そうなの? いらないとおもってた。
――なんか、あんまり続かないらしい。前に、どうしたらいいんだろうね~っていわれて、自信がないんじゃないかって。だから、自分を好きになることから始めるって。
――筋トレでもするのかな。大事な話だね。
――でもさ~それ、だれでもいいから人殺したいっていって、自殺するのといっしょじゃん。
すこし考えて、全然ちがうのではないかとおもった。そのとき、向こうから人が歩いてくるのが見えて、それがBさんであることがわかったので話をやめた。あいさつをしてすれちがい、同期が振り向くと、Bさんはその場に立ち尽くしたまま首だけをこちらに向けて、じっと二人を見つめていた。話を聞かれたかもしれない。煙草を吸いにいくふりをして、店に戻らず地上に出た。すると、Bさんもうしろをついてきたのか外に出てきて、見向きもせずにそのまま闇のなかに消えていった。
ラーメン屋を出て、通りを迂回して住宅街に入る。暗闇のなかから緑色のフェンスが現れて、向こうに小学校のグラウンドが見えた。小学校の輪郭に沿って道路がのびている。角を曲がると、街灯の下でうごいている影があった。
――(後輩)蝉いますよ! グラウンドの土から出てきた蝉の幼虫が道路を横断しようとしていた。表面がぬれたように光っている。三人で蝉を囲うようにしゃがんで観察していると、後輩が急にマスクを外して、無表情で移動を続ける蝉の目の前に敷いた。マスクの上に乗ったので、近くの木まで運んで、蝉を幹のくぼみに引っかける。落ちないように下に手を置いて待っていると、上に向かって登りはじめた。後輩がマスクをつけ直す。
――(同期)えっ、蝉に使ったマスクまたつけるの?
――(後輩)さすがに大丈夫でしょ~七年自粛してたら!
コンビニで酒を買って、飲みながら三〇分ほど歩くと駅に着いた。行き先が同じらしい二人についていって遠回りする。次の電車に乗り換えたあたりで記憶を失い、気がつくと終電がなくなっていた。

東京・高尾
鈴木一平


8月8日(土)

夕方の窓辺で
古い白いカーテンが翻る
昨日からもう秋なんだってね
おかしいよね先週やっと梅雨が明けたばかりなのに
窓を閉めて
冷房をつけて
灯りはつけずに小さなテーブルへ
蒸した野菜と鶏肉をあいだに向かい合う
いっしょに暮らすひとは最近これにはまっていて
家にいるときは拵えてくれる
いただきます
静かに熟れ崩れていく果物のように暗くやさしい光が
ゆるしてくれるからくちがひらく
おいしいねこのタレなに
いいでしょうオリーブオイルと醤油麹
そうしていると
おそろしいことなど何も起こっていないみたいに
錯覚しそうになるけれどわたしたちは今も
ねんのためにできるだけ距離をとろうとしてとてもいい姿勢で
食べている
リモート会議があるからと
先に席を立ったひとのからっぽになった椅子を眺めながら
くたくたになった野菜をポン酢に浸す
ごめん
ここにはないテーブルのことを考えてしまうよ
女友達たちと適当な食べ物を大きなテーブルにたくさん並べて
だらだら食べて尽きることなくおしゃべりをしてお酒も呑んで
笑いながらチーズを切って甘いお菓子は半分ずつで眠くなって
うとうとするあいだも誰かが話す声が漣のように聞こえていた
夢のようだったあのときの
あんな場所に集れることがまたいつかあるだろうか
これが終わるときはくるのだろうか
日が沈んでゆく
無力感ばかりが汗ばんで
かき消されるように何もかもが軽くなっていくのに体は重い
昨夜は
オンラインのための仕事量と期日を確認しているうちに
こんなことわたしにはとてもできないもう続けられないとおもえて
涙がとまらなくなった
ごちそうさま
そうだねまだ手は動くから灯りをつける
食器を洗って
ベランダに干していた洗濯物をたたむと
まだ少しだけ光のにおいがする

東京・神宮前
川口晴美


8月7日(金)

旅行も帰省もできないということで、東京都内の高級ホテルに泊まっている。自宅よりも広いスイートルームには、6人くらい眠れそうなふたり用のベッド、6個椅子が並んだダイニングテーブル、たがいちがいに2人横になれるカウチ、壁にはふたつの巨大なテレビ。バスルームには大きな丸い鏡がふたつ、シャワーブース、バスタブ、スチームサウナがある。カウチに積まれたたくさんのクッションの配置を変える。ボタンを押すと開いたり閉じたりするカーテンのボタンを押して、開いたり閉じたりさせる。アフタヌーンティーにケーキとサンドイッチ、クロワッサン、チョコレートを食べる。チョコレートにはきれいな絵が描いてある。水ようかんとお団子、お抹茶のお点前。水のボトルの横には切子硝子のコップ。午後五時、スパークリングワイン、カナッペ、スモークサーモン、ハモ、じゅんさい、枝豆、西京漬のチーズ。午後七時、サラダ、ステーキ、ホタテ、カラメルソースのプリンとフルーツのデザート。ジェットバスのボタンを押すとシューっと音を立てて泡が出る。抹茶を点てた先生に倉敷デニム製のマスクをほめられる。フロントの女性は夏の着物をさらりと着こなしている。ことし庭の鐘は鳴らず、川沿いの桜を見た人も少ないが、ここではいたるところに吉祥文様がちりばめられている。わたしたちは幸運を呼ぶまじないで世界を防御する。必要なのは絆と繁栄のしるしだけ。

東京・目黒
河野聡子


8月6日(木)

マスクをする 呼吸をする
それから 君に話しかける
呼吸をする マスクはずす
それから 珈琲を一口飲む
マスクをする 呼吸をする
暑くてくらくらメマイがする
なぜかセカイがくるくる回る
くるくる回る地球の上で
君が回る セカイが回る
ぼくらはくらくら目を回している

マスクしてても ぼくはウレシイ
君と一緒なら息苦しくても隔離されても
モニターごしでも アクリルごしでも
君と一緒に笑って(イたい
君と一緒に歌って(イたい
マスクごしに君は笑う
マスクごしに君に話す
デカルトは「精神の属性は思惟
物質の属性は延長」という
2020年人類はマスクと共に進化しました

千年たっても 万年たっても
きっと地球はくるくる回る
そんな地球の夢を見た
君と手を繋いで踊る夢
君と笑いながら踊る夢
こんな楽しい時間は二度とこない夢
(それをぼくらは知っている夢
そんな寂しい夢がくるくる回る

とーくへ とてもとーくへ離れて語り合う
君の声はよくきこえているけど
笑っているのか泣いているのか
いまのぼくにはわからない

福岡市・薬院
渡辺玄英


8月5日(水)

  • N お疲れ様でした。
  • Y お疲れ様でした。
  • N なんとか無事終了しましたね。
  • Y 有り難うございました。
  • N 本番中、マスクをつけていない事注意されないで良かったですね。
  • Y そうですね、いつでも付けられるように横に置いておいたんですけど。
  • N 今日のパフォーマンスは、発話する口元の動きがキーになりますからね。
  • Y マスクができない分、口元だけのフェイスシールドも考えたんですが。
  • N 息で曇っちゃって見えなくなりますしね。
  • Y そうなんですよね。でもそれで今回、口元の動きが感情の重要な情報なのだと感じました。
  • N 口は喋る事や食べる事以外にも、感情の発露としての重要な役割がある?
  • Y はい。この間Fさんと話してる時に、食べるために一旦マスクを外したんですよ。そしたらFさんが急に安心した顔になって、理由を聞いたら、私がずっと怒ってるんだと思ってたみたいで。でもマスクを取ったら私がニコニコしてるから安心した、って言ってました。
  • N なるほど。目と口の表情は必ずしも一致しない、という事ですね。「目は口ほどにものを言う」というけど、実際は口の表情を備えて初めて目は語れるのかな。しかもマスクは目以外全て隠しますからね、鼻も顎も。目だけを孤立させると情報に乏しくて、時に乖離した印象を与えてしまうんですね。
  • Y そうだと思います。
  • N 先程終了した我々のパフォーマンスで、Yさんが今回ご企画された五つのプログラムが全て終わりましたが、どうでしょう?今回、我々はコロナ禍の最中で、どうしても常にコロナの状況を注視せざるを得なかった面もありつつ、コロナ禍というこれまでとはまったく違った環境だからこそ可能になる事もあったのかと思いますが。
  • Y そうですね。今回コロナ対策の為、全部無観客での配信公演となったのですが、逆に配信という形でなかったら、こんなに短期間で五パターンのパフォーマンスをしようとは思わなかったし、演劇以外のアーティストの方々と一緒にやろうとは思わなかったと思います。あと、今回の企画の基本コンセプトである、ツイッターでのハッシュタグ募集も、自粛期間中にうちに閉じこもりSNSを普段より多く眺めていた、その時に考えた事が影響したと思います。
  • N なるほど。実際コロナ禍のせいで、劇場が通常の演目の上演が不可能になってしまったからこそ、我々は屋上だったり外廊下だったり、この間なんかは客席をすべてばらしたりして、普段の使い方とは全く違う使い方で「場」を使用出来ました。そうやって様々な場所から配信が出来たのも、現在のこの「からっぽの劇場」の状態だからこそですし、既成の形に据えられていた「場」が、行為に合わせて自在に設えを変える事で新たな姿を我々に見せ、不可能を可能にしてくれた気がします。
  • Y そうですね。こういう状況でなければ、劇場側も劇場祭も、こういう形式をやろうとも思わなかったと思います。
  • N 今日やったパフォーマンスのテーマじゃないけど、我々はこれまでも常時何らかの不自由さ、規定された規制みたいな中で常に何が出来るのかを探している。でも現在の不自由さは、コロナ禍以前のそれとは全く異なる。だからこそ、私達は今まで考えなかった事を考え、やろうとしなかった事をやろうとする、その結果出来なかった事もあれば出来た事もある、という事ですね。
  • Y 今出来る中で最良の選択肢を探していきたいな、と思いますね。
  • N ですね。いずれにせよ、今日で無事に全部終わって本当に良かったです。有り難うございました
  • Y 有り難うございました。

※本日8月5日に吉祥寺シアターより配信を行った、「からっぽの劇場祭」でのパフォーマンス公演 『(in)visible voices-目にみえない、みえる声たち-』終演後の、楽屋でのYとの会話より

吉祥寺・吉祥寺シアター
永方佑樹


8月4日(火)

三十二時間に伸びる
一日でも
    おかしくなく感じさせる
百五十六日間の
三月の梅雨が開けて
    そういえばなかなか長期を考えられないなとふと考える間

笑いながら終わり無き仕事で識る無意識の旅愁が
歯ぎしりに身体翻訳し尽せられ
    奥歯が下の骨を溶かし
その奥歯を抜いてもらうお医者さんと死者の相対的な無さを喜んで
    少し歪んできた顔で
笑う

ついうとうとし欄外の領土を
    妙に広げ流れ始める仄かに滑稽な朝日の希望を抱かせるきっと鳴いている鳥の声が扇風機に飲まれてゆく

       これは条約だったらサインする国はないん
だろうが 家を出る度にここで亡くなった島村抱月の記念碑により
       彼は勝手に永久との条約に結ばれてしまった
『ドン・キホーテ』を訳した人物の死因を検索してみれば
    多分、たゆまぬ情熱

東京・横寺町
ジョーダン・A. Y.・スミス


8月3日(月)

福岡の父から珍しく電話がかかってくる。「とうとう罹ってしまった。コロナじゃ」。39度近い熱があるという。即日H病院の発熱外来へ担ぎ込まれる。主治医のK先生から電話。「コロナではありませんが、腫瘍による胆管の炎症です。緩和ケア病棟に空きがないので、一般病棟で抗生剤の治療を行います」。それが一週間ほど前のことだった。その時点では一般病棟での家族の面会は一日15分まで許可されていたが、一昨日から再び完全に禁止される。全国的な感染者数の増加に対する措置である。K先生からは頻繁なメール。肝臓の腫瘍の径は左葉が10センチを超え、右葉にも2センチ大のもの。腎臓は萎縮と結石。両側胸水。昨日また連絡があり、急遽緩和ケア病棟に移れることになったという。こちらは30分までなら会うことができる。「いつ来られますか?」。いざ、羽田へ。

顕微鏡のなかの
細胞に海が満ちてゆく

オーブントースターの窓の向こうの
残照がキツネ色から焦げ茶へと変わる瞬間を
またしても見逃す朝

どちらがどちらの背景で
前景は何なのか
無自覚無症状のまま市中感染を続ける縁起の仏法
明滅するボソン収縮のクラスター

アル・アマルから送信されてきた未来の故郷の稜線が
老いてなお清しい鼻梁の影をなぞっている

そのもっと手前、
内なる波に揺れる尿瓶と
消毒済みの床を練り歩く遺伝子行列

蝉時雨のエコーから滲み出る
未生の静寂

(注 アル・アマルは「希望」を意味するアラビア語で、2020年7月に打ち上げられたアラブ首長国連邦の火星探査機の名称。)

横浜・久保山
四元康祐


8月2日(日)

この陽射しを
もう疑わなくていい
つかの間かもしれないと
身がまえなくていい

山に来た六日まえ
特急の雨の窓には まだ
葡萄畑の緑がけむっているのに
空調の効きは 覚悟が必要
何枚はおっても からだがこわばって

動けなくなる四肢を
動いてしまう心に
かかえ続けるということを思った

静かな死を願ったひとと
その願いを叶えたひとは
もう一日をこらえようとする仲間を離れたとき
何にうつむいていたろうか

いつでも銃爪を引ける拳銃を
枕元に置いておけたら
それを引かない自由を選べるのだろうか

自分ならどうするか
と 問わない者はいなくて けれど
垂れ込めた雲の下では 
ちがうこたえを出してしまわないように
考えてはいけないのだったから

明日月曜の数字は きっとまた増えるけれど
林では 蝉たちがいっせいに鳴き出して
どん底を見た力士が 誉れを手にして
路の上に 光は強く動いてゆく

昨日から鰐している夫が 電話をくれて
どこかで財布を無くしてさ というぼやきが
夏の響きだ

八ヶ岳
覚 和歌子


8月1日(土)

そぐわなさから遠くしようと思うのに、大きなところから小さな箱が届いて、伝票には
「品名:布製マスク(荷送人指図不要)送付枚数25枚/60サイズ、案内文1枚」

止めるって聞いていたのにね
欲しいなんて言ってないのにね
こうやって虚ろになっていくね
おいてけぼりだね

「あれ、もう」っていつだって何度だって言ってしまうものだけど、雨季の7月が丸々すっぽりと抜け落ちて「あれ、もう8月」となってしまって。

身体を遠くに運ばない、ざわめかせない時間は、こんなに自分に折り重ならないで、時という枠組みだけが現れるものなんだなと発見をする。
ああ、これが待つことなのか。

この先を決めることもなければ寂しさを覚えることもなくて
涙も足りなければ震えも足りなくて
その分どこかの誰かに押し寄せているから
あなたがいなくなってしまうんじゃないかって

いてほしかった
あなたにいてほしかった
あなたがいなくなることは
交わらない私の喉元に
ゆっくり指を押し当てていくようで

滑らかな木肌から伸びる枝先に
赤い小さな花が
ぽぽぽぽぽ っと咲いた
百日紅

「夏に木から咲く花はすごく少ないから
今、東京はたくさん百日紅を植えているんですよ
オリンピックの時に花が映るようにしたくて」

そう教えてくれた君の
日に灼けた肌と
布に守られた肌の
境目を思い出す

そちらに花は咲いていますか?

大分・耶馬渓


7月31日(金)

梅雨は明け
七月最後の日
夏休みを取得して
美術館に来ている
入り口にはカメラが設置されており
モニターにわたしの姿が映し出され
その上に体温が表示された
わたしは36.1
わたしの後ろの男性は35.9

館内に入ると
椅子が二脚あった
一ヶ月前であれば椅子は全て撤去されていたが
一時期落ち着きを見せていたから
二脚だけ設置されたのだろう
また明日にでも撤去されるかもしれないと思い
意味もなく椅子に座った

館内の壁には東南アジアの作家が描いた
大きな地獄極楽図が飾られている
地獄では
炎の牙を持つ獣の口から炎の獣が現れ
無限に続くように思われた

その炎はおそらく
わたしが持っている
36.1度の熱に通ずるものだ

ずっと椅子に座っていた
ガラス窓の向こうの
夏雲が眩しすぎる

福岡・博多
石松佳


7月30日(木)

失われた猿を求めて病のために率で死ぬ人と話す疑や触が増えてきて独自の基準で私は立てこもろうどんな日か考えるのをやめる口で言う慣れているから画の声は小さくて耳を澄ます接続が安定して机を挟んで届くその手を握り締めてみたいと今日を終わらせるための練習をして不通であることの意もありはしないほらさっき見たままだ夜から朝へ近づいてくる失われた猿を求めて羽根を開いた孔雀を待っていたのが奇跡だったの友人だったの最後に会ったのはいつ次にいついないこどもを引き取るのがよくうつるやつじゃなくてよかったねどうやっても制御できないものを呪う思いつきを封じ込めるいかに今日が素晴らしいのか語ってばかりいて

東京・調布
山田亮太


7月29日(水)

百万遍から京都駅へ
弾丸的な一泊出張が終わって
お勧めされた206番系統でなく17番の市バスに乗る
出町柳駅前を通り過ぎ
河原町通りに左折
府立医大病院前を通過
河原町丸太町(「ち」の発音が京都らしいな)
朝乗った河原町三条(時間を調整しました)
四条河原町(時間を調整しました)
と京の町をひたすら下ります

河原町正面
七条河原町
京の酵素浴 のお店がある
ラーメン屋餃子屋
おしゃれなリノベーション文化施設
そして塩小路通りにつきあたって右折
新幹線の向こうに奈良線が見える

僧形の文人と相対してカレーを食った
ご先祖さんの日記のリバイバル冊子
十二歳の女学生は文体をさらさらと流れる
叡電元田中の駅前
開け放った戸口から
七月の風が吹きこんでくる
柳原町から米騒動が生じたことを
日記に書き忘れるなと怒られた
と、また
その日記に律儀に書いている

市営住宅の再開発
どの建物も
白い幕に覆われている
小川の橋の上にも白い幕がかかって
工事現場として
歴史に幕がおろされる
ああ
芸術の力によって
低いところが埋められていく
東京もまたいそがしくめまぐるしく
西荻北口の道路拡幅
麻布我善坊谷の再開発
あったことなかったこと
なかったこと、出会ったこと

下鴨神社に河崎の社が再興された
何かよくわからないが
ものすごい力が降りてきている
全国の田中さんたちよ
刮目せよ

京都
田中庸介


7月28日(火)

ひさしぶりに
昼ごはんを
エンダーで食べて

ドリンクは
もちろん
ルートビアを

沖縄のソウルドリンク
と言ってもいいくらい
こどもの頃から飲みつけて
おいしくて
大好きなのだけど

いっしょに
お昼にしていた
きみが
飲むものがない
、て困ってるから
あげたのに

ストローで
少し吸ったとたん
横を向いて
ものすごく深刻そうに
顔をしかめたのは

これは
これはもう
ソウル そうつまり
魂の問題ですよ
これはもう
とか

ルートビアは
よくネタにされて
サロンパスみたいな味とか
薬みたいとか

魂はたぶん
誰にでもよろこばれる
味はしない

わかんないだろうな
おいしくない
、て言うだろうな
、て思いながら
ぼくは
わかんないだろう味を
おいしく感じては
うれしくて仕方なくて

もうちょっと飲む?
、てきみに聞く

*エンダー…A&W。沖縄のファーストフード店。

沖縄・那覇
白井明大


7月27日(月)

秋の入口みたいな温度計
こごえながら炊飯器をあける
足りないから
洗う
つぶつぶしたもの

日々のしこりが残って
ぜんぶ触りつくした夕方が
あつまって
散る

だれかの詩を読む
赤い文字を記していく
感情すら
わたしが裁いて

よりそわないまま
会話をつづける一日のさかいめを失ったとき

分厚い上着を羽織って
カーテンを閉める手つきで
ななめに
雨が降りはじめて
それを見ながら
雨が降っていると
おもった

北海道・札幌
三角みづ紀


7月26日(日)

雨が続いている

西の山は
雲に

隠れている

いつも

隠れている
連休の最後の日だった

7月26日
日曜日

夜来の雨はやんだが
また

降っている

散歩にも行けない
居間のソファーにいる

モコといる

女は
エアロビに出かけていった

仏壇の

盆飾りを片付けた
仏間と居間に掃除機をかけた

もう

感染者数も
死者数も

数えない

驟雨

雨は突然
降りはじめて降り続いて

やんだ

雨音に
モコは震えていた

震えるモコを抱いた
あたたかい

静岡・用宗
さとう三千魚


7月25日(土)

いつ目を開けても 雨音の螺旋。
長雨に吸い込まれて眠りに落ちる。
今年の梅雨は5年分くらいの重さ。
“ねむりねこ”が部屋から去らぬまま、
連休の3日目も過ぎていく。

「おいときましょうか」
インターホンから優しい声がして
咄嗟に「はい置き配で……」と返した。
オキハイ、という言葉はまだ心もとない。
玄関前にポツンと置かれたダンボールを開けると、
カンロ飴の鮮やかなオレンジ色が目に飛び込んできた。
モニターに映る若いお兄さんが運んできた夏の色彩。

誕生日を迎えた私へ届く贈りもの。
一年分のカンロ飴を敷き詰めたら
栄養ドリンク、ハーブティーのセット、
ハリネズミのぬいぐるみ。
さっそく口の中で○を転がしながら
「20代までに○○」という焦りを舐めとり、奥歯で削る。
Amazonの箱の底からビニールを剥がす。
ビニールは私の指に張りついて
たちまち新しい皮膚にかわり呼吸をはじめた。

ある劇場での“祝祭”のため、
友人は「奈落」で暮らしはじめた。
「奈落で暮らすことにした」と聞いたときは混乱した。
舞台の地下空間をそう呼ぶことも
人が暮らせるような、豊かな奈落があることも知らなかった。
では、「ここ」が奈落である可能性もあるのか?

私はしっかりめのマスクをつけて
ダンボールの束を抱えて
エレベーターで階下に降りていく。
祝祭だ 祝祭だ
雨はしきりに拍手している。
透明なオリンピックが
雨粒を華麗によけて幕を開ける。

四月から通いはじめた病院で
私はまだ医師のマスク姿しか知らない。
医師も私の素顔を知らない。
不安を押し隠すように なだめるように
体温計を服の下に入れたこと。
その不安な手つきを忘れずにいたい。
片手にハリネズミを握って
差し出せるのは、このぬくもりだけ。

動き出せない お互いにHOUSE
命じられた犬のように
互いのテリトリーを出られない。
「Go To」? 「Stay Home」?
頭を撫で合う、それぞれの家の中で。
交わることもなく
濡れたベランダに立つこともなく。

東京
文月悠光


7月24日(金)

たまにそうなるのだけど、この数日間、ひたすらに眠くて眠たくてしかたがない。そもそも、普段から頭痛薬を手ばなすことができず、バファリンかイヴを毎日最低6錠は飲んでいる。しかもこう雨がつづくと痛みがなおさらひどく、頭痛薬を飲むと痛みはおさまるがぼーっとしてしまう。眠い。眠たい。コーヒーでバファリンを流し込む。まだ眠い。眠たい。眠たいんだ。こないだからグレタ・ガーウィグ関連の映画を順に見なおしている中で、グレタが俳優として出演してる、20th Century Womenを何年かぶりに見て、うとうとしながら見て、ホームパーティの食卓で、グレタがひとり、テーブルにつっぷして眠っている。アネット・ベニングがグレタのとなりの席の息子に命じてグレタを起こさせると、不機嫌なグレタは、いまmenstruatingだから眠たいの、という。アネットが、そんなことみんなの前でいうもんじゃない、とたしなめると、そういう考えは時代遅れよと(ここで描かれているのは1979年で)、みんなもっと口に出していうべきと、menstruation、あなたも云って、と、となりの15歳の少年に口にさせる、mens…truation……、そんなおびえたように云わないで、もっと普通に、menstruation、あなたも、と向いの席の黒人の青年にも云わせる、mens…truation、目が泳いでる、ちゃんとこっち見て云って、menstruation、はす向かいのおじさんにも、menstruation?、語尾を上げないで、menstruation、じゃ、みんな一緒に、menstruation、menstruation、わたしも、語学の勉強のように口にする、menstruation、menstruation、そのあと、エル・ファニングが自分の14歳の初体験について語りはじめる。それをいまにも机につっぷしそうになりながら聴くともなく聴いている。眠い。眠たい。眠たくて。頭痛薬を飲み込んですこしすると、錠剤が溶けていくように、視界がつかのま、白濁する。耳鳴りと雨音とが溶け合って、骨まですこし溶けていくような気がする。meditationしてるようなきもちになる。
何日か前、コルトレーンの命日で、思い立ってコルトレーンの吹くMy Favorite Thingsを、1960年の同名のアルバムに入っている最初の録音のものから、new portのライブ盤、half noteのライブ盤、village vanguardのライブ盤、日本の厚生年金会館でのライブ盤、最後のolatunjiでのライブ盤…と順に聴いていってみる。meditationしてるようなきもちになる。
それにしてもそうだ、京都いきたいなあ!
20時に全国の120箇所でいっせいに花火が打ち上げられるという。今日はもともとオリンピックが始まる予定だった日とのこと。先日NHK BSプレミアムでやってた「建築王国物語」という番組で、オリンピックに向けて新しく建てられたいくつかの建築について、会期に間に合わせるために、職人たちが、いかに智恵を絞り、力を合わせて、未知の建築物の施工に取り組んだかについて描かれていて、選手だけでなく、こういったひとたちにとっても、どんなに残念なことだろう、とおもった。
出来上がった新しい、誰もいない競技場の、建築家や職人が力を結集させて造った屋根を、花火がシルエットにして浮かび上がらせていた。
花火の音かとおもったそれはタップダンスの靴音で、生のライブを見たのは一体いつぶりだったろう?そのタップダンスの、靴音はもとより、振動が伝わってくる、鼓膜がふるえる、皮膚がふるえる、その内側の臓器たちがふるえる。演者の息づかいや、それを見まもる観客の呼吸など(10名ほどの少人数に抑えられているのだが)、全身で感じる。みんな生きてここにいる。これがライブだったなあ、などと圧倒されてぼんやりしたあたまでおもう。タップダンサーの米澤一平さんとコンテンポラリーダンサーの水村里奈さんの二人によるライブで、米澤さんが四谷三丁目の綜合藝術茶房喫茶茶会記というお店で数年にわたって、もう六十回以上継続されているプロジェクトで、毎回いろいろなジャンルのゲスト一人とコラボレーション公演をしている。その、しばし中断していた、久し振りに再開された回だった。水村さんの手の足の指先が微動している。線香花火みたいに。その細かい動きの震動が空気を細かくふるわせている。しばらくダンス作品なども映像でしか見られなかったので、生のライブだと自分で見たいところにフォーカスできること、しかし、米澤さんと水村さんが離れた場所でおのおの踊っていると、両方を同時に見ることはできない。また、そもそも坐った席の位置によって全然見え方が違う。すべてを見切ることができない。しかもこれらはたった一度しか起こらない。ぜんぜん見切ることができない。そのもどかしさがライブなのだった。途中、撮り下ろしの映像作品も上映される。米澤さんがインタビューをして水村さんが答えている。その答えの声だけをトリミングしてつなげた音声が詩の朗読のようで、それを聴きながら、映像のなかで、街中を踊りながら歩く水村さんを見ている。それを撮影しているのは米澤さんで、はんたいに水村さんが撮影した、タップダンサーの視点を想像して撮影したという映像作品も流れる。まちにあふれるさまざまなモノの音や声が聴こえてくる。
その翌週だったか、米澤さんと中目黒の居酒屋の、角の窓辺の席に居て、すぐそこを目黒川が流れていて、全開にした窓からはいってくる川風が心地よい。来月の公演に向けていろいろな話をする。席は満席で、中目黒の名物だというレモンサワーを、米澤さんと幾杯も飲みかわしながら、わたしの終電の時間まで打ち合わせというかお喋りというかをしていたのだった。途中、雨が降ってきて、雨のにおいが、なつかしい夏のあの感じがした。窓をはんぶんほど閉じる。もうだいぶ前、去年の12月か今年の1月くらいだったか、この話をいただいたあと、とりいそぎ公演のタイトルを、インスピレーションで、と云われて、とっさに、手元にあったアンリ・ミショーの詩集から、その中の一篇のタイトルから引いて、「寝台の中のスポーツマン」としたのだった。
そのときにはまだオリンピックが中止になるなんて話はまったく出てなくて、しかしこうなってしまうと、このタイトルをミショーから引っぱってきた当初とはまた全然違った響き方をしてしまうのだった。
ひさしぶりに居酒屋などに行って、名物のレモンサワーがおいしく、米澤さんの話がおもしろく、ついつい飲み過ぎてしまう。
雨が頭痛薬を溶かしてあたまの窓ガラスを白い水滴が流れていく。
眠たいのになかなか眠れず、眠ってもじきに目が覚めてしまい、しかしなかなか目覚めることができない。
いつも見ているNHKの手話の番組で、耳の聴こえないひとは寝言のかわりに寝手話をする、という話がでてきて、そういえば私も寝手話をしているひとを見たことがあったし、私自身も寝手話をしたことがあったのだった。
手話を読み取るとき、また手話をつかわないひとに対しても、口のかたちを読みとっているひとが多いので、こうみんながマスクをしていては、みんな不便しているだろうなとおもった。
それで、いま調べて見たら、やはり口もとを読み取れるように、透明マスクというものがすでに考案されているのだった。
いっそ、みんな透明マスクにすればいいのにね。
不透明である普通のマスクで、顔の半分が隠されてしまっていては、表情が読み取れなくて、ほとんどのひとたちがみなそういう状態でまちにいることは、それは自覚できている以上にどこか悪夢じみていて、ひとの表情というものが、すくなくともその半分が、世界に欠落している。
送られてきたハガキの文面の半分以上が、雨か何かで流れてしまい、欠落している、その欠けてしまった部分の文面をああでもない、こうでもないと、何十枚も記したものが並べられている、installationで、その作品のもとになった、文面が半分欠落したハガキのコピーが展覧会のDMにもなっている、藤村豪さんの個展「誰かの主題歌を歌うときに」(KANA KAWANISHI GARELLY)を見た。金曜日に行って、一週間会期が延長されたので、翌週の最終日の土曜日にもう一回訪れた。奥の映像作品《同じ質問を繰り返す/同じことを繰り返し思い出す(どうして離婚したの?)》では、友人が離婚した理由を、6年間にもわたって断続的に、なんども質問し、なんども語り直してもらう。入口の映像作品《左手が左手を作る(左のための再演)》では、左手の指が短く生まれてきた、息子さんの左手を、自分の利き手でない左手で、手さぐりで、粘土で再現しようとする(藤村さん自身は、「再演」という言葉をつかっている)。つくる手とつくられる手とが重なり、対話をしているように見える。それは距離を埋めようとしているようにも、他者とのあいだにどうしようもなく欠けているもの、あるいは欠けてしまうものを、治癒し、あるいはべつのもので補おうとするこころみのようにも見える。すくなくとも、それをぼんやりと見ているわたしのこころのやわらかいところに、触れてくるものがある。やがて、ふいに息子さんが帰ってきて、「色ぬったほうがいいよ」というようなことを藤村さんに云う。
それら映像自体はオートリピートでくりかえされるのだけど、はじめに見にいったときにはギャラリーの河西さんと見て、つぎに行ったときには藤村さんと河西さんと河西さんが抱っこしている河西さんの息子さんと見たのだった。おなじ映像ですら、おなじように見ることは二度とできないのだった。
いま、ここまで書いて、藤村さんの個展についても米澤さんと水村さんのライブについても、全然うまくも、じゅうぶんにも、語れていないもどかしさがあるのだけど、藤村さんの作品のように、また別のとき、別の機会に、何度でも語り直せばいいじゃないか、やり直せばいいじゃないか、「再演」すれば、というふうに、励まされてもいるのだった。
そうおもいつくと、すこし安心して、わたしは今日のいっせいの花火を見ることができなかったので、寝台によこたわって、寝手話のように、花火の手話を、いくつも打ちあげてみる。
記憶の暗やみを、手話の花火が、これまでのわたしの花火にまつわるさまざまのことを照らしている。手が覚えてもいる。
ね、なにいろの花火がすき?
わたしは白い花火がすきなんだ。
いまおっこちた線香花火を逆向きに再生させることも、わたしの、わたしたちの手はできる。
できるんだよ

