4月30日(木)

昨夜、クラシック・ギターの弦を張り替えた
十年近く前に買って
少しだけ弾いて
すぐに飽きて
それから
ずっと部屋に置いていたものだ
ずっと部屋にいるのだから
今夜
また弾いてもいいと思えた

子どもの頃は毎日弾いていた曲
今弾くと
喪失しているはずなのに
指が憶えているということがある

記憶とは
指から伝わる感覚のことではないか
この季節に触れ
わたしは
何を忘れ
何を憶えているのだろうか

福岡・博多
石松佳



4月29日(水)

熱海に行ったのだった。
海外からの観光客のすっかりいなくなった静かな街をゲストハウスのスタッフと歩いて、いつまで続くかわからないけれど、ゴールデンウィークは厳しいでしょうね、でもほらインバウンドは難しくても国内旅行なら

ロシアに行くはずだった。
ウラジオストクからハバロフスクまでシベリア鉄道で移動する、仕事以外で海を渡ったことのない私が初めて計画した海外旅行に備えて、ガイドブックを買って、キリル文字の読み方を勉強して、今回のツアーは催行されない感じでしょうか、先行きが不透明なところかと思いますが、この時期の海外渡航に不安も感じており

家にいろ。
元通りのにぎわいも落ち着いたころもいつかやってくる保証はない。
できるだけ多くの怒りと疑いを心にたくわえ、私は家にいろ。

東京・調布
山田亮太



4月28日(火)

自宅待機して自分と向き合う
それには
To-Doリストが良いよ、スマートフォンに記入すると
パソコンでも見られます、予定表ともリンクできます、ウェビナーも立ち上がります
Things to do
それもこれもあれもやりたい
やるべきであろうことを
毎時毎時に切れ間なく書き込む
Things to do
が15項目に積み上がる

15時間働いても終わらないよ
終電もないから
誰にも歯止めがかけられない
封鎖されたキャンパスからZoomの講義を発信する
掲示板とウェブチャットで双方向コミュニケーション
はいどうぞ
Zoomで簡単に盛り上がるリアルタイムアンケート
それから瞬時に採点される小テスト
はいどうぞ

申し込んであったドイツの光学ウェビナーが自動で立ち上がる
申し込んであった雲仙のエコウェビナーが自動で立ち上がる
封鎖された
その学園都市の本社
朝の光
あの奥の部屋のあの顕微鏡装置のあの白い大きな蓋があいて
ヤッホウ
なじみ深い
ミラーやフィルターやパルスレーザーやシャッター
それらが
リアルタイムで
画面いっぱいに顔を出す

雲仙では
奥津さんのおくさんが
土用のときには緑茶とうめぼし
そしてゴボウ
遠くの部屋にある遠くの機械の内臓部分
すべてが一つになっているソフトウェア
そして遠く遠く
甘いものは控えめにしましょう
あなた自身のために
どうか
血を

攻撃してくるウイルス、能力不足、そしてあれもこれもの〆切
とつぜんZoomは落ちて瞬時に学生にホスト権限を奪われてしまう
ログインできないトラブル、いつまでも終わらぬセッション
すべては煙のように
Spotifyでジャズをきこう
もう誰も起きていない
もう誰にも奉仕したくない
もう誰のためでもなくて
深夜の
ちいさな
自分に戻る
セッション

東京、西荻窪
田中庸介



4月27日(月)

島では
おやつが
一日二回あって

じゅうじちゃーと
さんじちゃー
、ていう

ちゃー は
お茶のこと
十時のお茶と
三時のお茶

いま
午後三時で

昨日
消毒用のアルコール代わりになる
六十五度の泡盛を
蔵元の直売所で買った
帰りにジミーに寄ったとき
君が見つけた
イギリスのチョコウエハースを

袋から出して
さんじちゃーにしよう
、てしたら

お父さんはそれでおわりね 、て
隣りで見てる
うたに言われた

全部で六つ入ってて
昨日の夜に一こ食べて
いままた一こ食べるから
あとは
お母さんと
わたしのぶん

うたには
トッポも
コアラのマーチもあるのに
それはそれ
これは三人で三等分、て

なんだか腑におちない
お菓子の法則を
指折り数えるてのひらに乗せて
うたが自分のぶんのウエハースと
コアラのマーチを
持ってったあと

テーブルの上には
ふたの開いた
空箱がぽっかり置かれたまま

沖縄・那覇
白井明大



4月26日(日)

