3月19日(金)

夜の湯船に固形入浴剤を入れる
沈む入浴剤は溶けながら静かな音と泡を立ちのぼらせ
薄紅色に滲んで花の香りを記号のように広げてゆく
溶ける、
身体を浸せば
疲れは溶けて消えるだろうか
どうすることもできない不安や気がかりは溶けるだろうか
身体は溶けたりしないまま
今日をゆく
溶ける、
という言いまわしがお金に対して使われることがあって
あっけなく失われたことを意味するのは
ネットで見知っていたけれど
時間に対しても使われているのをさっき目にした
なるほど
何かに夢中になっていつのまにか長い時間が経っていたと気づくと
数時間前と今とが直接つながって重なったみたいな
あいだにあったはずの時間が溶けてなくなったみたいな
不思議な感じがするよね
認知症になった母の時間感覚も不思議で
5年前のことも5分前のことも妄想の出来事も「2、3日前」と話す
時間は線状に流れているのではなく
身体のなかで層を成していて
レイヤーが薄くなったり剝がれなくなったりすると
それぞれの時間が重なって見えて区別できなくなるということだろうか
それともこの世界ができたのが2、3日前なのか
入院した母の
冷蔵庫を片付けておこうと開けたら
スーパーで買ったきり忘れられた様子の節分の豆と雛あられが
いくつもいくつも仕舞われていた
仕方なく何袋か持ち帰って2月と3月を交互に
ぼりぼり食らうわたしのなかで
時間は渦巻く
この1年は
何だったのだろうね
わたしたち、
手洗いとマスクと消毒に慣れて
誰かに会いたいのもどこかへ行きたいのもガマンするのに慣れて
イベントが中止になったりチケットを払い戻したりする悲しみに慣れて
それなのにコロナは相変わらず
何ほどかを溶かして出現した小さな布のマスク2枚は
使われずに仕舞われたきり
何だったのだろうね
時間は
なにもない虚空へと絶えずわたしを押し出す
押し出されるにつれそこが〈今〉になってゆくけれど
いつか必ず押し出された先にはなにもなくて終わりになる
無慈悲でやさしい
4月から先はどんな〈今〉になるのか
今年のお気に入りの手帳に予定(仮)を書き込みながら
確かなものなどないってわたしはもう知っていて
でもたぶんまた花は咲く
1年前の花と同じではない花ができたてのこの世界に咲く
と、
そんな言葉を夜の船に入れ
溶けてゆくものを抱えたままわたしは
明日へ
渡ってゆく

東京・神宮前
川口晴美