5月11日(月)

渋谷区の防災放送が聞こえる
連休中ずっと午前と午後に1回ずつ聞いていたから
幻聴かもしれない
教科書を読んでいる女の子みたいな声で
トウキョウトの緊急じたいセンゲンという音が
空の耳にぼんやり滲んで広がって
英語でも繰り返し
ぷりーずステイホーム
頭の中に聞こえるけれど
エッセンシャルな買い物だよと言い訳して
外へ出ればちゃっかりスーパーを越え先へと歩く
通り抜けた商店街のあちこち
雑貨屋の軒先やシャッターを閉めた店の脇で
お祭りの屋台に並べるみたいにマスクが売られている
最初に見かけたとき50枚3500円だった箱が
2300円になった
ドラッグストアやスーパーじゃないところにいるのを
野良マスクと頭の中で勝手に呼んでいる
ツイッターで誰かがそう呼んだのを見たのだったかも
ことばは感染する
野良は増える
布マスク2枚はこないだ届いた
配布はまだほんのわずからしいから幻かもしれない
使う気にも捨てる気にもなれなくて
とりあえずテーブルに置いたまま
今日は晴れ
3月末から頻繁に低空をゆくようになった飛行機が
また頭上近くの青空を横切って
落ちてきそうに
きれい
交差点のビルの壁面には
外出の自粛をうったえる都知事の女性の巨大な映像
ディストピアSFのなかにいるみたいだなっておもう
それならきっとわたしは次のシーンで
爆撃かゾンビに襲われるかして倒れ
あっけなく死んでいくモブキャラだ
でもこれは現実なので
とりあえずまだ生きている
タイトルは知らない
帰宅するとテーブルの端に
白々と2枚の布マスクが
余白のような光を集めている

東京・神宮前
川口晴美



5月10日(日)

「そんなことするんだ」
ことばにすれば、そんな感じです。

奥さんが看護師さんの、会社員の男性が
上司に言われたそうです。
「きみが会社を休むか、奥さんが辞めるか」

自粛警察なるものが町に出現したそうです。
他県ナンバーの車には疵がつけられました。
自粛しない(本当は規定を守って自粛営業
していた)店には石が投げ込まれました。

全国に非常事態宣言が出てから
(そんなものでるんだ)
人間に異常事態現象が起きています。
(そんなことするんだ)

「隣り組がいちばんこわい」
戦時中のひとの言葉です。
「痴漢より正義感がこわい」
今日のわたしの言葉です。

もうひとつ。

#検察庁法改正案に抗議します、という
ハッシュタグのツイートが火の付いたように
ひろがって、瞬く間にトレンド入りしました。
(反対します、でなく、抗議します、がたぶん吉)

そのあとに又怪奇現象です。200万ツイート数
あたりから
眼の前で見る見るツイート数が減り始めたのです。

大急ぎで、月が欠けるみたいに。
「そんなことするんだ」

「だれもしろとは、いってない」
(いつも、これだが)

月が欠けても、(あのね)
お天道様が見ているよ。

埼玉・飯能
宮尾節子



5月9日(土)

昼食を買いに外へ出ると、向かいのアパートの駐車場で、女の人が電話をしながらしずかに泣いていた。会話もなく、ときどき鼻をすすって、向こうの言葉を噛みしめるようにちいさくうなずいている。見ないふりをして通りすぎながら、あれは人が死んだときの泣き方だと、わけもなく納得していた自分におどろく。当時は祖母の一周忌と重なって、そういう目でものを見るようになっていたのかもしれない。ちょうど去年の今ぐらいの時期で、年号が変わる前のことだった。
午前中は洗濯と爪切り。先日は排水溝が詰まり、水の問題に悩まされたものの、今回は滞りなく終わる。足の爪からにおいが消えていた。やり残した仕事を進めた結果、資料の体裁が崩れはじめたので、部屋の掃除に移行する。すこし前になくしていたスマートウォッチが見つかり、身体のデジタル化に取り組む。体温(36.3)と合わせて脈拍(72)や血圧(126-66)、呼吸数(19)を計測し、同期に報告。体温から今日の感染者数(東京都、36人)を引くと0.3になるね、といわれる。全部足すと289.3-229.3(253.3-193.3)になる。
瓦礫が取り除かれて、まっしろな更地の上に基礎が組み上がり、いくつもの細い棒に支えられながら、あたらしい家のかたちが浮かび上がってくる。実家から、裏山に生えていたもみの木の画像が届いた。建て替えのついでに切り倒す話になったという。裏山の木のなかでもいちばん背が高く、おそらく家が建つ前からそこにいて、枝から枝へ、たくさんの鳥が鳴きながら飛び移っていた。もみの木は元気そうに見えて、内側が空洞になりやすく、すこしの衝撃でも倒れる可能性がある。暗闇のなかで広がっていく、空っぽの幹の内側について考えた。小さい頃に閉じ込められた蔵のなかを思い浮かべる。耳をすませると、居間のテレビから楽しそうな声がときどき聞こえた。
クレーン車を使うのにちょうどいい場所がなかったので、根本から一気に切ることにした。まわりに酒と塩をまいて、業者の人がチェーンソーの電源を入れると、刃が踊るように回りはじめる。しばらくして、あたりの杉の枝がバラバラと音を立てて散らばり、空が明るくなった。草の上に開かれた木の断面には、幹のかたちを鏡のように写した年輪が、ぎっしりと詰め込まれていた。

