4月20日(月)

雨にとざされていると
この林は
ただでさえ最近
おとぎ話めいてきたというのに
なおさら
木こそが世界の霊長であるという
彼らの優しい確信を伝えてくる

中に入ってしまえば
それはもうおとぎ話ではない
ほんとうのこと

切り株のあかるい色をした切り口から
紫陽花のやわらかな若葉から
人が退いた分だけ
見たこともない顔をあらわした雀たちから
はじまっているのは
まちわびていた
ほんとうのこと

ノアの方舟に
窓はあったのだろうか
人も動物も
みずみずしい目をみはり
雨を眺めながら
洪水の後を待ったのだろうか

今日はいつか
古代と呼ばれるようになる

遺跡ははじめから遺跡ではない
この早く来た初夏の緑色世界の中で
新しいほんとうが生まれようとしていることを
わたしはおぼえていられるだろうか

千葉・市川
柏木麻里



4月19日(日)

天気が良いので
犬の墓参りに出かけたが
墓地も自粛要請だという

スーパーから帰ってくると着替えをするようになった
多摩川の土手も人が多すぎると感じる

ずっと家族と一緒にいる
うちとけている
階段をのぼる音で誰だか分かる
みたいな会話

猫は自由にでかけてゆく

どうせみんなが感染しなくちゃ終わらないんだから
さっさと済ませたほうがいい
致死率はインフルエンザ並み
高齢者を隔離して
仮設病院をどんどん作って
キャパシティを確保して
普段の仕事に戻ろう
みんなで医療ボランティアをやろう
そうでないと
社会が痛んで死ぬ人が増えるよ
人の行き来が断たれれば
世界中を疑心暗鬼が覆うようになるよ
と言いたいが
言えない

世の中が急速に回復するイメージと
停滞が続き分断が定着するイメージが
交互にやってくる

東京・世田谷
松田朋春



4月18日(土)

薄い空から耐えきれずあふれこぼれる
予感のように咲き急いだ桜の花が
あたりをあかるませ
それからあわてて覆い隠そうとするように雪が
降り積もった3週間前の週末
あのとき
4月はまだきていなかったのに
もう4月のことはあきらめなくてはならないだろうと
できるだけやわらかな鉛筆を用意した
それからずっと
二重線を引く日々
お気に入りの手帳に書き込んであった項目を
ひとつひとつ二重線で
消していく
予定仕事約束あいたい
キャンセル延期中止はなれて
幻の
半透明の膜にくるまれて
もっとやさしくもっともっと隔てられるため
開いて閉じるたびにあきらめの二重線は擦れて日を跨ぎ
やわらかく膨らんでゆく
濡れた雛鳥の羽根それとも破滅の蕾
そうですよね仕方ないですよねまたあらためて
生き延びて会いましょう
そうして生きて
いる
けれど
わたしの予定だったはずのものはあっけなくなくなって
わたしはどんどん薄く軽くなって
いったいどこにいるのか
黒く毛羽立つ二重線に連れ去られ
消えた4月の
どこにもいないのかもしれないわたしが
手を洗って洗って洗って
マスクをつける
今日は雨
離れるためのきりとり線のように
おびただしい二重線が降り注いでいました
それでも雨音は届いて
ここにいる耳を縁取っていくから
雨のあがった夜
穂崎円さんと平田有さんがツイキャスで
何年も前のわたしの詩を朗読してくれたのを聴きました
おぼえのあることばが別の声で飛び立って
わたしのなかへ戻ってくる
迎える
ちょっとだけ泣いて
友だちと飲むつもりで3月に買い置いたスパークリングワインを
ひとりきりであけました
はかない光の泡が
知らないことばの粒のように蕾のように浮かびあがり
混じりあってわたしのなかへ
降り注いでいきます

4月18日

東京・神宮前
川口晴美



4月17日(金)

