2月7日(日)

おもいだせない、はんとしまえが
いえ、さんかげつ
へたをすると、みっかまえも
ざるであった、
あたまは

いろんなひと、こえ、もじ、ふうけいが
はいってくる
まいにち、すべりこんでくる
それぞれ、ふしぎな「かげ」になって、

なにがのこるのか
わたしといういれものだけあったって、
「あみ」がなければ、
とおりすぎるだけなのですよ

みえるもの、「かげ」は
がめんごしでも、ビニールごしでも、
やってくる
おしよせてくる
コロナのなかだって、
だが、

「あみ」は、
においやはだざわり、
てのあくりょく、むねのだんりょく、
ねっき、ためいき、
そんな「いぶき」が
すくって
のこす、
チカラだったのではないか

   きゅうきょくてきには、
  だえきの「しぶき」かもしれませんよ
 ひとの「いぶき」は

シュッーと、
ふきつける
こすりあわせる
どこか、きずつくようなきがしていました
こころが、きずつくようなきがしていました

たったひとつを
しょうどくしようとして、
あたまとこころの
あなたを、
けして

いたのだっけ?
わたしだって

神奈川・横浜
新井高子



2月6日(土)

週末の夜だけれど
家の前の通りを歩くひとがいない
車の音もしない
外の世界が存在しないかのように

きょうの午後は
窓をひらいて
本や手紙の整理をしていた

なんど整理しても
数十年間捨てられないものは
自分の内側にあるのか
外側にあるのか もうわからない

幼いころ
山道を歩いたとき
けものや けものめいたものたちが
招く場所へは入ってはいけないよ、と言われた
それはわたしたちの外の世界だから

でも
けものや けものめいたものたちから見たら
わたしこそが 恐ろしい外の世界だっただろう

もう一年ものあいだ
ずっと内にこもって
仕事をし 食事をし 生きている
けれど
外を歩く人から眺めれば わたしは
少し距離をとらなくてはならない
外の世界の人でしかない

きょう
ひらいた窓から
昨日よりもあたたかい風が入ってきた
この風はどこまでゆくのだろう

わたしの内と外を溶かす
明るい風は
玄関を通りぬけ
けものや けものめいたものたちの山へと
流れてゆけばいい

もう数十年ものあいだ
わたしの内側でひそかに眠っていた彼らに
あたらしい春を告げるように

東京・杉並
峯澤典子



2月5日(金)

夕陽が、ほおずき飴のように
つやつやと、蕩々とオレンジ色に輝いて
向こうがわへ沈んでゆく
真ん丸なその姿は
それ自体の照りによって輪郭が定かではない
今日の夕陽の
それが意志

なのだとしたら
わたしたちは
そのオレンジ色の飴のような意志を
どう受けとればよいのだろう

大人になってから時折
今日が
春へ向かってゆくのか
冬へ向かっているのか
わからなくなることがある

世界はいずれにしても
太陽のフレアのようにして
いやたぶん
まさしく太陽フレアの一部として
その意味において正確に
咲いてゆく

たいせつな人が、ひとり、またひとり増えた
そう思う今日

千葉・市川
柏木麻里



2月4日(木)

光の中の光
闇の中の闇
光と闇が等質の
影の無い時間が透けて見える
たまに座れるようにもなった通勤電車の中で
たわわに実っている不信と
目と目があえば
素早く逸らす

PCR検査を故意に抑制し
感染者数や重症者数や死者数を操作していると
信じている人たちがいる
信じたい人たちがいる
保健所の主査も
統計も担当した経験からしても
そんなことはどうやったらできるのかわからない

保健所業務への応援派遣が決まった
定年後の再任用職員までがかりだされる事態に驚く
そこまで逼迫している保健所の職員が
不信の眼にさらされているのがあまりにもつらい

派遣はもう少し先だけど
古巣へ戻ったら光も闇も
しっかりと見届けてくる

東京・小平
田野倉康一



2月3日(水)

