5月21日(木)

深夜に
ことばが立ち上がる

論文の直しというのはとげぬきのようなものだと思う
(1) はーい賛成
(2) 反対

どちらですか

深く呪われている
北のみずうみの底に
燃えあがる陽炎のような何かがある

どうせ自分は大したことはない
自分はじつにスゴイもんだよ
この二律背反の気迷いの中から
薬草の根っこのような
熱い本質を引っこ抜く

まずは文法がめちゃくちゃ
図表の番号がめちゃめちゃ
話の筋がどこかに行って
図の縦横があわさっていない
あきらかに入れるべきことが欠けている

表面の雑草を刈るように文法を直していく
するといま見えてくる地肌の粗さ、それを遠くからトングでつかんでこね回す
ぴたっと当てはまるとかちっと音が出るよ、ご名答
最後まで行ったら鋸でまっぷたつ
ハサミでじょきじょきとプリントアウトを切ってセロテープとホチキスで貼り合わせる
そしてコピーをとって
写メをとって
メールで転送

返ってきたらすぐにプリントアウト
ハサミで切り刻む
のりでとめる
またスキャンして
メールで送ろう

沼のように深い絶望が
身体のゆがみとなってことばの水面を泡立たせる
ついまた見落とされる全体の構成
背骨のバランスがとても悪い
錯誤、混乱
そこまで自己批判しなくていいのに
ものすごくものすごく
悲劇的な考察

それを
ひとつずつ
ご供養する
ように

のしかかられた肩の重みが
すこしずつ
楽になる
ように

在宅勤務のために買った
白い
プリンタ用紙500枚、
こうして
誰かの
とげを抜こうとして
きょうは
全部
使い終わった

東京・西荻窪
田中庸介



5月20日(水)

すーまんぼーすー
沖縄でいう
梅雨


晴れ間は
もう夏日で

市役所の前で
ヘイトスピーチをする人がいるから
そんなことはやめろ


カウンターがあると聞いて
ひさしぶりに町に出かけた

カウンターに集まった
人がいて

慣れないまま
辺りに
立っていると

いつもなら
もう来てるはず
というヘイトスピーチの
人が現われない

まま
時間が過ぎて
おひらきになった

ぼうっと
する
家に帰って
まだ

外の日を
ひさしぶりに浴びた

まま
立っていたせい
肌が日に赤くなっている

人は
いる

のに
いない
人は

いない
のだろうか

実体が
ないものを
憎しみとして
抱え込むのは
空洞をこころに
抱え込むようなもの

誰かを差別したい
という気持ちの
今日の昼のやり場のなさに

そのまま
つゆと消えればいいのに
そしたら
まただんだんと

ひなたに立って
家に帰って
ぼうっとするくらいには

人になれるし
戻れる

うちに

*カウンター…人種差別などのヘイトスピーチに対抗する行動

沖縄・那覇
白井明大



5月19日(火)

ねむれない日々が定着し
ぼくはずっと怒っている
ぼくはずっと不安のなかにいる

旅にでられなくって
レーズンやキウイで
酵母をつくって
パンを焼いていて
これはわたしの身体です
これを受けて食べなさい

見送られたものは
いつまで見送られるのか
手をふって
笑顔で見送るのか

ぷつんと糸がきれた四肢が
宙ぶらりんになって落下する

そう、昨夜の話。スーパーマーケットからの
帰り道に、痩せこけたキタキツネに出会った
でも、野生のいきものに食物を渡せないので
いつか人類全員でみごろしにするのかなって。

わたしの身体を受けて食べてほしい
キビタキのさえずりで満たされていく
今日は月に一度の古紙回収だった

北海道・札幌
三角みづ紀



5月18日(月)

雨が

降る
前に

モコと散歩にいった

夕方
近所を歩いてきた

大風が近づいているのだという

帰ると

TVニュースで
検察庁法案 今国会見送りという

この国の首相が
誠実に国民に説明を尽くすと言っている

わたし
今日

チェット・ベイカーを聴いてた

Almost Blue を聴いてた

Almost
Almost

Almost
Blue

チェット・ベイカーが歌っている

ほとんど
ほとんど

ほとんど
ブルー

そう 歌っている

今日
仕事はなかった

Almost Blue を聴いてた

布マスクが届いていない

静岡・用宗
さとう三千魚



5月17日(日)