東京・深川
カニエ・ナハ


7月23日(木)

なんの気なしに
手をのばした青葉の裏がわで
みっしりと、
おどろくほど規則的に赤茶の斑点がならび、
覗きこめば
どの葉も、どの葉も、どの葉も、

そのとき四歳だった
熱がでて、寝かされていた
ふと起きて、母の鏡台のまえに立てば、
むごい斑点が
顔にも、首にも、手足にも、
口紅をぬれば、おそろしくはみ出したっけ

泣いても、泣いても、泣いても、
見てはいけないものは消えなかった

この怖さはなんだろうか
この感染症の怖さはなんだろうか
と 問いかけて、
浮かんできたのだ、こころのこのマダラ模様が

ほんとうは、見えているんじゃないか、
ウィルスを
赤茶色のその斑点を
突風が運んできた瞬間だって

見えているんだよ、
だから
怖いのさ

泣いても、泣いても、泣いても、
消えなくて

顔にも、首にも、手足にも、

神奈川・横浜
新井高子


7月22日(水)

感染者数がふたたび増え
さまざまな予定や思いがずれはじめた街で
ずれた時間と時間のあいだに
映画館に入った

わたしの席は一番後ろの列の右端
前の列の左端に
マスクをつけた白髪のひとが座った
わたしたちの目の前には誰もいない

観客はふたりだけ、の上映は
学生のとき以来だ
そのときは
途中から友人は眠ったため
一本の映画を最後まで観たのは
わたしと映写機のそばにいるひとだけだった

上映のあと 部屋のあかりをつけたひとは
つい寝てしまった、と笑う友人に
ときどき眠りながら観るのも楽しいものです、と言った

今日の
前列の白髪のひとも
少しうつむいて
ひそかに
眠っているのかもしれない

とまる と すすむ をくりかえし
またふりだしにもどっては すすむ
そんな歩行にも慣れてきた
と思っていた

けれど 数日前に
予定がまだ立てられないことをあるひとに伝えたとき
いいよ あわてないで
だって わたしたち 疲れているよね
とメールが返ってきた

あなたでもなく
わたしでもなく
わたしたち
そう
わたしたち 疲れているんだ

だから
マスクをつけたまま
椅子に深くこしかけて
眠ってもいい

いま
スクリーンの前の
やさしい暗がりのなかで眠るのは
あなたでもなく
わたしでもなく
わたしたち

せめて
まだ降りつづく
雨と雨のあいだ だけでも

東京・吉祥寺
峯澤典子


7月21日(火)

鳴きはじめた蝉たちは
鶯の初音のように、ういういしい
土用の丑の日の今夕
鰻を食べた

夫が仕事帰りに鰻を買ってきてくれた
このひと月、ほとんど外出していない私には
外界のことは、想像に思い描くだけ
だから今日、夫は
職場で仕事する人ではなく
鰻の狩人である

私はといえば
家で校正しながらゆっくり一日を過ごして
鰻を待っていた
東京の感染者数は237人
日が傾く気配を窓の遠くに感じるように
このごろは
地球のまわりをいくつかの大きな円がめぐっている

今年もまためぐり来た
蝉のあらわれという、透明な初夏色の円

土用の丑の日という
鰻を食べる時にだけ口にする旧暦の今日が
太陰暦の中に抱かれながら
太陽系をめぐる、たゆみない軌道

COVID-19の円もめぐっている
大きさのわからない軌道は
このところ逆まわりをはじめたのか
それとも小さな誤差を飲みこんで
軌道が自分で決めたとおりに、順調にめぐっているのか

そして私ひとりの円もまためぐる
不思議なことに
私にはこの円がいちばん大きな軌道なのだ

未来に私たちは、箱の中の迷路を右往左往するネズミを眺めるように
こう言われるだろう
「この時、人類は、悲劇の規模をまだ知らなかったのです」あるいは、
「人々はすぐ先に希望のあることを、予見できずにいたのでした」

知ったことか
私は鰻がおいしいんだ

もっとうんと未来に
宇宙考古学者は、私たちをこう呼ぶだろう
あの南の空の星座は、
鰻の狩人座と、家で校正する妻の座です

千葉・市川
柏木麻里


7月20日(月)

今日もまた不備書類の督促だ
コロナを理由にごまかすな
電話の向こうの女の声
書類を通してくれないと
大変なことになると言う
ならば登記を完了してよ
守るべきは顧客の権利だろ

人の世界が遠い

すこしづつ
恨まれる
仕事ではある

すこしづつ
消えてゆくわたし
全体が色褪せてゆくのではなく
ただ、薄くなってゆく

仕事帰りの駅のベンチで
昨日見てきた足利市立美術館『如鳩と沼田居』展の画像を見ている

足利は昭和40年代まで
旅の絵師を共同体で養う、みたいな文化が残っていた
全盲になっても
絵を描き続けた長谷川沼田居
その師にして
聖堂の犬に
1日中説教をしていた正教の伝教者、牧島如鳩
フランスの
かの聖人のように

電車一本をやり過ごすうちに
展覧会をひとつ見ると言うこと
もう豆は煮ないから
電車一本やり過ごすうちに
自分の一生を見てしまったような

そんな夕暮ではある

小平市
田野倉康一


7月19日(日)

STAYとかHOMEとかGO TOとか
わたしたち犬みたいだよねって
誰かが言って本当にそうだなって怒りながら笑ったけど
そういえば犬を飼ったことはない
猫も
小鳥は子どもの頃に家で飼っていたことがあって
でもあれはどちらかといえば弟の小鳥たちで
おいで と呼んだことはあっても
来い と命じたことはない
かわいい小鳥の1羽は逃げてもう1羽はどうしたのだったか
たぶんわたしが実家を出たあとに死んだのだ
不明1
死1
は 埋められているあいまいなわたしの記憶の庭の奥深く
おいで は言えても
来い とは言えない
命令形は使い慣れていない
やめてください は言えるけど
やめろ と言ったことはたぶんない
きのうコロナに感染した女性が同じ舞台を何度も観に行っていたことを嘲笑するように責めるニュース的なものが目に入って何もかもを振り払いたい気分になったわたしだって好きな舞台なら体力があってチケットが取れれば通いたいし同じ映画を20回くらい映画館で観たことだってあるしどこの誰だか知らないけどあなたは何もわるくないおかしくない好きにしていい命じられることに慣れなくていいんだって
言いたい
雨は
今日やっとやんだ
涼しい青空に飛行機の轟音
オリンピックが何ごともなく今夏ひらかれることになっていたら
暑さで人がばたばた倒れるような気温じゃないのを
せめて寿ぐ気持ちになれただろうか
明日はまた雨になる予報
振り払うようにここから飛び立って
逃げることを夢想してみる
新幹線も飛行機も使わずにGO
できたとしても
降り立てる場所は見つからない
1 は
埋められてしまう
あいまいな「東京都で新たに188」という数字の奥深く
そこからどこへも届かない声で
命令したい
光れ

東京・神宮前
川口晴美


7月18日(土)

きのうさいた
花なら、いいけど。
東京で293
埼玉で51

かこさいた
感染者数です。

最多を更新する
数字ばかり、目にしていると
まるで
数字に黙らせられた
かわいそうな
言葉の姿にも、見えてくる。

道ゆく人びとの
口を覆った、マスク姿が。

だんだん大きくなる
マスクには
もうひとつ、見覚えがあった。

津波のあと
巨大な防潮堤が建設されて
すっかり海の景色が隠れてしまった
東北の海岸線。

コロナのおかげで顔にも
高い防潮堤ができたようだ
隠れてしまったのは笑顔の水平線。

コロナの海岸には
黒船が来たように
なぜか、横文字もどっと押し寄せた。

ソーシャルディスタンス、アラート、リモート
ニューノーマル、そして、エピセンターだって。

ところがちっとも、馴染めない
横文字がさっぱり、身につかない。
なぜだろう。

クックパッドでレシピを検索すると
どんな料理もすぐできるが、すぐに忘れる。
台所に並んで母に一度習ったきりの卵焼きは
母が死んでも、忘れてないのに。

「さいきん、小さい文字が見えないので
お風呂場でシャンプーとコンディショナーの
区別に困るのよ」と、隣りでぼやいたら

まあちゃんが、「あら。
シャンプーの頭にはボツボツがあるのよ。
目の見えないひと用の」と風呂場で教えてくれて
日頃の悩みが、いっぱつで解決。

触れて、覚える。
そばで、教わる。

本当に、わかる時は
あたまではなくて、
すとんと、落ちるように
からだで、わかる。

からだに、沁みて
細胞が、記憶する。

なのに、
濃厚接触、密――
どれもが、悪いことになった、今。

オイ、コロナ
いったい、どうやって
わたしは
わかったらいいんだろう。

文通で知り合って、結婚した
幸せな夫婦をひと組、知っているのが
ちょっとした、希望かな。

コロナ、長丁場になりそうだね。

それでも
少しずつ、イベントの話が舞い込みはじめた。
主催者は(出演者も)
薄氷を踏む思いだろうが、文化の灯を消さない
ように、何とか個々の表現の生きのびる道をさがして、
ひっしで、みんな知恵を絞っている。
せめて、その思いに寄り添いたい。

ウイズコロナ

水コロナ、に聞こえる今日の、日本列島。

***
それでも
夏に向かって
元気はつらつの
いのちの、なかま。

草木、草花に
日々の大丈夫、をもらっています。

埼玉・飯能
宮尾節子


7月17日(金)

昨日食べた麻婆豆腐が効いたのか、痛みで目を覚ます。提案資料作成、あんかけうどん。処理が重くなった端末の整理していると、十年前に書いた文章が出てくる。小さい頃に父親から聞いた家の話を思い出しながら、いつか小説を書くときのためにまとめておいたもの。《二百年ほど前に大きな飢饉が起きて、当時この家に住んでいた人が庭に降りてきた鶴を食べて呪われたせいで、子どもが生まれなくなった。親戚の子や身寄りのない子を養子に迎えて、大人になって所帯を持つと、またべつの家から子どもをもらってくる。それを何代かくり返して、ようやく子どもができるようになったのは、曾祖父のひとつ前の代からだという》。いまなら庭に鶴が降りてくることがあっても、捕まえて食べようとはしない。もっとささやかに取り返しのつかない出来事で、解けない呪いに見舞われることもあるだろう。ゆるくなったドアノブのネジを閉め直したとき、中にいた虫を閉じ込めてしまうとか? 妹が帰省を親に打診して、断られる。前に住んでいた人たちが残していった部屋が蔵の近くにいくつかあって、入り口は木の板でふさがれていたとおもう。最後まで外の空気を吸うことなく、取り壊しに巻き込まれてしまったのだろうか。
後輩(添削担当)から連絡がきて、手直しされた「日記」が送られてくる。すこし話したあとで、『現代詩手帖』で発表したテキストについての感想をもらう。
――自分は一平さんのよい読者にはなれないとおもいました。表現のなかで明示も暗示もされないこと、《無症候性》によって不可避的に表現されてしまうものとしてのコロナの《形象》という見立ては、けっこう説得的ですね。でも、この指摘は書き手の側での批判可能性を事前に牽制してしまうというか、それこそ表現の「自粛要請」をしている気がする。
――やっぱりそういうとこあるよね……。
――全体的にはおもしろかったです。山本さんも言ってましたけど、最後こう来るかっていうおどろきはたしかにありますね! でも、動員のくだりはそんなこと言われても……って感じになりました。一平さん自身がこの問題をどう引き受けていくかなんですよね。なのに、それを書き手全員の《具体的な行為の水準》を持ち出して「一般化」してしまうのは、けっこう抑圧的ですよ。
――詩でなにが語れるか、みたいな気持ちになれなくて。
――そういえば手よくなりました? よくなったら、今度みんなで集まりましょう。
右手が突然ふくれ出したのは、六月の半ば、梅雨空の暑い日差しを避けて、台所に敷いた布団の上で昼寝をしているときだった。手のひらに熱っぽさを感じて目を覚ますと、手首の付け根のあたりから寸胴にふくれている。虫刺されの跡のようなものがまん中にできていたので、謎の虫に刺されたのだとおもう。皮膚の下には冬瓜のような青っぽい色味が入っていた。夏になるといつも体のどこかがおかしくなる。何年か前に詩集の刊行記念会を開いたときは、当日の朝に左腕の肘のあたりが紫色にただれて、笑っている顔のような模様ができた。薬をぬって包帯を巻く。会社の同期の家に泊まりにいって、その汁は抜いたほうがいいといわれる。裁縫針に除菌スプレーをかけて刺してみると、ぱっと手のひらの上に水のようなものが広がった。なめてみるとすこしだけ鉄の味がして、小学校の水飲み場の蛇口から出てくる水みたいな味だと同期がいう。夏場は外を走り回っていた子どもたちが列を組んで、順番に水を飲み干していった。

東京都・高田馬場
鈴木一平


7月16日(木)

流行は波状に押し寄せ
災禍もあとを絶たないので
これから都市は衰退して
村づくりがはじまると考えてみる
日本を20000の村に分け
いちからつくりなおす
神社がいるとして
宗教を選ばなければいけないからそれは留保して
仮神社と名付ける
仮神社の仮神主に
仮の祝詞をあげてもらい
仮村長と仮議員が仮の議会で話し合い
仮条例ができる
でもそれより先に
まずは村人が必要で
お医者さん
歯医者さん
農家
畜産家
狩猟家
漁師
八百屋
肉屋
魚屋
米屋
陶芸家
林業
木工
大工
瓦職人
漆職人
金工
旋盤工
プレス屋
織り屋
染め屋
印刷屋
紙屋
折屋
製本屋
パン屋
お菓子屋
酒屋
革屋
鞄屋
自転車屋
看板屋
傘屋
靴屋
洋服屋
着物屋
草履屋
下駄屋
土建屋
解体屋
工務店
石屋
コンクリート屋
廃棄物処理業者
溶接屋
重機屋
ガラス屋
鏡屋
塗装屋
家具屋
楽器屋
文房具屋
本屋
庭師
整体師
マッサージ師
占い師
税理士
玩具屋
ケーキ屋
オーディオ屋
額屋
表装屋
金物屋
荒物屋
乾物屋
お茶屋
おでん種屋
居酒屋
バー
喫茶店
たこ焼き屋
もんじゃ屋
お好み焼き屋
ウェブデザイナー
酒屋
蔵元
醤油屋
出版社
地方紙
記者
釣り道具屋
模型屋
音楽家
建築家
デザイナー
画家
劇団
歌手
ピアノ教室
バンド
楽器店
書道家
算盤塾
学習塾
スポーツ用品店
ゴルフショップ
古本屋
骨董屋
レコード屋
花屋
家電屋
自動車ディーラー
スナック
風俗店
銀行
市場
学校
警官
消防士
旅館
ホテル
映画館
銭湯
葬儀屋
掃除屋
小説家
写真家
華道家
茶道家
噺家
ダンサー
おどりの教室
詩人
歌人
俳人
みどりのおばさん
みんなに集まってもらって
最高の村をつくる
職人は全部は揃わないから村ごとに特化して分業する
職業はどこまで間引くことができるのだろう
筒井康隆の音がひとつずつ消えていく小説を思い出す
村と村との間は風船のようなクルマが行き来し
疫病の時は行き来をとざし
人々はデジタルでやりとりして友人は世界中にいるし
会社は場所に縛られず繋がって大きな仕事をする
でも立派なものは段々と不要になって
美しい村の祭りを訪ねる旅をみんながして
そこで恋をして住まいが変わったりする
評判のたつ良い村に良い人が移り住み
そうでない村は村人がデジタルコンテンツに依存して
うつろになっていき
豊さに格差が生じてくる
必要最小限のインフラとはなんだろう
お墓の整理も必要な気がする

送り火に雨粒が飛び込んで具体的な音をたて
灰の匂いが広がった

キャンペーンから東京が切除された

東京・世田谷
松田朋春


7月15日(水)

不要不急の寿司屋で細胞分裂した犬を手に入れた
行くように推奨され、行かないようにお願いされる水曜日
みんなの利益を守るために誰かの指示を待つことが
ほんとうに必要であるかのように
思いこんでいる

東京・つつじが丘
河野聡子


7月14日(火)

雨が世界を打擲する
この世の半分が流されていく
災害の危険が切迫しており、自治体が強く避難を求めています
洪水警報避難指示が連呼される夜
ひとりで
ラジオの災害速報を聴いている
豪雨でたくさんの土地が流された
人もたくさん流されていった
見覚えのある看板や家屋
たいせつなものが数多流されて消えた

チューニングが乱れてノイズの向こうから
ふるい深夜ラジオの音声が流れてきた
氾濫した濁流に押し流されてきた前世紀の電波だった
断続的なノイズの連鎖に(波打ち際の星がまだ青かったころの記憶
口のない者の声は
波の音によく似ている
こうして余白から瓦礫が
耳鳴りのように打ち寄せられるのだった
失われたものがおびただしく漂着する
目をそらしていたもの(たとえば死せる魂や盲目の恐怖
かれらが背後から見つめている
黒い影こそが寄り添っている黒い影だ、と

激しい雨音の向こうからだれかが
昨日まで地球の夢を見ていただろとささやくのだった

福岡市・薬院
渡辺玄英


7月13日(月)

不安を日常で薄めながら
進められてきた私たちの七月

上下する関数の曲線を
ただの数字として解釈する
法律にせっせと小突かれながら
かつての会話のぬくもりや
築きかけのポイエーシスに
付きかけた錆を取り除こうと
人びとが力を込め出した
手指のその支点ごと
二百人を超える連日の
感染者の数が挫いてゆく

私にせよ先週
はじめて会った人からは
「感染が怖いので、完全オンラインにしなくては」という言葉を
だけど先々週は
久しぶりに会った知人の
「感染しても、たいした事なんて無いんでしょ?」という声を
同じ耳が聞いたばかりで

傾きの
その方位を計量しつつ
数えられる側にはいないはずだと
信じていた人たちを
x軸に組み入れ肥大してゆく
この座標が果たしてふたたび
翳りを延ばしてゆくのだろうか 

生存の証に座り続ける
私たちの食卓の上に
道辺が取り戻しはじめた
子らの交わす声の上に

四月が、五月が、六月が
放り出したしぐさを結局真似て
私たちのこの七月も
危惧にあるいはその逆に
交互の方位へ振り分けられる
やみくもな均衡を八月へと
譲り渡してゆくのだろうか

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹


7月12日(日)

石庭に住むとかげ
隠れん坊
空中で交尾している蜻蜓(dragonfly)
公案を孕む

寺院の荷物預け所は
荷物を預けなくなったが
荷物はまだ荷物だなと
足元に広がる
小石の道を見て思う。

新たな形を取る時勢に
離れ  ばなれにされる

荷物を降ろし
門に入り 
束の間を延ばし
竜の安穏な日々

京都、龍安寺
ジョーダン・A. Y.・スミス


7月11日(土)

三週間おきの父の外来検診に合わせて再び福岡へ。今回は息子と娘も同行。ドイツから「ハカタのおじいちゃん」に会うためだけにやってきて、空港でのPCR検査と二週間の隔離(その間は毎朝体温体調をメールで保健所に報告)を終えた上での移動である。例によって老人ホームには入れないので、検診を終えた父を自宅の空き家へ連れて行き、そこでようやく孫との対面。だが老人は午前中の検診で疲れ果て、用意した昼食を一口食べただけで横になり眠りこむのだった。折しも九州は記録的豪雨。みるみる冠水してゆく荒れ庭と痩せ衰えた寝顔を交互に眺めて過ごす昼下がり。夕方、父を起こし、四人してタクシーに乗り込み、ホームに父を返して息子たちはその足で空港へ。僕はひとり歩いて無人の実家へ戻るつもりが、慣れない住宅街の迷路に迷い込んで全身ずぶ濡れになってしまう。

蛇が這ってゆく
刈ったばかりの芝生の上を
水煙に包まれて、人の
からだを脱ぎ捨てた直後の魂のように

一メートルくらいあるでっかい蛇だ
コップを

逆さまにしていきなり上から被せられたようなものだろう
香港は 中が空であろうと水であろうと
息はできない

釣鐘のような夕闇
むしゃむしゃとパンを喰う横浜の人
寅さんの筋はもう追えないが アジサイとなら
まだお喋りができる

雲はあれで
中立を保っているつもりなのか
一九三五年、エリカと偽装結婚するゲイのウィスタン

蛇が頭を擡げて
垣根越しに隣家の庭を覗きこんでいる
明日は父に
紙パンツとパッドを届けなければ

注 W.H.オーデンは、トーマス・マンの娘エリカ・マンと名目上の結婚をすることで、エリカがイギリスの市民権を得てナチスドイツから脱出できるよう尽力した。

福岡市東区
四元康祐


7月10日(金)

オレンジのTシャツにしたのは
今日も曇り空だから
柔らかい色の方を選んだのは
灰色の川と折れた泥の柱と 笑おうとしてゆがんだ顔が
のどを塞いでいたから

雨の合間を盗むわたしたちの歩幅は広い 
先導される暗渠の歩道は
緑が深くて鰐が棲めそう
途切れ目なく続く湿った背の高い茎たちを
指先で追いながらついてゆくけれど

花の名まえをたくさん知っているせいで
立ち止まる背中を
なんども追い越してしまうから
少し先のベンチで待つ間
病院の窓にいた小さな女の子と目が合った気がして
どちらからともなく手を振り合う

聴こえていたのは あの子のハミングではないだろう
(子どもは振る手を下ろすタイミングに悩まない)

見慣れた後ろ姿は
暗渠の切れ目をいくつも渡る
何年間も歩きながらの呟き稽古で塗りつぶした
自らの王国を案内するかのように
確乎と見えるものを 
いつでも残らず瓦礫にしてしまえる
水の力の その流れの音を
足のすぐ下に聞いて

感染最多記録が更新されていく
並木の梢には 鈴なりの枇杷
祝福は残されている 

オレンジのTシャツにしたのは
この実に招ばれたからだった

注) 夫は落語家(入船亭扇辰)で通いの弟子が三名います。今さらの注釈、ご容赦を。

目黒
覚 和歌子


7月9日(木)

雨が日付境界線も溶かすように降って
もういつから降っていたのかが思い出せない

土地に流れる川は数年にわたって、
何度も何度もたくさんの雨を呑み込んで、
その度に幅も流れも手を加えられ、
雨は川の中にとりこめるはずだったのに
またその川が溢れだした

水が
道路をえぐることも
流木を押し流すことも
ただただ家も人も全てを呑み込んでしまうことも
もう知っている私は
またありったけのお金をビニール袋に入れて
2階の寝室の枕元に置いた