郵便配達夫は

花が咲いているでしょう
詩を書いているのよ

誰も訪ねて来ない山の奥とか
谷底で
お天道様のほか
誰も見る人がいないのに――
花が咲いているでしょう
春になれば

詩を咲いているのよ
そんなふうに――

蜜蜂の翅音に似た
バイクの音が山道を這い上がる
ちらちら見え隠れする姿に

あんなところまで郵便配達夫は、
と村人は驚いた
手紙には触れずに

郵便配達夫は、知っていた
読めるところだけ読んで――
言葉の先には人が住んでいることを

***

ドミノ倒しのようにイベントが軒並み中止や延期になり
そうだこの機会にと部屋の片付けやずっと見つからない
探し物をしている。

上の詩も片付け途中で見つかった古い詩、
どこに出すつもりだったろうか
あるいは捨てるつもりだったか。

捨て猫のような、郵便配達夫の詩の
最後の連の、最初の行を最後に
まわして、敗詩復活をしてみた。

芽吹きの季節となり、見渡す限り奥武蔵の山々は
新鮮な緑で盛り上がる、サラダ鉢のようで
目が美味しい。
水も空気も、とびきりだ。

でも、
人も恋しい。

おーい。

花茶と私2

埼玉・飯能市
宮尾節子



4月16日(木)

二度寝して、両方とも夢を見る。一度目は職場で、上半期の実績を報告する夢。目が覚めて、それを夢だと認識する前に眠りに入ったせいか、次の夢でも仕事をしていた。そのうち、さっき伝えたのは夢の実績だったと気がついて、急いで正しい数字を上司に告げると、正しさの感覚だけが、二度目の夢から覚めたあとも残り続けた。
午前中は実績資料の作成。異常値が出たので、勘で直す。上司に報告後、入浴。昼すぎに取引先と電話。直近の売上を共有したあと、ベランダに集まってくる鳥の話で盛り上がる。その流れで実家の話になり、電話口で伝えられる言葉から、先方の家のようすを組み立てる。
このあいだ取り壊しがはじまって、バラバラになった木材の画像が両親から送られてきた。天井裏の梁が真っ黒になっている。雨もりを受けて腐ったのか、もともとそういう仕様だったのか。たずねると、屋根が茅葺きだった頃の煤だといわれる。慶応4年から記録がつけられた。150年近くのあいだ、柱まわりを残したまま屋根をすげ替えて、改築をくり返してきたという。茅葺きの屋根は10年ごとに取り替えられて、トタン屋根なら20年ごとに塗り直されるらしい。一度だけ、屋根が黒から赤へ塗り直されるのを見たことがある。地震のときは玄関があたらしく建て直された。家はさまざまな部分からできていて、それそれがちがう寿命を生きている。細胞のように代わる代わる中身が交換されていくなかで、骨組みだけはいちばん早くここにいて、最後まで同じ場所に立っていた。
夜、プロパーの人に激詰めされる。むかしは外にお風呂があって、よく薪割りを手伝わされたと父から聞いた。庭の隅にコンクリートで埋められた空き地がある。作業スペースかなにかとおもっていたそこは、父にはいつか風呂場だった名残りとして眺められていた。薪はいまでも離れの奥に積んである。

東京都・高田馬場
鈴木一平



4月15日(木)

今朝、マスクをなくしてしまいました。
そのお徳用使い捨てマスクはなんと
2日しか使っていませんでした。

前回、薬用石鹸で洗った使い捨てマスクは
毛羽立ってゴワゴワで、耳のゴムは伸び切っていましたが
顔が少々かゆくなる以外、問題なく使えました。
むしろ誇らしいとさえ感じました。
なのに、使用済みとはいえ新品同様
しゃんとしたマスクを道に落とすなんて。

家を出るとき、上着の左ポケットに入れたのを
「確かに見た」と彼も証言。
ただ起き抜けで、扱いが雑だったのは否めません。
「帰り道、もし落ちてたら拾う?」
彼の質問に、コンビニまでの道中
わたしは深く頷きました。
「でも知らない人のマスクかもしれないよ」

(住民票を東京に移していない
わたしの郵便受けには、
知らない人から布マスク2枚は届きません)

ここ数日だけで、
道に落ちているマスクを何度目撃したことか。
チャック付きの小袋のなか、
指人形みたいに丸まったその姿。
迷子を見過ごすより うんとくるしかった。
お年寄りも多い、緑ゆたかな住宅街です。
なんとか届けてあげたかった。

もう一方の右ポケットから
iPhoneを取り出して起動。
画面の中の〈どうぶつ〉がきょうも
落としものを探して! と催促します。
マスクをなくして傷心のわたしが
「しょうがないなぁ」をタップすると、
アバターのわたしはさっそく
〈ワサワサの森〉へ分け入っていきます。

「落としたのは金のマスク? 銀のマスク?」
それは、ただひとつ
わたしの低い鼻にフィットした
わたしの頬を守る白い天使。
一体どう証明しろというの?
呆然と仰いだ民家の窓に、
マスクをしたテッドのぬいぐるみが
悠々と佇んでいます。

