1月21日(木)

再度の緊急事態宣言発令に向けて
文学フリマが中止になった
詩集の刊行を見越して申し込んだ文学フリマ
よくわからないが大きなホール
机の上に詩集や同人誌を並べてサインしながら売るのだろう

京都にいけないから
徳正寺さんに会えないし
詩人の西田さんにもお目にかかれなかった
手伝ってくれると言っていた瓜生さんにも会えません
じつは詩集が間に合わず
どうしようと言っていたから
まあ良しとしよう

そしてまた
1月31日のトークショーも無観客ライブになりました
オンラインの無観客ライブですが観客募集中
でもでもでも
詩集刊行記念と銘打ってあるので
こんどこそ、こんどこそ間に合わないと困ります
すると奥から百人力のスタッフさんが
魔法のように夜12時までかかりきり
するとめでたく印刷所に入稿してもらえました

ありがとうありがとう
さあさあこれで安心安心
だーっはっはっはっはっ
と子供がわらいます
だーっはっはっはっはっ
と赤ん坊が叫びます

めざめる希望を朝に抱いて
もろもろの事情でしばらく会えない方々
深夜、ひそやかに
おまえの雪はぴかぴかと降るだろう
おまえの星はざらざらと光るだろう

東京・西荻窪
田中庸介



1月20日(水)

県芸で芸学専攻の学生たちとの
詩作の実技研究が先週と今週に連日あり、
六日目の今日は柄にもなくこの十年の現代詩について話そうと
昨夜どうにか資料を作り、今日の午前中に原稿にまとめていた。

いつもの年なら歩いて五分ほどの当蔵キャンパスで
おたがいの顔を見合わせて話すはずがオンラインでするのは
ちょうど今日から沖縄が県独自の緊急事態宣言を出すと
何の冗談なのか布マスクをつけた県知事が昨夕会見した通りで
昨日も今日も島嶼県で感染者が百人を超える状況ではほかにしようがなく
ちょっと重たい話にもなるから学生の様子が気になったけれど
間にインターバルを入れつつ二時間ほど話したことを
学生たちはよく聴いてくれていた、気配が伝わってきた、気がする。

午後一時に始まった実技研究は夕方五時半に終わり、
きみが作ってくれた夕食を食べて七時半過ぎくらいだっただろうか
エネルギーが空っぽでスイッチが切れたように眠気に誘われて、
まだ今日じゅうにやることがあるからすまないけど九時に起こしてと
頼みながら布団にもぐり込むなり眠ってしまった。

「***が来てるよ」
きみの声が眠りの向こうから聞こえて目を覚ましたのは
ちょうど九時だった。誰だろう? とぼんやりと思いながら、
訪ねてきたのは親しく付き合っている詩の仲間で、
「さっきから電話も鳴ってたよ」
そう教えてくれるきみに促されるように
パジャマの上にウィンドブレーカーを羽織り、
窓辺に干していた不織布マスクを付けて玄関のドアを開けたら
彼は廊下に立っていて、人とこんなふうに対面するのはいつ以来だろう、
街ですれ違うとかでなく久しぶりに人と対面で会った驚きに
半ば勘の戻り切らないもどかしさで挨拶をすると、
これをと差し出されたのはムーチーだった。

「……ハチムーチー……」
相手の言葉も寝起きの頭で聞き取れた単語がそのひとつあれば十分で、
ああ、今日はムーチーだったんだと思い出した。
旧暦十二月八日は沖縄では月桃の葉に包んだ餅をいただく日。
甘くて月桃の薫りのする餅をムーチーと言うのだけれど、とくに、
その一年に生まれた子の健康を願う(ついでに大人たちの健康も願う)
初餅がハチムーチーという縁起ものだ。

先日きみとスーパーに行ったときムーチーがあったから、
「買う?」
と訊いてくれたのに、ううん、と買わずにいたムーチー。
店で買うのは味気なくて、叔母がたくさん作って持ってきてくれたり、
町内会のムーチー作りできみとうたがこしらえた年もあったりして、
そこから遠ざかってはますます店で買う気になれなかった今年だったのを
ハチムーチーだなんて晴れやかな祝福のお裾分けが舞い込んできて、
ぼんやりした頭で受け取った袋を手にぶらさげたまま、
「おめでとう。ありがとう」
うれしさをぎこちなくしか伝えられなかったつかのまの後で、
「ハチムーチーをいただいたよ」
きみとうたに見せたら二人ともうれしそうに声をあげた。