ダムの貯水率と
川の水位と
一つの灯りだけが照らす道路を
見て
冠水していないなら夜明けまでは呑み込まないよと

橋を覆いつくした激流が横に
地面を打ち付ける雨粒が縦に
無関係に鳴き続ける虫が膜みたいに
響いて
虫が鳴いているなら大丈夫なんじゃないかなと

何も知らなくて怯えていた頃よりは
ほんの少しだけ上手に眠ることができるようになった

濁流が山の木を流して
橋に引っかかり
流木が立ち上がり続ける

あの激流を
止まらない雨を
けぶる山を
現実だと知っている

この激しさも
穏やかさも
潤いも
育ち行く稲も
縦横無尽に動くカタツムリも
オクラの苗に群がるスズメも
全てだ
全ての中にここにいるんだ

切り離せるなんて思うのが
大間違いだ
そういう中の全部にここにいるんだ

本当に本当に気を付けてください
命を守る行動をとってください
今まで経験したことのない雨がまた来ます
と言われたその日の朝は晴れていた

6歳のきいちゃんは
いつの間にかゴジラの曲を弾けるようになって
午後になってから強く降り出した雨を
新しい傘に弾かせて笑っていた

きいちゃん、道路に出ないでね、危ないよ

ねえ、雨、楽しいね

そうだね、でも今日は怖いよ
すごく怖いよ

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ


7月8日(水)

雨の後の晴れ間に
蝉の鳴き声が聴こえた
食堂で同僚と
雨が降るときも
蝉は鳴くのだろうか、
と話をした
調べてみると
雨の日のような
気温の低い日には
蝉は鳴かないのだそうだ
蝉が鳴くのは夏だけである
雨の降る日に鳴かないのであれば
蝉が鳴くのは夏の晴れた日だけである
あれからずっと
晴れ間を希求していた気がする
セルフ台の上の
麦茶が入った湯飲みにはラップがされており
少し温くなっていたが
定食を乗せたトレーに
本日だけのサービスだよ、と
西瓜が振舞われた

福岡・博多
石松佳


7月7日(火)

この前の選挙、誰に投票した?3,661,371(59.70%)〇〇〇さん?844,151(13.76%)それとも△△△さん?657,277(10.72%)え?612,530(9.99%)なんでその二択?178,784(2.92%)いや、どうせどっちかだろうと思って。43,912(0.72%)ごめん、偏見です。22,003(0.36%)やっぱり◇◇◇さん?21,997(0.36%)人気あるよね。20,738(0.34%)全世代で圧倒的に支持されたって。11,887(0.19%)なんで投票した前提で話してるの?10,935(0.18%)ごめん。8,997(0.15%)そうだよね。5,453(0.09%)半数近くの人は投票してないって。5,114(0.08%)え?4,760(0.08%)そもそも東京都民じゃないし。4,145(0.07%)そうなの?4,097(0.07%)あ、東京都の本日の新規陽性者数は106人です。3,997(0.07%)うん、急にどうした?3,356(0.05%)東京オリンピック開幕までいよいよあと二週間となりました!2,955(0.05%)やらないけどね、今年は。2,708(0.04%)全国、全世界のみなさん、東京でお会いしましょう!1,510(0.02%)

東京・調布
山田亮太


7月6日(月)

ゴオルラインに走りこんでいく
オルラインに走りこんでいく
ルラインに走りこんでいく
ラインに走りこんでいく
インに走りこんでいく
ンに走りこんでいく
に走りこんでいく
走りこんでいく
りこんでいく
こんでいく
んでいく
でいく
いく

言うことを聞かない午後十一時。

東京・西荻窪
田中庸介


7月5日(日)

録っておいた
韓流のドラマを観終わって
夜の八時になるところだったから
ニュースに切り替えると

都知事選の結果が
投票を締め切ったとたん
当選確実といって伝えられて
すでに
録っておいた映像が
流されているような感じがしたから
また韓流に戻って続きを観た

ゼロ打ちといってね
、て
うたに
あとで説明したのは
いま選挙が終わったばかりで
これから数えるのに
なんでもうわかるの?
、ていう素直な疑問に
ぼく自身も首をかしげながら
これじゃあ
投票してもむだって思っちゃうよね
きっとテレビ局も
どこよりも早く
当選者を報じたいんだよ
とか
そういう話まじりで

都民から
沖縄県民になって十年めになるけれど
基地反対と思って
一票を投じたら
ちゃんと基地反対の人が
議員になったり
県知事になったり
そうだよね
みんな 平和がいいよね
、て選挙のたびに思えるこの島は
それだけでもうほんとうに
東京にいた頃とは全然違うのは
基地があることがどういうことなのか
忘れる一瞬すらないくらい
ひどい出来事が尽きないからだから

寝る前に
いっぺんゲームしない?
、てせっかく
うたときみが誘ってくれたけど
なんとか今日の夜十二時までに間に合うように
いまこれを書いている

沖縄の人たちが
どんな思いをしてここまで来たのか
でもその足もとでまた
ケーザイケーザイと呪文みたいに言うわりに
経世済民の意味さえ忘れて
いつ崩れてもおかしくない綻びを
いつもいつも
繕っていく大事さをひしひし感じながら

ちゃんと人間の手は
他者と手を取りあえることを
こんな夜だから
書いておかなくちゃ

さっき上等な
(島では上等って言葉をよく使う
おばあちゃんもよく言ってた)
お茶を淹れて
いま飲んだところ

幸せを
心にとめて
今夜はお酒を飲まないで
寝てしまおう
まだしばらくは寝つけないかもしれないけど


今夜も九州で大雨の予報が出ている
どうか無事でありますように

※経世済民…世を治(経)め、民を救(済)うこと。

沖縄・那覇
白井明大


7月4日(土)

知らない部屋がひろすぎて
ぼくの心まで沈黙していた

移動を繰りかえして
範囲は狭まって
もうこれ以上行ける場所がなくなったら
またちがう部屋を探す

生まれ育ったところが
水にあふれていく
すべて液晶をつうじて知る

午後六時半に
つたう
地下鉄沿いにまっすぐ東へ

自生するラベンダーを摘んで
なにもない顔に近づける

液晶をつうじたものと
目前にあるものの差は
よりそわない

人類はみんな
やわらかく首をしめられていて
かぞえきれない腕が空から伸びて
首筋をつたう指先は夕暮れだった

北海道・札幌
三角みづ紀


7月3日(金)

六月の
終わりか

世界の死者50万人 感染者1000万人


新聞の見出しが
あった

50万人の死者
1000万人の感染者

その数の人の姿を思い浮かべることができない

家族と
会わず
死んでいった
焼かれた
焼かれず埋められた

一昨日

7月1日

庭で
ゴミのポリバケツに二匹のナメクジを見つけた

香港国家安全法
施行された

NHKの夜のTVニュースで
香港の
陳式森をみた

300人以上が拘束された
9人の逮捕者がでた

逮捕者に重刑が科されるという

今朝
7月3日

雨はやんだ

ゴミ出しにいった

モコは
ついてこなかった

ナメクジはいなかった
ポリバケツ

銀色の光る道を残していた

ウイルス
生を媒介する

静岡・用宗
さとう三千魚


7月2日(木)

昨日受理した協議書を点検している
添付の印鑑証明が古い
代理人はコロナだからカンベンしろと言う
カンベンは
できない
人の財産にかかわる

少しずつ恨まれていく仕事ではある

アクリル板を隔てて
図面の相談はできない
カウンターが狭くなっただけだ
と、同時に
世間も狭くなった
図面を囲む男たちの
心の距離は遠い

しかしずいぶんむかしから
こうだったとも思う

帝国ホテルプラザで
松元悠さんの個展を見た
ぼくたちの生は距離でできている
当事者であろうとして
当事者ではない者が抱く
あの距離のように

霊的なおのの充満
それは無限大の距離を意味する

アマビエ さ ま

小平市
田野倉康一


7月1日(水)

こういう忙しい日に限ってこういうことは起るもので、机の下から出てこない。きょうおやすみするんだー。熱を測る。37.0℃。37.5℃あれば強制的に帰される。ちょうしわるいんだー。机の下から出てこない。ああ。机の下から出てこない。出てこない。あきらめて電話をかける。お大事にしてくださいね。じゃ、せんろつくろっかー。すこし線路をつくる。もっとおっきいのー。増設する。これ、のったよねー。またのろっかー。あれはいつだったか。このひと月のどこかのことだ。すこしゆるみはじめたころ。ひさしぶりに電車にのった。まず自転車にのって東京駅まで行って丸善で本を買って。東京駅から電車に乗って、山手線のあたらしい駅を見に行ったのだった。これー。あたらしい駅のあたらしい自動販売機で桃のジュースを買う。いちばん高いやつだった。180円もする。背の低いペットボトルにもかかわらず。べつのときのこと。これはつい先日のことだ。べつの駅で、おなじ180円の桃のジュースを買う。福島の桃の濃厚なジュース。でもそれを水色の電車の窓のところに置き忘れてしまう。まだ開けてもいなかったのに。あれは、赤羽から王子のあいだ。王子から都電に乗って鬼子母神前まで。

都電の王子駅は正式には王子駅前駅という。駅前駅って。そこから早稲田方面へ向かうとまもなく、飛鳥山をのぼる。都電の線路が自動車と同じ道路の上を走っていて、前を行く自動車といっしょに信号待ちをしたりしている。車と車とにはさまれて。車電車車って。鬼子母神前でいっかい降りてギャラリーに寄る。こんなポスターばかりの展示久しぶりにみました。そういえば、昔タロウナスさんで、トム・クルーズの映画のポスターだけが貼られた展示ありましたよね、あれはびっくりしたけど、あれは作家は、えっと…。眞島さん。そんなことを話して、それからもういちど都電に乗って、早稲田まで出て、駅を降りてすぐのところにあるギョーザ屋さんでギョーザを食べて、それから地下鉄の早稲田駅のほうに向かって、駅前に公園があった。そこですこし遊ばせて、それから東西線に乗って、帰ってきたのだった。

山手線のあたらしい駅から、となりの品川駅へ。東京駅で駅弁を買おうとおもったのだけど、閉まっていたのだった。それで品川駅へ出てみたら開いていて。とんかつ弁当か何か買って。ふたりでわける。常磐線に乗って、ボックス席で、がらがらの車両で、いま買った駅弁を食べたのだった。

さっきのギョーザ屋さんのあたりで左に折れると川にでる。神田川で、ここに芭蕉庵がある。たしか東京で三つある。そのうちの一つ。もう一つは家の近くにある。芭蕉庵のところの急な勾配にある神社をぬけると永青文庫がある。ここで2年ほど前に良寛の展示を見た。あれはフィンランドから帰ってまもないころ。フィンランドのラハティでおじゃました、地元の著名な詩人レアリッサ・キヴィカリさんのお家で、愛読しているという、良寛の本を見せてもらったのだった。英訳された良寛の和歌を、レアリッサさんは読んでくれて、とても好きなのだといった。その和歌がどんな和歌だったか忘れてしまったが、水が出てくる。川についての歌だったとおもう。

レアリッサさんに、別れ際、プレゼントをもらう。いろいろなものが入っている。レアリッサさんの絵、手紙、たくさんの蝶々を象った紙、それからムーミンのマグカップ。縁がすこし欠けている。わたしたち詩人っていうのは、このマグカップとおなじで、どこか欠けているものなのよ。

芭蕉庵から川沿いに江戸川橋駅のほうへすこし歩くと、椿山荘にでる。毎年ここの庭園でホタルを見ている。こどものとき、ホタルなんて見たことなかった。おとなになってから、30を過ぎてからは、毎年ホタルを見ている。今年はひさしぶりにホタルを見ていない。椿山荘の庭園は閉まっていて、電車に乗ることさえホタルのころにはままならなかった。

あのホタルが見られる郊外の田園が、ドラマの中で出てきた。一時期、毎年行っていたが、もう何年も行っていない。もしかしてあそこかな、とおもって調べてみたら、そうだった。それでひさしぶりにそこを訪れてみたい気もしたが、電車乗ることがはばかられるし、都外に出ることは禁じられていたのだった。それでホタルも、ロケ地めぐりも、あきらめた。

テレビドラマなどというものを、もう長い間(記憶しているかぎり、20年以上)見たことがなかったのだけど、この間、久しぶりに見てみたら、けっこうおもしろくてつぎつぎに見てしまう。今年はホタルも見られないし。ホタルの代わりに家でドラマを見ている。ドラマなどもホタルとおなじで、いろいろなひとたちが入れ代わり立ち代わり、明滅している。それをぼーっと眺めている。

新作のドラマが止まっているので、代わりに近年流行ったドラマの再放送をやっているので、とりわけおもしろいやつばかりが流れていたのかもしれない。「凪のお暇」を見て「中学聖日記」を見た。どちらにも女優のY・Yが出てくる。Y・Yは私の前の詩集にも出てくる(わたしが勝手に書いたのである)。たぶんわたしはY・Yのファンなのだとおもう。どちらもY・Yは主役ではないのだが、主役ではない、Y・Yが演じている人物の人生のほうが気になる。黒木華や有村架純よりも。もっとY・Yが演じている人物にフォーカスしてくれたらいいのにとおもう。それから、WOWOWのリモート制作ドラマで、大泉洋とY・Yの2人のドラマ「2020年 五月の恋」も見る。大泉洋が別れた元妻であるY・Yにまちがい電話をかける。そこから毎晩のように大泉洋とY・Yは電話で話すようになる。

ときどき、電話のぐあいで、相手の声はわたしに聞こえているのだけど、わたしがいくら話しかけても、わたしの声は相手に聞こえない。ちゃんと聞こえてるよ。返事もしている。だけど届いていない。しんだらこんなかんじかな。いつもそうおもって、しばらくのあいだ、そんな臨死体験を、予行演習として、しばらくつづけている。もしもし、もしもし。うん、うん、だいじょうぶ、きこえてる。こっちは、きこえてるよ。そのまま、はなしていて。ちゃんと、きこえてるから。

いくつかのリモート制作ドラマや短篇映画を見たが、もともとドラマや映画をみるとき、わたしたちは俳優と俳優が演じている人物を二重写しに見ている。リモート制作ドラマでは、俳優たちは自宅に居たり、自撮りをしたりしていたりする。いつも以上に、演じている人物と俳優そのものとの境界があいまいに感じられる。

昔、ルイ・マル監督の遺作で「42丁目のワーニャ」という映画があって、それはチェーホフのワーニャ伯父さんの舞台の練習風景を撮った映画で、ワーニャ伯父さんを演じる俳優たちは衣装ではなく、普段の稽古の恰好をしている。しかし、通し稽古で、ワーニャ伯父さんの人物たちを演じている俳優たちをずっと見ているうちに、俳優たちと演じている人物のどちらを見ているのかわからなくなってきて、映画を見ているのか演劇を見ているのかわからなくなってきた。

こないだ、待ちに待ちまくって、公開初日に勇んで見に行ったグレタ・ガーウィグの新しい映画では、グレタの前作でも主演を演じていたシアーシャ・ローナンが演じていて、その前作「レディ・バード」はグレタの自伝的な作品とされていて、そのグレタの自伝的な主人公を演じたシアーシャが、今回も、グレタが愛読してきた「若草物語」で、自分を重ねてきたであろうジョーを演じている。「レディ・バード」では、わたしたちは、シアーシャ・ローナンを見ながら、シアーシャが演じる人物(レディ・バード)を見ながら、そのモデルとなっているグレタ・ガーウィグを見ている。「若草物語」では、シアーシャ・ローナンを見ながら、シアーシャが演じているジョーを見ながら、「グレタの中のジョー」を見ている。かくも、あまりにも複雑な映画なので、わたしは一度ではとても見切れた気がせず、今日は7月1日で映画サービスデーなので、もう一度見に行きたかったのだが、今日はとてもそんな時間はなかったのだった。

複雑な映画といえば、ビー・ガン監督の「ロングデイズ・ジャーニー」をこないだ見た。公開されてわりに早い時期に映画館がすべて閉まってしまったので見逃していたのだが、舞浜の映画館でやっていて、見ることができた。ディズニーランドのやっていない舞浜駅は閑散としていて、イクスピアリにも人はまばらだった。逆にこっちのが夢みたいだな、とおもった。「ロングデイズ・ジャーニー」のわたしの見た回はほかに3人の客がいて、ソーシャル・ディスタンスはまず保たれているとみてよさそうであった。2時間強の映画の後半1時間が3D映画になる。映画の中で主人公が映画館に入る。主人公が映画館でメガネをかけたら、そのとき観客もいっしょにメガネをかけてください。とあらかじめ云われている。しかし、映画がはじまるとすぐに彼は居眠りをしてしまう。彼は、わたしは夢をみている。3D独特のハリボテのような遠近感は、夢の遠近感に似ている。似ていない。夢をおもいだしたときの記憶の遠近感に似ている。似ていない。フェリーニの映画を思い出すとき、3D映画の遠近感でよみがえるのだが、フェリーニの映画は3D映画ではなかったはず。さっき見ていた映画のことを、じゃなかった、夢のことをいま、おもいだそうとしているのだが、どうしても思い出すことができない。いつもどおり、呼吸がくるしくて目がさめた。目がさめてすぐに、日記のつづきを書かなくちゃとおもって、いまこれを書いている。夢のなかで、いくつかの丘を越えた気がする。

日記を書いているうちに、日記を書いているのか何を書いているのか、わからなくなってしまう。日々、記憶は増えていき、同じ電車に乗っても、いくつもの駅で降りたり乗り換えたりするので、そのたびに混線してしまう。2020年7月1日にもどると、線路は完成した。私は今日しめきりの原稿にふたたび取りかかるものの、またすぐに呼ばれしまいなかなか集中できない。テレビみる?プーさんみるかー。それで幸い、「くまのプーさん」とペンで書いているDVDがDVDの山のいちばん上にあって、プレイヤーに入れると、「くまのプーさん」と「ティガー・ザ・ムービー」の2本が入っている。ティガーの話、見てみる?うん。それでティガーの話を再生する。あ、プーさんだ!あ、ティガーだ!よし、これで1時間ちょっとの間は原稿に集中できる。ありがとうプー。ありがとうティガー。ありがとうクリストファー・ロビン。ありがとう100エーカーの森の仲間たち。

「くまのプーさん」のラストでは、もうじき学校に行くことになるクリストファー・ロビンが「大人になると何もしないってことができなくなるんだ」と淋しそうに言う。何もしないことができない。これから原稿を夕方までに送信して、雨が上がったなら散歩にもつれていって、それから部屋を片付けながら夕飯のしたく、その間に、19時からのオンラインミーティングの準備もしなければいけない、そのあと24時までに日記も書かなくては。請求書の請求も来ている。あのメールもまだ返せていない。明日までに印刷所にお金を振り込んでおかないと。忘れないように。何もしないことなどできない。

いまふりかえると、ステイホームの時期にはもうすこし時間があった。なにもしないこともできたのかもしれなかった。それでもずっとなにかをしてしまった。ドラマもたくさん見てしまった。もったいないことをしてしまった。気が付くと、床いちめんに、チョコクリスピーがばらまかれていて、はんぶんくらいは、すでに踏まれて粉々になっている。飛び跳ねた、ティガーが踏んづけたのだとおもう。チョコクリスピーの海をかきわけて、いくつもの電車が走りつづけている。わたしはつぎの電車に間にあいたくて、シアーシャのように駆けだした。

東京・深川
カニエ・ナハ


6月30日(火)

うちのベランダで、ゴーヤがそよいでる
アサガオのタネ蒔きをする鉢に、ことしは
もしものときは、
せっぱ詰まった晩春だったから

だが、違うのだ、ツルの這い方が
アサガオが、時計と逆まわりにとぐろを巻いていくヘビだとしたら、
ゴーヤは、ムカデ
ヒゲのようにかぼそい足を無数にだして、さがしてる、
つかまる何かを

いや、かぎりない触角というほうがいい
どこへ行こうか、かぜに揺れつづけているそのヒゲは
どこへ行こうか、においを嗅ぎつづけている虫のそれと
そっくりで、
じぶんでうごくとか、うごかないとか、
じつは、どうってことないんじゃないか

きょう、咲いたよ
かわいい花がひらいたよ
いや、それは、黄色い肛門のようでもあって、
ひかりとあめとつちを
舐めつくした果ての、出口が、
ようやっと、あらわれて

でてくるよ、
みどりいろのヘビも
もうじき、
いぼいぼのかたいヤツが、でてくるよ
その朝、ドアをしめるかどうか、
じつは、どうってことないんじゃないか

ねぇ、
咲いたよ
かわいいのがひらいたよ
やがて、わたしの黄ばんだ肛門からも
でていくのだから、それは

ながいながいヘビじゃないのか、
時を逆まわりにたどるなら
すべての因果は、

どこへ行こうか
どこへ行こうか

神奈川・横浜
新井高子


6月29日(月)

六月の雨のなか
ひとつの傘で帰った

これ以上ふれたら
ふかく傷つけ
傷ついてしまう
と知りながら

そんな出会いがあったことも
忘れようとしていた

もし
羽を痛めた小鳥を
ただ 守りたくて
てのひらでつつめば
その子はひどく驚き
逃れようとするだろう
死んでしまうほどの激しさで

でももう 安心して
だれも あなたに ふれられない
あなたも だれにも ふれることはできない

いま 離れていることが
あなたを守ることなのだから

雨の季節はまだ終わらない
それでも 今朝の天気予報は 晴れ

おおきく窓をひらき
もう会えないひとのもとへ
てのひらのなかの
見えない小鳥を放つ

ほんとうは
あなたも わたしも
どこにでもいけるんだよ

それを忘れるために ではなく
思い出すために
今日の空は
ある

東京・杉並
峯澤典子


6月28日(日)

数日前から、ノートパソコンをMacに変えた
そこにOfficeを入れて、この日記もWordで書いている
マウスでスクロールするのがWindowsとは上下逆、よりも戸惑うのは、
キーボードで入力する時の予想変換がシビアだということ
シビアというのは、キーを一つでも間違えると、書きたい単語が選択肢に上がってこない
きびしいな、わかるじゃん、文脈で、と思う

そこで気づいたのは、仕上がりとか、
磨き上がりみたいなものへのイメージが変わっていたこと

なんとなくとか、似たようなもので済ますことが、いやじゃなくなっていた

最近(オンライン朗読会で)知り合った中欧や中東や東南アジア詩人たちの投稿をFacebook翻訳で読んで、不自由を感じない(これは人に言わない方がいいのかもしれないが)
自分が雑になったといえばそれまでなのだけれど
そもそも発音すらわからない、遠いところにある言語の詩を、一秒で読めるのだから、そこにあるのが「古い歌」という言葉で「失われた夢の道を歩くとき」※と言っているのだから、それでいいではないか、というような気持ち

SkypeやZOOM越しの出会いの数々は、もどかしさよりもむしろ、
液晶の向こうにいる世界各地の人たちの暮らしぶり、部屋の様子に飽くことなく惹かれて、
その小さな窓の向こうの息づかいにチューニングしようと
自分の気配を澄ませてきた
不自由さの代わりに与えられたのは、
液晶の向こうにある、たくさんのスープのようなもの
人の家に入ったばかりの時のような、かぎなれない匂いがして、
部屋の、家の、家族の、その人の味がして
それはみんな食べやすくて、体にいい
名前をきいても、きっと答えられないスープ

日々の食料品も、近似値で進行している
食べたいものよりも、数日おきに夫がスーパーに行ってくれるので、
野菜売り場や肉・魚売り場、お菓子売り場なんかの映像を思い浮かべ、
たぶんこれがある、と予想してメモを書いて渡す
しかも人に頼んで買ってもらうわけだから、なければしょうがないし、
似たようなものでもO K!となる
お花を買ってもらうのも、自分で選べないから、かえってどんな花がやって来るか、くじ引きやおみくじみたいに待っていた

とても多くのものを、家にいて、へだたりの向こうから
遠い山の電気を届ける鉄塔みたいなものをいくつも介して
手に入れてきた
届くのがたとえ、どんぴしゃではなくて似たようなもの、であっても
それは怖いものから守られるためにしていることだから
綿のように暖かい

そういう暮らしに慣れていたことに気づく
でも、自分に対しては、その綿のやわらかさを生かせない

今日は一日中、期限が迫って書かなければいけない仕事の量に弱っている
自分に対する要求や、人には見せられない矜恃みたいなものは
人々や世の中への適応よりも遅い
動きにくくなった体で、ここまで行かないと、これくらいはできないとと
バージョン遅れかもしれない古い期待をかけている
アップデートのアイコンはどこにも見つからない
自分の外の流れと内の流れが、一つにならない潮のようにずれている

※クロアチアの詩人、Ivan Španja Španjićさんが6月28日(日)午後10時過ぎ(クロアチア時間では日曜日の午後3時頃)に投稿した詩の一部

千葉・市川
柏木麻里


6月27日(土)

このところ東京では50人くらいがアベレージで
ウイルスが社会に定着していくようすが
想像できるようになってきた
真夏日に少し動くとマスクが息苦しい
許容は様々なことがらを
天秤にかけながら形成されていく

イベントで詩の書店をやって
何ヶ月かぶりに知らない人たちと接して
目ばかりを見て話しかけた
鼻も口も皮膚の下の内臓のようだ
そのような出会い方で
人を記憶するには
もう少し時間がかかる

そう
マスク越しの会話と
詩を挟んでの会話の
類似と違いを思ったのだった
この声は自分ではないし
あなたでもないでしょう
それでも強く伝わっていることはあって
そのような出会い方で人を
正しく記憶するには
もう少し時間がかかる

東京・港区
松田朋春


6月26日(金)

じゃ映画館のロビーで18時にね
そんなふうに待ち合わせしたのはいったいいつ以来
こんなことになる前は友だちと映画館や劇場へ行くのは
日常だった
ひとりでも出かけた
最後に映画館で観た映画は三池崇史監督の『初恋』で
3月19日
舞台がどんどん延期になったり中止になったりしていたから
映画もそのうちだめになるだろうと思って
そのまえに映画館で観たいと思って
歯医者の定期検診帰りにひとりで駆け込んだのだった
ひとが次々と豪快に死んでいく物語になんだか元気が出て
ひとりで笑っていたら
隣の席の知らないひともふるふる笑ってた
まだ少し寒くて映画のなかでも雪が降っていた気がする
気がするだけかもしれない
3ヶ月前なのに100年前のことみたいに遠い
死んでいくひとの姿は見えないまま
数字だけを知らされ続ける6月の
手は映画館でもアルコール消毒され
ひとりひとり体温を測られてから入場する
体温測定の習慣がないから自分の平熱がわからないのだけれど
36.4度
友だちとも1つ席をあけて並んで
マスクをしたままスクリーンを見つめる
繰り延べになっていた公開初日
ああ映画館にいるなあとばかり思ってしまって
かわいい死神と死神遣いの物語がところどころ空白になり
終わってから友だちと
ごはんを食べながら控えめにおしゃべりをする
出勤しないでいると自分は会社にいなくてもいいんじゃないかと思い始めるとか
オンライン授業1コマ分の準備に2日もかかる自分の効率がやばいとか
入院中の父親に会うには病院に防護服を用意してもらわなくてはならなくてあからさまに迷惑がられるから行くのをやめたとか
しかたないよね東京から行くと特に汚染物質扱いなのかもねとか
そういう話はさっさと終わらせて
自粛期間中に見ておもしろかったアニメや舞台の配信やドラマの
推しがどんなにきれいで素敵か
元気でいてほしいか
祈りのように延々と話す
話した
それが2週間前
体温計が手近にないから測っていないけれど
今日のわたしもたぶん36度台
少なくとも映画館では感染せず発症もしていないということだろうと
考えながら思い出して
歯医者に定期検診の予約を入れる
3ヶ月たって
細胞の多くが入れ替わっているならわたしはほとんど別人になったから
100年前とは別の夏を
生きていく
汚染物質として

東京・神宮前
川口晴美


6月25日(木)

マスクがあまったら
このポストに入れてください。
そして
マスクがほしい人は
自由にもっていってください。

まちの郵便ポストのそばに
マスクポストができました。

買い過ぎてあまったマスクや
色とりどりの手作りマスクが
(おばあちゃんも大活躍して)
ポストにたくさん集まりました。

もう、だいじょうぶ。

ワクチンを開発したいのですが
お金と研究者の人手が足りません、と
呼びかけたら

「わたしは何にもないけど
お金だけは一杯あるんですよ」と
世界中のお金をもっているひとから
たくさん寄付が集まりました。

「わたしはお金はないけど
研究だけは自信があるんですよ」と
世界中から研究者もたくさん集まりました。

もう、だいじょうぶ。

3人寄れば文殊の知恵
といいますが――なんと
世界中の知恵が一堂に集まったものだから
(今回ばかりは世界中のどの国も
他人事ではなかったからです)
あっと言う間に