朝焼けが まぶしい大安の日
病院から電話がかかってくる

六時間後に亡くなって
うつくしい顔をしている
血のつながっていない彼
ちいさなお葬式の支度をする

お線香の香りを絶やさないよう
そばに座ってぼうっとしていた

白い布のしたで
もう呼吸はないから
微動だにしない
ひどく喉が渇く部屋にて
ちっとも減らない数を
毎日、かぞえているけれど
おじいちゃんは老衰で死んだので
かぞえられない数だ

砂糖菓子みたいな骨を
やけどしないように拾う
いのちが小さい箱におさまって

死後の世界が
あっても なくても
かまわない

北海道・札幌
三角みづ紀



4月25日(土)

昼前

マスクをして

女と
スーパーに行った

野菜と肉と白子と若布とお煎餅と
お稲荷さんと

買った

ホワイトホースも買った

スーパーに
マスクをした人たちはいた

花屋で

白い花の紫陽花の鉢植えを買った

お稲荷さんと
紫陽花は

義母の仏前に供えた

もう母の日か

午後から
英会話のレッスンをして

夕方
犬のモコを連れて散歩した

風が強かった

外は
まだ明るかった

近所の橋本さんの奥さんと立ち話をした
今日も風が強いわね

言われた

わが家に布マスクはまだ届いていない
西の山に日は落ちた

山が

濃く青い

静岡・用宗
さとう三千魚



4月24日(金)

陽が差し込んでいる
酷く、陽が差し込んでいる
書斎の
しずかなしずかなレンゴクで
世界は一度、漂白される

もし
詩人であることが事故だというのなら
今ほど詩人があふれた時はない
すでに
あらゆる人とのあいだに
はてしない距離を
抱える者を詩人と呼ぶのであれば

杉並区都市整備部狭あい道路整備課狭あい道路係ヒラ
田野倉康一は本日、勤務日である
二分の一出勤で昨日は自宅待機
今はシートを張ったカウンターの横で
測量屋さんや不動産屋さんと
図面を囲んで濃厚接触
「こんなときに役所まで来いと言うのか」
となじられながら
でも人の財産にかかわることですから、と
今日も濃厚接触はつづくよ

杉並の街にこんなに猫が多かったとは
やっと出られた現場調査で
人よりもたくさんの猫と話す

詩人であり詩人でないものは、僕は
きはくになっていく空気のなかで
一向に減らない厖大な距離を
ただ、もてあましても
いる

東京・小平
田野倉康一



4月23日(木)

夜中の3時ごろ起き出して散歩にでる、マンションのエレベーターが1階でひらくとふいに、懐かしいにおいがかすかに鼻先をかすめて、えっと、これは、あの、しろい、あの花のにおいのほそい糸を、たぐるように誰もいないまちを、2、3分あるいていくと、ビルとビルとにはさまれた、ほそながい、ちいさな公園の入り口の、黄色い「円」の字型のバーのかたわらの足もとの右がわのところ、闇のなか街灯に照らされて、白く浮かび上がっている、ジャスミンの花が、

セブンイレブンのにおいのしないセブンイレブンで、外国人の店員さんに、紙パックの牛乳1本買うのにバックヤードからわざわざ出てきてもらうの申しわけないな、ごめんなさい、とおもいながら、透明のアクリル板とマスクとで二重に隔てられていて、アクリル板が灯りを反射して顔がてらてらと光っていてよく見えない、いつもよりもより隔てられてしまった気がする、どこの国から来て、どうしてこのまちで深夜にコンビニで働いてますか、ひるまはなにしてますか、きいてみたい、きっかけがない、てか日本語とっても上手ですね、おつりがないようにぴったりわたす、ありがとうございます、ごめんなさい、

