10月16日(金)

〈空気の日記〉は23人ほどでリレーしているから当番日がまわってくるということは前回から3週間以上が経ったわけだ。え、もうそんなに。わたしの前回は9月24日(木)で、この日わたしは交通事故にあったのだった。当番日の日記の下書きをしてから用事で出かけて帰って来る途中の19時過ぎ、横断歩道を渡っていたとき右側の細い道からゆるっと出てきたタクシーがそのまま止まらずにわたしにぶつかった。スピードはほとんど出ていなかったからはねられたというより押し倒された感じで転んで後頭部を打って、といってもぶつかった瞬間に手に持っていた鞄とか傘とかすべてあきらめて両肘をついたから強打はしなかったのだけどびっくりしてすぐには起き上がれなかった。ドライバーがすみませんっ大丈夫ですか!? って大慌てで降りてきて、通りかかった知らない女性も大丈夫ですか!? 救急車呼びますか!? って声かけてくれて、救急車と警察がきた。近くにいた何人かが手を貸してくれたり気遣ってくれたりして、わたしも他人に親切にしようってそれからずっと思ってる。人生初の救急搬送で病院へ行き、CTもレントゲンも異常なしだったものの倒れるときに右膝を捻ったらしくて痛い。22日後の今もわりと痛い。階段を降りるのとかめちゃくちゃ痛い。痛いから思い出すけど、もう忘れかけてる。9月24日(木)は病院から戻って警察署に寄って被害者調書というのを作成してもらって帰宅したらもう23時で急にお腹もすいてそれから交通事故のことを書く気力はなく、出かける前に作った下書きのまま空気の日記をその日のうちに送った。だからWeb上に残された9月24日(木)の文字のわたしはなにごともなくアイスクリームを食べているのだけれど、本当は両肘を擦りむいて右膝に痛み止めの湿布を貼って汚れた服を洗濯機でがんがんまわしてた。傘は壊れた。日記を書いていると、日記に書かなかったことはなかったことになるような気がしてしまうから書けなかった22日前のことも22日後の今日の分に書こうと思って、書いているのだけど、でも、本当は文字に残らないことは無数にある。言葉にならなかったことのほうがずっとずっと多い。本当は、そういうこと全部なかったことになんかならない。そのとき思ったことや感じたことだって。今日もニュースを流し見ていると、何かをなかったことにしたい人たちはたくさんいて、忘れられてなかったことになりかけている何かもたくさんあるんだろうって思えて、治りかけの肘の擦り傷がむず痒い。わたしはもう「今日の感染者」が何人かよく知らない。感覚は擦り切れていく。生きていくというのは忘れていくことかもしれない。母は3秒前に聞いた言葉を思い出せない。でも、それはなかったわけじゃない。確かにあった。カサブタが剝がれて、右膝の痛みがいつか消えて、わたしが忘れてしまっても、雨に濡れたアスファルト道路に仰向けに倒れてタクシーのヘッドライトに照らされながら夜空を見たあの不思議な瞬間はなかったことになんかならない。そういうことが全部ぜんぶ積み重なって、わたしを、わたしたちを、まだない時間のほうへ押し出していく。

東京・神宮前
川口晴美