ウイルスを退治する画期的な
ワクチンが発明されたのでした。

もう、だいじょうぶ。

以前なら
内緒にして、ひと儲けしたいなという
気持ちも(ふつふつ)わきましたが

以前なら
肝のところは、わたしの発見だよと
自慢したくて(もやもや)もしましたが。

今回ばかりは、ぜんいんが
「はやく、ワクチンを」ただ
その思いひとつで、がんばったのでした。

なので
「できた!」と声があがったときは
世界中でたくさんの拍手がわきおこりました。
(黒い手も白い手も黄色い手も
兵士たちも銃を置いて、喧嘩していた若者も
振り上げた拳をひらいて、大きな拍手です)

これは
誰のワクチンでもない、みんなのワクチンだ。
そうだ、異議なし!
ということで、ぜんいん一致で、話がまとまり

世界中で、いっせーのせで
無料でワクチンが配られることになりました。

すると、誰もが
マスクの時のように、長蛇の列になることもなく
われ先にと、おたがいを押しのけ合うこともなく

あなたからどうぞ、いえいえ
あなたのほうが大変そうだから、どうぞお先にと
ひととして、あたり前のことができるのでした。

ひとがひととして
あたり前のことができるようになった頃。
ひとでなしウイルスと呼ばれたおそろしい感染症も
だんだんと世界から収束しはじめました。

みぎだひだりだ、きただみなみだと、さんざん
いがみ合ったり、ののしり合ったりした人びとが

満ち欠けをわすれた白い月のように
大きなマスクの下で隠されていたのは、そうだ
この笑顔だったんだと、にわかに気づいたとき。

大切なのは、あなたと
戦うことではなくて、あなたと
助け合うことだったと、やっと知ることができました。

なので
今までは、殺し屋ウイルスと呼んでいたけど
あれは、ほんとうは
愛のウイルスだったねと、わらって囁きあいました。
(マスクのないくちで)

おしまい。

***
きょうは、昼間から
そんな夢を、みてました。

一年で、一番晴れない日が
6月25日、の今日だそうです。
そして、なんと
あしたが、晴れ女でゆうめいな、あたしの誕生日です。

めでたし、めでたし。

埼玉・飯能
宮尾節子


6月24日(水)

いつもより早く目が覚めたので、遠くのコンビニで揚げあんぱんとエナジードリンクを買う。家に戻ると、公園のベンチのひじ掛けに食べかけのリンゴと食パンが置いてあった。コンビニに行くときはなかったとおもう。こしあんと炭酸の食べ合わせが悪かったのか、胃をやられる。シャワーを浴びてすこし眠り、スーツに着替えたあとで家を出る。東西線へ。アパートの前に飲み物をこぼしてできたような、うっすらと白い線が引かれてあって、近くを通りがかる人がそれを踏み越えるたび、あたりに散らばっていた虫の脱け殻がひとつに集まった。
母親が勤めている病院の駐車場に熊が出る。親とはぐれたらしい小熊だった。小熊は車と車のあいだを隠れるように渡って、薬局の脇にある茂みのほうに消えていった。昔、友だちの家に遊びにいく途中、坂道で熊とすれちがったことがある。地元の熊は体毛が固くバサバサしていて、強いにおいがいつまでも消えずにあたりに残る。同じ年、妹の同級生が神楽の稽古の帰り道で小さな熊に追いかけられた。それから一〇年後、実家の近くにある美術館でやっていた岡崎乾二郎展を観に行って、人間の理性や芸術についての講演を聞いていたとき、窓の向こうをふつうサイズの熊が歩いているのを見た。帰りに警察が来る。道沿いの竹やぶが破壊されていた。裏手の山には崖をのぼるカボチャの蔓や四角く掘られた穴があって、金色のトンボが何匹も飛び交っていた。
仕事終わりに会社をやめた先輩と食事。職場を出て駅に向かう途中、同期から仕事が嫌すぎる、三歳になりたい、と連絡がくる。道のあちこちで、割れた石が花のように咲いている。おたがいに暗いことを言い合っているうちに、窓のなかで抱き合っている人の姿が通りから見えた。ワンタンとビール。先輩が待ち合わせに三〇分ほど遅れる。店が閉まったあと、地下の喫茶店に移動。赤ワインのグラスを倒されて下半身が真っ赤になり、先輩の家で洗濯してもらう。シャワーを借りて、大理石の床みたいな石鹸で体を洗う。豆菓子とビール。ハングルのパッケージで味の説明が読めず、甘いことだけがわかる。寝室に天井近くまで背が伸びている木があって、先輩がテレビに話しかけると、焚き火の動画が流れはじめた。タバコをもらうと急に酒が回り、気持ちわるくなってきたので目をつぶる。翌朝、頭痛で目を覚ます。寝間着に借りたTシャツと下着、着替えを入れる用のトートバッグをもらって、代わりに昼食代を出す。親子丼。その頃になって、先輩がずっと斜め向かいの席についていたのに気がついた。駅の改札口で別れたあと、焚き火の光に照らされながら眠っている自分の写真が送られてくる。
前回の「日記」で引用したソンタグの著作について、大学の後輩から指摘が入る。調べなおすと、該当箇所では《人種》についての記述があまり強調されていない。というより、《人種》をめぐる問いとして解釈するのは、すこし強引だったとおもう。《結核》についても同様で、ソンタグがユダヤ人に対する病の比喩も、そのあとで述べられる《癌》のほうが(ナチス・ドイツによって用いられた語として)適切だった。いわれたとおり、たしかにミスリードだったと答えると、――おつかれさまです。結局、鈴木さんも《病気》だったんですよ! とフォローされる。話の流れで、今回から書き上げた「日記」とメモを知り合いに送り、添削してもらうことになった。

東京都・飯田橋
鈴木一平


6月23日(火)

慰霊の日だった。
一年前に「平和の詩」を読み上げた、
白い制服の少女の声は、まだ耳に残っていた。
「2メートルの間隔を空けて式典会場で黙祷する参列者」の写真を見た。
沖縄戦。黒のかりゆしウェア。
去年は立ち止まることのなかった光景が
「2メートル」
人との“距離”で鮮明に立ち上がる。

3月頭、友人の結婚式に出席するため、初めて沖縄へ行った。
シャトルバスは貸し切り状態、海辺のホテルの客は少なかった。
那覇空港行きの電車でようやく 見知らぬ人と隣り合わせた。
同じ車両に揺れる、マスクの下の素顔はわからないけれど
漠然と不安なのは皆同じだろう。

「シャボン玉を吹いてみましょう」と提案されたので
想像のストローから細く息を吐くと、
顔よりも大きなシャボン玉ができた。
ぶるぶると輪郭をふるわせながら水色の空へのぼっていく。
わたしたちの震える現実を載せるにふさわしい、
シャボン玉の舟だった。
「評価せずに気持ちを味わいましょう」
だけど、大人になるほど難しい。
正しさを勝手に判定して
あなたに伝える言葉さえ推敲してしまうのは、
もはやどうしようもない習慣なのだ。

朝食前/昼食後/夕方/夜その1/夜その2/夕食後/就寝前
とにかく薬が増えた。
カバンの裏ポケットにも、炊飯器の横にも。
あらかじめ決められた服薬時間。
おかげで規則正しい生活ができる。
まだ飲み慣れない漢方薬は、
舌の上に置く瞬間の
ざらつきだけを味わってみる。

線路に置き石をした少年のニュース。
「実験で置いた」
その理由があまりに素朴だったから。
少年よ わたしも
わたし自身から脱線がしたくて、
ポケットに小石をあつめて
時折、その重さに笑ってしまうんだ。

東京
文月悠光


6月22日(月)

インターネット諸行無常。
このアカウントはベン図や数直線や二次関数や、真っ白の床の上でたっぷりペンキを含んだ刷毛で、描くことができます。おめでとう、11年前の今日、あなたはこのアカウントを開設しました。あなたのアカウントの中心からはキノコの傘が広がっている。わたしの菌糸はあなたのキノコをめざしている。雨がやむと傘がひらき、胞子がポコッと飛びだして、ほかのキノコの上におちる。枯れるキノコ。消えるキノコ。一度消えてよみがえるキノコ。眠るキノコ。ひとりで立っているキノコはさびしい。森でキノコをみつけた時、とてもたのしい気持ちになるのは、キノコがキノコというくせに樹ではなく、虫でもなく、ねずみでも、ねこでも、いぬでもなくて、小さな家や洞窟に似ているからです。キノコは故郷に似ている。たしかに昔は、湿ってしっかりした、いい匂いのする木に菌糸をのばして、ちゃんと立っていたはずなのに、いつのまにか摘みとられて、赤ずきんのカゴに入っている。狼に食べられた赤ずきんのカゴは家の床に落ちて転がり、七人の小人のひとりに拾われ、白雪姫はおばあさんがくれた毒林檎をカゴに入れてひとくちかじり、ガラスの棺に入ってしまう。眠る美女は誰にもリプライを返さずに、ワーカホリックの王子様が起こしにくるまでそのままでいます。たくさんのキノコがポコポコと暗い森の底に菌糸をのばし、田舎道で点滅する信号機のように光っています。わたしの菌糸。あなたの菌糸。最近、あなたの胞子が降ってこないのですが、お元気ですか。あなたがどこの誰なのかわたしはまったく知らないから、たずねるのも憚られるけれど、あなたの言葉の胞子をときどき摂取できると、わたしはほっとするのですが。雨がやむ。胞子の傘がひらく。森に太陽がのぼり、しずみます。今日は2020年6月22日。夏至はもう過ぎました。

東京・つつじが丘
河野聡子


6月21日(日)

昨日まで地球の夢を見ていた
ちょうど雨期がはじまり
一日中溺れるように雨の音ばかりきいていた
骨は真っ白で さらに透明でなくてはならない
(生きていればそうなる(さりさりと
今夜の新月の闇のなかを雨水が循環している
あのころ水の惑星は地球だった(眠りの岬をめぐり
はるかむかしの蜃気楼の都市の夢を見ていた

 雨の匂いとか空気の震えとか
 見えないものを受信している
 ふと窓に目をあげると
 窓に映る机上のガラスの花瓶さえ
 前世のすがたを思い出そうとしている
 どこかへ漕ぎ出そうとして
 (さりとて花はなく、水は枯れはてて

雨につつまれると
電話の声は水の被膜におおわれて聞こえるという
昨日までの地球から届くあなたの声は
漂泊してすでに途切れがちだ(った
(衛星軌道(から地平線の(かなたに沈む(玻璃の浮舟
「いとはかなげなるものと明け暮れ見出だす小さな舟に乗りたまひて……」
水没した記憶のようにGPSは現在地を表示しない
そのとき過去の私がふいにマップに点灯する

福岡市 薬院
渡辺玄英


6月20日(土)

私たちはすぐに回想を忘れる
素知らぬ速度で
混雑し出した列車や
観光客の人出の中を
楽しみをおぼえて歩いている
県外移動も解禁されて
性懲りのない忘却の
先頭を争い進み出す
私たちは
ウィルスなど効かない
昔日を取り戻した気になったりもするけど
コンビニに入れば透明なビニールの
シートに隔てられた店員との距離に
不安が形を取り戻して
外に出ると
すごく暑い
私の血管は
暑くなるとすぐにふくれて
偏頭痛がキリキリ痛むから
人目を避けて
マスクを外す
すると
海の匂いがした
音も、光も
景色が荒々しさを取り戻していって
生きていた
世界も私も

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹


6月19日(金)

安全性に救われる人間の命
安全性に押し殺される人間の心
命勝負と心勝負の間の勝負
三ヶ月でほぼ決まった
遠くに死んだ
お金持ちの偉いさんの庭で
旧古河の古池に
霊的な負担を投げ
別次元にドボン
薔薇を嗅ぎ比べる
架空の薔薇賞委員会の
 滑稽に厳しい審判
  点数をつけながら
    少しずつ心を裸にする

たまには
愛着しているものでも
洗えるように
脱がないと

雨が降るのかなと言いながら
 雨の降らない日に
  初恋か恋心
  春芳か朝雲
  どっちの香りの方が良いか
  どっちの香りの方が強いか
そろそろ自分の鼻で
決めたい
というか
生の空気を吸って
悩みたい
昨日と明日の余韻の間で

東京、西ヶ原と神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス


6月18日(木)

福岡に父を見舞う。入居している施設はいまだに家族といえども外部の者は訪問禁止なので、父が病院の外来検診に出かける時が唯一会うことのできるチャンスである。空港から(感染を避けるべく)自転車で施設まで駆けつけ、一緒にタクシーに乗り込んで病院へ行き、仲良く並んで熱を測られて、まずは採血と採尿から。検査結果が出るのに時間がかかってすみません、と看護師は詫びるのだが、むしろその方が親子二人でのんびりコーヒーなど啜れて有難いのだ。小一時間ほど経って、主治医の手が注意深く父の腹部をまさぐり、痛みは?と問うその声を完全に鼓膜がなくなっている耳元に口を押し付けるようにして僕が伝えると、父は短く「いや」と答えた。隣の薬局で大量の薬を分包してもらい、再びタクシーを呼んで施設まで戻ってその入口でお別れ。再び自転車に跨って、近所のスーパーでブドウを買ってきて施設の人に預けてから、炎天下空港へ。

君は思いきり吹き出してしまう
憑かれたように感染者と死者の数を数えつづける
定時のNHKニュースを聞いて 君の口から
吐き出された飛沫が

ゼウスの隠れた雲みたいに近づいてきて
僕の顔に黄金の夕立ちのように降りかかる……と思いきや
ぴたりと宙で静止するのさ
いまやどこのレジにも窓口にも垂れかかる透明なビニールカーテン!

いつからそこにあったのだろう?
表面は乾いているのに濡れたような光沢を帯びている
垂直にそそり立った湖水
それが不意に波立って君は危うく溺れかける

ごめん、うっかり後ろのドアを開けたんだ
滑走路の端の柵の上に
張り巡らされた鉄条網のトゲが真昼の星々みたいに輝いているよ
真新しいドローン禁止の看板が

引き止めるふりをしながらこっそり片目で唆してくる
あの空の青の裏側でなら
好きなだけ釣り糸を垂れていられるって
一瞬のチヌのアタリにこそ永遠は宿っていたのだと

なのに君は、AEONから買って来た巨峰の房を差し出したまま
ビニールの向こうに突っ立っているね
必死で目をつむって……マジすか、
念力で僕の口中にその果肉を送りこもうだなんて?

福岡市東区にて
四元康祐


6月17日(水)

高座は楽しいなあ
ベランダで伸びをしていた鰐がつぶやいた
麻に変わった襦袢をたたみながら 青い蜥蜴がうれしそうにする
指先の球を 陽にみちみちさせて

寄席が再開しても 忙しさにはほど遠く
男たちは 爬虫類とヒトを往き来している

鉢植えの時計草が 日にひとつずつ咲く
四つ目が咲いて
近所から惣領弟子が朝ごはんを食べに来る (それは半月の一度のしきたり)
すでに蜥蜴でやってくるあたり 師匠を心得て

おかみさんブルーインパルス見ましたか
綺麗だった 空飛ぶものはずるいんだよ
つい愛でちゃいますね 意味そっちのけに
猫とおんなじだね
北を怒らせたビラって 何書いてあったんですかね
詩だったんだよ

銀の蜥蜴は 青よりふたまわり肉が厚い
みっしり詰まった声で 失われた高座をとりかえす
散歩させながら稽古してると息子がふてくされちゃって
おさんどんの合間に配信ライブって切り替え困難じゃないですか

12 年かけて 個性のような上澄みを洗い晒したあと
本性だけが残って 輪郭をつくって
いくつかのトロフィーを 背中のいぼいぼに積み上げて
縦書きの末尾に連なる きみ

じゃ行きます 幼稚園、短縮営業なんで迎えに
一緒に出かけようか
戻りつつある日常に逆らって 私も山に入る
蜥蜴たちの膚は
明日からの雨が濡らしてくれる

八ヶ岳
覚 和歌子


6月16日(火)

春の季節の外を忘れていたからか夏の甘みが鼻に鮮やかだ。これこそが草いきれ。雨の後の強い日差し、田植え直後の整列した苗を見ても私は弱りの中にたたずんで、ああ、この力の入らなさは怒りなのだなと思う。

どうせという言葉に触れてしまった。見知らぬ君は、怒っているのに、どうせという言葉に吸い込まれて、君はそれを吐き出してしまった。君は意志を示すことすらしないと、怒ったまま言う。そうさせたのはあなたよりも先に放り出されたわたしたちなのか。

熟しきった梅のぷわんぷわんとした匂いや小さなアマガエルの午睡を通り過ぎて、窓辺につるされた七夕飾りを見る。
「やきゅうせんしゅになりたいです」
ねがいごとはいつだって光り輝くものだと知る。まだ願いの書き方が分からない私は面と向かって息を吐き、息を吸う。態度を示せますようにと。

有象無象を抱えた境界線は
夕暮れから青が滲んで
虫が高らかに鳴きだす
夜風が 声が
溶ける

夜は黒くならずに青くなって
虫の声に重なって
青が濃くなるほどにカエルの声も響きだして
音が空と土を繋いでいく

青いまま 青いまま
溶けあって
山並みも川音に溶け合って星が浮かぶ頃になると
ぽっ と
あれは蛍

星がおりたんだね
魂がゆれたんだね
躍りあってるね
その境目が夏だね
命の溶けた境目が夏なんだね
混ざりあうことが夏なんだね

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ


6月15日(月)

湿度が高く
マスクをしていると
少し息苦しい
これは多分
空気に
自らの呼吸に
溺れる感覚だろう
春は桜を見ることはなかったが
梅雨に入り
紫陽花は体温があるかのように
上手に咲いている
今 物事を
見つめている
直喩の目のことを
もっと知りたい

福岡・博多
石松佳


6月14日(日)

前後2週間のからだを背負って歩く。
息切れして早く家に帰りたい日曜日の午後。
私もあなたも等しく弱い命を持った人間である。

東京・調布
山田亮太


6月13日(土)

人体発生学の講義5回と神経解剖学の集中講義12回
ことしはすべてZoomでやることが決まった
ところが!
すず1歳が40度の発熱5日間
ものすごく不機嫌でぐずりまくり
ひょっとして例のあれだといけないので
大学に出られない
そこで自宅から講義する

自分のバーチャル背景にはハワイの波打ち際が流れているから
どこから中継しても問題ないはず
台湾料理の紙箱弁当を食べてから
パワポの画面を繰りだしながら説明する
そして毎回10問のブラッシュアップテスト 自動採点されますから感想も書いてね
次々と侵入してくる1歳女子の泣き声、4歳女子の喚き声
感想「難しいです」
感想「わかりやすかったです」
感想「お子さんの声にほっこりしました」

赤ん坊の神経は頭のほうから少しずつ髄鞘化が進んでいく
つまりだんだんしっかりしてくるということ
一年になるとそれが完成し
きょう、下の子が
やっと立つことができました
おめでとう

大学の先生とお父さん
それに基礎医学の研究者、ときどき詩人
赤子は突発性発疹と診断される、そして治る
シームレスに相互乗り入れする
人生をひとことで説明するのは難しい、
難しいからこそ面白いのだ、六月の雨は
いつまでも解かれない秘密のように降りつづく
ふりほどけない
いくつもの関係性が
毎日毎日
ぼくらの上に積もってゆく

明晰に
歳を重ねつつある人々の心には
うつくしい毛糸玉のような
小さな塊がある
それが編み物をするときのように
くるくる解けながら
回っている

右回りなのか左回りなのか
誰にもわからない
そんな毛糸玉を
ぼくも持ちたい

東京・西荻窪
田中庸介


6月12日(金)

遅くに眠って
まだいつもなら物音に気づきもしない
時間のはずなのに

電子音で耳だけ起きる

熱を測っているのは
リビングにいるんだろう
きみで

毎朝
仕事に出る前に
測っては 平熱を確かめなくてはいけないのは

いってきます

、て声がして
うたが出かけていくところへ
起きなくちゃ
ふとんから出て
玄関へ向かう

ドアのわきに
消毒スプレーがあって
シュッてしていきな
、て言ったら
うんとも言わないでドアを開けると
マスクをして
出かけて行った
もう暑いのに 今日梅雨明けした、て
さっきニュースが入って
知った

学校で
あの子はまじめに気をつけてるから
もうコロナめんどくさい 、て文句言いながら
だから家では楽にさせたげて
、てきみが言う

朝ね
暑い て起きて
熱測ってみたら三十七度もあって
きみが話してくれている
もういちど
水飲んでから測ったら三十六度五分だった
、て

二人が出かけていく
ほんの短い間に何が起きてるか
寝てるとふだん何も知らなくて

たまたま今日にかぎって耳にできたのは
暑い てぼくの耳も
いつもよりずいぶん早く
動きはじめたからなんだろう

南風が吹く
梅雨明けの白南風が
鉦を鳴らして夏を呼ぶ
カーチーベーが来るより早く

風も鉦も知らせない
息苦しさを
呼ぶ声のずっとしないままでいて

*カーチーベー……島言葉で、夏至の頃に吹く南風。夏至南風。

沖縄・那覇
白井明大


6月11日(木)

とつぜん夏がきて
雨が降る日々が訪れて
季節の配列が行方不明

二ヶ月ぶりの地下鉄に乗って
あの庭で待ち合わせた
はまなすの花の咲く庭

つよい日射しのなかで
ぼくたちが笑っている
そうして こわくなる

「誰か、もう大丈夫だって言ってよ」

大切なものが
目に見えないならば
大切なものに
ころされてしまいそうだ

しろくて滑らかな
石に向かって
おなじく滑らかな足で
少女が駆けていく
現実よりもおそい速度で

花言葉は 悲しくそして美しく
ぼくは悲しさを求めていない

北海道・札幌
三角みづ紀


6月10日(水)

女は
白いクルマで

仕事に行った

モコを抱いて
見送り

家の
前の道路の

側溝の
蓋の

隙間の

苔と
ヤブタビラコに

水を
やる

それから
庭の

金木犀と南天にも

ホースで
水をやる

ほとんど

毎日
そうしてる

アメリカでは
黒人の若者が

「I can’t breath」

そう
言って

死んでいったという

香港では

「いまはとっても怖い、
 すごく怖いです。
 でも、だからこそ、声をあげることは、今やらなければいけない。
 私たちは、絶対に沈黙しません。
 抗議の声を上げ続けます。」*

そう
周庭は

言っている

答えのでない問いの前で若者たちも
大人も

いま
生きようと

してる

夕方
午後からの雨は止んだ

ポストに布マスクが届いていた
宛名はなかった

※Agnes Chow 周庭 の twitterより引用

静岡・用宗
さとう三千魚


6月9日(火)

赤い都庁は問題がウイルスから人間側に移ったことの警報で
これから大きくなる綻びを予兆しているのだろう
だれにも解除できないこの状態は災禍というより
百年に一度巡ってくる不思議な季節のようだ

蚊は刺し
装いは軽くなっても
日に焼けた子はいない
マスクは街にあふれている
みんな機械としか話してないのに

東京・世田谷
松田朋春


6月8日(月)

