9月27日(日)

「人はさびしくなるとなぜ水のちかくへ行くのでしょうか。
金魚セラピー」

これは水槽のことか それとも金魚鉢だったか

二十代のころ
会社帰りに通ったコピーライター養成講座で
ある商品にキャッチコピーをつける宿題が出た

わたしの提出したこの文章について
講師は よい、とも よくない、とも言わなかった
そのかわり
うん、ぼくもよく行きます、とだけ言った

日曜 雨あがりの公園
池のまわりには
散歩やジョギングをする人がたくさん

さびしいから 水のちかくへ行くのか
水のちかくへ行くと さびしくなるのか

おとなたちは 距離を保ったまま
それぞれの水面をみつめている

おさない子が あかい魚の影を追って
わたしのすぐそばまで駆けてきた
ふう、ふう、と息を吐く彼女と
おなじ水面をながめた

水のなかには 終わりのない青空
見えないけれど そこで遊び 眠る魚たち
見えるけれど ふれあえないままの人たち

彼女がふたたび駆けだしたとき
みじかい髪から
生まれたての火のかおりがした
水辺のさびしさをまだ知らない朝の

その子が駆けていった先には
今日も
だれも乗らないボートが
つながれている

東京・杉並
峯澤典子