東京都・高田馬場
鈴木一平



5月8日(金)

日焼け止めとマスクで過ごした2週間の後に
今朝、ひさびさに化粧をした。
これが正解なのか、わからないまま
わずかな粉と液体で毛穴を埋めて
投げやりに口角を上げる。
頬と共に持ち上がるベージュピンクが
ぽってりと重い。
(今までよく、こんなことをして暮らしていたな)
素朴なつぶやきが口をついて出る。

肌をうっすら窒息させ、
微笑みながら社会へ潜っていく。
お化粧は、不要不急ですか。
しようがしまいが、わたしの勝手でしょうか。
けれど、うっかり溺れてしまうことのないように
「必要」と「急務」をしずかに飲み込んできた。
今まで、こんなことをして暮らしてきた。

立て続けに3件のSkypeやZOOM打ち合わせ。
2件目の後、珈琲を淹れていると、
カーテンの仕切り越しに
よそいきの声ひさびさに聞いた、という指摘。
「よそいき」をしまっていたのだ。
化粧ポーチにクローゼット、声帯の奥から
わたしの「よそいき」を取り出して埃を払う。
リップクリームもすっかり欠けはじめていて
ご無沙汰だった「よそいき」の自分に戸惑っている。

カーテンの仕切りの奥から まだ
「よそいき」の声は響きつづけている。
窓のない台所で わたしは
アジの開きと目玉焼きを二つ焼いて
黄身が崩れなかった方にラップをかけた。

わたしたち、オンライン会議まみれの(非)日常で
「よそいき」を脱げない誰かのために
ふわりとラップをかけてあげる。

東京
文月悠光



5月7日(木)

高校一年生のときに読んだカール・セーガンの本のおかげで、プトレマイオスのイメージはずいぶんひどいものになってしまった。プトレマイオスは占星術の親玉であり、彼の悪影響によって地動説という科学的推論が広まるさまたげとなり、人はいまだに星占いを信じている、そんなことをカール・セーガンが書いていたかどうかはまったくさだかでないけれども、その後二十年以上、私はプトレマイオスという人についてこれ以上の事柄を知らなかったし、ヤフーのデイリー占いでさそり座が十二位だとがっかりする人生をおくっている。
一年前に思うところあって地図に関する歴史を調べた。驚いたことに、最初にプトレマイオスに再会したのである。ここに登場するプトレマイオスは二十年以上にわたり私が抱いていた非科学的な印象とは真逆の人であり、地図製作に科学的方法を導入した人物として、しかし実際のところ実像はほとんどわかっていない人物として紹介されていた。実像がほとんどわかっていないにもかかわらず千年単位で影響できるというのはいったいどういうからくりなのか。
ともあれこれは、星占いをチェックする時はヤフー占いだけでなく、めざましテレビや京王線八幡山駅からみえる電光掲示板も比較検討すべし、という事実をあらためて思い出させる出来事だった。朝の京王線に乗るときは各駅停車をえらび、かつ車両を注意ぶかく選択しなければならない。すると八幡山駅で特急通過を待つあいだ、窓のすぐ外の電光掲示板でデイリー占いを確認できるのだ。しかし私は三年以上朝の電車に乗っていないから、この知識もプトレマイオス同様まちがっている可能性は高い。知識はアップデートするべきものだ。正体のわからないウイルスのようなものはなおさらで、幸いCovid-19は頻繁にこのことを思い出させてくれる。ウイルスの変異を時間経過で示したうつくしいグラフとGIFアニメ、赤いドットの散った感染者マップを眺めながら、今年の三月に買った地政学地図が今後数年で書き換えられるのを予想する。

東京・つつじヶ丘
河野聡子



5月6日(水)

今日という日が終らない
明日はどうすれば始まるのか
手を洗っても洗っても拭えない汚れがあり  
蛇口から流れつづける今日という一日が
ずっと水飴状に透明な均質さで引き延ばされていく
夜の息苦しさの底でわたしはかすかに発光している