マリー・ローランサンの2014年三鷹市民ギャラリーでの展覧会の図録が、家の図書室のどこかに埋もれてしまっていて、もう何年も行方不明である。表紙が鏡のような銀で、とても目立つのだけど。この鏡の銀は、ローランサンの絵画に特徴的なフレームにちなんでいるとおもわれる、ことを思い出したのは昨秋、横浜美術館でみたオランジュリー美術館コレクション展で、ひさしぶりにローランサンの絵画を何点か見たときで、鏡であるフレームは、しかし経年により一部腐食していて、絵画自体はそれほど褪色等しているように見えない、相変わらず、良い意味で夢のように淡くくすんだ優美さと夢のように淡くくすんだ哀しみとを湛えた鏡のようだ、しかし、その夢のフレームのほうの鏡は現実の時間に着実に浸食されている鏡で、その前にローランサンの絵画を見て記憶に残っているのは、2016年東京都美術館のポンピドゥー・センター傑作選展で、ここに1点出ていた。1906年から1977年まで、おのおのの年に描かれたポンピドゥー・センター所蔵の絵画1年につき一点ずつが展示される、というコンセプトも、それをうまく会場構成に落としこんだ田根剛さん等による特異な会場デザインも印象的だったが、ローランサンは1940年の絵画として出ていた。五年後、1945年には絵画がなく、ブランクとして真っ黒な壁が、図録では真っ黒なページがある。そのことを、最近のニュースでおもいだしていた。ローランサンの鏡のフレームは、図録では省かれている(その代替であるかのように、三鷹のローランサン展の図録では表紙が鏡になっているわけだが)。ところで、その三鷹のローランサン展に行った正確な日付を私はおもいだすことができるのだが、それは2014年10月31日で、その日はローランサンの誕生日であって、しかもあなた(とわたしは記す。なぜなら6年前のわたしなどもはや〈あなた〉であるからだ)が行ける距離にてローランサン展が開かれていたのだから、あなたはそこを訪れたのだった(ちなみにローランサンの忌日は6月8日)。しかし、あなたには不思議だったことに、その展覧会場は、その日がローランサンの131回目の誕生日であるにもかかわらず、観客はほぼ、あなた一人しかいなくて、こんなに空いている美術館は何かがおかしい、と、あなたは訝しんでいる、つまり、誤って何かの拍子にフレームから鏡の中に迷い込んでしまったのではないか、などと。ローランサンの夢の鏡のフレームに、いくつにも分光された、あなたばかりが映っていて。そう、意外にも、再開となったら殺到するのではとおもっていたのだが、東京ステーションギャラリーも東京都現代美術館もガラガラで(このふたつが、あなたの家から最寄のふたつの大き目の美術館だ、自転車で行ける)、密というのであれば、スーパーとかコンビニとか公園のほうがよっぽど密なのであった。この2、3か月のあいだ、絵画というものの、実物を見ずに(あなたが所有している、家の壁に架けてある何点かは別として)、複製された図版ばかり延べ何千点だかと見てきて、当然あなたの絵画を見る視点なり視線なりはリブートされているとおもうのだけど、やはりマチエールそれからサイズ、そしてフレームということに、まずあらためて、あなたの意識はゆく。〈目の触覚〉〈視線の触覚〉とでもいうべきものが存在し、実物の絵画を走査する視線が、それを擦過し、感知する。視線の触覚にざらざらとした触感が残る。それがなんだというわけではないが。翌日、目覚めると、あなたの右目は充血していた。それは今日も未だ残っている。同様に映画館にも早速にあなたは駆けつけてしまったわけだが、ジム・ジャームッシュ「デッド・ドント・ダイ」初日、あなたの見た回の観客はあなたを含めて5名ほどで、ソーシャル・ディスタンスは保たれているであろうわけだが、左4、5席空けたとなりの席のおじさんがマスクのうちがわでとはいえ咳ばらいをすると劇場にそこはかとない緊張がはしり、あ、アダム、あぶない!すぐそこにゾンビが!やがて右後ろのおじさんのいびきが聴こえだすと、あれは眠っているんじゃない…、じきにゾンビとして目覚めようとしている!…などといった、スクリーンの中のホラーとは別種の現実のホラーが劇場内に二重写しになっており、それはそれで新種の3-D映画として面白がれなくもないわけだが、それにしても映画館とはかくもノイズの多い場所であったのだった、そういえば!とあなたは気づく。そういえば昨秋も、あなたは映画館のノイズのために、同じ映画を3回も見るハメに陥ってしまったのだった。一度目はあなたの体調がすぐれず途中寝てしまい、二度目はあなたのうしろの席のおばさんがポップコーンを食べる音が二時間強の間止むことなくあなたは(神経質なあなたは)全く映画に集中できず、の旨を終わったあと劇場係員の人にあなたは(神経質なあなたは)伝えるとおなじ映画をもう一度見られるチケットは心優しげな係員のひとにあなたは貰って、そして三度目にしてあなたはようやくその映画をちゃんと見ることができたのだった…、それでそんなこともすっかりあなたは忘れていて、こんど2ヵ月振りだかに映画館で映画をあなたは見て、映画館ってやっぱりいいよね!ってあなたはおもえるものと期待していそいそと映画館に駆けこんだのだけど、蓋をあけてみればそんなことは全くなく、映画館ってノイズが多い!ってあなたはおもって、人それぞれだもんね、しかたないよね!って、あなたは。映画館で、むかし、いまはもうない浅草の汚ったない映画館で、リバイバル上映の「寅次郎 あじさいの恋」を見たことがあったのね、昼間からお酒片手に…のおじさんたちが、なんと、オープニングのテーマ曲がはじまると、大合唱するのね、それから、寅さんが失敗すると「だめだよ、寅さん!」とかスクリーンの寅さんに向かってつっこみを入れて、等々みんなやりたいほうだいだったけど、めちゃくちゃ楽しかったんだ。むかしは映画をみるのって、みんなああいうかんじだったのかな。ああいうのだったらうるさくっても全然いいんだけどね。それからあとね、いろいろおもいだしたからついでに云わせてね、タランティーノの「デス・プルーフ」って映画(2007年くらい?)、公開初日(9月のあたまくらい?)に新宿武蔵野館で見たんだけど、あれ、エンドマークが出た瞬間拍手喝采が起こったんだよね、まあ、映画の中の悪役がさ、数年前のハーヴェイ・ワインスタインみたいになったってわけ(そういえばあの方、服役中なのにコロナにかかっちゃったらしいけど、無事なんだろうか、そもそも、あのひとのこの数年置かれてる状況ってもう全然無事じゃないよね!)あとはね、恵比寿ガーデンシネマが2010年だかに一度休館になったでしょ、その閉館前一番最後の回にリバイバル上映の「スモーク」見たんだけど(これも毎年クリスマスがくるたびに、もう十回は見た映画なんだ。クリスマス映画といえば「スモーク」だよね!)、そのときも終わった瞬間拍手喝采がおこったんだよね、あれは映画そのものっていうより、劇場へ向けての拍手だったとおもう。あの回も満員だったな、満員の映画館に万雷の拍手…、それらは映画館ならではの良い思い出として、あなたに残っていて、それらを思い出すとやはり映画館っていいな、映画館を守らなくては!とかあなたはおもうのだけど、しかし、おおかたは先日のジャームッシュのゾンビ映画の際のあなたのごとく、となりのおじさんのいびきがうるさいだの、うしろのおばさんのポップコーンがうるさいだの、そんなんばかりなのである。また、ひさしぶりに割引なしの正規料金1900円を支払ってあなたは見たわけだけど(レイトショー上映がないので!)、「自分への投資」込み、ということにでもしなければ、とても採算がとれないな(Netflixが月々1200円だもんね)、などとあなたはおもったのだった。それでジャームッシュの新しい映画の話のつづきで、クロエ・セヴィニーをあなたは久しぶりに見て、そうだあの、むかし、ほら、ヴィンセント・ギャロの映画でクロエ・セヴィニーがでてくる、あの映画めちゃくちゃ好きだったんだけど、あのギャロの乗ってる車のフロントグラスの窓の汚れ!あの汚れが!あの汚れなんだよ!それで、あの映画のエンディング近くで、タイトルにある〈ブラウン・バニー〉が出てくる、いや出てこない?ん…?出てくるヴァージョンのエンディングもあったけれど、公開されたものでは出てこないものになったんだったっけ?そういう話を当時、映画雑誌(いまはなき「日本版プレミア」とかだったかな?)で読んだのだったとおもう、〈ブラウン・バニー〉が出てきたか、出てこなかったか、あいまいにあなたはなっていて、でもその映像を頭の中で再生できるから、出てきたのかもしれない、それとも雑誌の記事で読んであたまのなかでつくりあげられた映像がいまあたまの中で再生されているのかもしれない、あなたの。ジャームッシュの新作のゾンビ映画では、墓場から、雑草のようにゾンビがニョキニョキ生えてきちゃってさ(向こうの席で、またおじさんの咳!)、「足並みそろうと全滅しちゃうので。」っていう、こないだ見た、石川佳奈さんのオンライン個展のタイトルと、その内容のことを思いだして、ずっと考えていたのだった、あなたは。

石川佳奈さんの先日のオンライン個展「足並みそろうと全滅しちゃうので。」は(タイトルはある雑草学者の言葉から、とのこと)、当初5月に北千住BUoYのギャラリーで展示する予定だったのを急遽オンライン展示に再編成したとのこと。3つの映像作品で構成されている。1つ目の映像では、東京とか銀座とか北千住とか、東京の各所で、足もとで誰にも顧みられることなくひっそりと道端のアスファルトの隙間とかから生えている雑草が、人の手(石川さんの手だろうか)でむしられる。その様子を雑草の目の高さ(つまり人間にとっては超ローアングル)でとらえる、そのあまりにもささやかな行為には(当然)無関心に、周囲を行き交うひとたちの〈足並み〉が映し出される。それがロケーションを変え執拗にリフレインされる。絵画のマチエールを感知する目の触覚の存在をあらためて感じたことをさっき書いたが、石川さんの作品を見ていて感受したのは、ごくかすかな痛覚のうずき、それから幻のようにかすかな嗅覚の震え。

先日あなたは、夜中にあなたの街をでたらめに散歩をしているとき、角を折れるとふいに、廃墟のような古い木造の家が解体されている途中の現場に出くわす。突然鼻を刺すするどい匂いに刹那、恐怖のようなものを感じる。植物が伐られるときの匂い、あれは痛みが匂いとなって発されているのだとどこかで読んだ記憶があるけど、あれに似ている。また一つあなたの街から雑草である建築がむしられてしまっている。それで石川さんの作品で雑草がむしられるとき(それはむしられているのであって、伐られているのではないのだが)痛みの匂いを発しているように、嗅覚がそれをモニターごしに嗅ぎ取ろうとしていたのだとわかった。

むしる手とむしられる雑草とが交錯する一瞬に、植物は人間であり、人間は植物である、と錯覚する。それを錯覚するあなたもまた、束の間、その二者に同一化している、あなたもまたむしる人間とむしられる雑草とが一体になったものとなりそれを感知する視線の触覚があなたであり、幻覚する嗅覚があなたである。また、石川さんの、むしるまでにいくぶん、ときにさんざん、逡巡しているようにみえる、その長いような短いような奇妙なアイドリングの時間に、雑草とコミュニケーションを(あるいはディスコミュニケーションを)交わしている異形の空間が立ち上がっている、ように見える。これは、昨年一月にスパイラルのエントランスで展示されていた、石川さんの前の個展「触りながら触られる」に通じているように、あなたは感じた。ここでは手と雑草の関係が、「触りながら触られる」の人a(女性)と人b(男性)の関係と相似であるように、ふりかえってあなたは感じている。

それにしても、むしられるとき雑草がもっとも雑草として立ち上がりわたしに迫りくる!と、眠りしなにこの雑草と手の映像のことを回想していたときふと巨大な雑草にあるいは巨大な手に覆われるイメージにあなたは襲撃される。

2つ目の映像では部屋に持ちかえられた雑草がミキサーで分解されて濾されて紙になる。それは外の川べりの広場へともちだされ、草のうえに放置され、じきに風にさらわれて空へ放たれて川へと落下する。そのとき、どこまでが植物でどこからが紙なのか、あるいはどこからが植物である紙で、どこからが風なのか空なのか、どこからが紙でも風でも空でもある植物でどこからが紙でも風でも空でも植物でもある川なのか、わからなくなるような心持が、あなたはした。そしてそれらとあなた(たち)との境界はどこなのか。紙に問われる(映像)。いずれにせよもはやほとんど川である雑草は東京を脱出する。

3つ目の映像で、公園に生えているなんでもない雑草をむしっていいものかどうか確認をとろうと役所に電話を石川さんがしている、電話にでた女の人が確認するために電話を保留にする、その保留音のチープなレット・イット・ビーのBGMが流れている間、石川さんがむしった雑草から紙をつくる子どもたちとのワークショップのダイジェスト的な映像が流れる。あらゆる子どもたちを見るときわたしたちは自分たちのなかの子どもたちをそこに二重写しに見ている、という視点がある(ならば、あらゆるものはジョンかポールかジョージかリンゴかに分類することができる、というレトリックも成り立つ。)同様に、あらゆる雑草を見るときわたしたちは自分たちのなかの雑草をそこに二重写しに見ていて、あらゆる雑草がむしられるときわたしたちのどこかがむしられている、そしてあるいは、雑草は巧みに企んで石川さんと子どもたちの手をかりて変身し脱出しようとしているのかもしれない、とあなたはレット・イット・ビーを聴きながら、石川さんと共に役所の女の人を待っている間、ぼんやりと考えている。

あなたの家の中に雑草のように日々、本が増えていって今日、今、あなたが見たいマリー・ローランサンの画集が雑草に埋もれて見つからない。ローランサンが亡くなったときアポリネールからの手紙を胸に抱いて埋葬されたのだった。アポリネールはそのずいぶん前にスペイン風邪で亡くなったのだった。アポリネールがスペイン風邪で亡くなったとき枕元にはローランサンが描いた彼の肖像画が架かっていたのだった。美術史がかつてあまりにも男だらけだったので、ローランサンの画集は大変貴重なのだが、男どもの雑草に埋もれてマリーの画集がみつからない。そういえば、レット・イット・ビーの歌詞にはマリーがでてくる。ポールの若くして亡くなったお母さんの名前であり聖母でもあるのだったっけ。ジョンもまた、お母さんを早くに亡くしたのだったっけ。そして、じぶんが亡くなる日アニー・リーボヴィッツのカメラの前で胎児のようにしてヨーコさんに抱きしめられてそれから数時間後に亡くなったのだったっけ。ジョンが亡くなった日にパール・ハーバーが奇襲されてたくさんの男たちがそれぞれのマリーをおもいながらあるいは叫びながら亡くなっていったのだったっけ。息ができない…、ママ…って。あなたは。奇襲のように雑草がむしられて、感覚がいつまでもざわざわとささくれだっている静電気で微動している、いまは電源の落ちているまっくろいモニター

東京・深川
カニエ・ナハ


6月7日(日)

できるだけしずかなところで
つぶやいてみてください、
タマシイ ということばを

舌が口蓋をたたく「タ」、
むすんだ唇をあける「マ」、
タマというとき
口のなかの小鼓の音が
下りてくようじゃありませんか、喉という深井戸を
できるんですよ、
間(マ)が、からだのおくに

タマ、タマ、タマ、
くりかえすほど、腹という沼にたまる響きたち
それを魔(マ)と呼ぶひとだって、あったでしょう

そうして
小声でいってみてください
そのタマを、
のせてください
歯のすきまから漏れる「シイ」に

タマ、タマシイ、
タマ、タマシイ、
白い息に包まれて
こんどは汲み上げられていくでしょう、沼の魔が
のぼっていくでしょう、
そうして
口から
尾をひくよ、けむりのように

タマシイは
うごくもの、
うごいていくもの

“息ができない”

そのいまわで
うごくもの、
うごいて、ひろがるもの

※米国ミネアポリスの事件、ジョージ・フロイドの最期の言葉「I can’t breathe」より、“息ができない”。

神奈川・横浜
新井高子


6月6日(土)

雨の月がはじまり
夏の薄いカーテン越しに
登校する子どもたちの声が聞こえるようになった朝
しばらく閉まっていた花屋を覗いた

ひさしぶりに目にする
さまざまな色から
赤でもピンクでも紫でもなく
赤でもピンクでも紫でもある花をえらんだ

陰 陽
白 黒
必要 不要
緊急 不急

一輪の花でさえ
そんなふうにはほんとうは分けられない世界で
息をしている

まだ春がくるまえのこと
急ぎの用事でもないのに
話すこともないのに
ひとと会って
いっしょに歩いた

雨あがりの
とくべつにきれいな緑のなかを

赤でもピンクでも紫でもなく
赤でもピンクでも紫でもある
移ろう花びらのような
やさしい沈黙を交わして

今夜は満月
けれど曇りのち雨
満ちた月は空に現れない

それは
ない のではなく
まだ見えないだけのひかり

さまざまな輝きと
沈黙を
吸いこんで ひらく
六月の花を
そばに置いて

急ぎの用事でもないのに
話すこともないのに
もっと会っていたかったひとに
メールをした

「こちらはまだ曇っています。
そちらの窓からは
見えないはずの月が
見えますか」

東京・杉並
峯澤典子


6月5日(金)

二ヵ月ぶりに電車に乗り、三ヵ月ぶりに美容院へ行き、いつぶりか分からないくらいに、素敵なお店におずおずと入り、飲茶を食べた

街を歩く人の数はもうふつう
少しだけ怖いのは感染のことではない
人々は、もうしっかりと鎧のように属性を着て歩いている
学生服、ネクタイ、バックパック、ゆるいワンピース
私だって同じ
朝、なんとなく「社会」を意識した頭で服を選んだら、何を着たらいいのかちょっとわからなくなった
ついこの間まで、散歩で出会う人々は、みな「おうち服」を着ていた
少し離れて歩き、ぴったりくっついているのはいろんな年代のカップルばかり
あらためて生物としての番(つがい)を、遠くから川縁の道で確認した

でも今日、街では人々がひとりずつを背負ってひとりで歩き、属性をちゃんと着込んで、とりつくしまのない顔で歩いていく
そこに感じるほんの少しの威圧感と臆病さを、私はこれまで我慢していたのだろうか

電車に乗る人々、街を歩く人々はもう以前のよう
でもマスクだけが
呪いにかかった絵本のように
そこだけがまちがった絵のように
服装も属性も別々のみんなにつけられている
まちがった絵本の中で、ほんらいなら笑いを誘うレイアウトであったかのように

飲茶を食べたお店の内装は居心地が良く、気持ちが引き立つくらいに適度にきらびやかで、けれども、ここにも慣れない感じがつきまとう
お店だと頭ではわかっているのに、誰かの家の居間にいるような奇妙な気分
家以外のいったいどこでありうるだろうか、こんなに燦々と日が降り注ぎ、外の木々が「安心していいよ」とそよぎ、私が寛いでものを食べるのは

お店の入り口でも、注文を取る人も、とりわけ丁寧に、いやむしろうれしそうな顔で迎えてくれて、きっと人が怖いだろうに申し訳ない気持ちで不思議になる
けれど立場を変えて考えてみると、マスクをして次々とやってくる人々は、生き残った人々であり、お店を忘れずにまた来てくれた人たちに見えるのだろうと思った
私が迎える側なら、きっと次々にとことこやってくる人々は、一人一人であることを超えて、胸をきゅっと摘まれるような愛おしい「景色」に見えるだろう
それは鏡になって、生き残った自分と場所をしみじみと感じさせるのかもしれない

久しぶりに食べる「外の味」の複雑さに、細胞がこまかくなる
これは生姜とにんにくが入っている、そこまでは分かる、でもその後ろからやってくるこれは何?
辛かったのに、喉を通ってしばらくすると口の中が突然甘くなるのは何?
文化という言葉が、饅頭を噛む頭の後ろの方に、ゆらゆら浮かぶ
でもさらにその後から形容しがたい気持ちがわいてくる
それは後ろめたさのようで、もう少し白けたような、おやそんなものがいたのか、と思うような感情
家のごはんは自分が作っても夫が作っても、すみずみまで何でできているか食べながらわかる
それに比べてこの飲茶は文化を感じさせるのだけれど、これ、ときどきでいいなと思う
そして私はそんなふうに思う人だったかなとも訝しく
細胞はここまでこまかくならなくていいのかもしれない
もっと、餅米とお水でできているお餅のように呑気でいいのかもしれない

午後早い地下鉄はとても空いていて、いろんな電車の内装が新しく変わっていた
オリンピックにやってくる世界各国の人々を乗せようとはりきっていたのなら
事情を知らない車両も
新しいシートも床材も
がらんとしてまるで何か悪いことをしたので
当たるはずのよいことを、働いてよろこばせるはずだったことを罰として取り上げられたように
ぼおっと空虚なままで
不憫だ
説明してあげたい
あなたがたが悪いのではない

東京・表参道
柏木麻里


6月4日(木)

中央線にふつふつとあふれてくる
しずかなひとなみ
あかるいあさの
ひかりのなかで
皆、
目だけでものを言う

あさはしずかな電車のなかで
マスクを忘れたおじさんが
目だけで刺されまくってる

あけはなたれた窓からは

水色の風が
人と人との近くて遠いすきまを
ただ、ふきぬけてゆく

あらゆることが
あらゆるものが
遠い

未来だ

東京・小平
田野倉康一


6月3日(水)

ゆめの
てのひらがわたしに触れた
汗に湿った指がやわらかく動いて
頬をなぞり唇へ
わたしのマスクはどこかに消えてしまったから(夢だから
とてもこわい
どうしてこわいとおもわなくちゃいけないんだろう
おもいだせなくて(夢だから
体の遠くで鳴り響く叫びに似た警告を
踏みにじって触れあわせる唇から
うつくしい蜘蛛の糸のように唾液がつながって
死へと近づいていく
すりる
きもちよかった
うそだけどね

目が覚めて手を洗う
てのひらを泡だらけにして擦りあわせて30秒
ハッピーバースデーを2回分だっけ
でも「Mad World」のハッピーバースデーしか出てこない
Happy birthday,Happy birthday
それからなんだっけ(Adam Lambertの歌声で思い出す
The dreams in which I’m dying are the best I’ve ever had.
もう長いこと他人に触れてなどいないてのひらは
おかしくも悲しくもなく
さっぱりと洗いあげられる
きのう東京アラートでどこかが赤くなったらしいけど
なんのことかひとつもわからない
さあ
今日もきれいにくるった世界へ
生まれ出ていこう
うそだけどね

コンビニのレジのひとは
ゆめのなかみたいに透明なビニールに隔てられ
わたしたちはすべて汚れているという前提で
紙幣や硬貨と
パッケージされた食べ物や飲み物を
受け渡して(ありがとう
生きていく(おやすみなさい
今夜
どこにもいないこいびとが
訪れたときのためにあの透明なビニールがほしい
両側からてのひらをあわせて
それぞれの唇のかたちに透明を歪ませて
口づけをしよう
すてき
かもしれない
うそだけどね
わたしたちが透明に隔てられていなかったことなんて
きっとこれまでに一度もなかった

テレビの向こうで話されていることも
告げられる数字もすべて
うそにきこえる
うそだったね
うそなんだね
隔てられて触れあわないままここに
いる

東京・神宮前
川口晴美


6月2日(火)

わたしの命の
ぎりぎりまで

つらいことや
悲しいことや

わたしを苦しめる
ことが

あると
いいな。

そしたら
植木屋さんが
伸びた枝に鋏をふるうように

そしたら
コックさんが
自慢の料理の腕をみせるように

そしたら
お医者さんが
新たなウイルスと格闘するように

そしたら
お巡りさんが・・・
皆が皆そんな人ばかりでないように

そしたら
カリフォルニアオレンジが
最後の一滴までオレンジであるように

祈りを甘くしながら
与えられた仕事の腕を発揮できるから。

第二波、
第三波にそなえて

***

きれいですね、
きれいなもんか。

お花、
あ、花ね。

スナックに持って行くの
オープンしたから持って行ってやんの。

少しずつ
ひるのまちの扉がひらき
少しずつ
よるのまちに灯がもどる。

写真撮ってもいい?
うん、いいともさ。

埼玉・飯能
宮尾節子


6月1日(月)

堀井一摩『国民国家と不気味なもの』(二〇二〇年、新曜社)によると、山県有朋は明治天皇への意見書「社会破壊主義論」(一九〇八年)のなかで、「社会主義」を《国家社会ノ存立ノ根本》に対する《病毒》と形容している。《今其ノ病根ニ向テ救治ノ策ヲ講スルノ急務ナルト同時ニ其ノ形体ヲ具スル者ニ対シテハ国家社会ノ自衛ノ為ニ最モ厳密ナルノ取締ヲ為シ此ノ病毒ノ瀰慢ヲ防キ之ヲ禁圧根絶セサルヘカラサルナリ》。
山県は《病》という修辞を用いることで、「社会主義」が国体という巨大な政治的身体に外から入り込み、その全体性を蝕む排除すべき対象であることを仄めかしているが、同書はこの語が選ばれた背景として、貿易により国外からもたらされたコレラの蔓延を指摘している。そして、「伝染病」と「危険思想」の喩的な重ね合わせは、単なる修辞の問題にとどまらない。同書の指摘をさらに続ければ、医療行政は厚生省設置の一九三八年まで内務省の所轄であり、当時のコレラ対策は警察を主体として行われていたという。警察はコレラ患者に対して強制的な隔離措置や監視を行い、文字通り彼らを「犯罪者のように」扱っていたらしい。つまり、防疫対策と「危険思想」対策は、構造的にも認識的にもきわめて類似していたというわけだ。
「社会破壊主義論」の提出から翌々年の一九一〇年、大逆事件が起きる。明治天皇暗殺計画の疑いによる「社会主義」者らの大検挙は、宮下太吉が爆発物取締罰則違反の疑いで連行された五月二十五日に始まる。三十一日には松室致検事総長が事件を刑法第七十三条(大逆罪)に該当すると認定し、六月一日には幸徳秋水と管野須賀子が逮捕される。最終的に逮捕・起訴された人数は二十六名にのぼり、うち二十四名が死刑判決を受けた(実際の執行は十二名)。なお、当時は社会主義・無政府主義が厳密なかたちで区別されておらず、「社会主義」という語は両者を含意する。
ところで、スーザン・ソンタグは『隠喩としての病』(一九八二年、みすず書房)のなかで、特定の思想や人種に対して「共通の悪しき敵」のイメージを付与するために《病》の喩を用いるのは、とりわけ《全体主義》的な国家において見られる傾向であると述べている。代表的な例として、彼女はアドルフ・ヒトラーがユダヤ人に対して用いた《結核》の比喩などを挙げているが、果たして《病》という喩にふさわしかったのはどちらの方なのか。そう考えると、山県によって《病毒》と呼ばれた「社会主義」者よりも深刻な《病》に陥ったのは、その後の大日本帝国だったといえるだろう。病名は「超国家主義」と呼ばれる。そこでは国民全員が天皇を頂点とした国家のもとに結びつけられ、個々人の精神が「億兆一心」を体現すべく一点に集約されていく、という形式が取られる。その感染規模は「社会主義」をはるかに越えており、たとえば大逆事件の同時期に誕生した口語自由詩についても例外ではなかった。第二次世界大戦期において発表された口語自由詩は、戦意昂揚詩と呼ばれる病的な熱を帯びた形式を伴い、敗戦を契機として無症状化したものの、その後も一定の間隔を置いてたびたび類似の症状や、それに対するアレルギーのような反応が確認されている。
ここで《病》という語は、制作者が抱えるゆらぎや複数性を単一的なものへと収束させる判断や表明の形式が持つ力であり、それらによって可視化された精神を意味する。とはいえ、病の比喩に基づく詩史の解釈は、状況そのものを詩の制作主体として中心化するタイプの認識と、そのつどの制作に内在する倫理的・能動的な思考の軽視を招きかねない。加えていえば、そこには解釈者自らの思考が「病んでいない」ことへの無根拠な確信が付随している。
前日に遅くまで原稿を書いていたため、始業の八分前に起床し、間に合う。五月の実績資料の作成。同僚との共有不足で、まったくおなじ資料を二人でつくっていたことが判明。次回からは事前に担当部分を決めておくことにしたものの、どちらがそれについての相談を切り出すかも、決めておく必要があったような気がする。
資料を上司へ提出し、入浴。大家に家賃を払いにいくと、一日遅れただけなのに若干の小言をいわれる。隣の部屋の人が先々月から長野の実家に帰っていて、家賃を払うためだけに東京へ来ているという。隣人の気配がなかったのはなんとなく感じていて、その頃から謎の虫を部屋のなかで見かけるようになった。正体を突き止めようとウェブ検索を駆使したが、該当しそうな虫の名前とその名前で出てくる画像が一致せず、ゴキブリ用の駆除スプレーをかけるといなくなるので、ゴキブリの仲間だと判断する。先月から急に虫の数が増えた。原因はいくつかあるとおもう。大家がアパートの周辺に食べ物を撒くようになり、そのせいでハトやスズメやネズミ、やたらとでかいカエルが家の近くをうろついている。食事を買いに外出すると、階段の近くでカエルを踏んでしまったり、脂のようなものでギトギトに毛羽だったハトに追いかけられたりした。
夜、キーボードを伝って謎の虫が手首に這い上がろうとしてきたので、近所のスーパーでバルサンを二つ購入し、焚く。時間まで近所を歩き回っているうちに、知らない公園を発見する。すべり台が赤いテープでぐるぐる巻きにされていて、乗り越えた跡のようなものがテープのたわみと劣化具合で確認できる。職場から電話があり、資料の内容について確認が入る。外出をとがめられたので理由を話すと、煙で追い出しても根本的な解決にならないといわれる。となりの駅まで歩いてしまう。横断歩道を渡り終えたとき、うしろから大きな声の人がやってきて目の前の人の視界を隠した。頃合いを見て家に戻り、具合がわるくなる。

東京都・高田馬場
鈴木一平


5月31日(日)

ウィルスに怯えていた人々が
家のドアを飛び出し、声を上げ始めた。
画面越しに燃えさかる炎に
Twitter社のアイコンが青色から黒に変わる。
見えないウィルスの脅威が
「人間」を炙り出した。

地球に蒼いヘルメットを被せてあげたい。

札幌の友人にようやく2枚の布マスクが届く。
「ひとまず汚れ破れなしでよかった」と
確かめる様がせつなくて、タイムラインを撫でた。

わたしたちの口を覆うために
白いヘルメットが配られる。
マスクは風のように軽く、
私たちが閉ざす口は重い。
マスクを装着するたび、その落差に戸惑う。
両耳に紐をかけて、
白い不安を吊り下げていた。

飲食店を営む東京の友人は
「来てね、とは敢えて声をかけない」
「人の恐れは唯一無二だから」と口にする。
LINE画面で「口にする」文字は
離れていても近しい。
言葉に身体がついてくる。

降りそそぐソーシャルディスタンス。
思いやりの距離だとか、不要不急だとか
宣言だとか、解除だとか、気の緩みだとか
そんなものより唯一無二の
尊い声がここに響いている。

木立のなか、膝をかかえれば
むせるような土の匂いと
濃くなっていく初夏の緑。
息継ぎをせよ。
ばんそうこうを剥がすように
生き延びるため。
汗に濡れたマスクを剥がして
ひととき 深呼吸する。

東京
文月悠光


5月30日(土)

今日はワインを一滴も飲まなかった。
今日はコーヒーも一杯も飲まなかった。
今日は音楽を聴かなかった。
今日は映像を見なかった。
今日は運動をしなかった。
今日はインターネットを見なかった。
今日はまったく涙が出なかった。
今日は一度も怒らなかった。
今日は宅急便がひとつも来なかった。
今日は部屋を片付けなかった。
今日は起きてすぐに着替えて顔を洗って歯を磨いた。
今日は本をたくさん読んだ。
今日はなんでもかんでも楽しくこなした。
今日は体によいものを楽しく食べた。
今日の犬は昼まで寝ていた。
今日は自分以外の誰かの役にたつことをしなかった。
昼過ぎに犬を起こすと、吠えて、歩いて、丸くなって、寝た。
レモンの木に小さな実がついていた。
鳥がベランダを訪れている。
今年はアゲハの幼虫をみかけない。
犬と鳥とレモンの木は夜を枕に眠りにつく。

東京・つつじヶ丘
河野聡子


5月29日(金)

馬鹿野郎、みんなコロナで死んでしまえ!
オレの中のコーモリが騒ぐ
オレの中のオオカミが吠える
ここは誰のものでもないだだっ広い街だ  
誰のものでもないびっくりの青空だ
風が吹きぬけたら爽快だ
胡坐かいてやがるぴよすけは殲滅だ!
みんなみんな死んでしまえ!