スーパーもガーデニングショップも
ほんとうに大勢のにぎわいで
大気は理想的にここちよく
何かの間違いではないかと思うくらい
すべては健康的だ

高一の娘に
夏服が届いた
まだ入学の制服も着ていないのに
長男は毎日のように
自転車で遠乗りに出かけていく
巣篭もりが平気な次男は
もうすぐ学校がはじまるといって
ため息をつく

家族は
猫ばかりなでている

ニューノーマルという言葉は
古くも新しくも感じる
名刺の束に
つよい違和感がある

東京・世田谷
松田朋春



5月16日(土)

「5月16日/しばたさん えびすリキッドルーム/・ハーヴィン・アンダーソン@ラットホール/・白髪一雄@ファーガスマカフリー/・河鐘賢(ハ・ジョンヒョン)@BLUM&POE/・塩見允枝子+植松琢磨@ユミコチバアソシエイツ/・松崎友哉、長沼基樹、大野陽生@ハギワラプロジェクツ」と書かれている、原文は手書き文字、去年の手帳である。表参道でラットホールギャラリーとファーガスマカフリーの展示みて、てくてく歩いて原宿へ、駅前のBLUM&POEに寄って、JRの竹下口から山手線に乗って新宿へ、新宿駅から都庁方面へ新宿中央公園を抜けて、てくてく歩いてって公園前のユミコチバアソシエイツで展示みて、塩見允枝子さんの作品集買って、そこから初台のほうへあと5分くらい歩いてハギワラプロジェクツへ。ハギワラさんとすこしお話しして、わたしのつぎの打ち合わせの時間がせまっててあわててとびだして、オペラシティを小走りでかけぬけてって初台駅で電車に乗った。

オペラシティを小走りでかけていく。2020年2月28日のこと。打ち合わせが14時から渋谷で、それまでに谷中と初台の展示を見たい。もうあとがない。スカイザバスハウスが開廊するのが12時、スカイザバスハウスから初台まで駅までの徒歩を含めて50分くらい。逆算していく。まず11時50分に根津駅に着くようにして(なので、11時20分くらいに家を出て)、根津駅ホームからスカイザバスハウスまで徒歩、というか小走りで10分、スカイザバスハウスに10分、スカイザバスハウスからオペラシティまで徒歩(小走り)と電車とあわせて50分、となると、初台での滞在時間がおよそ35分間、ICCの青柳菜摘さんの展示(数回目、見納め)15分、企画展(「開かれた可能性―ノンリニアな未来の想像と創造」)15分、初台駅ホームからICCへの移動に往復計5分。初台駅から渋谷の打ち合わせ場所まで20分。これで待ち合わせ5分前に着く。オペラシティアートギャラリーの白髪一雄展は、後日。おそらくまもなく臨時休館になるけど、まだあと会期残り3週間あるから、きっと再開されるはず、と考えつつ、オペラシティアートギャラリーのエントランスを横目に見つつ、駅へと急ぐ、予定の電車の発車時刻まであとおよそ1分半。

…と、だいたいいつもこんな感じで時間があるとき隙間を埋め尽くすように、分刻みで駆けまわっていたので、いまあらゆる展示が閉まっていて正直ほっとしている自分もいて、その癖して、結局そのまま再開されることなく会期が早期終了となってしまった白髪一雄展の図録をポチる、開会3日で閉まってしまったままの近美のピーター・ドイグ展の図録をポチる、まだ展示が始まらない現美のオラファー・エリアソン展の図録をポチる、…まではまだ良いとして、勢いあまって、過去に訪れた展示の、そのとき完売になっていたか、重たかったか、もち合わせがなかったかで買いそびれててずっと気になっていた図録たちまで、さかのぼってポチりはじめる。2010年Bunkamuraザ・ミュージアムのタマラ・ド・レンピッカをポチる、2011年ブリヂストン美のアンフォルメルをポチる、2012年新美のセザンヌをポチる、2013年都美のターナーをポチる、2014年西洋美のホドラーをポチる、…などなど。