おめでとうございます、今日お誕生日だった森山直太朗さんの5、6年前の曲に「コンビニの趙さん」があり、昔から愛聴している。2、3年前スパイラルで詩の朗読というかパフォーマンスのイベントを、(直太朗さんの協同制作者で、詩人の)御徒町凧さんがされたときに、打ち上げにもぐりこんで、どのアルバムもだけどとりわけ「レア・トラックス」というアルバムが、その歌詞たちである詩たちがいかに素晴らしく、わたしが感銘を影響を受けたかということをお酒のいきおいも手つだって熱っぽく、わたしは御徒町さんに語ったのだった、目の前のひとのシャツのボタンが取れかかっていて気になる、ほぼただそのことだけをうたった「取れそうなボタン」とか、いつものカフェの隅っこで店員さんが食べてるまかないが気になって食べたくなってしかたないことをうたった「まかないが食べたい」とかの素晴らしさについて。昔、一時期「直ちゃん倶楽部」に入っていて、コンサートにも通っていたのだった、その日はじめて会った、要するにただのファンであるわたしに気さくに話しかけてくれた御徒町さんやさしかったなあ、うれしかったなあ、

昨日の朝ドラで、直太朗さん演じる音楽教師が、主人公が内密にと云った、国際作曲コンクールで受賞したことを、またたくまにもらしてしまう、もらさないと話がすすまないので、誰かがこの役目をになわねばならなかった、しかたなかった、つまりは取れそうなボタンだった、そんなことをおもっているあいだもずっとその物語が流れるテレビ画面には右90度に倒されたL字型にニュースの文字が流れ続けていて気になる。朝の7時半から、あるいは夜の23時からやってるBSでの放送で見ればそのL字型はないのだけど、家の前におおきな樹木がある、雨がふるとその樹木の葉っぱが垂れこめて、葉っぱの角度が変わり、それがBSのパラボラアンテナに影響して、画面にあたかも葉っぱそのもののように、モザイク模様が現れる。風が吹くと、葉っぱが揺れ、画面のモザイク模様も揺れる。ときどき、ベランダにでて去年の夏から置きっぱなしの虫とり網をふりまわして、葉っぱをふり落とすと、画面のなかのモザイクも落っこちてきて、

いまこの文章を打っているPCから顔を上げると、いくつかの山が見える。それはサント=ヴィクトワール山で、家にあるいくつかの図録からかき集めて、それらの頁をひらいてある、コートールドのサント=ヴィクトワール山、デトロイトのサント=ヴィクトワール山、チューリヒのサント=ヴィクトワール山……。いまとある仕事の勉強のため先日から読んでいる、建築家としての立原道造について詳細に研究されて書かれた種田元晴著『立原道造の夢みた建築』(鹿島出版会、2016年)をひもといていくうちに、中盤の第三章にて、道造の描いた、浅間山を背景にしたある建築図がどうやらセザンヌのサント=ヴィクトワール山をもとにしているらしい、という記述に出会った、おなじころ、別のとある仕事の勉強のために読んでいた『新潮』2020年5月号、『文學界』2020年3月号に、それぞれに掲載されている山下澄人さんのそれぞれの短篇小説に、どちらもセザンヌが出てくる、きっとそのこと自体セザンヌへの、サント=ヴィクトワール山の連作へのオマージュなのかもしれない。私も寄稿している『ユリイカ』2020年3月号青葉市子特集にも山下さんが寄稿されているけど、そこにはセザンヌのことは出てこなかった、そこではセザンヌではなく「あおばさん」が出てきて、山ではなく海がでてくる。とにかく、それで家の中のサント=ヴィクトワール山をかき集めてみた、サント=ヴィクトワール山を描くセザンヌの筆触は、ちょうど雨の日の私の家のBSを映すテレビ画面に現れるモザイク模様に似ていて、

