8月21日(金)

弟 1 の、あるいは弟 2 のだったか、いずれかの弟の同級生に不登校児がいるという。彼は 小学校に行かずに何をしているのか。インターネットをやっているという。インターネット ってあれでしょ? 調べものをしたり、Eメールをしたりするんでしょ? 母に頼まれ、私 は彼に E メールを送ることになった。私は彼と会ったことがないし、E メールなんて書い たことがない。いったい何を書けばいいのか。ひとまず自己紹介をして、好きな音楽やマン ガのことなどを書いた気がする。がんばって学校に行くように、といった説教は書くべきで はないとどこかで教わったから書かなかった。彼から返信はなかった。本当に届いているの だろうか。しばらくして、彼は私の E メールを読んだらしい、返事はないかもしれないけ どまた送ってね、と母から言われる。私はもう一度 E メールを送った。やはり返信はなか った。

あなたは言う。家庭とはおぞましい場所だ。すべてのこどもは養育施設に集められ、家族か ら切り離されて育つべきだ。この国の誰もが誕生したその瞬間から一律に国家による管理 の下、平等に適切な教育をほどこされるべきだ。そうすることによってだけ、血縁への執着 と無責任な願望に染まった忌まわしき家庭の呪縛から私たちは解放される。

考えられる限りで最悪の人間が育つとしよう。ものを盗み、人を殴り、家を燃やす。加害に いかなる痛みも伴わない。あるいは伴うとしてもそれを超える行為への衝動がある。理由が ある。企みがある。だがこんな想定は無意味だ。どれほど恵まれた環境で、適切な方針のも と、多大な愛を注がれて、大切に育てられようと、人は、最悪の行為をなしうる。

誰であれ、自らの命と生活を守ることを何よりも優先してよい。これが原則だ。もしもあな たの選択が、あなた以外の人、すぐそばにいる人、遠く離れた場所にいる人、顔の見えない 人々の命と生活に関わるのならば、そしてその数が多ければ多いほど、選択の根拠は複雑さ を増す。高度な判断を要求される立場にある者は、できるだけ誤りの少ない判断をくだすた めのコンディションを整えておくべきだ。そのための休暇も必要だ(いや、誰であれ、休暇 は必要だ)。だがもしも、あなたに最初から正しい判断をくだす能力がなかったとしたら? あなたの不在こそがむしろ望ましいとしたら?

東京・調布
山田亮太