煉獄さんに会いたい
名前は杏寿郎
声がくっきり大きくてウソやごまかしがなくて強くてやさしくてよく食べる
漫画『鬼滅の刃』に登場する〈柱〉の1人だ
主人公は竈門炭治郎だけど
映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車篇』の後半の主役はほぼ煉獄さんで
去年10月の公開から1ヶ月後ようやく映画館で観たとき
原作は読んでいるからどうなるかわかっているのに
マスクの内側で泣きそうになりながら
煉獄さん……! と炭治郎といっしょに祈るように呼びかけていた
現実にはそんなふうに
心の底から何かに抗うように祈ることはめったにない
流されていくばかり
3週間ほど前
大阪で独居中の母が蜂窩織炎という皮膚感染症を再発させた
ケアマネさんからの連絡を受けて弟と相談し
年末から見つからなくなっていた母の保険証を
近所に住んでいる叔母に電話で頼み込んで再発行しに行ってもらい
以前かかった皮膚科へ連れて行ってもらったけれど
母は自分では薬を塗ることも飲むことも忘れてしまうので
体内の炎症反応を示す数値がかなり高くなり
仕方なくわたしが大阪日帰りを強行して
入院させた
点滴治療は2週間から1ヶ月
コロナ対策で面会できないけどそれも仕方ない

思っていたのに
1週間ほどで連絡がきて
病院内でコロナのクラスターが発生したから
母のPCR検査は陰性で症状も安定しているので明日退院してください

仕方なく今度は弟が大阪行きを強行
完治はしていない母を連れ帰り
ケアマネさんやヘルパーさんと今後のことを相談してきてくれた
母は自分が入院していたこともすぐに曖昧になって
いろんな文句を言い続けている
今週末からはわたしがしばらく大阪へ行く
流されていく
溺れてしまわないように息をするだけでせいいっぱい
煉獄さんに会いたい
鬼との戦いのなかで致命傷を負いながら煉獄さんは
俺は俺の責務を全うする!! ここにいる者は誰も死なせない!! と言った
勝負に勝つことよりも敵を倒すことよりも
煉獄さんにはそのことが大事だった
揺るがなかった
わたしはそこにはいなかったけどうれしかったよ
だってわたしのいる国の中心で政治家たちはそんなこと言わない
たぶん全然そんなふうには考えてない
治療も施されず自宅療養のまま亡くなっていく人のいる街で
緊急事態宣言が延長されて閉店するお店の増える街で
病気になったら謝らなければならないような街で
だからせめて非実在の
燃えるような髪の
たった20歳くらいの
煉獄さんの面影を反芻している
一昨日の発表によれば
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車篇』の興行収入は368億円を突破した

東京・神宮前
川口晴美



2月2日(火)

