12月30日(水)

年の瀬はパンデミックにもかかわらず
例年通り年賀状を出すことになっているのですが
思いもよらなかった後悔のはじまりをこれが生みだすのである。
名簿というのがいまは京大式カードではなく
コンピュータに入っている、
マイクロソフトエクセルのどうということもないブックである
それをチェックすることが一苦労。​
まずはモチューのはがきを全部チェックして
もももももももも
と、ことしの列に書いていく。折角おことわりをいただいた方に出したら大変だから。
次に、是非出したい人をセレクションする。  これがさらに一苦労。
1という字を打ち込んだ行の方々だけに出す。
すなわち足し算すれば一瞬で、いま出した枚数が自動計算できるようになっている。
まあ大体この年齢になると人間関係が固まってくるから
去年に出したヒトの列をコピーして
それをもとに若干を出し入れするだけでもおそらく間違いがない
住所変更はすでに記入済み(ということになっている)ので
宛名リストを印刷して打ち出す

さあここからが大変で
はがきの裏面は印刷で妻が仕上げてくれているのだが
表面は手書きを旨とするので
一日三時間ずつ四日間かけて住所を書きますね
実にまだるっこしいがそういうことになっている

日本全国の丘や谷にお住いの
方々
の住所。
札幌や京都のような碁盤の目になっているところはめずらしく
たいていは
町や村やニュータウン
のどこか、そして枝番。
マンションの名前まで書いたほうがよいかについては議論があるが
レイアウトの難しさを別にすれば
確実に届けてもらうためには書いた方がよいに決まっている
しかし難しい。

そしてこのひどい文字を何としよう――。
手書きでこんなにたくさん文字を書くのは
一年にこの一回のことだから
何年繰り返しても上手にならない。ごまかし方が多少うまくなるだけだ。
ペン習字の草書体を念頭においているのだろうということはわかるけれど
何かそれとは似ても似つかない。みみずがのたくっている。
あきらかにカタギの人の字でないことがこれでばれてしまう。ような文字。
間違えたら間違えたなりに白い修正テープで修正。
さらに思いついたご挨拶を左にぐじゃぐじゃと書くのだが、
これもほとんど読めない文字になってしまうことが多いのである。
しかしそれでも、手書きで書きたい。
年賀状は手書きにこだわる。
手書きで相手の名を書かなければ伝わらない。
という意識にとらわれているのである。
肉声の朗読にこだわるように。

それで、
そういうことで、
数百枚の賀状をまあなんとか出したとしましょうよ。
ほっとするのもつかの間、
明けまして、つまり正月を明けるとすぐ、五月雨式に
今度はきちんとそれと同じだけの枚数の賀状が到着するのである。
賀状や賀状のご返事をいただくのは大変うれしい。だから
どんどんいただければと思うのですけれども
名簿の整理。お年玉くじの当選確認。
出さなかった方に
早々のお賀状有難うございました。の返礼。
だがこれらに使える時間が日に日に取れなくなってくる。一月は
年末年始休暇でたっぷりお休みになった方々が
その間にさまざまな問題を考えあぐねて投げまくってくる。
だから当然忙しくなる。
個人の事務に使える時間がほとんどなくなる。

そういうことで
中途半端に整理された
賀状の束が、便利なはずのつやつやした
壁掛け整理ポケットに
人知れず
忘れられる。

だが、それでもなお――。
収納されたはがきは、永遠にそこにあり続ける。
静かにこの部屋の壁で存在感を喪ったまま、
われわれと一緒にめでたく一年を
過ごすのである。

東京・西荻窪
田中庸介