10月3日(土)

実家の整理。子供部屋の机は捨てちゃったから、亡き父の書斎を一時的に引継ぎ、この部屋をやることにする。

三畳くらいの洋間。二階の突き当りにある白ペンキのドアを内側にあけると正面の窓に向かって白い事務机。ガラスがのっている。

左の壁には一面に株価のチャート。震災の直前、母が亡くなるまで毎日つけていた。

事務机には工場で使う二灯組の蛍光灯が天井からぶら下がっている。かなり明るい感じ。

机の上には木枠が組まれ、落語とか音楽とかの勉強ノート、毎日の詳細な日誌のファイルなど。保存状態は全体的にまあまあだが、硬めのプラスチック、これだけはダメだね。ぼろぼろに経年劣化している。

これを片付け、引き出しの中の大量の音楽MDを片付け、右側に天井まで一面にある造りつけ書棚の整理に入る。茶色のラワン材で枠が組まれて、ところどころに棚板が乗っている。板が厚いので45年たってもまだ狂っていない感じ。

手前にうず高く積まれた実用書や近辺のスナップ、古都古寺や江戸歴史散歩のガイドブックを取り除くといよいよ核心部に迫る。

さまざまな勉強をした形跡が静かに茶色に変色した蔵書の山となって立ちあらわれている。

まず左上から西田幾多郎全集。全巻揃い。

次に津田左右吉全集。全巻揃い。

次に三木清全集。全巻揃い。

この三つで思想的な防壁が家の南西の裏鬼門の角に築かれている。
これを片付けることが戦後の何かをついに崩すことにならなければよいと思いながら片付ける。

津田左右吉と資本論は西荻のHさんに持っていってもらうことに。あとは箱に詰める。

慶應の医学部で勉強をしはじめて健康問題で挫折、成蹊の経済に入りおそらく江戸の農学経済史を専攻、さらに独学で電気工学を学んだ形跡が、教科書の山となって残っている。これは解剖のメスを入れる木箱(苦笑しながら処分)。石川淳も網野善彦もある。大量の数学の本もあるし、宇井伯壽の印度哲学もあれば経営学もあり、各種語学本も揃っている。むすこが書いたものも収集されている(恥)。

津田左右吉も三木清も、舌禍によって公職を追われた学問の徒である、戦後に社会派の物書きを志し、その後実業に転じたこの部屋の主人の理想を髣髴とさせる。

会えなかった祖父の写真や父の遺稿も出てきた。甲府・深町の少年時代の詩的スケッチはまた、いつかどこかで活字にしてあげよう。

東京・久我山
田中庸介