コロナの時代
という詩を書いた。

*最初はこう書いた。

コロナの時代

敵に打ち勝つ戦いは
ある意味簡単だ
武器を持って
隣人を倒せばいいから

過去に打ち勝つ戦いは
そう簡単ではないが
武器は要らない
隣人を許せばいいから

コロナに打ち勝つ戦いは
結構やっかいだ
戦いをやめて
一つになれるかと問うから

戦いに戦いをやめて
愛にかわれるかと
人類の
知恵が試されているから

*次はこう変えた。

コロナの時代

敵に打ち勝つ戦いは
ある意味簡単だ
武器を持って
隣人を倒せばいいから

過去に打ち勝つ戦いは
そう簡単ではないが
武器は要らない
隣人を許せばいいから

コロナに打ち勝つ戦いは
一番やっかいだ
戦いをやめて
一つになれるかと問うから

戦いに打ち勝つ戦いだから
戦いをやめて
愛にかわれるかと
人類が試されている戦いだから

*最後にこうなった。

コロナの時代

敵に打ち勝つ戦いは
ある意味簡単だ
武器を持って
隣人を倒せばいいから

過去に打ち勝つ戦いは
そう簡単ではないが
武器は要らない
隣人を許せばいいから

コロナに打ち勝つ戦いが
一番やっかいだ
戦いをやめて
一つになれるかと問う

戦いに打ち勝つ戦いだから
戦いをやめて
人類が一つになれるかと
愛が試されている戦いだから

***

思ったことが、詩になったかな
と思って、ツイッターにアップしたら

「人類が一つになるのは、こわいですね」
とコメントが入った。

ツレは「戦い」が多すぎるね
と言った。

私は
ハリウッド映画の見過ぎかな
と――。

***

多様性が
いつの間にか
分断を生み

一つにの願いは

全体主義に
向かうのだろうか。

なら
いったい
愛はどこに
棲めばいいのだろう。

クリスマス休戦が
あったように

コロナ休戦が
あれば

と願ったが
甘かったか。

ミャンマーでは
国軍によるクーデターが起きて
スーチーさんが拘束される

分断や戦いを超えるのは
どんな言葉だろうね

ミスター、ローレンス。

今日は節分。
南南東を向いて
恵方巻きにかぶりついたら

菅さんがテレビで
ぺこりと頭を下げて
「素直に」国民におわびして

ミスター、

栃木を除く10都道府県の
緊急事態宣言を3月7日まで
延長すると告げた。

埼玉・飯能
宮尾節子



2月1日(月)

先月の実績資料の作成。原稿の締め切りが立て込んでいるため、片手間で案を考える。そのせいで午前中の仕事があまり進まず、気が沈んでくる。海苔巻き。Kさんから連絡が来る。――鈴木さんの探していた本を見つけた、今日でよければ渡しに行ける、とのこと。夜に中野駅で待ち合わせをする。午後になって部屋に宗教の勧誘が来る。20分ほど対応したあと、チラシを渡してきたので断る。代わりに名刺を求めると、これが名刺代わりだといって、チラシをもう一度渡そうとしてきた。
――いやちょっともらえないです。
――じゃあここで読み上げますから聞いてください。
――寒いですよ……。
――ドアを閉めてください! いわれたとおりに閉めると、ドア越しに声が聞こえてきた。内容はうまく聞き取れなかったが、チラシに書かれた文章を読み上げて、その解説? をしているようだった。入浴。忌引きで休んだ会社の先輩のことを考えているうちに、祖母の死が母にとっては親の死であることを、3年たって唐突に気がつく。髪を乾かしてドライヤーの電源を落とすと、声が聞こえなくなっていた。
21時過ぎに中野駅へ。改札を出て右手にKさんがいた。本の入った紙袋を手渡される
――おつかれ~。なんか来てもらってわるいね。
――助かりました! こんなタイミングじゃなければごちそうしたいんですけど。
――やってないからね。
コンビニで缶ビールを買って、今書いている原稿の話をする。Kさんが、――そしたら他にもっといい本あるかも、というので、Kさんの家に行く。中野ブロードウェイを過ぎて左に曲がり、住宅街の方へ。
――あ~そういえばさ、このあいだ前に住んでたやつが家に来たんだよ。
――え!
――ふつうに怖かったよね。Kさんよりすこし年上(35くらい)の男で、五年前に会社をやめて地元へ戻ったという。東京へ行く用事ができたから寄ってみると、入り口の脇に好きな小説家の本がまとめて置いてあったので、おもわず鳴らしてしまったらしい。
――申し訳なかったな、捨てるやつだったから。
――来たついでに寄るって発想がヤバいですね。
――実家が本屋やってるらしいんだけど、今度あなたの本を注文します! っていわれた。
部屋に入ると、玄関に解かれたビニール紐と、その上に本が積まれてあった。Kさんが本棚から何冊か取り出して、紙袋の中に入れてもらう。手洗いを促されたものの、水を張ったままの食器の上で手を洗うのは気が引けた。ケチャップ系の料理をつくって食べた形跡がある。Kさんの部屋に住んでいた頃、男もここで手を洗っていたのだとおもう。
Kさんと原稿を書きながら酒を飲んで、0時過ぎに帰る。家まで歩いて帰ろうとして、新宿にたどり着いてしまう。Kさんの家を出てから、2時間かかって家に着く。途中でコンビニを見つけるたびに酒を買って飲んでいたせいで、横になったとたんに吐き気がした。

東京・高田馬場
鈴木一平