2月28日(日)

もうすぐピアノの発表会
きょうは
町の児童館の一室を借りて
リハーサルが行われた

でも教室のみんないっしょに ではなくて
ひとりずつ 時間差で入場したから
子どもは
どのともだちのピアノも
聞かなかった

でかけるなら少人数で
それと
遠くへはいかないこと

もう数か月 いえ、一年ものあいだ
恐ろしい呪文のように
子どもに
自分に
言い聞かせてきたことは
見えない足枷になっているのだろうか

廊下でじゅんばんを待つあいだ
換気のためにおおきく開かれた窓から
明るすぎるひかりが差しても
まだ
ここにいなくてはいけない と
思おうとしている

小さなホールが一瞬
しずかになったあと
ドアの隙間から
上級生の弾くマズルカが流れてきた

音符と音符は
じゃれあう蝶たちのように
廊下の窓から抜けだし
通りを歩くひとの肩や髪にとまり
知らない電車にのって
知らない海や山へと辿りつくのかもしれない

明るい日差しのなかに
おとなたちを置いて
子どもたちはじゅんばんに
なにももたずに
ピアノの前にすわる

わたしたちが
まだ見ることのできない
先へ 遠くへと
たったひとりで
向かうために

東京・杉並
峯澤典子



2月27日(土)

食べずに古くなったキウイがいくつかあったので、
4個を選び、2個を薄くスライスして2個は賽の目切り
さらに皮の黒くなったバナナ1本も細かく切って
ホットケーキミックスに混ぜて
ケーキを作った
炊飯器で焼いて、まだ焼きが足りないのでフライパンに移して焼いた
焼いたら
果物は元来た場所を語り始めた
甘酸っぱくなったキウイは、典雅な川をさかのぼり始め
バナナは、私は芋のように食べてもらっていいです、と話し始めた
それを聞いていると
猿のことを思った
頌めという名の小さな猿のことを

それは高い木にのぼって
遠くの平らな山が見たくて見たくて
海から陸へ上がった

海から上がったのは
見たいものがあったから
したいことがあったから
けっして捨てられたり、もぎとられたのではなかった

そして海から来たものだから
猿も
海の生きものを名乗ってよい

さいごの一人が
壮麗な夕陽
海に沈む夕陽を
頌める
その
頌めだけが
もはや体のない頌めこそが
地球に残る
われわれの子孫

という歌を
未来を見てきた歌を
温かいキウイが歌って聞かせてくれた

千葉・市川
柏木麻里



2月26日(金)

青空が欠片となって
バラバラと落ちてくる
朝の西武国分寺線はいつになく密で
天井にわだかまっている
吐息のような未来に
何かと何かの境は
急速にあいまいになってゆく

このごろ高校生が増えた
スーツ姿の男女がすくない
マスクを二重にしている人も増えた
現場へ行く途中の倉庫の前で
マスク50枚が200円で叩き売り
されていた
路地に猫がいない空き地が目立つ住宅地

なんにもない毎日は何かがあふれている毎日
そんな時間には尾がない
あらゆる影を欠いた
光のように

東京・小平
田野倉康一



2月25日(木)

蒼空がきれいだ
それだけをおもって歩いた
日々の生活に困難が山盛り押し寄せてきて
現実的に対処しなきゃならないから考えたり調べたり
動いているけれど
こころが散らばっていく
持ちこたえられなくなりそうで
できるだけ顔をあげて遠くを見ながら歩いた
昨日は
とてもいいお天気だった
だけど帰宅後は
体中の力が抜け落ちるみたいに起き上がれなくなる
指先から奪われて冷えて
つめたい瞼をぎゅっと閉じる
眠れないまま
染み込んだはずの蒼空をかきあつめ
夜のなかへ潜り込むと
女ともだちからのLINEの言葉がときどき灯って
散らばっていたところをかすめるたび
少しずつ整えられていく
朝になれば
空気の日記の当番日だから
こんな今をいったいどう書けるのだろうと
手探りをする
わたしの暗闇はわたしだけのもの
説明はできないし
わかってもらいたいというのではない
それでもわたしのなかで言葉はまだ生きていて
動いて
どこかへ届こうとする
そのことがわたしを支える
蒼空がきれい
きれいだったよ
重なりあう建物に遮られ暗い機影に切断されても
広々とひかりはそこにある
滅びていくときもきっと蒼ざめてそこに
あかるんでいる
誰もがそれぞれの暗闇と蒼空を抱えて昼と夜を漂い
どこかわからないそこへ
いつかたどり着く

