1月11日(月)

花がなくなると
葉が赤くなって

葉っぱが散ると
赤い実をつけて

きびしいなかにも
少しずつでも
うれしいを絶やさない

草木の
自然に学ぶことは
多い

うつむいて歩く
冬枯れの小道に

ぽつぽつ
ともる
藪柑子の赤い実

ちらちら
のぞく
龍の髭の青い実


と見つけた瞬間の
我を忘れる、たのしさ

ひと
と会わないほうが
いいから、できるだけ
ひとの道を避けて、歩く

あのひと
と会わないほうが
いいから、できるだけ
恋の道も避けて? 歩く

この道は
だれの道だろう

一都三県に
二度目の緊急事態宣言が出た
東京の感染者は3日連続2000人を超えて
埼玉も500オーバーになった

ときどき吐きそうになる
はねあがる数字の向こうに人がいる
そのことに想像が間に合わなくて

涙とか嘔吐は
きっと
からだの緊急事態宣言なのだろう

緊急事態にはことばも間に合わなくて
白いマスクに隠れて、おとなしく
春を待っている

最多を更新する感染拡大・寒波による積雪被害と
重苦しいニュースが繰り広げられるテレビで
ひとところ、春の光が射すように
コロナ対策に成功している国として台湾
のことが紹介されていた

最年少で台湾初のトランスジェンダーの大臣
オードリー・タン氏の
ほっこりした笑顔を、画面いっぱいに広げて

ニュースキャスターにも笑顔は感染して
「台湾の政治家のことばには
血が通っている」と感想をのべた

日本と台湾のちがいは
なんだろう、と考えた

わたしを助けようとしたひと

あなたを助けようとしたひと

差ではないかしら

それとも、あなたの中に
わたしを見出せるひとと
そうでない、ひとの差かな

そうそう
タン氏が講演の最後に「わたしのだいすきな詩」として
紹介されていたレナード・コーエンのことばを
わたしの
新年のあいさつにかえて、ここに

「すべてのものには割れ目がある
 そこから光が差す」

分断をつなぐのは
ことばのひかり

今年もよろしく。

埼玉・飯能
宮尾節子



1月10日(日)

昼まで月曜締め切りの原稿と、三野新・いぬのせなか座写真/演劇プロジェクト「クバへ/クバから」の座談会の手直し。昨日の夜に久しぶりに偏頭痛を起こした。前兆があったので薬を探したものの、見つからなかったので近所の薬局に行った。飲みかけのコーヒーで薬を飲んで、部屋の電気を消す。じっとしていると、会社の先輩から仕事の指示が入る。作業を終えて、原稿も手直しもせずにそのまま寝た。
洗濯と昼食(富士そば・ビール・日本酒)。洗い終えて、体で乾かす。高校の同期から凧あげに誘われて、三鷹へ。三鷹SCOOLのビルの1階にあるおもちゃ屋でポケモンの凧を購入。近くの居酒屋で酒を飲む。前に行った武蔵野の森公園では凧あげが禁止されていたので、ワインとスナック菓子を買ってバスに乗り、武蔵野中央公園へ。凧をあげている子どもたちが何人かいる。凧を持って全力で走り、呼吸器が破壊される。ワインを飲んでいるうちに頭が痛くなってくる。
夕方には解散し、高田馬場へ。本屋で文芸誌を立ち読みしていると、隣にいた二人組(?)が、――来月の特集マーサ・ナカムラじゃん、という。驚いてふり向くと、今月の現代詩手帖を読んでいた。月曜締め切りの原稿を思い出して、暗い気持ちになる。夜に、イギリスに行ったなまけとMさんの二人と電話する。遅れて山本が参加。なまけは家でひたすら料理をつくっているらしい。向こうの時間は、午前10時を回ったところ。昨日は在留カードを取りに行った帰りに酒を買って年齢確認をされたという。昔から未成年に見られることが多かったけれど、29歳にもなって確認が入るとはおもわなかった。
――(作者)どこに住んでるの?
――(なまけ)ロンドンを馬場だとしたら、三鷹みたいなところ。
――(作者)マジかよ!
酒を買いに行って戻ると、なまけのうしろで、Mさんが椅子の上に立ってサックスを吹いていた。音量が大きすぎてなまけの声が聞こえない。向こうでも気になったらしく、しばらくしてフルートを吹き始めた。どちらもMさんの持ち物で、東京の部屋にサックスを置いて先にイギリスに行った。年末に羽田空港までなまけを見送りに行ったとき、なまけは荷物といっしょにサックスを持っていて、明らかに海外公演に行くサックス奏者にしか見えなかった。搭乗便のクルーにもサックスを持った男がいることが事前に共有されたらしく、ほかの乗客よりも優先して飛行機に乗せてもらって、――ふだんはどこで活動されているんですか、と聞かれたらしい。