いまフアン・グリスの、何点かの図版のページを机の横にて開かれている(手もとにある図録だと、・ノルトライン=ヴェストファーレン展に1点 ・デトロイト美展に1点 ・フィリップス・コレクション展に1点 ・コルビュジエのピュリスム展に8点 ・アーティゾンの開館記念展に1点)、かれはキュビスムにおいてピカソ、ブラックに続く「3人目の画家」と呼ばれていた、とのこと、3人目でもじゅうぶんに名誉なことであるが、しかし「3人目」ということばの廻りに漂うそこはかとない哀愁があり、また比較的若くして亡くなってしまった(1927年5月11日に、40歳で)こともあり、それはさておき作品において、ピカソのブラックのキュビスム絵画のおおむねくすんだ沈んだ色彩にたいして、フアン・グリスのキュビスム絵画は明朗なあざやかな色彩で、また木目のテクスチャの描き方など繊細に具象で、分断されたレタリングやら壜やら楽器やらはどこか愛らしく、全体としての抽象とそれら具象のディテールとのバランスが絶妙に素晴らしく、先ずぱっと見に目に心地よく、かつよく見るとキュビスムらしい実験も試みられていつつ、目を彷徨させられつつ悦ばせられつつ、ピカソのブラックの「やったるで」感が希薄であるぶん、ある種の余裕や優雅さが感じられる、「3人目」ならではの強みが魅力があるとおもう。しかし、

   いつまでつづくのフアン・グリス
   心労でふえてしまうよ白髪一雄
   されどパンデミックはタマラ・ド・レンピッカ
   ひととの距離をジョージア・オキーフ
   まちにはだれもオラファー・エリアソン

夜、恵比寿リキッドルームで柴田聡子inFIREのライブをみる。たくさんのひと、すごい熱気。昼間、表参道へ行く前に銀座線銀座駅でいったん降りて、駅前の和菓子屋あけぼの(芹沢銈介がパッケージをデザインしている)で買った、トートのなかの「銀座メロン」(今回のツアーアルバムの中の一曲「東京メロンウィーク」にちなんで)がつぶれないか心配。こみあった電車のなかでも心配していた、ずっと心配している。この日のライブはあとでライブアルバムになって、あれはスパイラルでクリスマスのころに柴田さんがトーク&ライブをした(いま、手帳で確認すると2019年12月6日20時~)、そのすこしまえにリリースされたのだった(いま、Spotifyで確認すると2019年10月23日)。

「じぶんがそこに居たライブのライブ盤を聴いてると、映画『魔女の宅急便』のいちばんおしまいのあたりで、キキにデッキブラシを貸したおじさんみたいなきもちになります。」
「やめてよバーサ。までも目に浮かびます。」

カラーテレビの中の白黒テレビで大群衆が大歓声を上げている。……

   いつまでつづくのこのキキは
   やめてよバーサ
   あのデッキブラシはワシがかしたんだぞ
   かしましいニュースがウルスラ
   やめてよバーサ
   いつまでつづくのこのジジは
   かしましいニュースがトンボ
   あのデッキブラシはワシがかしたんだぞ
   やめてよバーサ

「 落ち込むこともあるけれど
  私、この町が好きです 」

こもってるあいだに今年のたんぽぽが綿毛になって飛んでってしまった。

いつも行くばら苑のばらが刈られてしまった。

ふじの花が落っこちてしまった。

てっせんが枯れてしまった。

あじさいが色づきはじめてしまった。

くちなしが薫りはじめてしまった。

*ジブリ映画『魔女の宅急便』より引用・参照箇所あり

東京・深川
カニエ・ナハ



5月15日(金)

どうして欧米でそれは疎んじられたのか。
カタカナ語がないからさ。
オペラ座の怪人の仮面も
どろぼうの覆面も
ぜんぶ maskだもの、
かけたくなかったんだよねぇ、マスクだって。

