よいお年を
そのひとは改札で別れるとき そう言った
つぎに会えるのはいつだろう
おつかれさま
ありがとう
どうぞお元気で
たくさんの言葉のかわりに
よいお年を
とだけ わたしも返した
家に帰ってパソコンをひらくと
海外に住むひとから
よいクリスマスを!
たくさんのくちづけをおくります
というメールが届いていた
くちづけを、という言葉から思い出したのは、フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの『コロナ』。
冠、という名を持つこの詩集には、詩人が六十代の後半から亡くなる直前まで、三十二歳年下の最後の恋人に送りつづけた詩が収められている。
彼は詩のなかで、若い恋人が彼の額にふれるその両手とくちづけで描く輪を「コロナ(冠)」と呼んだ。
「あっ、きみの両手だ。ひんやりとさわやか、花びらのよう、
ぼくの額には断然これ、他のどんな冠(コロナ)ももう考えられない。
私の精神も明晰だったはずが、さすが「愛」に包まれると、
涙のみなもとの優しい影に惑乱するよ
(…)
きみの両手のあいだにあるものにキスを、キス一つのルビーで
ぼくの王冠が完璧になるのだもの、きみを愛する額にキスを!」
(松田浩則・中井久夫訳「ナルシサへのソネット」より)
二十年という詩作の中断ののちに、愛するひとのために書かれた詩は、読むこちらが戸惑うほどにみずみずしく。
このまばゆい花の冠は、その数年後のふたりの破局と詩人の死によって壊れてしまうのだから。かなしいくらい甘い。
いま地球の額を覆う冠がはずれたときに
この地上できっと交されるだろう
無数のくちづけのかわりに
今夜
一通のメールを送るひとのもとへ
たったひとつの
言葉を
どうか
よい年を
東京・杉並
峯澤典子
峯澤典子