12月1日(火)

冬の朝の美しさがある
それは角度として訪れて
透く
という言葉の
別の面を示している

朝の一文字は
まるでそれが
なにか輪郭のある、さだまったもののように
ひとを惑わせるけれど
季節が遷り変わってゆくと教えられるのだ
朝は誰にもとらえることのできない
推移する時間と光であることを

ふと残る問いは
それを教えているのは誰かということ

6時から7時が生まれていった
そのどこで今日の朝が現れたのか
私は知らない

朝のことを思って浮かんだのは
脳のMRI写真
理科室にあった人体模型の脳は、カチカチ
くっきりした、どこか陽気な固まりで
皺にも決まった形があるように錯覚していた
(だって模型の脳は、ただ一つの形していたから)
でもMRI写真が見せてくれた
それはやわらかい
さだまらぬ
これはまちがいなく、ひとりひとり個性があるものと確信させる
みごとなほどのやわらかさは名づけようのないもので
私を魅了した

そんなふうに
今日の朝もある
かならず来るが
どこからどこまでが朝で

という一文字の限りある姿の網にとらえることはできない
ゆるやかなもの

疫禍のことを考えながら
今日のような冬の湖をのぞきこむようにして
日記を書こうとすると
春先から変わらずそこに映るのは
古代と未来
光陰という言葉の
いん、の響きが
星の光のように遠い過去から
まだ消えない

千葉・市川
柏木麻里