どうしてこの島でおかみのそれはつまずくのか。
じつは仮面だからさ。
おまつりのお面も
にんじゃの覆面も
じぶんの キモチだもの、
かけたくないよねぇ、アベノマスクなんて。

お能に
癋見(べしみ)という面があるんだって。
口を固くむすんで何も言わない仮面だって。
折口信夫によると
それは、しじまの面、
かみに従わない沈黙の精霊の顔。

  ねぇ、
 ねぇ、
god(神)も、ruler(支配者)も
ひとしく「(お)かみ」と呼んじゃったニッポンの土俗感覚、
えらい と思わない?
何も言わせない覆面なんか
もらいたくないさ、
おかみさまに

じぶんでマスクする、
       わたしたちは
手作りで、闇市で、ネットオークションで
  宅急便のおじさんも、
 なわとびしてるよっちゃんも、
陣痛がはじまったおかあさんも、
マスクをしている
せかいじゅうの
おどろく数が、

演じてる、
仮面をつけて
その精霊を、

へのへのもへじ、
胸のうちは。

神奈川・横浜
新井高子



5月14日(木)

昼も夜も
お互いに距離を保ったまま
ネットでつながった部屋が
無数の星のように浮かぶ
街の片隅で

二か月前までは
近くの学校の蔦の壁に沿って
緑の小道を抜け
ピアノの教室に向かっていた子は
今日も どこにも出かけずにパソコンをひらき
オンラインのレッスンを受けはじめる

先生のなめらかな指の動きから
ときどき すこし遅れて 音が届く
その響きは
水中で聞く 浜辺のかすかな歓声のようで
歩いて十分ほどの教室が
どこか遠い外国に思えてくる

今日いちにちのあいだに
パソコンのマイクが拾わなかった ちいさな声と
メールの文字にならなかった ことばは
誰にも どこにも 届かないまま
どんな夜の水底へと沈んでゆくのだろう

ピアノのレッスンのあと 半袖の子は
窓からの風がもう冷たくないことに気づく
とくにいまは 夕方を過ぎると
外の通りから 人の気配が消えるから
ふたりでベランダに 折りたたみのテーブルと椅子を出した

空の薄いみずのいろが 菫のいろに染まりはじめたとき
あ、いちばんぼし、と はしゃいだ声があがり
テーブルのうえの蝋燭が揺れた

たしかな音にも
ことばにもまだならない
ほんのちいさな炎の あたたかい息が
それぞれに切り離された
夜の水底から水底へと渡るように
誰にも聞こえないまま
すこしだけ遠くへ 流れていった

東京・杉並
峯澤典子



5月13日(水)

午前のニュースから聞こえてきた
銀座というのが崖の名前に思えてくる

そこへ行けないことはわかっている
でも、なんで行けないんだっけ

一番可能性が濃いのはそれがもう失くなってしまったから
通り過ぎた信号の色みたいに、そう点滅する
それとも銀座とは
アトランティスとかパンゲアとか
宝の在り処を×で記した
だれにも解読されない
端のめくれた茶色い地図にしかない場所なんだったっけ

ううん、それはあるんだけど
今日もにぎわって、明るく平らな
ガラスのように澄んだ几帳面な四角い灰色の敷石を
靴がいそがしく渡ってゆくのだけど
こことは時空が違うのです
だからわたしは行けないんです

ほんとはもうないんでしょ
もう世界は全部崖の名前になってしまって
パラレル宇宙の任意の時代と場所の
博物館のガラスケースに収まってしまったんでしょ
今年はやけに葉が茂ってお化け楓みたいになった
楓のそよぐ
ここしか
もうほんとうは世界ってないんでしょ

千葉・市川
柏木麻里



5月12日(火)

平穏
万年床に寝そべり
セスナ機のエンジン音を遠くに聞いて
幽囚の光の中
言葉の一切は断たれ
行く先のすべては
打ち捨てられている

新緑はしずかに萌え
カタカナの海で
音もなく声もなく
おぼれてゆく
ものたちの
平穏

おだやかなひのひかり

東京・小平
田野倉康一