第6回 Support Your Local Poet Meeting 白井明大
「生きようと生きるほうへ」
『生きようと生きるほうへ(思潮社)』掲載
表題詩「生きようと生きるほうへ」より
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生きる
白井明大
なぜ逃げた と言われたことが何度かある
生きたかったからと
正直に答えることはためらわれた
逃げたくても逃げられない人が大勢いるのに
自分だけ助かればそれでいいのかと
語気に含んでいるように聞こえた
時間をかけて少しずつ
話せたことはある
たがいにたまらなく怒りに流され
すれ違いに終わったこともある
なぜ逃げたのか
生きたかったから
いのちが何より大事だと思うから
子を思って沖縄へ行きたいと妻が言ったとき
その場で行こうと決めた
ほかに何か大切なものでもあるかのように
一瞬すら迷いたくなかった
それは子のためばかりではない
大人のいのちも大事なことに変わりはない
いのちの勘定をするときに
自分のことを抜きにしても
自分のことだけ考えても
勘定はどこかで合わなくなる
けれど前日
原発事故が始まってたった四日目の月曜には
ぼくは仕事へ向かっていて
逃げるほどのことじゃないと
いつもどおりにふるまう電車のなか
海外へ帰るらしき人が
大きなトランクを抱えながら
ずっと身を震わせていたのを覚えている
七日目の午後
羽田を発って
沖縄の叔父の家に着いたとき
心の底から安堵したのを覚えている
なぜこれを食べないのか
なぜこれを飲まないのか
なぜ東京から逃げたのか
なぜマスクをするのか
なぜ風向き予測を気にするのか
なぜ家に帰ってすぐシャワーを浴びるのか
なぜ……
人はある日を境に
町から人がいなくなることに慣れていない
人はずっと慣れ親しんできた生活を
根こそぎ否定しかねない言葉に
いつでも耳を貸せるわけじゃない
自分なりの身の振り方のスタンスを
いったん決めてしまうと
そのスタンスと異なる人を
つい責めたくなってしまうとしたら
それは後々の世まで人の生き方にかかわるほど
深刻なことが起きているさなかに
むき身で放り出されているから
少しなら吸っても食べても平気なのか
いまこの空間に何粒あり どうしたら消せるのか
年五ミリとかそれ以上の場所に住んで大丈夫なのか
放射能には閾値がなくて
人の手には負えない出来事すぎて
答えはまだわからないということしかわからない
けれど
そのわからないことから身を守ろうとするのが
どうして誰かを傷つけることになり
たがいにその傷の痛みをぶつけあうことにばかりなるんだろう
ほんとうは
まだわからないものを口にしないことが
その向こうで困っている人を見捨てることではないと
いつも自分に言い聞かせないと
罪のように思えてくる
生きていい
生きたいと誰もが
願っていい
被災地という言葉が
人と人を分けへだてても
東京なのに
福島じゃないのに
なぜ逃げたといくら言われても
見えない粒がどんなに分けへだてなく
県境など関係なく海も国境も越えて
まき散らされているというのに
海岸通り沿いに黒い袋が道の続くかぎりに並べられながら
家々が流されて残った基礎があちこちにあり
まだ漏れ出ているものが止まらないなか
いわきの海がどれほどまぶしいか
郡山を 会津を 仙台を 宮古を
訪れた数日後には那覇に帰って暮らしているのが
なぜこんなにたまらないか
自然が人の手を離れて
地名が付けられるまえに戻ろうとするものなら
地名とは自然のありかではなく
生きる人のいのちの名であってはいけないだろうか
その人がどこであれ生きるその生活の名であってはならないのだろうか
遠くの町へ移り住む
人のいのちが暮らしの記憶と名といまを持って
生き続ける先で 交わり 生まれ 変わりながら
幸せになってと願う
そしてもしぼくが
この島から思うだけでも
地にとどまり続ける人と
もしもわずかでもつながっていられるものなら
いっそ
体がそばへ行きたがる
ひとりではないと
ひとりでいてはいけないと
まるで自分は
ひとりぼっちではないかのつもりで
むしろ
会って元気をもらうのは
いつもこっちの方だというのに
朝、園の門をくぐってかけていく
きみの手がはなれたあと
見送っては 午後の帰りを迎えるたびに声をかける
いってらっしゃい
おかえり
と毎日そう言いあえる場所が
どこにいようとあるんだと
またきみの手をにぎるために
どんなもっともらしい声明のまえで
自分がとんちんかんなことをやっているように思えてきても
生きたいから生きるんだと
なぜという問いに
うまく答えられなくても
逃げたという言葉が
人を土地に縛りつけようとしても
ぼくの言葉もひとつの声明かもしれないと
おののきを抱えつつ
でもきっと
いまいるここから
生きようと生きるほうへ
Poet:白井明大
Guest:亀岡大助(編集者、元「現代詩手帖」編集長)
東日本大震災後、東京から沖縄に移住した詩人が、その後の歳月とともにある「生」を一冊の詩集にした。その詩集の制作過程を振り返りながら、詩を書くことの意味を問い直す。
日時:2016年2月26日(金)19:00-21:00(開場18:30)
会場:スパイラル9F「スパイラルルーム」
料金:1,500円
定員:40名
主催:オブラート
協力:スパイラルスコレー
会場アクセス:東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道駅」B1出口前。もしくはB3出口より渋谷方向へ1分。http://www.spiral.co.jp/a_map/
【ご予約】
info@oblaat.jpまで、お名前と、白井明大の回予約希望の旨、メールをお願いします。定員40名に達し次第締め切り。
【出演者プロフィール】
白井明大(しらい・あけひろ)
1970年生まれ。現在は沖縄在住。詩集に『心を縫う』『くさまくら』『歌』『島ぬ恋』『生きようと生きるほうへ』。著書『日本の七十二候を楽しむ――旧暦のある暮らし』は、旧暦ブームの火付け役となった。
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亀岡大助(かめおか・だいすけ)
1975年、東京都生まれ。2015年8月まで「現代詩手帖」編集長。