馬鹿野郎、もう世界の半分はくたばった!
ねずみに血を吐かさせてくたばった
おかげで世界は真っ二つだ
だけど風は吹きぬけていく爽快だ
オレの中でねずみが血を吐きウイルスは爆発する
オレの中で遺伝子がざわめく
祭りは終わりだ
あとは遺伝子と模倣種だけがくるくる踊る
みんなみんなくたばってしまえ!

殺セ殺セと囁くのはオレだ
おまえが生まれる前から耳元で囁き続けている
いくら耳をふさいでもオレ達はちゃんとここにいるゾ
耳の奥の巻貝の化石が罅割れているゾ
もうすぐ世界は脱色されて 太陽は輝く
おまえは今はヒトのふりをしているがおまえではない
もうすぐおまえはオレ達の中に還ってくるゾ

福岡市 薬院
渡辺玄英


5月28日(木)

唐突に解除された宣言
はじまりを着込み出す
日常に放り出された我々の
警戒に慣れ尽きたまなざしは
禁を破る人の姿を
今やたやすく見つけ出すが
この瞬間も
果たして弾圧は続くべきか
いつだって
法は私たちの外側で
断りなく制定され
施行されるものなのだし
「正解がわからない」と言いながら
いつも怒りに満ちている
我らの秩序はこれからも
整然と守られてゆくから
引き続き
計量を続けていかねばならない

批評の側でいるために
間違わないでい続けるため

隣人たちが
軽はずみな一歩をはじめてゆくのを
口々に
あげつらっては静止を強い
もしくは前進をうながしたりして
目まぐるしく翻る世界の声に
加担しては権威を与える
そうすることで見極める
裏付けを手にしてようやく
仕組まれた日常へと
統制に手を引かれた真似事を
誰もがしはじめる

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹


5月27日(水)

  事実真実果実
せ い か く に
み   の   る
く に か せ い
み   の   る
  事実真実果実

布団フォトンポテト
  お こ す
  こ う し 
ひかり と ひかり
    の
   衝 突
 お ち つ き
 ま ど ろ み
ZZZZZZZZZZZZZZZ
? ? ? ? ?
  事実真実果実
  …
 データの流れに従って
 水がヒノキに滴る
   庭の欠片
   煙の石榴
 黙示録 ではないが
   一応、調べておこう
    ゾンビって
    泳げるんだっけ

東京、京島と神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス


5月26日(火)

男は空気を恐れている
酸素はいい 人工呼吸器の管の先から
直接肺に吸い込める酸素なら
大気もいい エベレストの山頂に
かかってる薄いのでも
だが空気はだめだ 疫病すら
包みこんでしまうこの国の真綿の空気は

男は空気を憎んでいる
空(くう)になら身を捧げたいと思っているのに
この国の空気は空っぽにはほど遠く
ぎっしり気分が詰まっている
ねっとり肌に纏いつく
全員で吸っては吐き出し吐いては吸いこみ
それでいて目だけは合わせない

腫瘍は69ミリに達しているそうだ
それでも本人は気づかないものなのかと男は驚く
時間の問題ですと医師が言う
閉ざされた空間が内側から炸裂する光景を
抗体のように肚に収めて

男は空気に包まれている
こんな時こそ人々は言葉を求めています……?
言葉とウィルスの見分けがつかない
最後まで営業し続けたパチンコ屋に二拝二拍手一拝
窓際に聳えるペーパータオルの白い円柱の
表面の凹凸が翳に沈むまで
彼の手は無闇に宙を掻いている

横浜・久保山
四元康祐


5月25日(月)

師匠が鰐となるからには 弟⼦もあとを追うしかなく
27才男⼦は⻘い⼩さな蜥蜴になった

弟⼦に準備ができたとき 師は現れる
(と チベット仏教ではいわれる)
控えめで機敏な気ばたらき
いるような いないような動作⾳
そつなく掃除買い物⽫洗いする四肢は
ときどき柱の途中に貼り付いて
じっと⼀点を⾒つめている
寄席の再開が⾒通せないまま
鍛えようもない技量と度胸 埋めようもない余⽩の真ん中を

せめて五⽉晴のアスファルトを
鰐の散歩について⾏く (あ、指が腹が乾いちゃう)
いちにちごとにまだまだ陽がのびるだろうから
真打座布団までは 気が遠くなるほどの
ソーシャル ディスタンス

弟⼦に準備ができたとき 師は現れる
ヒトに準備ができぬまま コロナせんせいは現われる
今夜 緊急事態宣⾔は全⾯解除
けれど何度でも現れる 顔と名前を変えて
明るみに出したい⾃分に ヒトが⽬をつぶる限り

今年は5⽉いっぱいが⺟の⽉だそうれす
⼩さい蜥蜴は
ピンクのカーネーションを⼀輪 差し出した
それではおやすみなさい と

東京・目黒
覚 和歌子


5月24日(日)

自然がいいなんて少しも思っていなかったのに、草とりは世界を変えるよという母の言葉に習って恐ろしく生命力が強く、どんどん増殖してくキクイモを大量に抜いた。こうしないと畑の栄養を根こそぎもっていくからだ。
トマトとナスとオクラとサツマイモとゴーヤを母とともに植えた。彼女も私も連日1歳になったばかりの甥っ子の動画をよく見る。

次に会ったときは一緒に散歩ができるね
お正月に会ったときは立ったばかりだったのに

食べることが大好きな彼は
本を読んでも、おいしい
階段をのぼっても、おいしい
本当に食べるときは叫ぶように、おいしいを放つ。
遠い都市に住む彼の頬に触れる機会を2回見送ってまた新たな算段をつける、そんな未来に足をかけている。

世の中はハッシュタグでいっぱいで、春先からの刻一刻は、刻刻一刻刻という違うビートで刻まれている。おもちゃをとりあげられ、適切なスパーリングがようやくできて、足がもつれたりしているけれど、それでも青く立上がることに胸はすくし、サンドバッグにつまった濁りきった泥はもう下ろしてほしいと思う。

おうちもステイホームも
とっくのとうにいやになったから
今日のトレンドの「さよなら」で
さよなら払う裏腹な世さ
と回文を作る。

5月になってから我が家のドアの前に毎日カエルが来る。今日もその子に挨拶して、今日も立ち尽くしてしまう。そっと触れる皮膚は冷たくて骨の感触がよく分かる。無関係な小さい君が安らいでいることが喜びで、少し頭を傾けてほほえんでいるような姿をとどめようとする。

夏の皮膚を大事にしたくなって、マスクをしないという選択肢を持ってお肉をまとめ買いした。散歩もした。露わになれず出口を失ってニキビを持った肌に従う。芥川龍之介の『羅生門』に出てきた下人はニキビから手を放して少年を通過したけれど、私はニキビそのものを仕方なしとすることに倣えずに顔を覆わなかった。

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ


5月23日(土)

街に少しずつ
⾳が戻ってきた


バス
喋り声
キャッチボールの乾いた⾳
庭の⽔遣り

けっして⼤きな⾳ではないが
今の⾝体には
繊細に聴こえてくる

街は
⼩さな⽣き物のように
ゆっくりと
⼿探りで
息遣いを取り戻そうとしているのか

昔 ⽷電話をすると
あなたの声が
震えながら
⽷を通して
紙コップを通して
伝わってきたことを
思い出した

福岡・博多
石松佳


5月22日(金)

名前と顔写真を公開し暴力の手口を克明に記した
一連の騒動が起ってから3ヶ月後
死に目に会えなかったし葬儀にも出席できなかった
手作りの雑貨やアクセサリーをオンラインで売って
キャパシティをオーバーしていたから引き留める人はいなかった

もとより欠陥だらけの制度だ
みんなさして年齢が変わらない10代の少年たち
眠りたいときに眠り起きたいときに起きる
カメラはズームし口元を映し出す
くちゃくちゃと過剰に音を立ててサンドイッチを頬張り
得られた金の使途を3つに分ける

1辺の長さが20cmほどの立方体のボックスを指定の段ボールに箱詰めしていく
午前と午後で1枚ずつ使用する
「ねえ、ちょっと近くない?」
「ほら、2メートル」
入場時の検温義務もなければ席と席を隔てるパーティションもない
黒い手袋をはめた手で赤い花柄の手に触れる

致死性を跳ね上げる凶悪な変異
鳥のくちばしのようなものがついた奇妙な黒い仮面
顔面を含めた全身が完全に黒く覆われる
取引の最中で素顔から感情を読み取られるのを避けるため?
さまざまな憶測が流れたが真の理由を明らかにしない
握りこぶしほどの大きさの真紅の球体と十字状に組み合わされた木片
その二つが一本の紐でつながっている
力を加えると球は空中を回転し木片の持ち手部分で絶妙な均衡を保って静止する

脅迫的な懇願を前に断るという選択肢はない
大人数をひとつの部屋に押し込め順繰りに歌を歌わせる
連携したブースの音声と映像はモニターから確認できる
マイクに向かって宣言すると四方の壁が点滅し画面は無数に分割される

大げさな身振りで頭を抱え肩を揺さぶって問い詰める
本名を隠すためにお互いを番号で呼んだ
「きっと奴の時計が狂っていて、1時間進んでいるんだ」
忠誠心が試されているのだ

鎧のように重厚で派手なドレスに身を包んだ女
カウンターに身を乗り出してとぼけるような表情を至近距離から見つめる
店内をぐるりと見渡し威喝するような目で睨みつける
異例の速度で商用化を承認されもっともはやく市場に出た
人間の利害とは無関係に自律して存在すべきもの
起動して最初に見た人物を親だと認識する
停止させることはできない破壊するしかない

2人に帰る場所などない
外で寝るのは心細い
衣服や身体に付着したウイルスを死滅させる
「多数の研究論文によって効果が証明されています」
「専門家会議でも認められています」

巨大な球体が天井から吊り下がっている。
球体は緑色にぼんやりと光っている
それ以外の明かりはない
球体を挟んで向かい合わせに座っている
堅すぎず柔らかすぎもしない適度な弾力性のある椅子
緑色の光に照らされたお互いの顔だけが見える
人差し指を左目の下に当てる
指を下に引っ張りベロを出す
球体はゆっくりと青に変わる
やがて白くなり輝度が高まる
あなたの顔がはっきりと見える

ここまでに2万円ほど課金した
これは猫を救うための行為でもあるのだ
ベンチの両端に座る
本気の殺意がないと起動しない
小声で耳打ちする
人々は新しい生活様式に則しているかどうかを互いに監視しあい
それに反した行動をとる者を法の埒外で私刑に処す
私たちは過大な労働と移動の負荷から解放された

1階の事務所から2階の自宅へと移動する
「俺たちはどうだ? まともな人間か」
3人が一斉に手を挙げた
帰宅するなりポストにあるものを見つける
「おい、たいへんだ! 届いたぞ」
それを右手と左手に1枚ずつ持って掲げる

4人の人間がテーブルを囲んで睨みあっている
暗号めいた言葉がときおりつぶやかれる
私たちが葬り去ったはずの制度や価値観
与えられた様式を遵守するのではなく思考によって自ら決定していくこと
4人は手元のブロックを熱心に幾度も並べ直す
決死の覚悟でひとつのブロックをテーブルの上に置く

東京・調布
山田亮太


5月21日(木)

深夜に
ことばが立ち上がる

論文の直しというのはとげぬきのようなものだと思う
(1) はーい賛成
(2) 反対

どちらですか

深く呪われている
北のみずうみの底に
燃えあがる陽炎のような何かがある

どうせ自分は大したことはない
自分はじつにスゴイもんだよ
この二律背反の気迷いの中から
薬草の根っこのような
熱い本質を引っこ抜く

まずは文法がめちゃくちゃ
図表の番号がめちゃめちゃ
話の筋がどこかに行って
図の縦横があわさっていない
あきらかに入れるべきことが欠けている

表面の雑草を刈るように文法を直していく
するといま見えてくる地肌の粗さ、それを遠くからトングでつかんでこね回す
ぴたっと当てはまるとかちっと音が出るよ、ご名答
最後まで行ったら鋸でまっぷたつ
ハサミでじょきじょきとプリントアウトを切ってセロテープとホチキスで貼り合わせる
そしてコピーをとって
写メをとって
メールで転送

返ってきたらすぐにプリントアウト
ハサミで切り刻む
のりでとめる
またスキャンして
メールで送ろう

沼のように深い絶望が
身体のゆがみとなってことばの水面を泡立たせる
ついまた見落とされる全体の構成
背骨のバランスがとても悪い
錯誤、混乱
そこまで自己批判しなくていいのに
ものすごくものすごく
悲劇的な考察

それを
ひとつずつ
ご供養する
ように

のしかかられた肩の重みが
すこしずつ
楽になる
ように

在宅勤務のために買った
白い
プリンタ用紙500枚、
こうして
誰かの
とげを抜こうとして
きょうは
全部
使い終わった

東京・西荻窪
田中庸介


5月20日(水)

すーまんぼーすー
沖縄でいう
梅雨


晴れ間は
もう夏日で

市役所の前で
ヘイトスピーチをする人がいるから
そんなことはやめろ


カウンターがあると聞いて
ひさしぶりに町に出かけた

カウンターに集まった
人がいて

慣れないまま
辺りに
立っていると

いつもなら
もう来てるはず
というヘイトスピーチの
人が現われない

まま
時間が過ぎて
おひらきになった

ぼうっと
する
家に帰って
まだ

外の日を
ひさしぶりに浴びた

まま
立っていたせい
肌が日に赤くなっている

人は
いる

のに
いない
人は

いない
のだろうか

実体が
ないものを
憎しみとして
抱え込むのは
空洞をこころに
抱え込むようなもの

誰かを差別したい
という気持ちの
今日の昼のやり場のなさに

そのまま
つゆと消えればいいのに
そしたら
まただんだんと

ひなたに立って
家に帰って
ぼうっとするくらいには

人になれるし
戻れる

うちに

*カウンター…人種差別などのヘイトスピーチに対抗する行動

沖縄・那覇
白井明大


5月19日(火)

ねむれない日々が定着し
ぼくはずっと怒っている
ぼくはずっと不安のなかにいる

旅にでられなくって
レーズンやキウイで
酵母をつくって
パンを焼いていて
これはわたしの身体です
これを受けて食べなさい

見送られたものは
いつまで見送られるのか
手をふって
笑顔で見送るのか

ぷつんと糸がきれた四肢が
宙ぶらりんになって落下する

そう、昨夜の話。スーパーマーケットからの
帰り道に、痩せこけたキタキツネに出会った
でも、野生のいきものに食物を渡せないので
いつか人類全員でみごろしにするのかなって。

わたしの身体を受けて食べてほしい
キビタキのさえずりで満たされていく
今日は月に一度の古紙回収だった

北海道・札幌
三角みづ紀


5月18日(月)

雨が

降る
前に

モコと散歩にいった

夕方
近所を歩いてきた

大風が近づいているのだという

帰ると

TVニュースで
検察庁法案 今国会見送りという

この国の首相が
誠実に国民に説明を尽くすと言っている

わたし
今日

チェット・ベイカーを聴いてた

Almost Blue を聴いてた

Almost
Almost

Almost
Blue

チェット・ベイカーが歌っている

ほとんど
ほとんど

ほとんど
ブルー

そう 歌っている

今日
仕事はなかった

Almost Blue を聴いてた

布マスクが届いていない

静岡・用宗
さとう三千魚


5月17日(日)

スーパーもガーデニングショップも
ほんとうに大勢のにぎわいで
大気は理想的にここちよく
何かの間違いではないかと思うくらい
すべては健康的だ

高一の娘に
夏服が届いた
まだ入学の制服も着ていないのに
長男は毎日のように
自転車で遠乗りに出かけていく
巣篭もりが平気な次男は
もうすぐ学校がはじまるといって
ため息をつく

家族は
猫ばかりなでている

ニューノーマルという言葉は
古くも新しくも感じる
名刺の束に
つよい違和感がある

東京・世田谷
松田朋春


5月16日(土)

「5月16日/しばたさん えびすリキッドルーム/・ハーヴィン・アンダーソン@ラットホール/・白髪一雄@ファーガスマカフリー/・河鐘賢(ハ・ジョンヒョン)@BLUM&POE/・塩見允枝子+植松琢磨@ユミコチバアソシエイツ/・松崎友哉、長沼基樹、大野陽生@ハギワラプロジェクツ」と書かれている、原文は手書き文字、去年の手帳である。表参道でラットホールギャラリーとファーガスマカフリーの展示みて、てくてく歩いて原宿へ、駅前のBLUM&POEに寄って、JRの竹下口から山手線に乗って新宿へ、新宿駅から都庁方面へ新宿中央公園を抜けて、てくてく歩いてって公園前のユミコチバアソシエイツで展示みて、塩見允枝子さんの作品集買って、そこから初台のほうへあと5分くらい歩いてハギワラプロジェクツへ。ハギワラさんとすこしお話しして、わたしのつぎの打ち合わせの時間がせまっててあわててとびだして、オペラシティを小走りでかけぬけてって初台駅で電車に乗った。

オペラシティを小走りでかけていく。2020年2月28日のこと。打ち合わせが14時から渋谷で、それまでに谷中と初台の展示を見たい。もうあとがない。スカイザバスハウスが開廊するのが12時、スカイザバスハウスから初台まで駅までの徒歩を含めて50分くらい。逆算していく。まず11時50分に根津駅に着くようにして(なので、11時20分くらいに家を出て)、根津駅ホームからスカイザバスハウスまで徒歩、というか小走りで10分、スカイザバスハウスに10分、スカイザバスハウスからオペラシティまで徒歩(小走り)と電車とあわせて50分、となると、初台での滞在時間がおよそ35分間、ICCの青柳菜摘さんの展示(数回目、見納め)15分、企画展(「開かれた可能性―ノンリニアな未来の想像と創造」)15分、初台駅ホームからICCへの移動に往復計5分。初台駅から渋谷の打ち合わせ場所まで20分。これで待ち合わせ5分前に着く。オペラシティアートギャラリーの白髪一雄展は、後日。おそらくまもなく臨時休館になるけど、まだあと会期残り3週間あるから、きっと再開されるはず、と考えつつ、オペラシティアートギャラリーのエントランスを横目に見つつ、駅へと急ぐ、予定の電車の発車時刻まであとおよそ1分半。

…と、だいたいいつもこんな感じで時間があるとき隙間を埋め尽くすように、分刻みで駆けまわっていたので、いまあらゆる展示が閉まっていて正直ほっとしている自分もいて、その癖して、結局そのまま再開されることなく会期が早期終了となってしまった白髪一雄展の図録をポチる、開会3日で閉まってしまったままの近美のピーター・ドイグ展の図録をポチる、まだ展示が始まらない現美のオラファー・エリアソン展の図録をポチる、…まではまだ良いとして、勢いあまって、過去に訪れた展示の、そのとき完売になっていたか、重たかったか、もち合わせがなかったかで買いそびれててずっと気になっていた図録たちまで、さかのぼってポチりはじめる。2010年Bunkamuraザ・ミュージアムのタマラ・ド・レンピッカをポチる、2011年ブリヂストン美のアンフォルメルをポチる、2012年新美のセザンヌをポチる、2013年都美のターナーをポチる、2014年西洋美のホドラーをポチる、…などなど。

いまフアン・グリスの、何点かの図版のページを机の横にて開かれている(手もとにある図録だと、・ノルトライン=ヴェストファーレン展に1点 ・デトロイト美展に1点 ・フィリップス・コレクション展に1点 ・コルビュジエのピュリスム展に8点 ・アーティゾンの開館記念展に1点)、かれはキュビスムにおいてピカソ、ブラックに続く「3人目の画家」と呼ばれていた、とのこと、3人目でもじゅうぶんに名誉なことであるが、しかし「3人目」ということばの廻りに漂うそこはかとない哀愁があり、また比較的若くして亡くなってしまった(1927年5月11日に、40歳で)こともあり、それはさておき作品において、ピカソのブラックのキュビスム絵画のおおむねくすんだ沈んだ色彩にたいして、フアン・グリスのキュビスム絵画は明朗なあざやかな色彩で、また木目のテクスチャの描き方など繊細に具象で、分断されたレタリングやら壜やら楽器やらはどこか愛らしく、全体としての抽象とそれら具象のディテールとのバランスが絶妙に素晴らしく、先ずぱっと見に目に心地よく、かつよく見るとキュビスムらしい実験も試みられていつつ、目を彷徨させられつつ悦ばせられつつ、ピカソのブラックの「やったるで」感が希薄であるぶん、ある種の余裕や優雅さが感じられる、「3人目」ならではの強みが魅力があるとおもう。しかし、

   いつまでつづくのフアン・グリス
   心労でふえてしまうよ白髪一雄
   されどパンデミックはタマラ・ド・レンピッカ
   ひととの距離をジョージア・オキーフ
   まちにはだれもオラファー・エリアソン

夜、恵比寿リキッドルームで柴田聡子inFIREのライブをみる。たくさんのひと、すごい熱気。昼間、表参道へ行く前に銀座線銀座駅でいったん降りて、駅前の和菓子屋あけぼの(芹沢銈介がパッケージをデザインしている)で買った、トートのなかの「銀座メロン」(今回のツアーアルバムの中の一曲「東京メロンウィーク」にちなんで)がつぶれないか心配。こみあった電車のなかでも心配していた、ずっと心配している。この日のライブはあとでライブアルバムになって、あれはスパイラルでクリスマスのころに柴田さんがトーク&ライブをした(いま、手帳で確認すると2019年12月6日20時~)、そのすこしまえにリリースされたのだった(いま、Spotifyで確認すると2019年10月23日)。

「じぶんがそこに居たライブのライブ盤を聴いてると、映画『魔女の宅急便』のいちばんおしまいのあたりで、キキにデッキブラシを貸したおじさんみたいなきもちになります。」
「やめてよバーサ。までも目に浮かびます。」

カラーテレビの中の白黒テレビで大群衆が大歓声を上げている。……

   いつまでつづくのこのキキは
   やめてよバーサ
   あのデッキブラシはワシがかしたんだぞ
   かしましいニュースがウルスラ
   やめてよバーサ
   いつまでつづくのこのジジは
   かしましいニュースがトンボ
   あのデッキブラシはワシがかしたんだぞ
   やめてよバーサ

「 落ち込むこともあるけれど
  私、この町が好きです 」

こもってるあいだに今年のたんぽぽが綿毛になって飛んでってしまった。

いつも行くばら苑のばらが刈られてしまった。

ふじの花が落っこちてしまった。

てっせんが枯れてしまった。

あじさいが色づきはじめてしまった。

くちなしが薫りはじめてしまった。

*ジブリ映画『魔女の宅急便』より引用・参照箇所あり

東京・深川
カニエ・ナハ


5月15日(金)

どうして欧米でそれは疎んじられたのか。
カタカナ語がないからさ。
オペラ座の怪人の仮面も
どろぼうの覆面も
ぜんぶ maskだもの、
かけたくなかったんだよねぇ、マスクだって。

どうしてこの島でおかみのそれはつまずくのか。
じつは仮面だからさ。
おまつりのお面も
にんじゃの覆面も
じぶんの キモチだもの、
かけたくないよねぇ、アベノマスクなんて。

お能に
癋見(べしみ)という面があるんだって。
口を固くむすんで何も言わない仮面だって。
折口信夫によると
それは、しじまの面、
かみに従わない沈黙の精霊の顔。

  ねぇ、
 ねぇ、
god(神)も、ruler(支配者)も
ひとしく「(お)かみ」と呼んじゃったニッポンの土俗感覚、
えらい と思わない?
何も言わせない覆面なんか
もらいたくないさ、
おかみさまに

じぶんでマスクする、
       わたしたちは
手作りで、闇市で、ネットオークションで
  宅急便のおじさんも、
 なわとびしてるよっちゃんも、
陣痛がはじまったおかあさんも、
マスクをしている
せかいじゅうの
おどろく数が、

演じてる、
仮面をつけて
その精霊を、

へのへのもへじ、
胸のうちは。

神奈川・横浜
新井高子


5月14日(木)

昼も夜も
お互いに距離を保ったまま
ネットでつながった部屋が
無数の星のように浮かぶ
街の片隅で

二か月前までは
近くの学校の蔦の壁に沿って
緑の小道を抜け
ピアノの教室に向かっていた子は
今日も どこにも出かけずにパソコンをひらき
オンラインのレッスンを受けはじめる

先生のなめらかな指の動きから
ときどき すこし遅れて 音が届く
その響きは
水中で聞く 浜辺のかすかな歓声のようで
歩いて十分ほどの教室が
どこか遠い外国に思えてくる

今日いちにちのあいだに
パソコンのマイクが拾わなかった ちいさな声と
メールの文字にならなかった ことばは
誰にも どこにも 届かないまま
どんな夜の水底へと沈んでゆくのだろう

ピアノのレッスンのあと 半袖の子は
窓からの風がもう冷たくないことに気づく
とくにいまは 夕方を過ぎると
外の通りから 人の気配が消えるから
ふたりでベランダに 折りたたみのテーブルと椅子を出した

空の薄いみずのいろが 菫のいろに染まりはじめたとき
あ、いちばんぼし、と はしゃいだ声があがり
テーブルのうえの蝋燭が揺れた

たしかな音にも
ことばにもまだならない
ほんのちいさな炎の あたたかい息が
それぞれに切り離された
夜の水底から水底へと渡るように
誰にも聞こえないまま
すこしだけ遠くへ 流れていった

東京・杉並
峯澤典子


5月13日(水)

午前のニュースから聞こえてきた
銀座というのが崖の名前に思えてくる

そこへ行けないことはわかっている
でも、なんで行けないんだっけ

一番可能性が濃いのはそれがもう失くなってしまったから
通り過ぎた信号の色みたいに、そう点滅する
それとも銀座とは
アトランティスとかパンゲアとか
宝の在り処を×で記した
だれにも解読されない
端のめくれた茶色い地図にしかない場所なんだったっけ

ううん、それはあるんだけど
今日もにぎわって、明るく平らな
ガラスのように澄んだ几帳面な四角い灰色の敷石を
靴がいそがしく渡ってゆくのだけど
こことは時空が違うのです
だからわたしは行けないんです

ほんとはもうないんでしょ
もう世界は全部崖の名前になってしまって
パラレル宇宙の任意の時代と場所の
博物館のガラスケースに収まってしまったんでしょ
今年はやけに葉が茂ってお化け楓みたいになった
楓のそよぐ
ここしか
もうほんとうは世界ってないんでしょ

千葉・市川
柏木麻里


5月12日(火)

平穏
万年床に寝そべり
セスナ機のエンジン音を遠くに聞いて
幽囚の光の中
言葉の一切は断たれ
行く先のすべては
打ち捨てられている

新緑はしずかに萌え
カタカナの海で
音もなく声もなく
おぼれてゆく
ものたちの
平穏

おだやかなひのひかり

東京・小平
田野倉康一


5月11日(月)