東京・高田馬場
鈴木一平



1月9日(土)

10月18日のメモに
「悲観には祈りがあり 楽観には黙殺がある」
と書いてあった
もう思い出しにくい
go toキャンペーンは大盛況で
人と会うにも気楽さがあった

年明けからあっけなく陽性者2000人中盤
2021年がどんな年になるかを誰もが理解した

トランプがけしかけたとされる議会への乱入は
何度聴いても驚きがある
警官1名もなくなっていて死亡は5名となった
今日、トランプはTwitterから永久追放された
他方、すべて謀略だとしてこれを擁護する声を
知り合いがSNSであげている
愛と自由と世界平和のために勇気をもって

コロナから回復した医師が
病状急変の恐怖と医療現場の逼迫を語り
また別の医師は
データを背景にコロナへの社会の過剰反応と
医療のミスマッチを説いている

緊急事態宣言のテロップはNHKだけ
日経平均は発熱したように上がり続けている
責任を問われる立場の人が危機を叫ぶが
STAY HOMEという言葉は使われなくなった
もう家に閉じこもっていることはできないのではないか

緊急事態宣言の延長と東京五輪の断念が伝えられるころ
社会のあちこちで諦めが解禁されるだろう
その時の空気は何色だろう

瞼を押さえたときに現れる
明暗の幾何学模様のように
地と図が入れ替わり続けている
たえまなく 
醒めない夢のよう
黙殺はもはや悲観のなかにあり
楽観は祈りの産物

東京・世田谷
松田朋春



1月8日(金)

TOLTA『新しい手洗いのために』(2020年11月22日発行)の特設サイト
https://spark.adobe.com/page/Pga8Tqgk03Ajt/
記載の文章(2020年11月記)に修正と追記を施す。

   

新しい手洗いのために

2020年1月以来、世界史に残る全人類的出来事となった新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは私たちの生活を大きく変えました。2020年4月から5月の「緊急事態宣言」の直前から、私たちは仕事や生活のありかたを変えざるをえなくなり、今ではこの感染症に適応した「新しい生活」を呼びかける言葉があちこちに掲示されるようになっています。

移動の自粛、在宅ワークの推進、三密を避ける環境をつくる、大勢が密集する場所ではできるだけ話をしない、大声を出さない。不特定多数の人に会う時はマスクをつけ、触ったものは消毒をする。感染症に対応するためのさまざまな方策がとられると同時に、日々、経済的・文化的な影響が積み重なっていきます。音楽フェスティバルや演劇、芸術祭、同人誌即売会、スポーツイベントなど、人と人が直接顔をあわせ、空間を共有することが前提となる祝祭が長期にわたり中止や延期となり、再開されても以前と同じようにはいかない。家の中からウェブの画面を通じて世界と向きあう時間がいやおうなく増えていく。全体的な変化(外出の際のマスクの装着といったこと)が、個人のレベルにおける変化(トイレットペーパーの数を気にするといった小さなことから、失業などで収入や身分を失うといった大きなことまで)と平行して起きていく。

これらの変化は同時に、2020年までに「できあがっていた」日本社会のさまざまな仕組みを目に見える形であらわにしたように思います。

私たちの暮らし――会社や学校や家庭や趣味の暮らし、そこにはもともとうまく機能していないことがいくつもあります。逆にとてもいい感じに働いて、私たちを豊かに、幸福な気持ちにさせていることもあります。生きるというのは、多かれ少なかれ、自分がおかれた環境に適応し慣れてしまう、ということです。豊かさにも貧しさにも便利さにも不便さにも私たちはすぐに適応し、自分がどんな仕組みによって生きているのか、生かされているのかに鈍感になります。

ところが「新しい感染症」は良くも悪くもこのような従来の仕組みを日々の生活で実感させるものでした。インターネットを通じたコミュニケーションや情報共有はこの感染症の影響で加速したとはいえ、私たちはまだ、新型コロナウイルス感染症によって生まれた「新しい社会」に適応できていません。

2021年1月、政治家の出席する会食には制限が加えられることが検討されましたが、政治家は政治家のあいだではルールを決められないと結論を出しました。会食を制限するルールを決めるなど、たとえこの感染症で急死した現職議員がいたとしても、できるわけがない。政治家には新しい生活様式など不可能だ。この社会では、政治家の判断する、人々の生活をまもるためのもっとも重要な決定は、夜子供のそばにいる父親や母親、ダブルワークで一日中働いている人々、介護のために家から離れられない人々が、参加することはおろか見ることも聴くこともできない、閉ざされた「夜の会食」で行われているのだから。夜の会食ができなくなれば、政治家は政治家の本分を達成できない。政治家は夜に生きる。政治家はけっして感染症にかからない。リーダーシップ! リーダーシップ!