沖縄・那覇
白井明大



1月19日(火)

明け方からの
おもさで
僕はたわんでいく

すべて通行止めだから
だれも これないね
おはよう

おやすみ
ニュースの声も
届かなくなった

暖房をつけたままの部屋は
空気が記憶をはらんでいて
あたらしく産む支度をして

罅が、生じても
おもさで
僕には見えなくなっていく

腕も足も枝葉もぜんぶ
うばわれて
深い眠りのまま過ごしていた。

木箱に詰まった林檎が
すこしずつ なくなる
皮ごと食していく

北海道・札幌
三角みづ紀



1月18日(月)

もう
数えない

朝刊の
一面に

国内の感染者数と死者数と増加数と

世界の
それらの数が

掲載されている

33万696人(+5760) *
4525人(+49) *

9450万1892人(+63万2703) *
202万2279人(+1万2684) *

国内の14都道府県が感染爆発の段階とされている

もう
数えないが

すでに国内に
イギリスからの変異種の感染者が

自宅療養している
という


女が

出掛けるのを
見送った

モコを抱いて
白い車の後ろを消えるまで見ていた

西の山の上の青空に白い雲がぽかりと浮かんで

いた

202万2279人

世界の死者たちの
顔を

ひとりひとりを
思い浮かべている

人が
いる

白い雲は青空の中に形を変えていつか消えていく

*「朝日新聞」1月18日朝刊より引用しました

静岡・用宗
さとう三千魚



1月17日(日)

ほんとはね、きのうはけいおうで西脇にかんするイベントに出て、今日は京都でぶんがくフリマに出店する予定だったんだけど、ふたつとも流れちゃって、なんて、とつぜんにぽっかり予定が空いちゃってみると、みょうにちからが入らなくて、起き上がることができなくって、ごぜんちゅう、ずっとふとんでよこになってた。なにするでもなく。からだがだるくって、どこか熱っぽくって、これってもしや、よもやよもや、とかおもって、体温はかってみたんだけど、ぎゃくに35度8分しかないのね。体温計の故障かもっておもって、べつの、もうひとつの体温計でも計ってみたんだけど、むしろ35度7分に下がっちゃって。ふあんになってしらべたら、低体温だと免疫力が弱くなったりびょうきになりやすくなったりうんぬんてかいてあって、いろいろ困りそうだし、かかっちゃう確率も高くなりそうだから、まずは体温を上げなくちゃっておもって、体温を上げるには辛いものをたべるのがいちばんっしょ、とかおもって、キッチンであまってるやさいてきとうにざくざくきって鍋にぶっこんで煮込みつつ、先週号のアンアンのつづき読みつつ、しあげにカレー粉とあとチリペッパーとかコリアンダーとかターメリックとか香辛料だばだばふりかけて食べたのね。じきに汗がだばだばた吹きでてきて。食後、いまいちど体温を計ってみると、35度6分に下がってて。汗で熱が出てっちゃったのかもしれない。くたびれちゃって横になって、ビートルズの、というかジョン・レノンのI’m so tiredをくちずさんでるうちに、I don’t know what to doのあたりでもう落ちちゃってたのね。2時間くらい。で、起きぬけに、また体温はかってみたんだけど、こんどは35度5分になってて。このまま体温が下がってったらしんじゃうんじゃないかってちょっとふあんになって、体温を上げるほうほうとか、よこになったままスマホでいろいろ調べてるうちに、なんだか妊活してるみたいなきもちになってきて、でもすぐに、じぶんがもともと妊娠できないからだであったことをおもいだして、ちょっとかなしいきもちになって。

東京・冬木
カニエ・ナハ



1月16日(土)

