9月20日(日)

これから船が出ます。
完全避難マニュアルに従い避難してから10年。
桟橋までの道はガラスと石の建物に囲まれていました。
QRコードで感染リスク通知サービスに登録しました。
10年前、何から避難しようとしたのか、もう思い出せません。
道は変わりましたが、桟橋はほとんど変わっていませんでした。
広場で三重の十字が輝いています。
白と青色の船には赤い花の名前がついています。
名は体をあらわさない。
それではこれから船に乗ります。

東京・竹芝桟橋
河野聡子



9月19日(土)

深夜三時におきる
窓をまず開けて星をたしかめる(月はみえないまだ月齢二日
南東にひときわ明るく輝く星があって
あそこから地球を見ている人
のことを想像する
(ここからは見えないが木星は射手座付近を順行しているらしい

ぼくが窓辺に立つといつのまにか
猫がよこに坐って
やはり外を見ている
じっと耳をすまして闇の向こうの気配を観測している
もう秋の虫が鳴いているけれど
ぼくには聞こえないものが猫には聞こえているのかもしれない

(今週から授業が始まり(でも遠隔なので(学生たちはホントにいるのか?
(観測はできるが(ホントにいるのか? きみたちは

目に見える夜空も星も虫たちも
本当にそこにあるものなのか確かめようがない
星は輝くだけ 虫は鳴くだけ
(むろんそれでもかまわないが(見えない木星が今も刻々と順行している
目に見えるものさえ不確かだとしたら
ぼくはどれほどの確かさでここで夜空を見上げているのか
ここで夜空を見上げているぼくの心は誰からも観測されはしない

(そういえばぼくは地球という惑星をじかに見たことがない
星が星であり星でない
虫の音が虫の音であり虫の音でない
ように ぼくはぼくでありぼくではないとしたら

いつのまにか
猫は瞑目している
ちいさなスフィンクス

福岡市・薬院
渡辺玄英



9月18日(金)

暑さを続ける空から
いつの間にか秋が露出している
いつの間にか総理も変わっているし
いつの間にかGo toに東京が加わって
我々は流行が収束に向かっていると
いつの間にか気をゆるめている

この間久しぶりに新幹線に乗った
互いの顔すら見ない
配慮された孤立の中で
マスクをはずし
弁当を食べると前と同じ
美味い

遠くうつくしいままの山の中で
寺院は変わらず
時間の縦糸に追従していた
歩き果てた私が
汗で濡れた帽子を脱ぎ
立ち止まって疲れをほどくと
霧が纏わるように山すそに立ちこめて
忍従から突きはなたれた
心はいっとき離散を忘れた

旅から戻ると
海が荒れている
秋雨前線が発生していて
やはりもう秋だった
遊びをやめかねた人たちが
波の荒さにおびえたように
薄着の身体を寄せあっていて
波か風か
運ばれてきたちいさな枝が
浜のあちこちにつき刺さっていた

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹



9月17日(木)

高熱の静けさ
夢とのけだるい綱引き 
外で囁く鈴
宅配バイクのエンジン

るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん

時代の手の長細い指が
小さな症状から存在の制限まで 
一本の線をなぞる
たった一つの体に閉じ込められたまま
生まれて死んでいく

るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん

同じ空気で
同じ水で
同じ土で
皆の体がつながっている

るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん

蛙がないた
人間もそう

東京・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス



9月16日(水)

青い袋には燃えぬもの(月一回第三月曜日)
黄色い袋にはペットボトルにガラス瓶(月一回第一月曜日)
赤い袋にはそのほかの全てを入れる(毎週火、金)
プラスチックも生ゴミも古紙も
燃えるものなら一切合切
九州は豪放磊落だ

だがこの世に
燃えないものなんてあるんだろうか?
原初の星の溶鉱炉
水素ヘリウムぺちかと爆ぜて
炭素誕生!

フューネラルホーム彩苑は永遠なるイオンの真向かい
担当の林君はどこからともなく現れいでて
重い原子で人の姿を象る

「タメタカ様は疫病が流行っても夜な夜な女のもとへ通いつめ
案の定その年の十月に感染、翌年六月にはお亡くなりになりました。『栄花物語』の
鳥辺野巻に『このほどは新中納言・和泉式部などにおぼしつきて、
あさましきまでおはしまつる』とございます」

あさましきまで
おぼしつきて果てるは本望
食べれなくなった人はげっそり頬が削げ落ち
皮下注射で水分のみの補給(胃瘻は事前の本人確認により拒絶)
分からなくなった人は
日が暮れるたびに空を仰いで慌てふためき
暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせアリセプト錠

石破れて山河あり
corruptという語の訳には
腐敗ではなく畸型と暴走のニュアンスが欲しい
自分たちの苗字の多くに自然が宿っているということを
日本人自身はどう受け止めているのか
NHKの画面上部に流れる災害情報は絶えずして
しかももとの国にはあらず
こんなにも空を見上げて過ごした夏は生まれて初めてだったと
肩を組んで述懐する小学生たち

遅かれ早かれ太陽は膨張し
僕らの全てを呑みこんだ揚げ句内側へと崩れ落ちる
一握の炭素の吐息だけをキラキラさせて
究極の赤いゴミ袋だナ
燃えるものならなんでもかんでも放り込む
プラスチックも生ゴミも古紙も
皮も肉も血も涙も

青いゴミ袋には何入れようか
言葉、重力、それともあさましきまでの愛……?
骨壺の値段について(五寸か六寸、全て有田焼でございます)
しめやかに語る林君の淡い影を見ている

​​​​​​​福岡・東区
四元康祐



9月15日(火)

