12月26日(土)

12日前の引っ越しのとき、見積もりだと100箱ほどといわれていた段ボールが、実際にやってみたら300箱になり、作業は朝の9時から22時近くまで及び、引っ越しやさんにたくさんの応援要員と、追加の段ボールを調達させてしまった、その300個の段ボールがまだ半分以上未開封のままで残っていて、探す本がことごとく見つからない、逆にいうと探している本を見つけることだけが段ボールを開く推進力にはなっていて、昨夜は東京でたぶんいちばん高いところ、というか二番目くらいに高いところ、というのは一番高いところは値段も高いから、(しらべたら、一番高いところが450メートルで、二番目が350メートル)そこにいて、そこでスマートフォンを落としてしまったのだった、さいわい350メートル下に落下させたわけではなく、たかだか1メートルくらいのところから、つまり351メートルから350メートルのところへ、そんなことはままあるのだけど、今回はうちどころがわるかったのか、あるいは1メートルから0メートルへ落とすよりも、351メートルから350メートルへ落とすほうがダメージが大きいのだろうか、タッチパネルがうごかなくなってしまった、画面の左から下へきれいに直線に斜めに、一本の亀裂が入って、分断された、その1/4ほどの狭いほうの領土は反応をする、残りは反応しない、別の領土になってしまった。その塔が新しい家の玄関をひらくと目にそびえている、昼間はそんなに変わらないが、夜になると夜ごと光の色が異なる、それだけで街の空気が違ってみえる、こちらからあちらが見えるということは、あちらからもこちらが見えるということだとおもい探してみるが、見つからない。よすがとなるものがない。よすがなのだとおもう。十数年前の展覧会のチラシなどがなんぜんまいとかあるせいでそれもまた段ボールを増やしている。捨てればよいものの捨てがたいのは、一瞥しただけで、多くを思い出すことができる。展示のこと、そこにいたる路。ときには季節。その前後のこと。もはやチラシではなく把手である。失えば抽斗を二度とは開けることができない。それでその対処法などを考えたり調べたりしなければならなくなり、今日の昼過ぎからの仕事までに用意しなければいけない作品の制作が遅れ、睡眠時間が削られ、10時半の開店に合わせてスマホの修理屋へ行くと、部品がないので直したければ同じ機種を中古で手に入れてくださいと言われる、古い身体を新しい身体に入れ替える、それで12時からは遅刻したサンタみたいな仕事をして、そのあと新しい身体を手に入れると、楽しみにしていたこの空気の日記のZOOM忘年会が始まってしまっている。帰路の乗り換えの東京駅で途中下車して、丸の内イルミネーションのところ、丸ビルの前の、通りと垂直に置かれているベンチを陣取ると、一時間遅れで参加する。静岡の詩人と大分の詩人が参加していて、東京の詩人は最近三重に行ったといい、東京と静岡と大分と三重の空気の違いについて空気の詩人たちが話をしている。20時になるとイルミネーションが消えて、光が消えると空気が変わり、屋外の私がコロナにならないようにと会はお開きになる。そもそも、家のベランダの前のお気に入りの木がある日突然切り落とされた、なによりそれが気にいらなくて引っ越すことにした。引っ越す直前、家から駅までの道の、高速の高架下の小道の林の木々がある日突然ことごとく伐採された、今日は公園の木も切り落とされてしまい、木々が切られた匂いばかりが夜の空気のなかにひろがり、肺のなかにしみいり。

東京・冬木
カニエ・ナハ