飲み込みなさい
咳も、くしゃみも、
 貧乏ゆすりも、椅子を引きずる音も、
厳重静粛の三〇分、
日本じゅうの受験生が
一斉にイヤホンをつっ込むとき

よそのくにでは考えられないだろう
 なぜスピーカーで放送しないのか
  全国で設備がちがうから
   教室で音量が変わるから
    席によってリスクが出るから

    それだけか
   五〇万台のICプレーヤーは
  生産する
 回収する
毎年、金が動くのだ

あの懐かしき日本発、
小型カセットプレーヤーが
一斉を風靡したのは何十年前だろう
いまや
世界じゅうから忘れられたその技術、
  なれの果てなのさ
 吹きだまりなのさ
このリスニングテストは

凄まじき、
地産地消

さもしい人間よ、
試験監督のわたしも
おこぼれの一滴、
まして
コロナ下では、

許されない
咳が、くしゃみが、
咳も、くしゃみも、

コウモリは聴きとっているだろう
若いからだのそのおののきを
五〇万のマスクの底の、

夕闇で

神奈川・横浜
新井高子



1月15日(金)

必要なものだけを手早く買う
ひとと会わずにメールですます
朝から顔をマスクで覆う
そんな暮らしが長くつづけば 息ぐるしい

だからきょうは花屋に寄った
ことしも春の花が並びはじめていたから
そういえば もう何か月も
だれかのために
花束を作ってもらっていない

以前 チューリップがいちばん好き と言ったひとがいた
この花は家に持ち帰ったあとも
太陽をさがして 茎をのばしつづけ
明るくひらき 日暮れには眠り
そうするうちに
花びらが零れ落ちそうなほどに おおきくひらきはじめ
からだが色をなくし 透きとおるまで
たっぷりとひかりを吸い
ぞんぶんに生きたあと
いちどに散ってゆく

花びらが燃えあがるようにひらききるまでを
見守るこちらも
きのう きょう あした あさって と
移り変わる姿をじゅうぶんに味わいながら
終わりにむかって 心をすこしずつ整えてゆく
散ることもその花の豊かさ と信じられるように

年が明けて
緊急事態宣言がふたたび発令されたあと
子どもの通う小学校でも
この週末に予定されていたマラソン大会の中止が決まった

中止が知らされた日
帰宅した子は
たのしみにしてたのに とだけ言って
だまってしまった

去年の夏からこの日のために朝と夜に走る練習をしていた
ともだちのMくんは
帰り道 泣いていたという

じゅうぶんに咲ききる前に
とつぜん むしられたら
花だって
いたい
つらい
かなしい
さびしい
くやしい だろう
ちぎられた茎からは
見えない血が流れているかもしれない

ちいさなひとたちが
きゅうにむしられた花びらのために
泣けないひとのかわりに
泣いてくれたから

わたしは思い出す
だまったままで
泣かないままで
失った花のことを忘れたふりをした
たくさんの夜を

そして
おおきくひらききったあとの花びらを
見送った朝の
すがすがしいほどの
かなしいうつくしさを

東京・杉並
峯澤典子



1月14日(木)

昼間散歩に行った
時々立ちどまっては、スマホに空気の日記を書きつけた
そこには
家の石鹸で洗うマスクの中にふわっとみちている
甘い許しの匂いのことや
視界に広がる春の光と
マスクを外すと冬という現実を告げてくる枯れ葉の匂い
枯れ葉と土を、その下から楽し気に動かす
見えない生きものの誰かさんのことや
ブロック塀の上で出会った
誇り高い王様のような猫の
生きている、そこにいる
気配の強さが書きとめられていた

でも
さっき、迷った末、その文章を今日の日記にするのをやめた

東京の新規感染者が1000人を超えた日も
それがほどなく二倍以上に膨れ上がって2000人を超えた日も
今夜のようには感じなかった

逼迫しているという医療
なにかよくなる要素はなにも見えない、今日の社会
ひたひたと
それがどんなにおそろしいことかが
口の中に遠くから、味になってやって来る
閉じた扉が限界まで膨らんでいるのを見る

足元まで水が来ている
日常のままの光景で水が進んでくる
だれも教えてくれなかった、その日、その時をどう感じればよいのか
どう対処したらよいのか
その光景が、甦える

親や親戚から伝え聞いた、
身内の人が、どんなふうに戦争に行ったか

思い出す資格が私にあるのかどうかもわからない
いくつものことが
映像になって押し寄せる

今日はそんなおそろしさを感じた
いつだったか、この禍いのはじめ頃に
ニュースに釘づけで、これでは保たないと思った
あの頃以来の
胸がずっしり塞がる夜を迎えている
たぶん決壊する
夜全体からそう告げられている気がする