森に落ちていた一冊の本は
詩集ではありませんでした。
感染症をモチーフにした
SF小説でもありません。

どうぶつの森に
パンデミックが訪れる前夜、
ついに見つけました。
「キャンプ場に 届けに行こう!」

わたしはいつか
ティーナという名の白い象に
詩を読んであげたい。

4月15日

東京
文月悠光



4月14日(火)

数字だけを眺めるのが好きだ。積みあがっていく数がいい。日々変化する数。気温、為替、金利、ゴールド、日経平均、原油、大豆、トウモロコシ、コーヒー、放射線量。最近これに感染者数、死亡者数が加わった。毎日眺める数は雄弁で、世界の多くを物語るから、余計なものはいらない、言葉もいらない、数字に語らせていればいい。街を歩く人の数、電車に乗る人の数。いつもの山手線は300%だがいまの山手線は100%だと聞けば、300%の時に窒息しかけていた人について想像する。知りたい数字はたくさんある。調布駅や虎ノ門の交差点でビッグイシューを掲げていたおじさんの現在の販売額はいったいどうなっただろう。

数字にとっては私がどこにいようがたいして関係のないことだ。ストロングゼロのアルコール度数はどう考えても高すぎるし、はたちの頃にストロングゼロが存在しなかったことに私はいま、心の底から感謝している。当時ストロングゼロがあったなら、私の存在はいまごろゼロだ。あのころ酒というのはつつましく、せいぜい形容詞で「大きい」と語るくらいだった、つまり大五郎とかビッグマンとか。しかしおや、大五郎には「五」が入っているではないか! 4リットルのくせに。24歳の頃は毎晩、ストロングでもゼロでもない4リットル20度を、同じ寮の友達と湯のみでお湯割りにして飲んでいた。適切な濃度の液体を多量に摂取した人体は、自分の本やCDを他人の部屋に忘れ、そもそも持ち込んだことすら忘れて翌日笑われることになる。あのころは毎日、タクトタイム60秒、または72秒、または56秒で複写機を組み立てていた。腰曲げ3秒ルールの世界だった。

3秒以上腰を曲げてはならない。人体は3秒以上の腰曲げに向かない。タクトタイムより2秒早く工程を完了すれば、この2秒は永遠に等しい退屈となる。退屈のあいだに3分の歌をうたう。計算が合わないが、そういうものである。有線のデイリーチャート20曲、今はきっとSpotifyにとってかわったことだろう。5本の指はテーピングでかちかちになり、強張った筋肉の痛みをゆるめるために毎晩サロンパスを貼った。うっかり入院でもしようものならその月の収入はゼロになり、その後国民年金保険料に悩むことになるのだった。私は今年48歳で、あれから数えて倍になった。今日、私に1円を給付し、明日2円を給付し、あさって4円を、その次の日は8円を。倍に倍にしていって、私が生きた年数だけくりかえしてもらえないものだろうか。何しろお札というものは物質的には紙であり、言葉と同様、記号としての意味しかないのだと、みんなよく知った方がいい。重要なのはモノだ! 物質だ! しかし、ほんとうに?

一時期、お札がただの紙に見えてしまうときがあった。ある人にその話をすると「脳の機能がおかしくなっているかもしれないから、気をつけた方がいい」といわれ、それ以来私はお札がただの紙ではなくお札と感じられるか、ときどき自分に確認することにしている。しかしお札でもコインでもないマネーというのは、結局ただの数なのだ。お札をつくるにはパルプとインクと深遠な技術が必要だが、マネーにそんなものはいらない。必要なのは流通経路だ。通じさえすればいい。マネーは言葉とよく似ている。交換可能で、変幻自在で、グローバルに世界をかけめぐる――かけめぐる? ウイルスよりも速く? ウイルスは純情報体だ、彼らは複写を続ける情報である、マネーのように。言葉もまたそうである。そしてここに同じような言葉ばかり再生産する私がいる! 私! 私! 私……だが、私は同じような言葉や同じようなモノの再生産を愛している。人類だって結局、同じようなものの再生産だが、私はそこに微小な差異を見出して愛する。同じようなものバンザイ!