渋谷区の防災放送が聞こえる
連休中ずっと午前と午後に1回ずつ聞いていたから
幻聴かもしれない
教科書を読んでいる女の子みたいな声で
トウキョウトの緊急じたいセンゲンという音が
空の耳にぼんやり滲んで広がって
英語でも繰り返し
ぷりーずステイホーム
頭の中に聞こえるけれど
エッセンシャルな買い物だよと言い訳して
外へ出ればちゃっかりスーパーを越え先へと歩く
通り抜けた商店街のあちこち
雑貨屋の軒先やシャッターを閉めた店の脇で
お祭りの屋台に並べるみたいにマスクが売られている
最初に見かけたとき50枚3500円だった箱が
2300円になった
ドラッグストアやスーパーじゃないところにいるのを
野良マスクと頭の中で勝手に呼んでいる
ツイッターで誰かがそう呼んだのを見たのだったかも
ことばは感染する
野良は増える
布マスク2枚はこないだ届いた
配布はまだほんのわずからしいから幻かもしれない
使う気にも捨てる気にもなれなくて
とりあえずテーブルに置いたまま
今日は晴れ
3月末から頻繁に低空をゆくようになった飛行機が
また頭上近くの青空を横切って
落ちてきそうに
きれい
交差点のビルの壁面には
外出の自粛をうったえる都知事の女性の巨大な映像
ディストピアSFのなかにいるみたいだなっておもう
それならきっとわたしは次のシーンで
爆撃かゾンビに襲われるかして倒れ
あっけなく死んでいくモブキャラだ
でもこれは現実なので
とりあえずまだ生きている
タイトルは知らない
帰宅するとテーブルの端に
白々と2枚の布マスクが
余白のような光を集めている

東京・神宮前
川口晴美


5月10日(日)

「そんなことするんだ」
ことばにすれば、そんな感じです。

奥さんが看護師さんの、会社員の男性が
上司に言われたそうです。
「きみが会社を休むか、奥さんが辞めるか」

自粛警察なるものが町に出現したそうです。
他県ナンバーの車には疵がつけられました。
自粛しない(本当は規定を守って自粛営業
していた)店には石が投げ込まれました。

全国に非常事態宣言が出てから
(そんなものでるんだ)
人間に異常事態現象が起きています。
(そんなことするんだ)

「隣り組がいちばんこわい」
戦時中のひとの言葉です。
「痴漢より正義感がこわい」
今日のわたしの言葉です。

もうひとつ。

#検察庁法改正案に抗議します、という
ハッシュタグのツイートが火の付いたように
ひろがって、瞬く間にトレンド入りしました。
(反対します、でなく、抗議します、がたぶん吉)

そのあとに又怪奇現象です。200万ツイート数
あたりから
眼の前で見る見るツイート数が減り始めたのです。

大急ぎで、月が欠けるみたいに。
「そんなことするんだ」

「だれもしろとは、いってない」
(いつも、これだが)

月が欠けても、(あのね)
お天道様が見ているよ。

埼玉・飯能
宮尾節子


5月9日(土)

昼食を買いに外へ出ると、向かいのアパートの駐車場で、女の人が電話をしながらしずかに泣いていた。会話もなく、ときどき鼻をすすって、向こうの言葉を噛みしめるようにちいさくうなずいている。見ないふりをして通りすぎながら、あれは人が死んだときの泣き方だと、わけもなく納得していた自分におどろく。当時は祖母の一周忌と重なって、そういう目でものを見るようになっていたのかもしれない。ちょうど去年の今ぐらいの時期で、年号が変わる前のことだった。
午前中は洗濯と爪切り。先日は排水溝が詰まり、水の問題に悩まされたものの、今回は滞りなく終わる。足の爪からにおいが消えていた。やり残した仕事を進めた結果、資料の体裁が崩れはじめたので、部屋の掃除に移行する。すこし前になくしていたスマートウォッチが見つかり、身体のデジタル化に取り組む。体温(36.3)と合わせて脈拍(72)や血圧(126-66)、呼吸数(19)を計測し、同期に報告。体温から今日の感染者数(東京都、36人)を引くと0.3になるね、といわれる。全部足すと289.3-229.3(253.3-193.3)になる。
瓦礫が取り除かれて、まっしろな更地の上に基礎が組み上がり、いくつもの細い棒に支えられながら、あたらしい家のかたちが浮かび上がってくる。実家から、裏山に生えていたもみの木の画像が届いた。建て替えのついでに切り倒す話になったという。裏山の木のなかでもいちばん背が高く、おそらく家が建つ前からそこにいて、枝から枝へ、たくさんの鳥が鳴きながら飛び移っていた。もみの木は元気そうに見えて、内側が空洞になりやすく、すこしの衝撃でも倒れる可能性がある。暗闇のなかで広がっていく、空っぽの幹の内側について考えた。小さい頃に閉じ込められた蔵のなかを思い浮かべる。耳をすませると、居間のテレビから楽しそうな声がときどき聞こえた。
クレーン車を使うのにちょうどいい場所がなかったので、根本から一気に切ることにした。まわりに酒と塩をまいて、業者の人がチェーンソーの電源を入れると、刃が踊るように回りはじめる。しばらくして、あたりの杉の枝がバラバラと音を立てて散らばり、空が明るくなった。草の上に開かれた木の断面には、幹のかたちを鏡のように写した年輪が、ぎっしりと詰め込まれていた。

東京都・高田馬場
鈴木一平


5月8日(金)

日焼け止めとマスクで過ごした2週間の後に
今朝、ひさびさに化粧をした。
これが正解なのか、わからないまま
わずかな粉と液体で毛穴を埋めて
投げやりに口角を上げる。
頬と共に持ち上がるベージュピンクが
ぽってりと重い。
(今までよく、こんなことをして暮らしていたな)
素朴なつぶやきが口をついて出る。

肌をうっすら窒息させ、
微笑みながら社会へ潜っていく。
お化粧は、不要不急ですか。
しようがしまいが、わたしの勝手でしょうか。
けれど、うっかり溺れてしまうことのないように
「必要」と「急務」をしずかに飲み込んできた。
今まで、こんなことをして暮らしてきた。

立て続けに3件のSkypeやZOOM打ち合わせ。
2件目の後、珈琲を淹れていると、
カーテンの仕切り越しに
よそいきの声ひさびさに聞いた、という指摘。
「よそいき」をしまっていたのだ。
化粧ポーチにクローゼット、声帯の奥から
わたしの「よそいき」を取り出して埃を払う。
リップクリームもすっかり欠けはじめていて
ご無沙汰だった「よそいき」の自分に戸惑っている。

カーテンの仕切りの奥から まだ
「よそいき」の声は響きつづけている。
窓のない台所で わたしは
アジの開きと目玉焼きを二つ焼いて
黄身が崩れなかった方にラップをかけた。

わたしたち、オンライン会議まみれの(非)日常で
「よそいき」を脱げない誰かのために
ふわりとラップをかけてあげる。

東京
文月悠光


5月7日(木)

高校一年生のときに読んだカール・セーガンの本のおかげで、プトレマイオスのイメージはずいぶんひどいものになってしまった。プトレマイオスは占星術の親玉であり、彼の悪影響によって地動説という科学的推論が広まるさまたげとなり、人はいまだに星占いを信じている、そんなことをカール・セーガンが書いていたかどうかはまったくさだかでないけれども、その後二十年以上、私はプトレマイオスという人についてこれ以上の事柄を知らなかったし、ヤフーのデイリー占いでさそり座が十二位だとがっかりする人生をおくっている。
一年前に思うところあって地図に関する歴史を調べた。驚いたことに、最初にプトレマイオスに再会したのである。ここに登場するプトレマイオスは二十年以上にわたり私が抱いていた非科学的な印象とは真逆の人であり、地図製作に科学的方法を導入した人物として、しかし実際のところ実像はほとんどわかっていない人物として紹介されていた。実像がほとんどわかっていないにもかかわらず千年単位で影響できるというのはいったいどういうからくりなのか。
ともあれこれは、星占いをチェックする時はヤフー占いだけでなく、めざましテレビや京王線八幡山駅からみえる電光掲示板も比較検討すべし、という事実をあらためて思い出させる出来事だった。朝の京王線に乗るときは各駅停車をえらび、かつ車両を注意ぶかく選択しなければならない。すると八幡山駅で特急通過を待つあいだ、窓のすぐ外の電光掲示板でデイリー占いを確認できるのだ。しかし私は三年以上朝の電車に乗っていないから、この知識もプトレマイオス同様まちがっている可能性は高い。知識はアップデートするべきものだ。正体のわからないウイルスのようなものはなおさらで、幸いCovid-19は頻繁にこのことを思い出させてくれる。ウイルスの変異を時間経過で示したうつくしいグラフとGIFアニメ、赤いドットの散った感染者マップを眺めながら、今年の三月に買った地政学地図が今後数年で書き換えられるのを予想する。

東京・つつじヶ丘
河野聡子


5月6日(水)

今日という日が終らない
明日はどうすれば始まるのか
手を洗っても洗っても拭えない汚れがあり  
蛇口から流れつづける今日という一日が
ずっと水飴状に透明な均質さで引き延ばされていく
夜の息苦しさの底でわたしはかすかに発光している

洗っても洗っても夢は汚されていった
溺れるように今日の渦に耐えていたが誰の夢なのかは分かりはしない
今日もいくつかのドラマで何人かの人が殺された
何人かの犯人がいて何人かのわたしが目撃した
何人かのわたしが今日も何人かのわたしを殺めると
それは輪郭を失ってまた最初から始まるのだった

肺呼吸がすたれていってタバコから煙がのぼらなくなった
陸に這いあがって進化の過程に入っていたがまだ夜だった
絶滅した男たちの細かな癖に気づいていたのはわたしだけかもしれない
右の人差し指で顎のあたりを掻く何気なく
この仕草をわたしは今日何度となく繰り返していた
その手は汚れている洗わなくては

夜明の時刻になっても
それから30分過ぎても
ついに夜は明けなかった

福岡市薬院
渡辺玄英


5月5日(火)

ひと月におさまらない忍従
それでも私たちは
弛緩した生をやめない
労りは営みに敗北し続ける
かぞえられた死は
数でしかなく
意識させられる空虚を
ひとびとは批評でばかりうずめて
自身のためにしか泣けない
わたしたちの上を
季節が古(ふ)り去ってゆく
そうして繰りかえし
たどりかえす悔いを
予見しながら模してゆく
あなたが
言葉などをしる前に
算数などをおぼえる前に
樹がくれのしたに
微笑とともに隠した
ちいさな手のひらに
あの日たしかに受け取った
ひどく単純で変わらない
千年まえの祈りが
まあたらしい節句に呼ばれ
きょう
子らにひとしく
おとずれる

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹


5月4日(月)

Zoomのどこでも窓を通して
家内修羅場、
ドメスティックサーカス、
無人島へズームイン
デジタル背景で
 場所の意味を消そうとする駒たちと
   会議のチェスボードで
I’m unraveling
––fine—
I’m Time/
traveling

去年の季語は
 夏の肌
ムダ毛
キレイ
ワキ汗対策

今年の季語は
  ない。空っぽな広告の枠

俳句、零時、h i c r a z y

 ラン乱イラン欄違乱いらん、蘭
  選船千線専戦せんといて
   チョー長朝町長蝶々よ、超
    孝行高校や航行煌煌
     1湾1ワンワン1腕,、no one won、no王

耳と耳を
ずっとつけ続けているヘッドフォンから
解放させないと
次第に大きくなってきた音は
サイレンなのか、ほぼ静かになった一日の残影なのか、
区別できない。

上記の断片に希望の小雨をぱらつく
医療と薬学が脱線してゆく糸に辿り、
何と
水星では「一日」は
地球の58.6日だそう…

東京・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス


5月3日(日)

他のみんなが日記をつけてくれるので
僕は安心して
日々の網目をすり抜けてゆく極微の切れ端にかまっていられる

母の眼の縁ぎりぎりに
ステロイドの軟膏を擦りこむ指の腹の感触や
腹部エコー検査報告書に印刷された
父の胆管の艶やかに濡れたモノクロームの光沢なんかに

交番の入口の「本日の交通事故」によれば
昨日県下で死亡したのは一名
こんな時に交通事故で死ぬなんて間が抜けていると思うけど
それを言うならすべての死は底が抜けていて
死を数えあげる生こそ愚の骨頂

見えないジャイアント・パンダに引かれて
横断歩道を渡ってゆけば
王様ペンギンを二羽連ねたあの子が目だけ光らせて立っている
社会的距離とやらに隔てられると
なんだかいつもよりも色っぽく見えてくるのが不思議

みんなが生き延びることに必死でいてくれるので
僕は安心して
日々の連なりからはみ出てしまう巨大なものを眺めていられる

隣の婆さんがついにホームへ引っ越す朝がやってきて
軽トラックが坂の下へと沈んでいった
その後にぽかーんと残された
空の青さなんかを

横浜にて
四元康祐


5月2日(土)

玄関先の切り火がいらなくなってひと月
夫はすっかり鰐である
好物のKindleを前足で支え 
ふとんの奥に日がないちにち充実している

胴のかたちを巣穴に残して
鰐は時どきいなくなる
今朝は上がり框に かしいで わだかまっていた
振り向いてイッテキマスを
言いたいのだね

平たい尻尾を かかとでずずずと送り出す
緑の多い日陰を選んで歩くんだよ
子どもが近寄ってきたら敷石にまぎれてね
クール便です 宅配のお兄さんが引戸の前で後ずさる

熊本産の早生西瓜は陶然と甘く
先割れスプーンをひるがえすうちに
「トレインスポッティング」93分が終わっていた
西瓜の残りを切り分けたら
友だちを廻って配ってこようか
時分どきが来る前に

引戸を開けると
隣家の生垣の終わるあたりに
平たい尻尾がまだあった

東京・目黒
覚 和歌子


5月1日(金)

元気ですかと尋ねて
元気ですと聞いても
重みを持ってしまうのは私の視線で
人の声は砂のように溜まるのに
人の視線は岩のように積まれていくことを知った

私が変わったことなんか
毎日飲むコーヒーが
もっといい豆に変わって
コーヒーの味なんか分からないのに
多分美味しくなったんだろうなぐらいのことで

それでも緑を
迫りくる緑を
のみこもうとするだけ
はじいてしまうようで

思うままにすることの
何を思いたいのか分からないまま負荷をかけ
背中を骨に張り付けて
太ももの水を抜いていく

4月から様子見をしていた蚊も
いよいよもって血を吸うようになった

症状として下痢発熱。
喉の違和感がたまに。
37度を越えると発汗。
味覚と嗅覚は今のとこ平気。
あなたも気を付けて。

便りから6日目
上下する熱を過ぎても
君は部屋から出られないまま
新しく届いた椅子を組めないでいる

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ


4月30日(木)

昨夜、クラシック・ギターの弦を張り替えた
十年近く前に買って
少しだけ弾いて
すぐに飽きて
それから
ずっと部屋に置いていたものだ
ずっと部屋にいるのだから
今夜
また弾いてもいいと思えた

子どもの頃は毎日弾いていた曲
今弾くと
喪失しているはずなのに
指が憶えているということがある

記憶とは
指から伝わる感覚のことではないか
この季節に触れ
わたしは
何を忘れ
何を憶えているのだろうか

福岡・博多
石松佳


4月29日(水)

熱海に行ったのだった。
海外からの観光客のすっかりいなくなった静かな街をゲストハウスのスタッフと歩いて、いつまで続くかわからないけれど、ゴールデンウィークは厳しいでしょうね、でもほらインバウンドは難しくても国内旅行なら

ロシアに行くはずだった。
ウラジオストクからハバロフスクまでシベリア鉄道で移動する、仕事以外で海を渡ったことのない私が初めて計画した海外旅行に備えて、ガイドブックを買って、キリル文字の読み方を勉強して、今回のツアーは催行されない感じでしょうか、先行きが不透明なところかと思いますが、この時期の海外渡航に不安も感じており

家にいろ。
元通りのにぎわいも落ち着いたころもいつかやってくる保証はない。
できるだけ多くの怒りと疑いを心にたくわえ、私は家にいろ。

東京・調布
山田亮太


4月28日(火)

自宅待機して自分と向き合う
それには
To-Doリストが良いよ、スマートフォンに記入すると
パソコンでも見られます、予定表ともリンクできます、ウェビナーも立ち上がります
Things to do
それもこれもあれもやりたい
やるべきであろうことを
毎時毎時に切れ間なく書き込む
Things to do
が15項目に積み上がる

15時間働いても終わらないよ
終電もないから
誰にも歯止めがかけられない
封鎖されたキャンパスからZoomの講義を発信する
掲示板とウェブチャットで双方向コミュニケーション
はいどうぞ
Zoomで簡単に盛り上がるリアルタイムアンケート
それから瞬時に採点される小テスト
はいどうぞ

申し込んであったドイツの光学ウェビナーが自動で立ち上がる
申し込んであった雲仙のエコウェビナーが自動で立ち上がる
封鎖された
その学園都市の本社
朝の光
あの奥の部屋のあの顕微鏡装置のあの白い大きな蓋があいて
ヤッホウ
なじみ深い
ミラーやフィルターやパルスレーザーやシャッター
それらが
リアルタイムで
画面いっぱいに顔を出す

雲仙では
奥津さんのおくさんが
土用のときには緑茶とうめぼし
そしてゴボウ
遠くの部屋にある遠くの機械の内臓部分
すべてが一つになっているソフトウェア
そして遠く遠く
甘いものは控えめにしましょう
あなた自身のために
どうか
血を

攻撃してくるウイルス、能力不足、そしてあれもこれもの〆切
とつぜんZoomは落ちて瞬時に学生にホスト権限を奪われてしまう
ログインできないトラブル、いつまでも終わらぬセッション
すべては煙のように
Spotifyでジャズをきこう
もう誰も起きていない
もう誰にも奉仕したくない
もう誰のためでもなくて
深夜の
ちいさな
自分に戻る
セッション

東京、西荻窪
田中庸介


4月27日(月)

島では
おやつが
一日二回あって

じゅうじちゃーと
さんじちゃー
、ていう

ちゃー は
お茶のこと
十時のお茶と
三時のお茶

いま
午後三時で

昨日
消毒用のアルコール代わりになる
六十五度の泡盛を
蔵元の直売所で買った
帰りにジミーに寄ったとき
君が見つけた
イギリスのチョコウエハースを

袋から出して
さんじちゃーにしよう
、てしたら

お父さんはそれでおわりね 、て
隣りで見てる
うたに言われた

全部で六つ入ってて
昨日の夜に一こ食べて
いままた一こ食べるから
あとは
お母さんと
わたしのぶん

うたには
トッポも
コアラのマーチもあるのに
それはそれ
これは三人で三等分、て

なんだか腑におちない
お菓子の法則を
指折り数えるてのひらに乗せて
うたが自分のぶんのウエハースと
コアラのマーチを
持ってったあと

テーブルの上には
ふたの開いた
空箱がぽっかり置かれたまま

沖縄・那覇
白井明大


4月26日(日)

朝焼けが まぶしい大安の日
病院から電話がかかってくる

六時間後に亡くなって
うつくしい顔をしている
血のつながっていない彼
ちいさなお葬式の支度をする

お線香の香りを絶やさないよう
そばに座ってぼうっとしていた

白い布のしたで
もう呼吸はないから
微動だにしない
ひどく喉が渇く部屋にて
ちっとも減らない数を
毎日、かぞえているけれど
おじいちゃんは老衰で死んだので
かぞえられない数だ

砂糖菓子みたいな骨を
やけどしないように拾う
いのちが小さい箱におさまって

死後の世界が
あっても なくても
かまわない

北海道・札幌
三角みづ紀


4月25日(土)

昼前

マスクをして

女と
スーパーに行った

野菜と肉と白子と若布とお煎餅と
お稲荷さんと

買った

ホワイトホースも買った

スーパーに
マスクをした人たちはいた

花屋で

白い花の紫陽花の鉢植えを買った

お稲荷さんと
紫陽花は

義母の仏前に供えた

もう母の日か

午後から
英会話のレッスンをして

夕方
犬のモコを連れて散歩した

風が強かった

外は
まだ明るかった

近所の橋本さんの奥さんと立ち話をした
今日も風が強いわね

言われた

わが家に布マスクはまだ届いていない
西の山に日は落ちた

山が

濃く青い

静岡・用宗
さとう三千魚


4月24日(金)

陽が差し込んでいる
酷く、陽が差し込んでいる
書斎の
しずかなしずかなレンゴクで
世界は一度、漂白される

もし
詩人であることが事故だというのなら
今ほど詩人があふれた時はない
すでに
あらゆる人とのあいだに
はてしない距離を
抱える者を詩人と呼ぶのであれば

杉並区都市整備部狭あい道路整備課狭あい道路係ヒラ
田野倉康一は本日、勤務日である
二分の一出勤で昨日は自宅待機
今はシートを張ったカウンターの横で
測量屋さんや不動産屋さんと
図面を囲んで濃厚接触
「こんなときに役所まで来いと言うのか」
となじられながら
でも人の財産にかかわることですから、と
今日も濃厚接触はつづくよ

杉並の街にこんなに猫が多かったとは
やっと出られた現場調査で
人よりもたくさんの猫と話す

詩人であり詩人でないものは、僕は
きはくになっていく空気のなかで
一向に減らない厖大な距離を
ただ、もてあましても
いる

東京・小平
田野倉康一


4月23日(木)

夜中の3時ごろ起き出して散歩にでる、マンションのエレベーターが1階でひらくとふいに、懐かしいにおいがかすかに鼻先をかすめて、えっと、これは、あの、しろい、あの花のにおいのほそい糸を、たぐるように誰もいないまちを、2、3分あるいていくと、ビルとビルとにはさまれた、ほそながい、ちいさな公園の入り口の、黄色い「円」の字型のバーのかたわらの足もとの右がわのところ、闇のなか街灯に照らされて、白く浮かび上がっている、ジャスミンの花が、

セブンイレブンのにおいのしないセブンイレブンで、外国人の店員さんに、紙パックの牛乳1本買うのにバックヤードからわざわざ出てきてもらうの申しわけないな、ごめんなさい、とおもいながら、透明のアクリル板とマスクとで二重に隔てられていて、アクリル板が灯りを反射して顔がてらてらと光っていてよく見えない、いつもよりもより隔てられてしまった気がする、どこの国から来て、どうしてこのまちで深夜にコンビニで働いてますか、ひるまはなにしてますか、きいてみたい、きっかけがない、てか日本語とっても上手ですね、おつりがないようにぴったりわたす、ありがとうございます、ごめんなさい、

おめでとうございます、今日お誕生日だった森山直太朗さんの5、6年前の曲に「コンビニの趙さん」があり、昔から愛聴している。2、3年前スパイラルで詩の朗読というかパフォーマンスのイベントを、(直太朗さんの協同制作者で、詩人の)御徒町凧さんがされたときに、打ち上げにもぐりこんで、どのアルバムもだけどとりわけ「レア・トラックス」というアルバムが、その歌詞たちである詩たちがいかに素晴らしく、わたしが感銘を影響を受けたかということをお酒のいきおいも手つだって熱っぽく、わたしは御徒町さんに語ったのだった、目の前のひとのシャツのボタンが取れかかっていて気になる、ほぼただそのことだけをうたった「取れそうなボタン」とか、いつものカフェの隅っこで店員さんが食べてるまかないが気になって食べたくなってしかたないことをうたった「まかないが食べたい」とかの素晴らしさについて。昔、一時期「直ちゃん倶楽部」に入っていて、コンサートにも通っていたのだった、その日はじめて会った、要するにただのファンであるわたしに気さくに話しかけてくれた御徒町さんやさしかったなあ、うれしかったなあ、

昨日の朝ドラで、直太朗さん演じる音楽教師が、主人公が内密にと云った、国際作曲コンクールで受賞したことを、またたくまにもらしてしまう、もらさないと話がすすまないので、誰かがこの役目をになわねばならなかった、しかたなかった、つまりは取れそうなボタンだった、そんなことをおもっているあいだもずっとその物語が流れるテレビ画面には右90度に倒されたL字型にニュースの文字が流れ続けていて気になる。朝の7時半から、あるいは夜の23時からやってるBSでの放送で見ればそのL字型はないのだけど、家の前におおきな樹木がある、雨がふるとその樹木の葉っぱが垂れこめて、葉っぱの角度が変わり、それがBSのパラボラアンテナに影響して、画面にあたかも葉っぱそのもののように、モザイク模様が現れる。風が吹くと、葉っぱが揺れ、画面のモザイク模様も揺れる。ときどき、ベランダにでて去年の夏から置きっぱなしの虫とり網をふりまわして、葉っぱをふり落とすと、画面のなかのモザイクも落っこちてきて、

いまこの文章を打っているPCから顔を上げると、いくつかの山が見える。それはサント=ヴィクトワール山で、家にあるいくつかの図録からかき集めて、それらの頁をひらいてある、コートールドのサント=ヴィクトワール山、デトロイトのサント=ヴィクトワール山、チューリヒのサント=ヴィクトワール山……。いまとある仕事の勉強のため先日から読んでいる、建築家としての立原道造について詳細に研究されて書かれた種田元晴著『立原道造の夢みた建築』(鹿島出版会、2016年)をひもといていくうちに、中盤の第三章にて、道造の描いた、浅間山を背景にしたある建築図がどうやらセザンヌのサント=ヴィクトワール山をもとにしているらしい、という記述に出会った、おなじころ、別のとある仕事の勉強のために読んでいた『新潮』2020年5月号、『文學界』2020年3月号に、それぞれに掲載されている山下澄人さんのそれぞれの短篇小説に、どちらもセザンヌが出てくる、きっとそのこと自体セザンヌへの、サント=ヴィクトワール山の連作へのオマージュなのかもしれない。私も寄稿している『ユリイカ』2020年3月号青葉市子特集にも山下さんが寄稿されているけど、そこにはセザンヌのことは出てこなかった、そこではセザンヌではなく「あおばさん」が出てきて、山ではなく海がでてくる。とにかく、それで家の中のサント=ヴィクトワール山をかき集めてみた、サント=ヴィクトワール山を描くセザンヌの筆触は、ちょうど雨の日の私の家のBSを映すテレビ画面に現れるモザイク模様に似ていて、

「あ!これいいね」
と、先月7つになり今月小2になったもののまだ授業のはじまらない女の子が覗きこんできていう。
「どこがいい?」
「ぐしょうとちゅうしょうがまざってるところ」
「ほかには?」
「ここの、ふでのタッチ」
「あとは?」
「このブルー」
それからこれ見せて、といって、机の下にもぐりこんで私の足もとでサント=ヴィクトワール山ののってる画集の頁をくっていて、

べつの仕事でメールのやりとりをしている、中原中也記念館のS原さんの前の職場が立原道造記念館で、要件のついでに道造について最近おもったり考えたりしたことを私が報告すると(ながい追伸!)、いまはなき道造記念館のまだ残っているホームページにて道造の墨画ならびにその画賛が見られるとのことで、URLを送ってくれて、その道造の墨画にはおおきなランプと、その下にちいさな椅子がある、そのよこの余白の空間に道造による墨字が浮かんでいて、

願ひは……
あたたかい
    洋燈の下に
しづかな本が
    よめるやうに!