洗っても洗っても夢は汚されていった
溺れるように今日の渦に耐えていたが誰の夢なのかは分かりはしない
今日もいくつかのドラマで何人かの人が殺された
何人かの犯人がいて何人かのわたしが目撃した
何人かのわたしが今日も何人かのわたしを殺めると
それは輪郭を失ってまた最初から始まるのだった

肺呼吸がすたれていってタバコから煙がのぼらなくなった
陸に這いあがって進化の過程に入っていたがまだ夜だった
絶滅した男たちの細かな癖に気づいていたのはわたしだけかもしれない
右の人差し指で顎のあたりを掻く何気なく
この仕草をわたしは今日何度となく繰り返していた
その手は汚れている洗わなくては

夜明の時刻になっても
それから30分過ぎても
ついに夜は明けなかった

福岡市薬院
渡辺玄英



5月5日(火)

ひと月におさまらない忍従
それでも私たちは
弛緩した生をやめない
労りは営みに敗北し続ける
かぞえられた死は
数でしかなく
意識させられる空虚を
ひとびとは批評でばかりうずめて
自身のためにしか泣けない
わたしたちの上を
季節が古(ふ)り去ってゆく
そうして繰りかえし
たどりかえす悔いを
予見しながら模してゆく
あなたが
言葉などをしる前に
算数などをおぼえる前に
樹がくれのしたに
微笑とともに隠した
ちいさな手のひらに
あの日たしかに受け取った
ひどく単純で変わらない
千年まえの祈りが
まあたらしい節句に呼ばれ
きょう
子らにひとしく
おとずれる

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹



5月4日(月)

Zoomのどこでも窓を通して
家内修羅場、
ドメスティックサーカス、
無人島へズームイン
デジタル背景で
 場所の意味を消そうとする駒たちと
   会議のチェスボードで
I’m unraveling
––fine—
I’m Time/
traveling

去年の季語は
 夏の肌
ムダ毛
キレイ
ワキ汗対策

今年の季語は
  ない。空っぽな広告の枠

俳句、零時、h i c r a z y

 ラン乱イラン欄違乱いらん、蘭
  選船千線専戦せんといて
   チョー長朝町長蝶々よ、超
    孝行高校や航行煌煌
     1湾1ワンワン1腕,、no one won、no王

耳と耳を
ずっとつけ続けているヘッドフォンから
解放させないと
次第に大きくなってきた音は
サイレンなのか、ほぼ静かになった一日の残影なのか、
区別できない。

上記の断片に希望の小雨をぱらつく
医療と薬学が脱線してゆく糸に辿り、
何と
水星では「一日」は
地球の58.6日だそう…

東京・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス



5月3日(日)

他のみんなが日記をつけてくれるので
僕は安心して
日々の網目をすり抜けてゆく極微の切れ端にかまっていられる

母の眼の縁ぎりぎりに
ステロイドの軟膏を擦りこむ指の腹の感触や
腹部エコー検査報告書に印刷された
父の胆管の艶やかに濡れたモノクロームの光沢なんかに

交番の入口の「本日の交通事故」によれば
昨日県下で死亡したのは一名
こんな時に交通事故で死ぬなんて間が抜けていると思うけど
それを言うならすべての死は底が抜けていて
死を数えあげる生こそ愚の骨頂

見えないジャイアント・パンダに引かれて
横断歩道を渡ってゆけば
王様ペンギンを二羽連ねたあの子が目だけ光らせて立っている
社会的距離とやらに隔てられると
なんだかいつもよりも色っぽく見えてくるのが不思議

みんなが生き延びることに必死でいてくれるので
僕は安心して
日々の連なりからはみ出てしまう巨大なものを眺めていられる

隣の婆さんがついにホームへ引っ越す朝がやってきて
軽トラックが坂の下へと沈んでいった
その後にぽかーんと残された
空の青さなんかを

横浜にて
四元康祐



5月2日(土)

玄関先の切り火がいらなくなってひと月
夫はすっかり鰐である
好物のKindleを前足で支え 
ふとんの奥に日がないちにち充実している

胴のかたちを巣穴に残して
鰐は時どきいなくなる
今朝は上がり框に かしいで わだかまっていた
振り向いてイッテキマスを
言いたいのだね

平たい尻尾を かかとでずずずと送り出す
緑の多い日陰を選んで歩くんだよ
子どもが近寄ってきたら敷石にまぎれてね
クール便です 宅配のお兄さんが引戸の前で後ずさる

熊本産の早生西瓜は陶然と甘く
先割れスプーンをひるがえすうちに
「トレインスポッティング」93分が終わっていた
西瓜の残りを切り分けたら
友だちを廻って配ってこようか
時分どきが来る前に

引戸を開けると
隣家の生垣の終わるあたりに
平たい尻尾がまだあった

東京・目黒
覚 和歌子