10月6日(火)

陽の鋭さはあっても空気は冷たく乾いてきました。わたしはそうやって剥がれ落ちていきます。長袖なんて着てしまう季節は剥がれ落ちていくんです。

わたしは秋に生まれたので、秋の訪れは、特別な場所で浸み込ませてきました。海の近くに住んでいたので、秋の海を、波の音を浴びていました。海のそばではしがみつきたくなったこと、星が早く動いたことを思い出します。

秋はきっと贈り物の季節で、不用意な歪みもその中に含まれます。わたしはもう誰かの名前を忘れられるぐらい大人になったので、もう名前を忘れたあの人が「大事な人の贈り物にはおもちゃの蟲を箱いっぱいに詰めて贈りたい。だって面白くないですか」と言ったこと。あの時、おかしみもあたたかさも一欠片として感じなかったのだけれど、もしかしたら今、君からその蟲をひとつまみずつ放り投げられていることがわたしの悲しみの素になっていて、そうやって投げられれば投げられるほど、不用意に簡単に踏み外して君をえぐることがわたしにだって出来てしまうことがとても悲しい。

そんなことよりも一番大事なのは、本当にすることは、「目の前に立って下さい」ということだけでしかなくて。何よりも真っ先に「目の前に立って下さい」という時に来ているのに、それを難しくさせているものは、何者なんでしょうか。

今日は夏に作った梅のジャムと、この前作ったイチジクのジャムと、今年出来たばかりのお米と、古米で作ったお味噌と、もぎたてのカボスを、抱えるのがやっとなぐらい詰めて、遠くで笑うあの子に送りました。とても重くてたくさん動き回ったので、今夜はゆっくり眠れそうです。

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