悲しいことに、同じようなものは、同じものではない。

東京・つつじヶ丘
河野聡子



4月13日(月)

ウイルスは私に感染されました
ムスーのウイルス、顔のないウイルスが私に冒されていく
窓の向こうには散る桜(2020年4月13日の散る桜の花びら
吹雪いている こごえるほど吹雪いている
(あなたが私を怖れていることはわかっている

白い花びら 一片ひとひらも私に感染して色褪せていく
自然の景観はこれほど容易に表情を変えるのだった
その内側を荒々しく喰いちらしているのは私だ
私は容易に色褪せていく私の夢を見ている
(私が私を怖れていることはわかっている

光の冠をもつウイルスも急激に色褪せていく
生はけっして輝いているばかりではない
暗い部屋で息をひそめる生もあるではないか
私に感染されているのだから時は意味を失う
(それはヒトの作り出した概念だから
世界は容易に色褪せてくずれていく

もう昨日までの街の喧騒はどこにもない
校庭に子らの声も途絶えている
(ときおり名のない草がゆれる
こうして世界は終わりました
たかが世界が終わっただけです
わたしはここで元気に増殖してます

福岡市・薬院
渡辺玄英



4月12日(日)

不信をおし隠し
従順が都市を訪う
四月
秩序をさぐる
うろたえが日ごと増す
孤立したひとびとの 群れ

七日
緊急事態宣言が出て
国道134号線の車音もすこし冷えた
おかげで波の音が聴こえる
それが安眠に結びつくことはないが
人の絶えた浜で
人の絶えた江の島を眺める
縁起によれば
およそ千五百年前の
今日と同じ
十二日
天女が十五童子をしたがえ現れ
江の島をつくったのだという
それからいったいどれだけの人が
島に呼ばれてきたのだろうか
つい先月の
三月の三連休も
島へと繋ぐ弁天橋は
にぎやかな群れで混み合っていた
したしく呼気を触れ合わせ
ひとびとが笑顔で渡ってゆくのを
やさしい風景の快復なのだと
わたしもここでながめてた、その微笑の
誤謬への加担

禁制の集会に行くかのように
息をするのも恥じ入りながら
スーパーにこっそり出かけてく
二〇二〇年四月のわたしたちよ
今はきっぱりと訣れよう
戒厳のはじめの週末は
誰かを刑罰に処しながら
君は買ってきたインスタントラーメンを家でせっせと作るが良い
わたしは米を炊くとしよう
買い置いたカレーをあたためたり
Netflixでもながめながら
ひとりで黙々と食うとしよう
そうして荷重を増やしながら
気配を伏せてゆく孤立の耳に
際立ってゆく地球の音とともに
わたしたちは聴かねばならない
不安ですら利害に結ぶ我々だから
命の文法も意味で整えてしまうから
我々を生かすもの
我々を殺すもの
拘束し
解放し
愛するものを自らを
駆り立てしずめるあらゆるものを

永方@江の島

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹



4月11日(土)

全ての全てが懐かしくなった日から
従来の日常を捨て
他人の日記を書くようになった。
そして、その人に
僕の日記をつけてもらうようになった。
新世界の毒の空気を
シンプルな言葉で彩る実験。

その日記によると、ある日僕は、

 外を眺めていたら一番星が輝いていた。
 そのままずっと見つめていたら一つ流れ星が流れた。
 願う前にはもう消えていた。
 仕方ない、
 今日も空には綺麗な月が浮かんでいる。
 流れ星には滅多に出会えないけど、
 お月様には出会える。
 だから今日もお月様にひとつ、
 大切な願いをそっと込めて、
 眠りについた。

そして、僕の頭の中には
こんな日記が落ちてきた

 今日は夢の中で、目が覚めた。
 つまり、夢の中の夢だった。
 夢の中の夢から起きて、
 ベッドの隣に置いてある日記を手に持ち、
 自分の親指で文字を書き出した。
 指先から溢れてくる文字を
 半分しか読めなかったけど、
 その中「海」か「苺」が浮かんでいた。

 それで、実際に目が覚めて、
 その夢から日常の現実に戻ったら、日記を見た。
 この文字がもうすでに書いてあった。
 今は何が夢なのか、何が現実なのか、
 わからない。
 けれど、
 何れにしても、
 海に行って苺を食べたいと思う…

とか。

こういう風に
一枚一枚を交わしているうちに
他人は僕の夢に入り込んできた。
「地獄とは他人のことだ」とはいうけれど、
自宅隔離の二人、
お互いの架空の内面を探って
よく分かったことは
地獄とは自我である
地獄とは自粛である
そして、他人は楽園になれるのだ。

夢の中で
僕らが何をしていたのかを
今度身を以て会う時に
細かく伝えるのだ。
その時にもまた、
その時までの全ての全てのことを
懐かしくする。

東京都・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス