10月21日(水)

なにもないひとひほとりにたたずみてとまったままの大観覧車

コスモスをさがすあなたが未だしらぬ無数の花が宇宙に未だある

CDは光を音にCDの光がここにあることをなんどもなんども再生させる

無事です、と告げるかわりのそっけない「謹呈」の文字。無事でよかった

読み差しの詩集を、洗いかけの食器を、書きかけのメールを、生きていることを

飛行機の光を星とまちがえてなんどもいちばん星を見つける

東京・深川
カニエ・ナハ



10月20日(火)

あれは、十歳(とお)くらいだった
肝だめしに行った
白いきもののお化けとか、そんなに怖くなかったが、
こんにゃくに頬っぺたを撫でられたとき、
震え上がった
竹竿から糸で吊るって振りまわしていることくらい
とうじだって察していたのに、
ぬるっとした
あの冷たさ、
それがまさしくやって来たとき、
恐怖なるものの実体のひとつが
わかったのではないか
ほんとうに恐ろしいのは
裂けた口でも血まなこでもなく、
なんのやりとりもできない
のっぺらぼうですらない
ただの冷やかさであること、
わたしは知ったのではないか

目と鼻があったって
そのベロが、
血の通わないこんにゃくならば、
冷蔵庫だよ
  耳も、こころも、

はいいろで
 いんしつで
  同語反復で
先っぽが割れた二枚舌もあるぞ
巷をなめようと
ぬらり、
高く吊るされて、

ずいぶん寒いね
季節も、頬っぺも、

ひとっ走りして
焼きいも、
食べようか

神奈川・横浜
新井高子



10月19日(月)

家族が眠っているあいだに
コーヒーをいれて
パソコンをひらいた
部屋の空気が
昨日よりつめたい
おとといか 三日前の朝にも
救急車のサイレンを聞いた気がする

そのときも ここから遠くない場所で
サイレンの音は止まった
向かいのマンションだろうか
それとも

生まれたときから
数えきれないくらい
耳にしているはずなのに
慣れることはない音がある

メールを送ったあと
混んだバスで
混んだ駅まで行き
混んだ改札を抜け
ひどく混んだ電車に乗る

春、夏、秋、と
くりかえされる
カンセン、という
ひとつの音に
わたしはもう
驚かなくなっているのだろうか

ほんとうは少しも慣れていないことを
見せないことに
慣れただけなのだろうか

ひさしぶりに降りた駅
一瞬 マスクをはずして
風のつめたさを吸いこむ
大通りから
救急車の音がかすかに聞こえる
でも 姿は見えない
人も車も 止まることなく流れてゆく

きっと、だいじょうぶ
それとも

くりかえされる
空耳の
サイレンのなかを
わたしもいまは流れてゆく

東京・杉並
峯澤典子



10月18日(日)

新しい本を日本語と英語で出版した
それは国内だけではなく、海外にも届けたい人がいるからだった
けれどもいま、航空郵便では書籍を含めた小包を送ることができない
飛行機の便が減っているからだ
船便ではアメリカまで4か月かかる
本を英訳して下さった、本を一緒に作った翻訳家ご本人にさえ、やっと数冊をDHLで届けおおせるために、何人もが知恵を絞り、とても時間がかかった

ベネズエラの詩人に一冊を送りたいと思って日本郵便のホームページを確かめる
すると船便小包はおろか、封書一通さえ送れないことがわかった
これは新型感染症のためではないらしいが、よくわからない
詩のやりとりをする中で、彼女が書いてくれた「hope」という言葉は
私が何年間も待ち望んできた言葉だと思う
その4文字をじっと見る
それは私によろこびを運んでくれて、心を柔らかくしてくれて、あたたかくしてくれた
でもhopeの後ろにあるスペイン語を、私は知らない
hopeと書く彼女の後ろにある街の様子を、私は知らない
hopeと書いてくれる人にこそ届けたい本を、いつになったら、どうやったら送れるのかもわからない
彼女の指に、この本のあたたかい紙肌を触れさせることができない
できない
もどかしい

できるはずだと思っていた

英語でこの本を読んで欲しいと数年越しに願ってきた人はいま、地球の反対側の島に暮らしている
彼がいるという青い空と青い海と暖かい風を想像しようとするが
それはどんな気持ちがするのか、到底わからない
この4月から6月の間に貰った、ほんの数通の便りの中に彼が二度も書いた「crazy」な状況という言葉
そのcrazyを私は理解していたのだろうか
彼はその言葉を書いた時、どんな顔をしていたのか

こだま、ひかり、のぞみ
速いものを並べた新幹線の名前に、いま
ことば、とつけ加えたいくらいに、AI翻訳は速い
一文字そこに置かれただけならば、文字とさえわからないかもしれない言語の長文を
一秒もたたないうちに伝えてくれる
でも、一冊の本という物体を送ることが、こんなにもできない
その物体でなければ、どうしても届けられないものがある
最後のページにある詩を、ページをめくって、いま彼女に見つけて欲しい
それはいまの彼女のためにある
この本の重みが、自分が私に与えた恵みなのだと、彼に知って欲しい
それができない

hope、crazy
何十年も知ってきたこれらの単語を前に
それをどんなに見つめても
わからない
あなたのhopeはどれほどに危険に包まれていて
あなたのcrazyはどれほどに苦しかったのか
わかることができない
ぶつかる、躓く、行き止まる

千葉・市川
柏木麻里



10月17日(土)

国勢調査調査書類受付業務
国勢調査管理指導員としてここにいる

耳の遠い老人たちの
甲高い声が響き渡る
思い出せない昨日
廃屋
廃アパート
廃人
一軒一軒訪ねた記憶を
一歩一歩たどる老人たち
その記憶の糸という小径を
僕も一緒に細々と歩く

谷の奥の道のきわまり
谷神はいない
高層マンションの夥しい窓に
一様に東京の曇天が映る

角の部屋
前から住んでいて
4年前
亡くなった篠畑さん
あ、7号室は首つりのあった部屋で
さみしいさみしい日月の記憶

出さなくていい
それはメモだから
住んでおられたのは中村さんでしたが
今は神戸さんの息子さんが…

あ、引っ越された?
10年以上前に。天野さんのおばあちゃんが…

この建物の用途がわからないんです

書類を書いてこない老人
ずっといる老人

一人の方は亡くなってたんですけど
一軒家ですから
それ、アパートだったんですね
三階にはだれも住んでいません
外から見たんではわかりませんでした

だからもうねえ…

集会室の窓も曇天
一人去るごとに机、イスのアルコール消毒
筆記具もアルコール消毒
ついでにあらゆる人生もアルコール消毒してしまえ

東京・小平
田野倉康一



10月16日(金)