東京・神宮前
川口晴美



2月24日(水)

昼間になると
にこにこ笑ってるような
暖かい日差しがあたりいっぱいに
こぼれて

春はもうそこまで来ていると
告げてくれている

義母が倒れて二週間になる
このところのきびしい寒暖差が
老齢には響いたか

脳出血だった

行かない日だったので
悔いが残った

覚えて置け
という詩を書いた

覚えて置け

行かない日があった
一日だけ行かない日があった

覚えて置け
そんな日に、必ず

愛は倒れるのだ

コロナ禍なので、面会ができない。

ナースセンターに問い合わせると
名前は言えるように
なったとのこと、かおがみたい

今日は留守宅の
植木鉢の水遣りに行った。
テレビをつけると音量が大きくて飛び上がった

少女の頃には
「桜貝すみれ」というペンネームで
小説を書いたのよと前に打ち明けられたことがあった

噴き出しそうになった乙女な名前だけど
本名は「皿海すみこ」なのでまんざら
嘘っぱちでもなかった桜貝の
(ずいぶん耳が遠くなった――)

すみれさん、すみれさん、
すみれさん、すみれさん、

もうすぐ春の、すみれさん

お家に戻って、咲かせておくれ
(明るい春の縁側で――あははとわらう)
花の笑顔を、もう一度。

埼玉・飯能
宮尾節子



2月23日(火)

朝起きて、大学の同期に連絡を取る。今日の芋煮会についての確認。洗濯。後輩(添削担当)に今日の「日記」についてのやり取り。駅前のドン・キホーテで安いランタンを購入。
昼前に目白へ。Oさんの個展を観に行く(二回目)。通りを左に曲がって地下の階段を降りると、開いていなかった。よくよく調べると休廊日だったので、前に観に行ったときの回想を行う。地下へと続く階段をおりて、備えつけの消毒液で手を洗いながら、ガラス張りのドアを開けて中に入る。外光だけの薄暗いエントランスを通って奥のドアを開けて、展示スペースに入ると、明かりのない真っ暗な空間が広がっていた。そういうものかとおもいながらじっとしていると、壁の向こうから定期的に不穏な音が聞こえてくる。あとから入ってきた人がスマートフォンを懐中電灯にして、あたりを見渡している。部屋の隅に字が書かれているのが一瞬見えたので、スマートフォンを懐中電灯設定にして、空間が見えるようにする。
光で炙り出された視界は、見えるようになること自体でそれらしい意味を与えてくる(気がする)。四方の白い壁それぞれに姿見のような鏡が向かい合せに立っていて、部屋の四隅すべてにテキストが書かれている。テキストは一つの壁につき二つ、部屋の角を蝶番にして配置されていて、それぞれに番号が振られている。しかし、「①」の横に「⑥」、「②」の横には「⑤」のテキストが置かれ、(一見すると)対になってはおらず、番号は読むべき順序の指示であるようにおもわれる。

 ⑦       ②
④┏━━━鏡━━━┓⑤
 ┃       ┃
 ┃       ┃
 鏡       鏡
 ┃       ┃
 ┃       ┃
①┗||━鏡━━━┛⑧
 ⑥       ③

