9月2日(水)

例年より遅れて始まった上に突然オンラインでやらなければならなくなった大学の前期授業が 8 月上旬にようやく終わってすぐ、日々のコロナ感染者数はいっこうに落ち着く様子もなく胸がざわざわしていたところへ後期もオンラインでと各大学から通告されて目の前が暗くなり、せめて後期から始まる授業は履修人数を制限させてくださいこのままではとても続けられません、と強めのメールを送ったのに〈それは難しいです/ご希望に沿えなくて申し訳ありません/ご無理のないように授業を工夫なさってください〉みたいなメールが返ってきて、これがいわゆる木で鼻をくくったようなというやつかと呆然としつつ〈ご希望〉じゃねえよ悲鳴だよもう限界だから助けてくださいっていう救助要請だよと頭の中でブチ切れ、なぜ難しいのでしょうかどうか再考してくださいますよう伏してお願い申し上げます、などと大阪へ向かう新幹線内から即レスした GO TO。
大阪には独居中の母がいる。自分では決して認めないけれど認知症で、給付金申請なんてひとりでできるわけないのだし他にも発掘しなければならない書類がいろいろあって〈不要不急〉どころではないから GO TO。とはいえ、わたしが生まれ育ったあの小さな海辺の町にそのまま実家があったとしたら東京から行くのはきっと躊躇っただろう。姉妹が近所に住んでいる方が心丈夫だからと母が 10 年前からマンション暮らしを始めていたのは好都合だったな大阪の状況もたいがいだし、と言い訳のように思ってわたしはお盆なのにガラガラの新幹線に乗ったのだった。
もちろん書類はすんなりとは見つからない。母の家を勝手に漁るわけにはいかないから説明して、ここちょっと探してみていいかなと許可を請うのだが母は不機嫌度 MAX、そんな書類は見たことない、自分は大事なものをなくしたことなど一度もない、大事なものなら絶対にこの引き出しに入れているはず、と傍らに立って言いつのり責め立てる。それでいて3 秒後には何を探していたのだったか忘れ、なぜそれが必要だったかもわからなくなって怒り出すから、また最初から説明して許しを請うエンドレスループ。やっと申請書類が見つかっても次は通帳とカードがどこにも見当たらないし健康保険証は 7 月末で期限が切れている。助けてくださいって救助要請はどこに出せばいいですか。
聞いたことだけでなく自分が言ったこともしたことも 3 秒で忘れる母は、自分が忘れたり間違ったりするとはひとかけらも思ってなくて、すべてわたしがわるいことになる。母にとっては嘘じゃないにせよ話している途中で言うことが変わっていくから懸命に受けとめても翻され続け、意を尽くしたつもりのわたしの言葉はことごとく否定されスルーされ虚空に消える。これはアレだ、信用ならないあのひとたちの国会答弁を聞くのに似て、言葉でできたわたしの心は削らればらばらに壊れかけて〈それは難しいです〉。
夜明け頃、友人たちが LINE グループでくだらない話題について生き生きと言葉を交わしているのをたどって縋るように貪り読み、その日あったことがばらばらに壊れていかないように詳細に言葉にしようとするメモはどんどん長くなり、何とかいろいろをやり終えて 1 週間後やっぱりガラ空きの新幹線に乗って品川で降りたとたん虚脱して、駅構内のカフェでソフトクリームを舐めながらちょっと泣いた。サイアクなのは、あんなに優しかったオカアサンがこんな……みたいな澄んだ悲しみをわたしがまったく抱いていないこと。ああ元々こういうひとだったよねえ、という濁った気持ちばかりが淀んでいく。思春期以降わたしの言葉が母に通じたことはたぶん一度もないんだ。笑える。
涙で濁ったソフトクリームがテーブルに垂れ落ちた跡をアルコール除菌シートで拭いながら、ふいに思い出す。そうだ、コロナだった。1 週間のあいだ自動的に外に出るたびマスクをつけたし帰ってくれば手を洗ったけれど、コロナのことはきれいさっぱり頭から消えていたよ。笑える。思い出して、立ち上がって、GO TO と自分に言う。
9 月へ、
そうしてたどり着いたけれどこの先はまだ見えない。

東京・神宮前
川口晴美