〈空気の日記〉は23人ほどでリレーしているから当番日がまわってくるということは前回から3週間以上が経ったわけだ。え、もうそんなに。わたしの前回は9月24日(木)で、この日わたしは交通事故にあったのだった。当番日の日記の下書きをしてから用事で出かけて帰って来る途中の19時過ぎ、横断歩道を渡っていたとき右側の細い道からゆるっと出てきたタクシーがそのまま止まらずにわたしにぶつかった。スピードはほとんど出ていなかったからはねられたというより押し倒された感じで転んで後頭部を打って、といってもぶつかった瞬間に手に持っていた鞄とか傘とかすべてあきらめて両肘をついたから強打はしなかったのだけどびっくりしてすぐには起き上がれなかった。ドライバーがすみませんっ大丈夫ですか!? って大慌てで降りてきて、通りかかった知らない女性も大丈夫ですか!? 救急車呼びますか!? って声かけてくれて、救急車と警察がきた。近くにいた何人かが手を貸してくれたり気遣ってくれたりして、わたしも他人に親切にしようってそれからずっと思ってる。人生初の救急搬送で病院へ行き、CTもレントゲンも異常なしだったものの倒れるときに右膝を捻ったらしくて痛い。22日後の今もわりと痛い。階段を降りるのとかめちゃくちゃ痛い。痛いから思い出すけど、もう忘れかけてる。9月24日(木)は病院から戻って警察署に寄って被害者調書というのを作成してもらって帰宅したらもう23時で急にお腹もすいてそれから交通事故のことを書く気力はなく、出かける前に作った下書きのまま空気の日記をその日のうちに送った。だからWeb上に残された9月24日(木)の文字のわたしはなにごともなくアイスクリームを食べているのだけれど、本当は両肘を擦りむいて右膝に痛み止めの湿布を貼って汚れた服を洗濯機でがんがんまわしてた。傘は壊れた。日記を書いていると、日記に書かなかったことはなかったことになるような気がしてしまうから書けなかった22日前のことも22日後の今日の分に書こうと思って、書いているのだけど、でも、本当は文字に残らないことは無数にある。言葉にならなかったことのほうがずっとずっと多い。本当は、そういうこと全部なかったことになんかならない。そのとき思ったことや感じたことだって。今日もニュースを流し見ていると、何かをなかったことにしたい人たちはたくさんいて、忘れられてなかったことになりかけている何かもたくさんあるんだろうって思えて、治りかけの肘の擦り傷がむず痒い。わたしはもう「今日の感染者」が何人かよく知らない。感覚は擦り切れていく。生きていくというのは忘れていくことかもしれない。母は3秒前に聞いた言葉を思い出せない。でも、それはなかったわけじゃない。確かにあった。カサブタが剝がれて、右膝の痛みがいつか消えて、わたしが忘れてしまっても、雨に濡れたアスファルト道路に仰向けに倒れてタクシーのヘッドライトに照らされながら夜空を見たあの不思議な瞬間はなかったことになんかならない。そういうことが全部ぜんぶ積み重なって、わたしを、わたしたちを、まだない時間のほうへ押し出していく。

東京・神宮前
川口晴美



10月15日(木)

ぶどう
     
きょう、つきたらずの、
ななひゃくぐらむ、のまごが、
うまれました。

すーぱーで、
きょほう、ひとふさ、はっぴゃくぐらむ、とあって……
なみだが、こぼれました。

にがつの、よていより、
ずっと、はやく
やってきた、じゅうがつの。

ぶどうのふさより、ちいさな、まごの
ひとの、かたちが
いとおしくて。

ひっしで、いきようとしている、ちいさな
あまやかな、いのちが、
ありがたくて。

(いろんな、かくごと、かのうせいを、きかされた
ふたおやを、おもって、
ひかりと、かげのさす、たんじょうの、しらせに――)
ぶじにと、ばかり、いのるよるです。

ぶどうより
ちいさいいのちが、こんなにも、いきようとしてる
のに どこかでは
おおきないのちが、いきるのをやめようと
してるなんて……

と、もらすと、かえりにたちよった
むすこが
ひとこと

ふしぎだね、といった。


これは、去年の今日ではありませんが
10月のこの頃に生まれた孫のことを書いた詩です

700グラム、と聞いた時わたしはどんな反応を
すれば、いいか、まったくわかりませんでした

700という数字の、いみとかたちがつかめず
かなしんでいいのか、よろこんでいいのかが
わからなかったのです

ぼんやりしながら、スーパーに行ったとき
果物の棚に、ツヤツヤと輝く巨峰が載っていて
800gとありました

それを手のひらに受け取ってみて
ああ、この葡萄より小さい子、と思ったとたんに
胸がいっぱいになったのでした

年が明けて、コロナによる感染症が流行して、まちは
世界は、一変しましたが
わたしたち家族は、じつは去年の10月から

NICU(新生児集中治療室)に面会するときに
マスクや消毒や腕まで洗うたんねんな手洗いは、
孫のおかげで、もう身についているのでした

おかげで、あちこちと、人の居る場所に
出かけるわたしですが、今のところ元気で
ぴんぴんしています

まご、ありがとう

700グラムから1000グラムになるまでがたいへん、たいへん
時間がかかって 毎日ハラハラの連続で、50グラム増えたと聞いた
だけでも、やったーと、大喜びしていました
(わたしなんか、ぐうたらしたら、1000グラムなんて、あっというま
だっちゅうに)

その孫も、今では8000グラムで、すくすく元気に育って
もうすぐ一歳になります
ありがとうございます、ありがとうございます、
ありがとうございます、と全方位にぺこぺこして
お礼がいいたい

生きようとする命を、生かそうとする命、ふたつの命が
いくつもの命が、この世界で
たいせつに、守られますように――

ひとつだけ、残念で、つらいことは……
病院を出ても、みんながまだマスクをしていて
まごに、たくさんの笑顔が見せられないこと

笑顔という、ひとの最高の、宝物が
隠されている世界で、おまえをむかえること
です

だから、ときどき、世界のマスクを外してきみに
教えてあげたい、大丈夫、隠れているのは
(ほらね)
ぜーんぶ、笑顔だよって!

埼玉・飯能
宮尾節子



10月14日(水)

目が覚めて、両膝の痛みで立ち上がれなくなっているのに気がつく。昨日の帰り道に駅の階段から落ちた。そのときは内出血を起こした肘の方が気がかりだったのに。風呂に入って、出社までのあいだに原稿を書き進める。後輩(添削担当)から聞いた「日記」についての話は、そこからさまざまな問いを引き出すことができる。文芸誌やWeb上での「コロナ禍」を題材とした日記の氾濫は、SNSやブログといった日記的な媒体がすでに存在していたにも関わらず、あらためて日々の出来事や感想を書き記す技術が「日記」であることを強調するかたちで書かれ、発表されたという事態を意味する。ひとまずは、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行に伴う社会状況および生活環境の変化によって、私たちの日常が非日常へと変わり、日常を書くことそのものが価値のあるものとして表面化したという事実は、とりたてていうまでもない。

日常が非日常化することで日記の需要が高まる傾向は、日本近代史では第二次世界大戦期に代表的な先例があり、兵士による従軍日記や、銃後の人々によって書かれた日記が挙げられる。西川祐子『日記をつづるということ 国民教育とその逸脱』(2009年、吉川弘文館)によれば、戦時期の日記は《戦争という非日常な事件が大きく反映し、退屈なはずの日記文の内容が生死とかかわってドラマチックになり、それを記述する文体も切迫した調子となりゆく傾向》があると述べられている(180頁)。この指摘は感覚的に理解しやすい。戦時中はしばしば兵士に対して日記を書くことが奨励されたし、学校教育でも日記はさかんに取り入れられたらしい。当然ながら、どちらも上官や教師という外部の視点の介入があり、さらには日記への介入をとおして書き手(兵士や児童)の内面を監視し、場合によっては「国民」としてのあるべき態度を強制され、それにふさわしくない感情や行為が書かれれば添削が入った(規範的意識を書記行為を通じて書き手に定着させようとする試みには、言文一致運動における「標準語」開発に共通する単一的な国民精神への志向もあるだろう)。そして、このような規範的意識の内面化は、しばしば書き手自身が主体的に推し進めているかのように仕向けられた。いわば、書き手の側も「書かれるべきこと」がなんであるのかを理解し、それに向けて自らの内面を律していくこと、みずから望んでそのような内面を獲得していく方向性がありえた。西川の著作に戻る。《戦時下においては、従順な国民を育成するだけでは不足なのであって、非常時体制にあって行動する主体として積極的に戦争参加する国民、つまり国家の戦争において自らすすんで死ぬ国民が必要とされる。近代の日記が行う主体形成教育に国家が着目しないはずはない》(213頁)。