「あ!これいいね」
と、先月7つになり今月小2になったもののまだ授業のはじまらない女の子が覗きこんできていう。
「どこがいい?」
「ぐしょうとちゅうしょうがまざってるところ」
「ほかには?」
「ここの、ふでのタッチ」
「あとは?」
「このブルー」
それからこれ見せて、といって、机の下にもぐりこんで私の足もとでサント=ヴィクトワール山ののってる画集の頁をくっていて、

べつの仕事でメールのやりとりをしている、中原中也記念館のS原さんの前の職場が立原道造記念館で、要件のついでに道造について最近おもったり考えたりしたことを私が報告すると(ながい追伸!)、いまはなき道造記念館のまだ残っているホームページにて道造の墨画ならびにその画賛が見られるとのことで、URLを送ってくれて、その道造の墨画にはおおきなランプと、その下にちいさな椅子がある、そのよこの余白の空間に道造による墨字が浮かんでいて、

願ひは……
あたたかい
    洋燈の下に
しづかな本が
    よめるやうに!

「さむくない?」と足もとでまだ画集をめくりつづけている女の子に声をかけると、「だいじょうぶ!」と答えて、それからサント=ヴィクトワール山に戻って行って、

東京・深川
カニエ・ナハ



4月22日(水)

ある日、だァるくなって
 足がむくんでしびれて、心臓の止まるもんもあって、
ある村に、ひとりでて、ふたり、さんにん
 きゅうも、じゅうも、
だァもの、
疫病だと思うさねぇ。
塩まいて、歌うたって、悪い神さま、追ッぱらおうとして、
にじゅう、さんじゅう
そうして、ごじゅうで、
そうして
ある日、
気付いたってぇ。
米ぬか
 だって。
脚気だったのさ、
白いごはんを食べるようになって

ある日、だァるくなって
 咳がでて熱がでて、心臓の止まるもんもあって、
ある町に、ひとりでて、ふたり、さんにん
 きゅうも、じゅうも、
だァもの、
疫病だと思うよねぇ。
手ぇ洗って、覆面して、悪いウィルス、追ッぱらおうとして、
にひゃく、さんびゃく
そうして、ごまんと、
そうして
ある日、
気付くのさ。
**
 だって。
遠いか近いかしれない未来に、
あのころは◯◯ようになって、って

わかってたかもしれないねぇ
その村でも、
うすうす気付いてるかもしれないよねぇ
この町でも、
 だれかが。
そのとおりかどうかは

続いていれば、

      ねぇ、

    ねぇ

  ねぇ、

続いたんでしょうか、
その町は、

遠いある日に。

神奈川・横浜
新井高子



4月21日(火)

じぶんと
すべてのひとの
あいだに
空気をじゅうぶんに挟んで
買い物をする

去年と見た目はなにも変わらない
野菜や卵をかごに入れ
レジへ向かう途中
空っぽの棚がふいに現れる

そのたびに
なにもない棚の
見えないはずの
空気がふくらみ
息が
す、と とまる

消えてしまったものと
これから消えてゆくものを思いだせるように
ひと月まえと 昨日と おなじ場所で食事をすませ
おなじ町に住みながら しばらくは会えないひとと
LINEで少しおしゃべりをし

離れたまま つながり
近づいては また離されるわたしたちの
一日の終わりから
あふれだし
胸の まだ見えない一か所に折りたたまれてゆく
無色透明の さざなみ のようなもの

からだの奥深くに入りこむまえに
もどかしさ や さびしさ といった
ひとつの言葉のなかに
いそいで収めようとしても
さらさら さらさら あふれてくる
この消えない波を
ひとときの眠りの岸へと返すために
なにを すればいい

月が満ちるのを 息をひそめて待つように
ただ 湯を沸かし
ちいさな子の
陽と風の匂いのする まだやわらかな髪を
念入りに洗う

今日も
それ以外には

2020421minesawa

東京・杉並
峯澤典子