記憶なので間違っている可能性がある(「||」は出入り口)。番号にしたがって読んでいくと、(1)対角線側に移る、(2)壁沿いに進む、の動きを反復的にくり返すことになり、プレスリリースで言及されていた怪談『スクエア』やサミュエル・ベケット『クワッド』の参照を感じる。テキストに関しては前者をもとにしたものであるようにおもう(《1 大丈夫ですか。凍えるほど寒い。/眠るとまずい。いますかみなさん。/(首肯)(首肯)(首肯)/見えません暗くて。》)。反復を意識しながら体を動かしているうちに、その身動きがゆるやかなダンスの気配を帯びてくるように感じられる瞬間がある。鏡が懐中電灯の光を反射しながら、軌道について意識する体を(軌道そのものへの意識を構成する視野に介入するかたちで)映し出す。ときおり聞こえるうめき声のような物音。なにかに反応している? わからない。
ひととおり動き回り、隠された細部がないか探しているあいだに、あとから来た人が部屋を出ていく。懐中電灯を切る。光に慣れた目が闇に包まれて、しだいに闇そのものがグニャグニャとゆらめいてくる。なにも見えない視界を見つめ続けることに目が耐えかねて、なにかを見ていることにしようと錯覚をつくりだしているのだとおもう。あたらしい人が入ってくると、その人もしばらくじっとしたあとで、スマートフォンの明かりをつけた。壁に沿ってテキストを読んでいるのがわかる。明かりをつけられると、電気をつけずにじっとしている自分が異様な人間であるように感じて、スマートフォンを操作してなにか考えに没頭しているふりをしなければいけない気持ちになる。
外に出て、消毒液が置かれた台の下に真空パックで詰められた灰色の塊が並べてあるのに気がつく。手に取ると今回の展示の概要展示のDMらしく、塊はスポンジかなにかのよう。これはもらっていいものなのか悩む。思い返せば、今回の展示は鑑賞者の行為を促す指示が明示されておらず、部屋の中で照明を使用するべきかどうかも鑑賞者の判断に委ねられていた。階段をのぼり、横の駐車場にある喫煙スペースで煙草を吸っていると、奥のドアからOさんが出てきた。
――(Oさん)あれっ、久しぶりですね。電気つけました?
――(作者)最初、闇を感じながら表現を受け止めていました。
――指示しなかったんですよね。暗かったら電気つけるでしょ、って。最近なにされてます?
――このあいだ久しぶりに「日記」じゃない詩を書きました。インスタレーションじゃないですけど、最近は詩も空間を立ち上げるというか、演劇に近いようなイメージを感じてて。
――ああ「ルビ詩」。空間なんてはじめから立ち上がってるのに、なんか立ち上げるって感じがしますよね。
また何回か行くと伝えたものの、今回は行ったうちに数えられないとおもった。大学の同期と待ち合わせて移動し、川へ。メンバーは同期、同期のバンド仲間の先輩、後輩二人(遅れて参加)。同期に以前「日記」の話をして盛り上がり、担当日に合わせてなにかやろう、ということになっていた。「日記」のために意図的に現実を改変する機会がなかったので、会議の結果、河川敷で鍋をすることになった。
――(作者)鍋?
――(同期)何回か鍋やったとこがあるのよ。芋煮会しようぜ。
――いいね!
同期の町(秋田)の芋は鶏肉・醤油がベースらしい。それは芋煮ではなくべつの料理だというと、芋煮の複数性について説明された。地元にいたときは豚肉・味噌(=宮城式)の芋煮しか知らず、牛肉・醤油でつくる山形式を最初に知ったときは、味の想像がつかなかった。
夕方に河川敷に到着。買い出し。同期が集合場所を二転三転したせいで、買い出しに参加する予定だった人が現地にいた。家を出るときはあたたかったが、人気のない河川敷は異様に冷え込んでいて寒い。謎の鳥が鳴いている。まさか鍋を食べるためにここまで遠出するとはおもわなかった。夜まで長引く可能性を加味して、同期からランタンを持ってくるようにいわれていた。同期が鍋とガスコンロ、先輩が材料と調理器具を持ってきた。途中のスーパーで買ったゴミ袋を取り出して、河川敷に並べる。風で飛ばないようにゴミ袋の端や継ぎ目を石や荷物、鍋、酒で固定する。草が生えていないので、座っていると尻が痛くなる。先輩がスピーカーを取り出して、最近聞いた曲やオリジナルの曲を流しはじめる。同期が料理をはじめる。

 ┏━━━鍋━━━┓
 ┃       ┃
 ┃       ┃
荷物       音楽
 ┃       ┃
 ┃       ┃
 ┗━━━酒━━━┛

同期が後輩を迎えに行っているあいだ、しらたきを下茹でしながら先輩と話す。
――(作者)こういうとこで鍋って許可とかいらないんですか?
――(先輩)場所とかによるけど、ここは直火じゃなければ。年末やったとき役所に電話したけど、問題ないっていわれた。
――今日は確認してないんですか。
――法学部出てるから大丈夫。
――え?
後輩を連れてきた同期と調理を代わり、しばらくして芋煮が完成する。食べながらお互いの近況を話す。前に家族でオンライン飲み会をしたときに、両親から結婚の話をされた。
――(作者)子ども早くつくれ、みたいにいわれて。妹とかそのうち結婚するでしょっていったら、それは鈴木家じゃないっていわれて。そういうものなのかもしれないけど、なんともいえませんね。
――(先輩)オレの妹が結婚するけど、姓が鈴木になるよ。
――(作者)え~やった! 解決しました!
――(同期)なにが?
夜になるとあたりが真っ暗になった。ランタンの明かりをつける。芋煮の複数性から秋田弁と仙台弁のちがいについての話になり、同期とお互いの方言で話すゲームをする。ちがいがわからないといわれる。後輩が寒がりだしたので、相撲を取ったりあたりを走り回ったりする。薄暗い視界の奥で川岸に積まれた石を見つけて、フラッシュを焚いて写真を取ると、キャベツの切れ端が乗っていた。遠くで人が笑っているような鶏の鳴き声がして、不穏な物音がした。空を見上げるとオリオン座が光っていた。
――(同期)うどん入れるぞ!
――(先輩)いいよ!
――(同期)最近はカレー粉も入れて、カレーうどんにするらしいですよ。なんか、最初からカレーライスつくる芋煮会もあるって。
気になって調べてみると、芋煮の具でカレーライスをつくるということらしい。最寄り駅まで歩いて、終電に間に合うタイミングで解散する。地面に敷いたゴミ袋にゴミを入れて、余ったゴミ袋を後輩に渡す。代わりに文旦をもらう。電車に乗り込むと、座席の隅に水筒が置かれていて、中のにおいをかぐと酒の匂いがした。乗り換えを続けるうちに高田馬場まで帰るのが面倒になり、同期の家に泊まることにした。小腹が空いたので、大量のニンニクを入れたラーメンをつくって食べる。