さて、私たちはこの状況のなかで、誰も否定しない本をつくりたいと思いました。

肩こりにはシップを貼るとよい。感染症対策には手洗いをするとよい。感染症および公衆衛生対策の基本は「接触の管理」にあります。そのための基本的な方法は「手を洗うこと」です。新型コロナウイルスCovid-19においては飛沫感染を防ぐためのマスクが重要とされていますが、はっきり目にみえる一方で顔の大部分を隠してしまうマスクの装着は、文化や体質によってなかなか受け入れられないこともあります。一方で、手洗いはほとんどの場合、目にみえません。手洗いは他人にアピールする行為ではなく、自分自身で完結する行動です。

多くの場合視覚優位な生き物である人間は、とかく、目に見えるものから問題にしがちです。しかし私たちの目は顕微鏡ではない。多くの場合洗った手も洗っていない手も私たちには区別がつきません。だからこそ私たちは、手洗いについて考えることにしました。
『新しい手洗いのために』は、手を洗うという行為についての叙事詩です。手を洗うためのハウツーであり、手を洗うことの歴史であり、手を洗うことの物語です。

東京・つつじが丘
河野聡子



1月7日(木)

もうすぐ雪が降る
わたしの
半分は嘘で 他の二割は信じられない
そして残りは
自分にも(わからない ことばかり

それを聞く あなたにとって
わたしは あたることのない天気予報 
声は 三分後には 忘れられている(だろう
未来はいつも 雪が降るか 降らないかに 分かれていき
あとは 震えて 遠い夕陽や 無機質なLEDの
光に(かくれてしまう 
もうすぐ雪が降る

北の国では
いま 猛烈に雪が降っている
という 知らない人の声
けれどここでは そんなことは(わからない
わかっているのは 
もうすぐ雪が降る と呟いているわたしが
もうすぐ降る雪を まっているのか まっていないのか
と いうことだけ(うそだけど

もうすぐ雪が降る
マスクで顔を半分隠して
肺からの 呼気で 声帯を震わせている
(五秒に一二度 まばたきして
自分の声の 波長がいつも よそよそしくて
だからもう一度 ちいさく呟いて
もうすぐ雪が降る の間の
不連続の間にだけ
わたしはいる

頑張れないよね これ以上
ずっと窮地を 耐えてきたのに
逃げたくても逃げる所が 地球上にはないのだから
やっぱり通過する 列車に引き寄せられるのって 怖いよね
死ぬつもり なんかないのに 引き寄せられて
勝手にからだが 前にすすんでいくの

もうすぐ雪が降る
だれも聞く人はいない
もうすぐ雪だけど

福岡市・薬院
渡辺玄英



1月6日(水)

月日を病に射抜かれた2020年
希望の2021年へと
人々が座を移す年末年始に
東京では感染者が
1000人を幾度も超えて
今日は過去最高の1591人
だから明日
2度目の緊急事態宣言が出る

私たちは知っている
きっとふたたび
あらゆる言語の強権が
私たちの不屈を
手ひどく挫いてゆくのだろう
剪定されてゆく
とぼしいラングの中で
私たちはふたたび無口に還ってゆくのだろう
そうしていつしか諦めを
うつくしいと詐称するのだろう

(幾度も見た
それらは波のように
とおいところからやってきて
冷笑に出迎えられては
音もなく姿を崩していった)

私たちはこれからも
生き続けなければならない
生存のために
家にこもらなければならない
だけど私たちは
労働しなくてはならない
家賃を払うため
食費をまかなうために
明日も明後日も来週も
ひそひそ外に出なくてはならない

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹



1月5日(火)

昨年の間に溜まった静電気は
バチバチッと
世界規模の摩擦が立てた轟音に

それで聞こえなかった真実は
パンデミックのせいにした虚脱感

避雷針になってくれた一月一日

睡眠の天才にしてくれた
二日、三日、四日、そして五日

東京・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス



1月4日(月)

知事らは政府に
宣言の検討を要請したのだそうだ。
政府は専門家の
意見を踏まえるのだそうだ。
一方で政府は知事らに
要請前倒しの対策を要請していて
各知事も応じる構えを見せているという。

不思議の国の日本へようこそ。

誰が誰に
何を求めているのか、
求めた者と応じた者のどっちが
決めたことになるのか、なぜ宣言ではなく
宣言の「検討」なのか?