戦争末期には紙不足により日記帳の流通が停止する(厳密にいえば、まったく売られなくなったわけでもないらしい)が、敗戦から1年を経た1946年には、博文館の当用日記が早々に発行されたという。当時の記録によればその発行部数は20万部にのぼり、紙の配給が限られていた状況を踏まえると、戦後も日記を書くことは国家的に強く奨励されており、国民もそれを求めていたと見ることができる。戦後の学校教育でも、一貫して日記の制作と指導は行われた。そこでは生徒の自主性を重んじつつも、やはり教師による介入と添削は絶えず存在し、「教育的に」ふさわしくない表現があれば、程度の差こそあれ、書き直しを要請された。それについて、西川は川村湊の『作文のなかの大日本帝国』(岩波書店、2000年)を引用しながら次のように総括する。《たとえば西洋語のサブジェクトが「主体」であると同時に「臣下」の意味をもち、呼びかけに応えて自発的参加をする主体であることが明らかになった現在、国民の主体的参加がなければありえない近代の総力戦において能動的な国民となり、すすんで死地に赴く兵隊となる教育がなされたのと同じ方法が、戦後再編成のための国民教育に用いられた》(233頁)。

規範の内面化が自らの意志に基づくものであることを主体に錯覚させるための、教育装置としての日記。それは、他国の事例ではあまり見られない、日本独自のものであるだろう。当然ながら、言語が主体の思考を伝達させる透明なメディウムであるはずはないし、書かれる上で生じる虚構化の過程を日記が免れることもありえない。しかし、主体に対してみずからの内面を言語化するよう強制するにあたって、日記はそこで書かれた内面が「虚構ではない(かもしれない)こと」の線をギリギリのところで主体に迫る。加えて、それは日記が「虚構ではない(かもしれない)こと」をみずからの表現の条件に据えている点で、幾重にもねじれてしまっている。おそらくそこに、日記が詩歌や小説といった「正統な文学ジャンル」と同等の位置を持たないこと、あるいは「正統な文学ジャンル」として定義化しようとする試みを決定的に不毛なものにさせる要因があるだろう。

「コロナ禍」において日記の制作を国家が推奨したり、そのようにして書かれた日記に対して直接的に権力が介入したという事実は、筆者の知る限りでは確認できていない(教育現場において「コロナ禍」におけるみずからの生活を日記で書くように課された事例はあったのかもしれない)。しかし、「コロナ禍」以前の日常とそれ以後の日常との連続性に(「戦前ないしは戦中と戦後」のように)断絶を加え、後者を「新しい生活様式」として編成しつつ、新たなる様式への適応を国民に要請する日本政府の身ぶりが日記の氾濫に拍車をかけた側面は、否定できないようにおもう。そしてまた、日常なるものの断絶に向き合い、変化を被った生活にみずから慣れ親しんでいくまでの過程を記録することが意義あるものとされるにあたって、日記という表現ジャンルが用いられたということは、書かれたものが文学的なジャンルとして位置づけられることをあらかじめ回避した上で、だれに強制されたわけでもなく書くことを通じてみずからの認識を教育し、それを他者の視点に向けて開いていくことへの欲望が、すくなからず書き手の側には存在していたのではないかとおもう。

仕事がおわって、『灰と家』の在庫を渡しに山本の家に行く。スーパーで夕食の材料を買うとき、山本に小銭を出せないか聞くと、――きれいな小石しかない、といわれて、財布に入った乳白色のきれいな小石を見せられる。鍋を食べながら、100万回再生された猫の動画や山本がハマっているYouTuberの動画を観る。このあいだまでKAATで上演されていた地点の演劇『君の庭』についてのレビューで、題名が『俺の庭』と書かれている記事を山本が見つける。日記を書き終えて、後輩(添削担当)に送る。しばらくして後輩から返信が来る。

――日記の話については今後応答しようとおもいますが、とりあえず個人的には、冒頭がけっこう気になるな~、って感じかな。もうちょっとやんわりした表現というか、たとえば駅の階段で転んでケガをしたとか、そういうのでいいかもしれません!

東京・早稲田
鈴木一平



10月13日(火)

ややんさ
みなかに
むきへの
かひすさ
かつつい
こけおの
たゆやさ
むえてら
たちらい
にせまら
むゆよな
ひたにさ
ありいち
ひくんむ
とになし
うえあに

「空気の日記」の更新をするにはログインが必要で、IDとパスワード、そしてbotの侵入を避けるために生成された歪んだ画像の四文字を目視して入力しなければならない。いわば私が人間であることの証明だ。ランダムに現れるひらがな四文字に惹かれるものがあってすべて記録している。

よこやま
ちせとけ
ちそふち
いかてあ
きみゆら
なもよい
くあかゆ
つせくき
やぶしお
へよせき
けもせと
のえけち
とつしち
くえうし
えらへこ
とせへふ

無意味な四文字。ときどき意味ある言葉になる。感受性によって感染・発症するウィルスと同じだ。

かにたの
つおあせ
くまかく
にひます
りとまひ
えへかん
ゆあよに
なたのそ
つうひち
つふあみ
うけりし
おおかき
むあもち
ひけてへ
こあらせ
りこえち

10月に入って東京から出やすくなって、全国各地の縁のある人を訪ねて歩いている。失った仕事を来年は回復させなければならない。東京五輪は無観客開催だという噂が流れ、自殺者は前年比8%増加し、go toトラベルは祭りのように利用者が殺到している。
来年はどうだろうね、と聞くと、それはわからないね、ホントわからないね、と、どんな人もいう。この例外のなさはすごい。
秋は来年を考えはじめる時期で、そのわからなさが急速に具体化してきている。見切りをつける、という言い方が近い。

いみてつ
つよへな
きけくく
きうあつ
よへくも
とむひみ
こえとし
もとさへ
もつりえ
んちこせ
そそまら
としくて
かくへみ
やえんよ
そひらの
いへかん

どこまでも続く四文字を眺めている。いつか決定的な言葉が現れるのではないか。決定的と感じる感受性は何か、その時にわかる。

東京・世田谷
松田朋春



10月12日(月)

ビリー・アイリッシュのNO TIME TO DIEが発表されたのは今年の2月のこと。4月に予定されていた同タイトルの映画、007新作の封切りにあわせ、私はこの曲をSpotifyのプレイリストに入れた。以来毎日一度はこの曲を聴いているはずだが、007はいまだに公開されない。2020年4月の公開が延期され、11月20日の公開も延期され、ビリー・アイリッシュの声だけが私のSpotifyから流れつづける。状況は深刻である。もはや時間を逆行させるしかない。クリストファー・ノーラン監督のTENETは無事に公開されたものの、アメリカの映画館が軒並み閉まっているせいで興行収入がのびず、苦戦しているそうである。TwitterでTENETのファンアートを検索するとタイ語、ロシア語、中国語、韓国語、そして日本語ばかりヒットする。がんばっているはずなのに物事がなかなか進まないようにみえるなら、エントロピーの減少により時間の逆行が起きていると考えよう。私は先月伊豆大島に行き、黒い砂に埋もれた原野と森を通り抜けるテキサスハイキングコースを歩いた。十年以上前にテキサスハイキングコースという題名の詩を書いたのだが、実際に歩いたのは初めてだった。テキサスといえば乾いた砂漠のイメージがあるが、実際は緑も多く、稀に雪が積もることもあるという。トランプはテキサスでどのくらいの票を獲得するだろうか。Twitter社はアメリカ大統領選を前にデマの拡散を防止するため、リツイート機能の仕様変更を発表した。手動で「RT、コピペ」をやっていた時代から、私はずいぶん遠くまで来たものである。一昨日アメリカの掲示板Redditには「5歳の息子がクラフトワーク以外の曲を聴くのを許してくれないのだが、どうしたらいいだろうか」という相談が投稿された。他の音楽を聴こうとしても、これはクラフトワークではない、アレクサ、クラフトワークをかけてくれ」と命令するのだという。YoutubeとSpotifyとAmazon Musicで音楽は世代を超えた。ヒプノシスマイクは遊戯王のようにデュエルする。時間は順行し、逆行する。

東京・つつじが丘
河野聡子