そしておそらく
個人の希望というものは
それとは無関係なのだと知らされる
春の兆しの光のように
猫のように
今日の私たちひとりひとりのように
そうは言っても、
それぞれの人生をその日
あるいはその日まで生きるのだと
知らされる

千葉・市川
柏木麻里



1月13日(水)

つり革にも
握り棒にも
つかまっていない
OL
サラリーマン
学生
おばさんもおじさんも
電車が揺れるたびにあっちへよろよろ
こっちへよろよろ
時にうっかり咳でもすれば
刺すような眼差しがいくつも
冷たい空気の中を
束になって貫いてゆく

振り向くな
振り向くな
死んでゆくのは皆他人

緊急事態宣言発令後
役所はいまだフル出勤で
通勤電車は今日も密
保健所業務の応援に
定年退職再任用の職員までも駆り出される
すなわち僕も駆り出される
きっとたくさんの感染者、
感染不安の人たちの
刺すような視線をあびるのだろう
検査技師不足はすこしは改善されたか
感染経路は追えているのか

杉並区は成人式を挙行した
4回に分けて感染対策をして
それを某プロ野球元監督が上から目線で
「なぜ成人式を強行するのかと問いたい」と反論できないところから罵る
だからお前が監督の時にチームは弱かったんだ
と、思わず呟く
役人に降り注ぐ
罵詈雑言には慣れている
だがキチンと議論しているところは見たことがない
罵詈雑言の人には議論する気は最初からなく
謝罪だけを求めるからだ
一方役人は議論が苦手
罵詈雑言には答えようがなく
答えれば火に油を注ぐだけ
そんな日々が今日も続く

このごろ増えた
カウンターでの怒鳴り声
「課長を出せ!」

東京・小平
田野倉康一



1月12日(火)

今日
東京に初雪が降ったらしいけれど
わたしは見ていない

おとといの日曜日はわたしの誕生日で
昨日の祝日は成人の日だった
コロナ感染者が急増している状況で成人式を開くのか、とか
出席して大丈夫なのか欠席すべきではないか、とか
せっかくの晴着を着る機会が、とか
論争もあったみたいだけど今朝の新聞にはマスクで着物姿の女の子たち
おめでとう
39年前のわたしは成人式に出席するという発想がなかったから
少し不思議な気持ちです
役所が主催する式におとなしく招かれて並んで祝われるなんて
従順な工業製品として完成させられるみたいでいやだと思っていました
着物を纏うのは古くさい伝統に幾重にも体を縛られることそのもので
息苦しいと勝手に思って憧れたことは一度もありませんでした
遠いあの日
ふつうに大学のレポートのことを考えながら
午後の光射す西武線にゆられていた青くさいわたしを思い出します
――もしもあそこから何かをやり直したら
たどり着く今はこの今とは違っている?

そのわたしは今日の初雪を見るだろうか

おそろしい量の雪が積もっている映像が
ここ何日かSNSを開くたびたくさん流れてくる
子どもの頃わたしも何度かそんな雪を見た
福井県小浜市で
朝起きると父が屋根の雪下ろしをしていて
道の両側に除けられた雪が積みあげられ白い壁のように迫っていました
学校へ向かうわたしは眩しくて寒くて何も考えていませんでした
――あそこまで戻って少しずつすべてをやり直した方がいい?
この今はあまりにも間違っている気がするから

初雪を見たかったわけじゃない

感染者数が1000人単位で増えていくのなんて見たくなかった
間違っても謝らず責任を取らない政治家たちの跳梁跋扈も見たくなかった
言葉を雑に扱って歪ませる大人たちを見たくなかった
医療を受けられないまま死んでいく人を見たくない
――どこからやり直せばいいのだろう
1年あったのにほとんど何も対策されていないみたいだから
もっとずっと遡らないとたぶん無理だし
時間は巻き戻せないし
歴史改変はやっちゃいけない
知ってる
たとえループできたって今日のわたしは初雪を見ない
おめでとう
59歳のわたし
ここは緩やかな地獄です
いつか見たかったものを見るためにここから
やり直していけますように

東京・神宮前
川口晴美