東京・下北沢
鈴木一平



2月22日(月)

五月のようにあたたかい
様々なことが曖昧に感じる
ウイルスの広がりも減ってきた
みんな息の止め方がわかったのかな
よかった
でも
いつかもこんな時期があった
だから自分の喜怒哀楽を信じない
これもある種の潜水

そのことも
あたたかいと忘れる

東京・世田谷
松田朋春



2月21日(日)

サイコロステーキの食べ方

今回は二人対戦方式とする。
フライパンで焼いたサイコロステーキを参加者の前にある皿に平等に分ける。
この皿を手皿という。
テーブルの中央には対戦場となる皿を置く。
この皿は大きめがのぞましく、対戦皿と呼ばれる。
自分の皿からサイコロステーキをふたつ、箸で取り、二人同時に対戦皿で転がす。
サイコロステーキを箸でうまくつかめず、ひとつしか転がせなかった場合も、やり直しは不可。
人生は偶然に満ちている。
技術がものをいうときもある。
さあ、対戦皿の上に転がった、自分のサイコロステーキの出目を足そう。
多い方が勝ちである。
勝った方は、自分が転がしたサイコロステーキと、相手の、自分よりも小さい目のサイコロステーキ(1つだけの場合は1つ、そうでない場合はすべて)を取り、茶碗に盛った炊きたてご飯の上にのせる。
以上を手皿にサイコロステーキがなくなるまで繰り返す。
完成したサイコロステーキ丼を「いい勝負だった」といいながら食べる。

東京・つつじが丘
河野聡子



2月20日(土)

たぬきの耳はまるい
すこしうつむきかげん に肩をおとして
ホトホトと歩いていく
尻尾はふさふさと たらし気味に
きみはさびしいのか?

そんなに短い足で 夜明の縫い目の草叢から
こんな住宅地に 迷い込んできたのか
明六つの空がぼんやりした雲に覆われている
ここには たぬきしかいない
たぬきは背を向けて ぼくの過去の方角に
見えない足跡をのこして消えていった

だれも知らないことで
ぼくだけが知っている ことがある
そしてだれにも記憶されず 消えていく

あのたぬきは いまどこにいるのだろう
ここにいる人は 空の下に まだ佇んでいる
そしてやがていなくなるけれど(たとえば昨日まで生きていたのに
それまで たぬきとすれ違った夜明をわすれない はず
この思いもまた だれにも知られはしない けど

誰も知らない足跡が 目を合わせることなく
今朝の地上に上書きされていく ことをぼくは思う
むろんだれにも記憶されないで
いずれそれも消えて その上に次の朝がくる

福岡・薬院
渡辺玄英



2月18日(木)

石の男は
水の男になるとき
形容詞の神様を追いかける

煩雑な手続きの向こうまで川が流れている
簡単な皮肉に鳥が鳴いている
印鑑の花が咲いている
一般社団法人が設立されるまで

アプリの瓦瓦、一歩一歩を飛んでいる
三種類の封筒に265gの龍を詰め込ませている
小形包装物の最近珍しい乗り物にのせている
『Tokyo Poetry Journal』の2020年夏号が
やっと拡散されるまで

.。・○・。patient
. 。・● ・ 。 positive
. 。 ・ ○・ 。 present
. 。 ・ ● ・ 。 versatile
. 。 ・ ○ ・ 。 exquisite
. 。 ・ ● ・……………funky

ピザ

東京・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス