10月11日(日)

地球より遠いところへ行きたい
そう言うと
ぼくはこの部屋から出て行った
残されたのは
誰もいない部屋だが
いったい誰がこれを見ているのだろうか

秋の曇りの日には
よくそんなことがある
TVのニュースではコロナ禍で自殺が相次いでいるし
相模湾の南を颱風14号が通過しているらしい
だけどこの部屋は日本海の近くだし
ぼくはもう地球より遠い所に行ってしまったから
関係ないね

相模湾からは四年前にゴジラが現れて
世界はパニックになったし
丈高いカンナの花が赤く咲いていたこともあった
海辺に降りれば足元には星の砂もかがやいているだろう?
​地球もまんざら捨てたもんじゃない気がするね
とこれを読んでいるあなたは思うだろう

でもそんなことは分かってるんだ
だれも知らない街の駅に立って
電車が通過する刹那からだが自然と前に引き寄せられる
その謎こそが問題なんだ

秋の曇りの日には
ホントここに居ないほうがいいって気持ちになるよ

福岡・薬院
渡辺玄英



10月10日(土)

金木犀が好きだという人の
気が知れなかった
それを
本当には知らなかったから
しめっぽくすこし薫る
その程度のものだと思っていたし
「ノスタルジー」を口にしたくて
「キンモクセイ」と言っている
そんな程度に思っていたから
絶対言葉になんかするもんかと
かたくかたく思っていた
その単語すら
ノスタルジーなんて

先週
吉野の山を歩いている時
突然空気がやわらかくとけ
飴色にどこまでも透きとおっていって
かつての笑みの浅ましさを
しづかなしぐさでしずませると
あおざめた誤まりをやさしく撫ぜる
その香りがそっと知らせた
いのちのふかくに明記する
そうしたものが確かに在ると
言葉や名称におさめられず
息がただ詰まってしまう
そうした事が
ひとの肌の外がわに
やさしく
たくさん
ゆたかに在ると

泊まっていた宿の女将に聞くと
今年は桜も長く咲いたらしい
コロナの影響で4月17日以降
お客さんは一人も来なくなって
外からの目が絶えた吉野の山に
桜の花びらはいつもよりほてり
いつまでも景色をうるませたらしい

ひとの気配がひそまると
世界はありありと明瞭になる
我々の手痛い消耗こそが
世界をうつくしくもどしてしまう
わたしやあなたの吐く息は
いつかふたたび裸にもどる
その時
きっと多くのものたちが
しづけさの内がわの中に
一層押しやられてしまう
そうだとしたら
もしそうなんだとしたら

山から戻ると海はやっぱり荒れている
遊興のはしゃぐ姿は
風雨に冷えきった浜のどこにも
すっかり見えなくなっていて
どうやらもう
休暇は終わりらしかった

片瀬海岸・江の島
永方佑樹



10月9日(金)

身体を知る大切さ
元オリンピック選手とのトークイベント
参加無料

前を向いて歩こうとするから
かなりロースペックのモニター解像度で
ピクセレーションばっかり
道はどこまでも
        ぼやかしている

今年という戦は
後ろから襲うヒョウのよう
理想を放棄した人の言葉
You go to war with the army you have…

コロナウィルスが感染すると
眼差しの方向性は
逆になる
インボウンドの恐れは消え
アウトバウンドの恐れが
陽性の新しい当たり前

時制との関連性はこんなモノなら
はやく!
女性主導者の時代に
なってほしいと
灯った提灯を想い
お願いする
大切さを知る身体

東京・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス



10月8日(木)

さ、も行かんと。
まーさか、コロナなんかであるもんか、
いつまでもここにおったってきりがなかろうが。
旨いもんも綺麗なもんも、ありすぎて味わいきれんのだから
どっかですぱっと見切らんと。
どこへ行くか、て?
それはわしの胆管癌が知っとうたい。
剥離した網膜も溶けたキヌタ骨も圧迫された脊椎も血糖値にも分かっちょる。
ココロだけがまだうろうろおろおろしとるが
なーに心配せんでよろし。
ほっといたら後から勝手についてきよるわ。
大体このココロちゅうもんは
コロナに似とるね。
どっちも目には見えんじゃろ。それでいて
生きたカラダのぬくもりがないとすぐに消え失せてしまう
そう思えばカワイイもんじゃ。
さ、こんな話しとったらきりがない。
わしは行くぞ、今度こそほんとに行くぞ。
なんで泣くことがあるか。
最近どこにでも垂れ下がっとるビニールの暖簾みたいなのがあろうが
あれをひらりと捲るだけっちゃ。
こっちからみたらあっちがあっちじゃが
あっちからみたらこっちがあっちであっちゃこっちゃや。
人間はちと大きすぎるがね
クォークだのレプトンだのはしじゅう往ったり来たりしとるわい。
さみしゅうなったら線香でも焚火でも
立ち昇る煙の渦の動きをなぞって全身で踊りんさい。
だがなによりも大切なのは、手洗い、うがい、マスクの着用。
あもうみとったらいかんよ。
バイ、バイ。

鹿児島・串木野
四元康祐



10月7 日(水)

からだの左がわに湧き水の気配がする
1メートル半ほどの龍がいるようだ

数日前に歩いた関西の山深い村では
橋に窟に空にまで
水神の守護がしるされていて
マスクをあごに引っかけた人たちは
山伏とインバウンドが減ってねと
ほがらかに嘆いた
まっすぐに天地をつなぐ木々が
途切れない水音をささえて
透んだ気をとどまらずにめぐらせて

そこから龍はついてきた
わたしの詩となって 

玄関の引き戸から小路へ
わたしの歩幅に合わせて
身がゆるく蛇行すると
金木犀の匂いのなかに
冷たい川すじがとおっていく

西洋では人をおびやかす役まわりの龍
数日で打ち負かしたという老勇者が
タラップをおりた
BGMのマントをまとって

半月前からにぎやかになった壁のカレンダー
男たちはヒトの指で手帖をめくる

わたしによりそう龍の気配に
ときどき目を泳がせながら

東京・目黒
覚 和歌子



10月6日(火)

陽の鋭さはあっても空気は冷たく乾いてきました。わたしはそうやって剥がれ落ちていきます。長袖なんて着てしまう季節は剥がれ落ちていくんです。

わたしは秋に生まれたので、秋の訪れは、特別な場所で浸み込ませてきました。海の近くに住んでいたので、秋の海を、波の音を浴びていました。海のそばではしがみつきたくなったこと、星が早く動いたことを思い出します。

秋はきっと贈り物の季節で、不用意な歪みもその中に含まれます。わたしはもう誰かの名前を忘れられるぐらい大人になったので、もう名前を忘れたあの人が「大事な人の贈り物にはおもちゃの蟲を箱いっぱいに詰めて贈りたい。だって面白くないですか」と言ったこと。あの時、おかしみもあたたかさも一欠片として感じなかったのだけれど、もしかしたら今、君からその蟲をひとつまみずつ放り投げられていることがわたしの悲しみの素になっていて、そうやって投げられれば投げられるほど、不用意に簡単に踏み外して君をえぐることがわたしにだって出来てしまうことがとても悲しい。

そんなことよりも一番大事なのは、本当にすることは、「目の前に立って下さい」ということだけでしかなくて。何よりも真っ先に「目の前に立って下さい」という時に来ているのに、それを難しくさせているものは、何者なんでしょうか。

今日は夏に作った梅のジャムと、この前作ったイチジクのジャムと、今年出来たばかりのお米と、古米で作ったお味噌と、もぎたてのカボスを、抱えるのがやっとなぐらい詰めて、遠くで笑うあの子に送りました。とても重くてたくさん動き回ったので、今夜はゆっくり眠れそうです。

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ



10月5日(月)

上着を、羽織る
最低気温が昨日よりも下がり
夕方の風はもう冷たい
銀杏の匂いはきらいじゃない
空気が秋らしく乾燥したからか
今日は
朝から声が掠れてしまった
呼びかけることがどこか気恥ずかしく
呼びかけることをあきらめて
ぼんやり過ごした
それは
風邪を引いたときとは少し違う、
世界から椅子一つ分だけ距離をとる感覚だ
子どもの頃に飼っていた犬は
名前を呼ぶと必ず振り返った
いつ自分の名前を知ったのだろう
それはわたしがこれまでに
会社で、私生活で、映画の中で見た
呼びかけたら振り返るという
その姿の原形である
明日は晴れるが
最低気温は今日よりも下がるのだと
天気予報は言う
公園を駆ける子どもたちがわらっている
多分だけど
そう遠くない日
わたしたちは
わたしたちの本当の名前で呼びかけ合う

福岡・博多(冷泉通りにて)
石松佳



10月4日(日)

図書館へ行く。滞在時間を一時間以内とする制限は相変わらず設けられたままだが、座れる場所は以前よりも増え、利用者の数も通常時とさして違わないように感じる。先月まであった感染症特集コーナーはなくなっていたが、いまだオリンピック関連本は階段横の特設棚にそれなりのスペースをとって陳列されていた。小脇に抱えた本が12冊になったところで、選別をはじめる。図書館では10冊の本を借りると決めている。この図書館は20冊まで借りられるのだが、20冊では持ち帰るには重すぎるし、8冊とか14冊とかだと、いったい何冊借りたのだったか返却時にわからなくなりがちだ。それでちょうど10冊。12冊の中から借りるのをやめる2冊を選ぶ。この作業にはいつも時間がかかる。一度は借りたいと思った本の中から、ここからの2週間手元に置いておきたい本としてよりふさわしくないものを、全体のバランスやボリュームも考えながら、選ぶ。最後の1冊がなかなか決まらない。最終候補の三冊のそれぞれの冒頭を読み始めると、どれも諦めるには惜しい気がして、また別の本に目移りしてしまう。大丈夫。まだ時間はある。まだ一時間たっていない。

集団を構成するものがすべて同質だった場合、集団の中の一個体の安全を脅かす危機が訪れたとき、他の個体も同様の理由で危険にさらされるだろう。そのため集団が全滅する可能性が高まる。したがって内部に多様な質の構成員を抱えた集団の方が、そうでない集団よりも強い。当初は多様な構成員からなる集団であったとしても、集団の中に他の個体に対していちじるしく強い影響力を持つ個体がある場合、時間経過とともに集団内部の同質化が進行する。しかしこのことがただちに集団から多様さを奪うとは限らない。集団の中にはときに、他の個体からの影響を受けない異質なものが存在するからだ。それら異質なものたちによって、集団の存続は支えられている。けれどもしも、異質なものたちを、異質であるといいう理由で排除する機構を当該の集団が備えていたならば、全面的な同質化はたちどころに完了するだろう。

図書館で借りた寺山修司のエッセイ集を読む。冒頭のエッセイで寺山は「一人で戦争を引き起こすことは可能か」というタイトルの自作の詩について言及している。その詩がどこかで読めないか調べるが、わからない。少年時代の作だというから未発表の詩なのかもしれない。あるいは、そんな詩は書かれておらず、寺山が論旨にあわせてでっちあげた可能性もある。

東京・調布
山田亮太



10月3日(土)

実家の整理。子供部屋の机は捨てちゃったから、亡き父の書斎を一時的に引継ぎ、この部屋をやることにする。

三畳くらいの洋間。二階の突き当りにある白ペンキのドアを内側にあけると正面の窓に向かって白い事務机。ガラスがのっている。

左の壁には一面に株価のチャート。震災の直前、母が亡くなるまで毎日つけていた。

事務机には工場で使う二灯組の蛍光灯が天井からぶら下がっている。かなり明るい感じ。

机の上には木枠が組まれ、落語とか音楽とかの勉強ノート、毎日の詳細な日誌のファイルなど。保存状態は全体的にまあまあだが、硬めのプラスチック、これだけはダメだね。ぼろぼろに経年劣化している。

これを片付け、引き出しの中の大量の音楽MDを片付け、右側に天井まで一面にある造りつけ書棚の整理に入る。茶色のラワン材で枠が組まれて、ところどころに棚板が乗っている。板が厚いので45年たってもまだ狂っていない感じ。

手前にうず高く積まれた実用書や近辺のスナップ、古都古寺や江戸歴史散歩のガイドブックを取り除くといよいよ核心部に迫る。

さまざまな勉強をした形跡が静かに茶色に変色した蔵書の山となって立ちあらわれている。

まず左上から西田幾多郎全集。全巻揃い。

次に津田左右吉全集。全巻揃い。

次に三木清全集。全巻揃い。

この三つで思想的な防壁が家の南西の裏鬼門の角に築かれている。
これを片付けることが戦後の何かをついに崩すことにならなければよいと思いながら片付ける。

津田左右吉と資本論は西荻のHさんに持っていってもらうことに。あとは箱に詰める。

慶應の医学部で勉強をしはじめて健康問題で挫折、成蹊の経済に入りおそらく江戸の農学経済史を専攻、さらに独学で電気工学を学んだ形跡が、教科書の山となって残っている。これは解剖のメスを入れる木箱(苦笑しながら処分)。石川淳も網野善彦もある。大量の数学の本もあるし、宇井伯壽の印度哲学もあれば経営学もあり、各種語学本も揃っている。むすこが書いたものも収集されている(恥)。

津田左右吉も三木清も、舌禍によって公職を追われた学問の徒である、戦後に社会派の物書きを志し、その後実業に転じたこの部屋の主人の理想を髣髴とさせる。

会えなかった祖父の写真や父の遺稿も出てきた。甲府・深町の少年時代の詩的スケッチはまた、いつかどこかで活字にしてあげよう。

東京・久我山
田中庸介



10月2日(金)

この日にあったことは
書けるようなことでは
ないのです

へとへとにくたびれ果てて
それでもどうにか
難所をくぐり抜けて


前日雲がかかって見られなかった
十五夜の翌日の満月を見ようと
近くを散歩しては
きれいに出ている月を眺め
龍潭のまわりを二周
ゆらゆらとどこにも力の入らない
足腰をゆらめかせながら歩いた

この日記の当番の〆切のことなど
すっかりと頭から抜けていて
気づいたのはいま日曜の夜で

おとといの痕跡を見返すと
こんな言葉をSNSに書き残している

「いちばんたいせつなものは、目に見えないものだから、目に見えるものは手放そう。そうするしか、一つの指輪を葬る手立てはないのだから。」
(午前二時頃)

「というわけで先ほど手放しました。ぶじに火口に溶けていきますように。南無…」
(午後一時二十分頃)

すごくすごく長い旅をしていた
この日は旅のある意味で決着をつけるような日だった
詩を書いてる余裕は
なかったんだな

いつか書くことがあるのかもしれない。ずっとないかもしれない。

一日の終わりに缶ビール一本飲まないでいられたけれど、思い立って、保存食の箱にしまわれているカップラーメンを取り出し、湯を沸かして、作って食べた。

沖縄・那覇
白井明大