こめかみの内がわを信号が途切れない
耳鳴りより淡い血流の音を知ったのはいつだろう
この音が聴きたくて山に来てしまう
夏は消えながらまだそこにいて 首すじにはうっすらと汗をかく

ときどき林道を通り過ぎる車は
遠くからきてまた遠のく波の音
からだの重みでたわむキャンパス地が舟のかたちになって
東京はもういいな と思った

大昔はじけたときから宇宙は無口だった
カリフォルニアも火星になったのだから
ようやくみんなかえるところを思い出せるだろう

やわらかくしずまる自分を聴いている 
大切な人とトカゲたちが待っているのでなければ
東京は もういい

八ヶ岳
覚 和歌子



9月14日(月)

きちんとした順序を組み立てれば一日で世界一周だって出来るという言葉が忘れられない。浮遊をするということは私にとっては呼吸をすることだったようで、耐えていることもないはずなのに、台風が来て気づく。持ち重りばかりを増やしている。

今わたしが捕まえようとしていることは捨て去ること放り投げることばかりで、それは私が、むかし街にいたときにずっと考えていたことだった。街の音は積もってしまうから、あんなにたくさんある中からもう少ししかいらないって砂を落とすために書いていた。街からはずっと遠く、今、虫の音が響くこの場所で、もういらないものはいらないんだよねって思ってしまうのは、やっぱり風が吹いたからなのだと思う。

ジャムを保存していた冷凍庫、顔をうずめたソファ、亡くなった祖父の代からの古釘、いつ手放したってよかったものを外に運び出して、いつかのなんらかの得体のしれない薬品がまだ古い倉庫で笑っているから、古紙を詰めた箱にゆっくりとゆっくりと流し込む。少しずつ少しずつ瓶が空になる。この家にもいたずらに高く積みあがる城があって、それと面と向かおうとするといつも立ち止まってしまう。その高さに、止まらないと動けなくなってしまう。10秒だけ止まっていいよって許しながら、止まって、動き出して、息をどうしたらいいか分からないから、数を数える。1、2、3、4。

今日もいだイチジクは4つだった。街を遠ざかってから食べ頃のとろりとしたイチジクの見分け方は完璧になった。とっておいたイチジクは砂糖と一緒にくつくつと煮込んでいく。何もかも飛ばしてしまうんじゃないかと思われてた、あの台風の日の翌日は、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12。12個も熟してはじけていた。あのイチジクは台風ですらも待っていたんだ。

暦通りの温度もなくなれば、いつかという先のことも言えないけれど、秋の風は、あの大風は空を切ったね。切られた空は、切られた先から軽くなっていくんだね。秋が一番好きだっていうことはまだ何も変わっていないから、夢を見て踊ろうか。

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ



9月13日(日)

朝の道の脇で芙蓉が開花している
鯛の皮膚に似た淡色の
椀状の花弁が風に揺れるさまは
どこか現実の事物とは違い
別の世界の水面に
そっと触れているようだ

朝起きると
たまに
夢を見ていたのか
何かに夢を見せられていたのかが
分からなくなる
夢の中で
わたしは〈わたし〉の後ろ姿を目視したことがある

大風が吹くと
水に映る光景は屈折し
夢が夢に近づく

福岡・博多
石松佳



9月12日(土)

ひとりひとりに居場所があり
犠牲にしない社会が強い。
意志は示しておかないと
信用は損なわれる。
域内に敵と味方をつくり
分断の中で存在感と発言力を維持する。
応じた者と応じなかった者。
自助、共助、公助、そして絆の既得権益。
倫理と利益の持続可能な両立。

東京・調布
山田亮太



9月11日(金)

時代はますます加速して
あそこにあるあの機械を使うためにだけ
京都にまた日帰り出張をすることになった

東京駅を午後に出て
新幹線の終電で帰る
「のぞみ」だと東京から2時間15分
13,970円
高いけれどとても近い
ICカードで乗ると指定席はコロナでがらがら
両側の窓際に乗客がひっついている

炭屋だか柊屋だかに
親類の文士が泊めてもらったとき
犬の頭をなでようとして女将に(この子は
京都弁でないとわからない、から、
かしこいなー、(か、にアクセント)
かしこいなー、(か、にアクセント)
とほめてやってくださいとご教示をいただき
その通りに褒めてみたら犬がやっとなついた
というような逸話も今は
昔のことである

深沢七郎に
「銘木さがし」という掌編がある、これは
銘木好きの人たちに触発されて
気がついたら
京都まで行ってしまうというお話。
中公文庫の
『言わなければよかったのに日記』
で読めますよ、

志賀直哉の「ある一頁」という小説も
京都に入ることを書いている。そこには、
 
 「何処ですか」といふのに、
 「よ条小橋」(よ、に傍点)と云つたら、
 「四条(しじょう)小橋ですか」と直ぐ云い直された。彼は何だか
 みんなが寄つてたかつて乃公を侮辱するのだ
 と云ふ気がしてきた。

とある。結界にひっかかっている。
読めなかっただけなのに――。

南北に地下鉄が走る烏丸通、
そこから東に向かって
鬼のように
東洞院、高倉、堺町、柳馬場、富小路、麩屋町、御幸町、
と来たら寺町通。それから新京極があって河原町。

これに直行するのが
東西に地下鉄が走る御池通、そこから南に下がって
姉小路、三条、六角、蛸薬師、錦小路、そうして四条
四条通りには阪急京都線が走っている
昔の新京阪電車である

この小宇宙。
(全部、読めましたか?
(ジンジャーエール飲みたいな、

はい、おおきにありがとう
京都はことばで千年も結界を張っている

京都
田中庸介