「さむくない?」と足もとでまだ画集をめくりつづけている女の子に声をかけると、「だいじょうぶ!」と答えて、それからサント=ヴィクトワール山に戻って行って、

東京・深川
カニエ・ナハ


4月22日(水)

ある日、だァるくなって
 足がむくんでしびれて、心臓の止まるもんもあって、
ある村に、ひとりでて、ふたり、さんにん
 きゅうも、じゅうも、
だァもの、
疫病だと思うさねぇ。
塩まいて、歌うたって、悪い神さま、追ッぱらおうとして、
にじゅう、さんじゅう
そうして、ごじゅうで、
そうして
ある日、
気付いたってぇ。
米ぬか
 だって。
脚気だったのさ、
白いごはんを食べるようになって

ある日、だァるくなって
 咳がでて熱がでて、心臓の止まるもんもあって、
ある町に、ひとりでて、ふたり、さんにん
 きゅうも、じゅうも、
だァもの、
疫病だと思うよねぇ。
手ぇ洗って、覆面して、悪いウィルス、追ッぱらおうとして、
にひゃく、さんびゃく
そうして、ごまんと、
そうして
ある日、
気付くのさ。
**
 だって。
遠いか近いかしれない未来に、
あのころは◯◯ようになって、って

わかってたかもしれないねぇ
その村でも、
うすうす気付いてるかもしれないよねぇ
この町でも、
 だれかが。
そのとおりかどうかは

続いていれば、

      ねぇ、

    ねぇ

  ねぇ、

続いたんでしょうか、
その町は、

遠いある日に。

神奈川・横浜
新井高子


4月21日(火)

じぶんと
すべてのひとの
あいだに
空気をじゅうぶんに挟んで
買い物をする

去年と見た目はなにも変わらない
野菜や卵をかごに入れ
レジへ向かう途中
空っぽの棚がふいに現れる

そのたびに
なにもない棚の
見えないはずの
空気がふくらみ
息が
す、と とまる

消えてしまったものと
これから消えてゆくものを思いだせるように
ひと月まえと 昨日と おなじ場所で食事をすませ
おなじ町に住みながら しばらくは会えないひとと
LINEで少しおしゃべりをし

離れたまま つながり
近づいては また離されるわたしたちの
一日の終わりから
あふれだし
胸の まだ見えない一か所に折りたたまれてゆく
無色透明の さざなみ のようなもの

からだの奥深くに入りこむまえに
もどかしさ や さびしさ といった
ひとつの言葉のなかに
いそいで収めようとしても
さらさら さらさら あふれてくる
この消えない波を
ひとときの眠りの岸へと返すために
なにを すればいい

月が満ちるのを 息をひそめて待つように
ただ 湯を沸かし
ちいさな子の
陽と風の匂いのする まだやわらかな髪を
念入りに洗う

今日も
それ以外には

2020421minesawa

東京・杉並
峯澤典子


4月20日(月)

雨にとざされていると
この林は
ただでさえ最近
おとぎ話めいてきたというのに
なおさら
木こそが世界の霊長であるという
彼らの優しい確信を伝えてくる

中に入ってしまえば
それはもうおとぎ話ではない
ほんとうのこと

切り株のあかるい色をした切り口から
紫陽花のやわらかな若葉から
人が退いた分だけ
見たこともない顔をあらわした雀たちから
はじまっているのは
まちわびていた
ほんとうのこと

ノアの方舟に
窓はあったのだろうか
人も動物も
みずみずしい目をみはり
雨を眺めながら
洪水の後を待ったのだろうか

今日はいつか
古代と呼ばれるようになる

遺跡ははじめから遺跡ではない
この早く来た初夏の緑色世界の中で
新しいほんとうが生まれようとしていることを
わたしはおぼえていられるだろうか

千葉・市川
柏木麻里


4月19日(日)

天気が良いので
犬の墓参りに出かけたが
墓地も自粛要請だという

スーパーから帰ってくると着替えをするようになった
多摩川の土手も人が多すぎると感じる

ずっと家族と一緒にいる
うちとけている
階段をのぼる音で誰だか分かる
みたいな会話

猫は自由にでかけてゆく

どうせみんなが感染しなくちゃ終わらないんだから
さっさと済ませたほうがいい
致死率はインフルエンザ並み
高齢者を隔離して
仮設病院をどんどん作って
キャパシティを確保して
普段の仕事に戻ろう
みんなで医療ボランティアをやろう
そうでないと
社会が痛んで死ぬ人が増えるよ
人の行き来が断たれれば
世界中を疑心暗鬼が覆うようになるよ
と言いたいが
言えない

世の中が急速に回復するイメージと
停滞が続き分断が定着するイメージが
交互にやってくる

東京・世田谷
松田朋春


4月18日(土)

薄い空から耐えきれずあふれこぼれる
予感のように咲き急いだ桜の花が
あたりをあかるませ
それからあわてて覆い隠そうとするように雪が
降り積もった3週間前の週末
あのとき
4月はまだきていなかったのに
もう4月のことはあきらめなくてはならないだろうと
できるだけやわらかな鉛筆を用意した
それからずっと
二重線を引く日々
お気に入りの手帳に書き込んであった項目を
ひとつひとつ二重線で
消していく
予定仕事約束あいたい
キャンセル延期中止はなれて
幻の
半透明の膜にくるまれて
もっとやさしくもっともっと隔てられるため
開いて閉じるたびにあきらめの二重線は擦れて日を跨ぎ
やわらかく膨らんでゆく
濡れた雛鳥の羽根それとも破滅の蕾
そうですよね仕方ないですよねまたあらためて
生き延びて会いましょう
そうして生きて
いる
けれど
わたしの予定だったはずのものはあっけなくなくなって
わたしはどんどん薄く軽くなって
いったいどこにいるのか
黒く毛羽立つ二重線に連れ去られ
消えた4月の
どこにもいないのかもしれないわたしが
手を洗って洗って洗って
マスクをつける
今日は雨
離れるためのきりとり線のように
おびただしい二重線が降り注いでいました
それでも雨音は届いて
ここにいる耳を縁取っていくから
雨のあがった夜
穂崎円さんと平田有さんがツイキャスで
何年も前のわたしの詩を朗読してくれたのを聴きました
おぼえのあることばが別の声で飛び立って
わたしのなかへ戻ってくる
迎える
ちょっとだけ泣いて
友だちと飲むつもりで3月に買い置いたスパークリングワインを
ひとりきりであけました
はかない光の泡が
知らないことばの粒のように蕾のように浮かびあがり
混じりあってわたしのなかへ
降り注いでいきます

4月18日

東京・神宮前
川口晴美


4月17日(金)

郵便配達夫は

花が咲いているでしょう
詩を書いているのよ

誰も訪ねて来ない山の奥とか
谷底で
お天道様のほか
誰も見る人がいないのに――
花が咲いているでしょう
春になれば

詩を咲いているのよ
そんなふうに――

蜜蜂の翅音に似た
バイクの音が山道を這い上がる
ちらちら見え隠れする姿に

あんなところまで郵便配達夫は、
と村人は驚いた
手紙には触れずに

郵便配達夫は、知っていた
読めるところだけ読んで――
言葉の先には人が住んでいることを

***

ドミノ倒しのようにイベントが軒並み中止や延期になり
そうだこの機会にと部屋の片付けやずっと見つからない
探し物をしている。

上の詩も片付け途中で見つかった古い詩、
どこに出すつもりだったろうか
あるいは捨てるつもりだったか。

捨て猫のような、郵便配達夫の詩の
最後の連の、最初の行を最後に
まわして、敗詩復活をしてみた。

芽吹きの季節となり、見渡す限り奥武蔵の山々は
新鮮な緑で盛り上がる、サラダ鉢のようで
目が美味しい。
水も空気も、とびきりだ。

でも、
人も恋しい。

おーい。

花茶と私2

埼玉・飯能市
宮尾節子


4月16日(木)

二度寝して、両方とも夢を見る。一度目は職場で、上半期の実績を報告する夢。目が覚めて、それを夢だと認識する前に眠りに入ったせいか、次の夢でも仕事をしていた。そのうち、さっき伝えたのは夢の実績だったと気がついて、急いで正しい数字を上司に告げると、正しさの感覚だけが、二度目の夢から覚めたあとも残り続けた。
午前中は実績資料の作成。異常値が出たので、勘で直す。上司に報告後、入浴。昼すぎに取引先と電話。直近の売上を共有したあと、ベランダに集まってくる鳥の話で盛り上がる。その流れで実家の話になり、電話口で伝えられる言葉から、先方の家のようすを組み立てる。
このあいだ取り壊しがはじまって、バラバラになった木材の画像が両親から送られてきた。天井裏の梁が真っ黒になっている。雨もりを受けて腐ったのか、もともとそういう仕様だったのか。たずねると、屋根が茅葺きだった頃の煤だといわれる。慶応4年から記録がつけられた。150年近くのあいだ、柱まわりを残したまま屋根をすげ替えて、改築をくり返してきたという。茅葺きの屋根は10年ごとに取り替えられて、トタン屋根なら20年ごとに塗り直されるらしい。一度だけ、屋根が黒から赤へ塗り直されるのを見たことがある。地震のときは玄関があたらしく建て直された。家はさまざまな部分からできていて、それそれがちがう寿命を生きている。細胞のように代わる代わる中身が交換されていくなかで、骨組みだけはいちばん早くここにいて、最後まで同じ場所に立っていた。
夜、プロパーの人に激詰めされる。むかしは外にお風呂があって、よく薪割りを手伝わされたと父から聞いた。庭の隅にコンクリートで埋められた空き地がある。作業スペースかなにかとおもっていたそこは、父にはいつか風呂場だった名残りとして眺められていた。薪はいまでも離れの奥に積んである。

東京都・高田馬場
鈴木一平


4月15日(木)

今朝、マスクをなくしてしまいました。
そのお徳用使い捨てマスクはなんと
2日しか使っていませんでした。

前回、薬用石鹸で洗った使い捨てマスクは
毛羽立ってゴワゴワで、耳のゴムは伸び切っていましたが
顔が少々かゆくなる以外、問題なく使えました。
むしろ誇らしいとさえ感じました。
なのに、使用済みとはいえ新品同様
しゃんとしたマスクを道に落とすなんて。

家を出るとき、上着の左ポケットに入れたのを
「確かに見た」と彼も証言。
ただ起き抜けで、扱いが雑だったのは否めません。
「帰り道、もし落ちてたら拾う?」
彼の質問に、コンビニまでの道中
わたしは深く頷きました。
「でも知らない人のマスクかもしれないよ」

(住民票を東京に移していない
わたしの郵便受けには、
知らない人から布マスク2枚は届きません)

ここ数日だけで、
道に落ちているマスクを何度目撃したことか。
チャック付きの小袋のなか、
指人形みたいに丸まったその姿。
迷子を見過ごすより うんとくるしかった。
お年寄りも多い、緑ゆたかな住宅街です。
なんとか届けてあげたかった。

もう一方の右ポケットから
iPhoneを取り出して起動。
画面の中の〈どうぶつ〉がきょうも
落としものを探して! と催促します。
マスクをなくして傷心のわたしが
「しょうがないなぁ」をタップすると、
アバターのわたしはさっそく
〈ワサワサの森〉へ分け入っていきます。

「落としたのは金のマスク? 銀のマスク?」
それは、ただひとつ
わたしの低い鼻にフィットした
わたしの頬を守る白い天使。
一体どう証明しろというの?
呆然と仰いだ民家の窓に、
マスクをしたテッドのぬいぐるみが
悠々と佇んでいます。

森に落ちていた一冊の本は
詩集ではありませんでした。
感染症をモチーフにした
SF小説でもありません。

どうぶつの森に
パンデミックが訪れる前夜、
ついに見つけました。
「キャンプ場に 届けに行こう!」

わたしはいつか
ティーナという名の白い象に
詩を読んであげたい。

4月15日

東京
文月悠光


4月14日(火)

数字だけを眺めるのが好きだ。積みあがっていく数がいい。日々変化する数。気温、為替、金利、ゴールド、日経平均、原油、大豆、トウモロコシ、コーヒー、放射線量。最近これに感染者数、死亡者数が加わった。毎日眺める数は雄弁で、世界の多くを物語るから、余計なものはいらない、言葉もいらない、数字に語らせていればいい。街を歩く人の数、電車に乗る人の数。いつもの山手線は300%だがいまの山手線は100%だと聞けば、300%の時に窒息しかけていた人について想像する。知りたい数字はたくさんある。調布駅や虎ノ門の交差点でビッグイシューを掲げていたおじさんの現在の販売額はいったいどうなっただろう。

数字にとっては私がどこにいようがたいして関係のないことだ。ストロングゼロのアルコール度数はどう考えても高すぎるし、はたちの頃にストロングゼロが存在しなかったことに私はいま、心の底から感謝している。当時ストロングゼロがあったなら、私の存在はいまごろゼロだ。あのころ酒というのはつつましく、せいぜい形容詞で「大きい」と語るくらいだった、つまり大五郎とかビッグマンとか。しかしおや、大五郎には「五」が入っているではないか! 4リットルのくせに。24歳の頃は毎晩、ストロングでもゼロでもない4リットル20度を、同じ寮の友達と湯のみでお湯割りにして飲んでいた。適切な濃度の液体を多量に摂取した人体は、自分の本やCDを他人の部屋に忘れ、そもそも持ち込んだことすら忘れて翌日笑われることになる。あのころは毎日、タクトタイム60秒、または72秒、または56秒で複写機を組み立てていた。腰曲げ3秒ルールの世界だった。

3秒以上腰を曲げてはならない。人体は3秒以上の腰曲げに向かない。タクトタイムより2秒早く工程を完了すれば、この2秒は永遠に等しい退屈となる。退屈のあいだに3分の歌をうたう。計算が合わないが、そういうものである。有線のデイリーチャート20曲、今はきっとSpotifyにとってかわったことだろう。5本の指はテーピングでかちかちになり、強張った筋肉の痛みをゆるめるために毎晩サロンパスを貼った。うっかり入院でもしようものならその月の収入はゼロになり、その後国民年金保険料に悩むことになるのだった。私は今年48歳で、あれから数えて倍になった。今日、私に1円を給付し、明日2円を給付し、あさって4円を、その次の日は8円を。倍に倍にしていって、私が生きた年数だけくりかえしてもらえないものだろうか。何しろお札というものは物質的には紙であり、言葉と同様、記号としての意味しかないのだと、みんなよく知った方がいい。重要なのはモノだ! 物質だ! しかし、ほんとうに?

一時期、お札がただの紙に見えてしまうときがあった。ある人にその話をすると「脳の機能がおかしくなっているかもしれないから、気をつけた方がいい」といわれ、それ以来私はお札がただの紙ではなくお札と感じられるか、ときどき自分に確認することにしている。しかしお札でもコインでもないマネーというのは、結局ただの数なのだ。お札をつくるにはパルプとインクと深遠な技術が必要だが、マネーにそんなものはいらない。必要なのは流通経路だ。通じさえすればいい。マネーは言葉とよく似ている。交換可能で、変幻自在で、グローバルに世界をかけめぐる――かけめぐる? ウイルスよりも速く? ウイルスは純情報体だ、彼らは複写を続ける情報である、マネーのように。言葉もまたそうである。そしてここに同じような言葉ばかり再生産する私がいる! 私! 私! 私……だが、私は同じような言葉や同じようなモノの再生産を愛している。人類だって結局、同じようなものの再生産だが、私はそこに微小な差異を見出して愛する。同じようなものバンザイ!

悲しいことに、同じようなものは、同じものではない。

東京・つつじヶ丘
河野聡子


4月13日(月)

ウイルスは私に感染されました
ムスーのウイルス、顔のないウイルスが私に冒されていく
窓の向こうには散る桜(2020年4月13日の散る桜の花びら
吹雪いている こごえるほど吹雪いている
(あなたが私を怖れていることはわかっている

白い花びら 一片ひとひらも私に感染して色褪せていく
自然の景観はこれほど容易に表情を変えるのだった
その内側を荒々しく喰いちらしているのは私だ
私は容易に色褪せていく私の夢を見ている
(私が私を怖れていることはわかっている

光の冠をもつウイルスも急激に色褪せていく
生はけっして輝いているばかりではない
暗い部屋で息をひそめる生もあるではないか
私に感染されているのだから時は意味を失う
(それはヒトの作り出した概念だから
世界は容易に色褪せてくずれていく

もう昨日までの街の喧騒はどこにもない
校庭に子らの声も途絶えている
(ときおり名のない草がゆれる
こうして世界は終わりました
たかが世界が終わっただけです
わたしはここで元気に増殖してます

福岡市・薬院
渡辺玄英


4月12日(日)

不信をおし隠し
従順が都市を訪う
四月
秩序をさぐる
うろたえが日ごと増す
孤立したひとびとの 群れ

七日
緊急事態宣言が出て
国道134号線の車音もすこし冷えた
おかげで波の音が聴こえる
それが安眠に結びつくことはないが
人の絶えた浜で
人の絶えた江の島を眺める
縁起によれば
およそ千五百年前の
今日と同じ
十二日
天女が十五童子をしたがえ現れ
江の島をつくったのだという
それからいったいどれだけの人が
島に呼ばれてきたのだろうか
つい先月の
三月の三連休も
島へと繋ぐ弁天橋は
にぎやかな群れで混み合っていた
したしく呼気を触れ合わせ
ひとびとが笑顔で渡ってゆくのを
やさしい風景の快復なのだと
わたしもここでながめてた、その微笑の
誤謬への加担

禁制の集会に行くかのように
息をするのも恥じ入りながら
スーパーにこっそり出かけてく
二〇二〇年四月のわたしたちよ
今はきっぱりと訣れよう
戒厳のはじめの週末は
誰かを刑罰に処しながら
君は買ってきたインスタントラーメンを家でせっせと作るが良い
わたしは米を炊くとしよう
買い置いたカレーをあたためたり
Netflixでもながめながら
ひとりで黙々と食うとしよう
そうして荷重を増やしながら
気配を伏せてゆく孤立の耳に
際立ってゆく地球の音とともに
わたしたちは聴かねばならない
不安ですら利害に結ぶ我々だから
命の文法も意味で整えてしまうから
我々を生かすもの
我々を殺すもの
拘束し
解放し
愛するものを自らを
駆り立てしずめるあらゆるものを

永方@江の島

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹


4月11日(土)

全ての全てが懐かしくなった日から
従来の日常を捨て
他人の日記を書くようになった。
そして、その人に
僕の日記をつけてもらうようになった。
新世界の毒の空気を
シンプルな言葉で彩る実験。

その日記によると、ある日僕は、

 外を眺めていたら一番星が輝いていた。
 そのままずっと見つめていたら一つ流れ星が流れた。
 願う前にはもう消えていた。
 仕方ない、
 今日も空には綺麗な月が浮かんでいる。
 流れ星には滅多に出会えないけど、
 お月様には出会える。
 だから今日もお月様にひとつ、
 大切な願いをそっと込めて、
 眠りについた。

そして、僕の頭の中には
こんな日記が落ちてきた

 今日は夢の中で、目が覚めた。
 つまり、夢の中の夢だった。
 夢の中の夢から起きて、
 ベッドの隣に置いてある日記を手に持ち、
 自分の親指で文字を書き出した。
 指先から溢れてくる文字を
 半分しか読めなかったけど、
 その中「海」か「苺」が浮かんでいた。

 それで、実際に目が覚めて、
 その夢から日常の現実に戻ったら、日記を見た。
 この文字がもうすでに書いてあった。
 今は何が夢なのか、何が現実なのか、
 わからない。
 けれど、
 何れにしても、
 海に行って苺を食べたいと思う…

とか。

こういう風に
一枚一枚を交わしているうちに
他人は僕の夢に入り込んできた。
「地獄とは他人のことだ」とはいうけれど、
自宅隔離の二人、
お互いの架空の内面を探って
よく分かったことは
地獄とは自我である
地獄とは自粛である
そして、他人は楽園になれるのだ。

夢の中で
僕らが何をしていたのかを
今度身を以て会う時に
細かく伝えるのだ。
その時にもまた、
その時までの全ての全てのことを
懐かしくする。

東京都・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス


4月10日(金)

三十四年ぶりに帰国して、二週間の自主隔離を送っている。ミュンヘンの妻とFaceTimeで話すのが、唯一の社会的接触である毎日。

スマホの小さな窓越しに
妻のいる部屋を望む
天窓から明るい光が射しこんでいる
私はいない

夥しい死の王冠に取り囲まれて
笑い声を放つ老夫婦
共に仰ぎ見た月はどこにあるのだろう?
虚幌に倚りて妻に手を振る

もっともそういう生活は、ミュンヘンでの日常とさほど変わらない。詩を書いている間はいつだって自主隔離だ。

感染者数が増えるにつれて
別の国になってゆく
その国が元の国よりマシかどうかは
死者にしか分からない

この国では変化は常に外部より齎される
黒船、敗戦、大地震……
外からやってきて内に巣食う
思想では動かないがウィルスには飛び上がる

大声で喚き散らす人々を映し出す
蛇の目、花の目、魚の目
最も残酷な四月にも
止まぬ生殖

右眼で地上を愛惜しながら
左眼で星々の瞬きの奥を弄る男が
斜めに傾いだまま横断歩道を跛行してゆく
有料レジ袋ははち切れそうだ

散歩に出かける。緊急事態が出ても緊張感はまるでない。公園には家族連れがウヨウヨしている。みんな幸福そうだ。いつの間にか、ウィルスの目で見ている自分に気づく。

若者の喉から吐き出されて
春風に舞う
犬を抱いた女の胸の奥にひそんで
七曲の坂を上がる

石油コンビナートの丸いタンクのてっぺんの
赤く錆びたところに引っかかって
海を見ている ……死は
消滅とは違うと思う

注:「虚幌(きょこう)に倚りて」は杜甫の五言律詩「月夜」からの引用

横浜・中華街
四元康祐


4月9日(木)

「世界同時瞑想」に与してみる
祈りの力は信じない
知っているだけ

こういう時は 連帯する 
日記の列に連なるように

初めて演歌を作詞する
未練と怨念または男気 その様式美
限界突破してサバイブする
遠ざけてきた肌触りの先に
会いたい自分がいる

スーパームーンは十六夜
コロナちゃんという眩しい名前の子どもたちに
事後のさいわい あらんことを

八ヶ岳
覚 和歌子


4月8日(水)

軒下でメジロが動かずに丸まっていた
夕方にはいなくなっていたから
気絶していたのかもしれない

鳥が巣を作るとへびが寄るんよね
それがいやなんよ
女たちがそう話していたのを思い出す
鳥みたいな音色だった

目の前のことに触れたくて
今年初めての山椒を摘んだ
まだ棘すらも柔らかくて
冷たくて甘い香りは
少し気取ってからんでくる
水洗いして絞った後の手は
しばらく冷たいままだった

のどを固くする時間が増えて
大きい誰かの正しさを
窓の向こうの散りゆく桜に乗せる
風に浮かんだ花びらは
空一面にシャボン玉のように広がって

ああ
泡よりも早くて、かすかなことが
息をのむだけで残ってしまう
あの一粒たちが残ってしまう

山桜はピンクの膨らみで
山をぼふぼふと爆発させる
春は山笑うと言うけれど
本当に笑っているね
山に笑われているね

始まりの前に
積み重ねた問題に向かうきみと
隣り合う

きみは相変わらずため息をつき
頭を掻きむしり
硬直もするけれど
それでも逃げなかった

分からなさを繰り返しても
きみは泣かなくなって
わたしは怒らなくなった
わたしたちは育っていると思う

一粒になるよ
あの桜の花びらのように
一粒になるよ
そこからじゃないと
わたしたちは手もつなげない

fujikura

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ


4月7日(火)

春のニュースが流れる執務室はしんとして
みな少し俯き
静止しているように見えた
窓を開け放っていたので
航空機の音
それから鳥の鳴き声が聴こえてきた
羽のあるもの
誘惑をする
✳︎
飛行機雲が見えない
けれども
先日買った古本が
ポストに届いていた
『在りし日の歌』の復刻版だ
中也の帽子は
羽のようだから
この空にみずから飛び立つことだろう
✳︎
子どもの頃
空気の色が透明だから
透明のことを「空気色」と呼んでいた
決して目に見えることはないが
春は羽ばたき
遊歩道に
花びらを散らして
たくさんの証拠を残した

福岡・博多
石松佳


4月6日(月)

私は宣言するだろう。
望まれた休暇と労働のために。
適切な距離を保ったまま
息を止めるひとりのために。

東京都・調布
山田亮太


4月5日(日)

Society 5.0が攻めてくる
すべてがアイティー化された情報化社会

きょうからはじめましての講義はバーチャル化
体育実技もバーチャル化
期末試験もバーチャル化

すべてはバーチャル空間に移されまして
Zoom, Zoom, Zoom, ……

春一番に
解体される大学
概念としての大学
が残るか

Zoomソフトウェアによるバーチャル講義
についてのZoomによるバーチャル講義をやりましょう
情報システムエンジニアはものすごいハイテンション
学部から学部へと飛び回る

まったく
すごい風が吹いている

3つございますGoogleメールアカウントはこのように使い分けます
ログイン間違えると所定の機能が発揮できません
Zoomでも出席をとる方法があるんですって
え、知らなかった、そうなんですか、教えてください
そうしてPowerpointの画面をボタンは送信する、これ

ウイルスの脅威はフィジカルの最たるものなのに
ますますバーチャル化する観念
その地平。空間。事物。

連携する、
すごく楽しい、
だが
コンセント一本ぬかれたらすぐに終わってしまう
Society 5.0
(バックアップ電源はありますけどね)

それは
呼吸がとまったら
まっさきに終わってしまいそうなおれたち、
おれたちのつむぐ
思想も

この春のはかなさの
ほろ苦い
タケノコのような
比喩
として

東京・本郷
田中庸介


4月4日(土)

どうして部屋が散らかってても平気なの
、て

週末の朝から昼にかけて
ぼくとうたの怠惰にして割とおだやかだった
春休みの日々を
家族会議にかけることになって

きみは眼鏡ごしに
しごくまっとうな怒りと疲れを目に浮かべ
リビングの真ん中に
夕べからずっと積まれてる洗濯物を
見たり見なかったりしている

畳むのは
うたの仕事ではあるけれど
仕事部屋の畳の床に
本や資料や書類を積んでは崩れさせっぱなしで
今週も約束の掃除機をかけ忘れた
ぼくとよく似て
気が向いたらやるのは
言われるまでしないのと同んなじだから

きみだけが心底から
土曜日の家を
気持ちのいい空間に変えたいと願ってる

ぼくはといえばこの島の先行きが気が気でなくて
四月の今日の清明からはじまる
シーミーという親戚ぐるみ島ぐるみの供食の慣らいが
願わぬ結果を招きはしないか案じていたら

今年のシーミーは中止です
、て従妹から連絡が届いてた

それぞれ得意な家事をしようと
どうにか会議が
笑い交じりにまとまった後で

沖縄・那覇
白井明大


4月3日(金)

毎朝 起きる とどこおりなく
洗濯機がまわって
食器を洗う手が
とても 乾燥している

ほら 部屋のなかで
わたしたちは常に凝視している
いや そうじゃなくて
ほんとうにちがう、うるさい

失せた食欲と
ずいぶん乗っていない地下鉄
飛行機に乗ったのは
たしか一カ月まえで

検討したり 意向を示したり
方針をかためたりするあいだ

ようやく雪解けて
かるくなった足が
町へ向かわない
明日からも 静かな週末

次第に
こころがちいさくなるから
植物に水を与えて 触れる
きみたちはつよい

北海道・札幌
三角みづ紀


4月2日(木)

今朝も
スマホのアラームが鳴り

5時に目覚めた

すぐ
腕を伸ばす

アラームを止める
しばらくそのままで

天を見ている

それから
女と犬のモコを起こさないよう
そっと
布団をずらす

ベッドを
抜けだす

トイレから戻ると

すぐに
本の部屋の窓を開けて
空気を
入れかえる

昨日の
4月1日の夕刊に
「世界の死者 4万人越す」
と見出し

新型肺炎の死者だろう

その夕刊に
谷川さんの「からっぽ」という詩が載ってた

詩は
からっぽの
平らな皿にのせた
空気か

窓を開けて
朝の風を入れた

静岡・用宗
さとう三千魚


4月1日(水)

玄関先の
古紙回収のトイレットペーパーが盗まれた
志村けんが亡くなって三日目
追悼番組を見て笑った
これからどうなるのだろう
都立高校の新学期はもう一ヶ月伸びるそうだ
学校に行かない子供たちは着替えもしない
加害者になるなという声が大きくなり
都知事は夜の酒場に行くなといい
カラオケとライブハウスに行くなという
当事者には処刑の宣告に聞こえるのではないか

新型コロナウイルスの致死率は2~3%とされていて
これは騒ぎがはじまった当初と変わらない
変異したのは我々で
遠くの2~3%と
すぐそばの2~3%では
こんなにも違うのだ

ことしの桜は早々と咲き
ふしぎと散ろうとしない

全世帯にマスクを2枚ずつ配ると
マスク姿の首相が発表した

今日はエイプリルフール

東京・世田谷
松田朋春