いや、そもそも強制力のない「宣言」って何なのだろう?

「人間宣言」
のようなものだろうか。
それとも「春の交通安全宣言」の方が近いか。

どちらにしても「法律」ではないという点では同じで
強制力がない代わりにそれを拒否したり
承認したりする術もない。

歌のように、空に向かってただ詠みあげられるだけの言葉たち。

ひらひら、はらはらと
舞い散ってくる暗黙の花びらの下で
男と女が
生まれたまんまの
白無垢の無名性にくるまれて抱き合っている。

ウィルス一粒すら
もぐりこむ余地もないと言わんばかりに
肌と肌をぴったり重ねて。
肋を軋ませ。

男の胸に顔をうずめて
うっとりと抱かれているのが知事で
仰向きに薄ら笑いを浮かべて
小鼻をひくつかせているのが政府だなんて想像するだに
身の毛がよだつが

案外、そのどちらかが
(ことによっては両方ともが)自分だったりするのかもしれない。
汝、自身を知れ、は難しい。まして、
しっかりと目を見開いて
自分で自分の寝顔を眺めることは誰にもできない。

花びらに打たれるごとに
ふたりの柔肌に真紅の痣が咲いてゆく。

床の間で、死は、
冷たい汗をかいている、
去年の売れ残りの柿の実みたいに。

愛欲と腐食の入り混じった
なんとも言えない匂いが胎児のように育ってゆくが

障子を開けても、窓は嵌め殺しだ。

横浜・久保山
四元康祐



1月3日(日)

グレゴリオ暦というヒトに不調和な太陽暦が
新年を連れてきても
わたしたちの身体は まだ
2020年にぶら下がっている

感染がピークをむかえる中を
夫が初席に出かけていく
観客は集まらなくていいんだ 
誰も出かけないに越したことはないんだから

寄席には年中無休という矜恃があるらしい 
(3.11の時すら休まなかったのだから夏の中止は前代未聞)
緊急事態宣言も再発令かというのに

高座があるならそこに座るよ 
辞するという選択があってもしない
遣わされた地点で
そのときできることを

縁起ものという言葉では足りない
笑いを祓いにしたいひとたちが つかの間
不安じゃないものでむすびつく
とどこおる息がマスクの中で爆ぜて
その間にやどるのは
予言通りの
あたらしい青空であればいい

紋付袴にインバネス
ひるがえす裾が もう風を起こしている
不穏の包囲を
散り散りにするための

東京・目黒
覚 和歌子



1月2日(土)

大つごもりとともに
冬の空気が適切に訪れて
雪の降る山の中で
積み重なった松葉を掃いた

我が家の墓は山の中にある
落葉を整えて
吐くだけで吸ってもらうから
墓は嫌いではない

健全な寒さがやってきて冬支度に勤しみ
ぬくまった布団から出た頭だけが冷える

闇に白い呼吸が浮かぶ冬を
冷気にさらせば血がうごめく冬を
嫌だと思ったことがないから
きっと好きなんだろう

密という字が広く擦りつけられたのは
年が切り替わる前の昨年で
密接の字が飛び交っても
手垢にまみれていることのように思うのに
密やかさが広まったのであれば
面白さを感じている

密の字の由来は霊廟に武器を置き
安寧をひそかに祈っている姿から来ているらしい

密やかさを武器に
つなぎたい手をつなぐ術を覚えて
つきたてのおもちを食べたがる君の手を握る

手足を縮こませることが適応することで
誰かの為すことに喜ぶ範囲も狭まる
全ての後に
しかたがないとつきそうになるが

鳥が眠るように
花が落ちるように
道が凍るように
その通りになることを見つけることなんだろう

唇の前に指を立てる
縮こまった手足は失われていないし
キャッチボールの陣地もなくなっていない

春に小学校に上がる男の子が
「緊急事態宣言が発令されました」と元気よく言い
黄色の折り紙で作ったメダルを配っていた

大分・耶馬溪
藤倉めぐみ