3月21日(日)

今日はWorld Poetry Day
世界詩歌記念日
この日を祝して世界中でオンライン朗読会が開かれている
私は二つの朗読会に参加して、別の一つに、事前に録画した朗読動画を送った
朗読会の一つは、この空気の日記を共に書いてきた新井高子さん、田中庸介さんも一緒だ
フランスの詩人からは、24時間ポエトリー・マラソンに参加するので、朝3時から朗読する、というメッセージが来た
イタリアの詩人からは、夕方5時からライブ配信で朗読会をするから見てね、とメッセージをもらうが、指折り時差を数えて、ああむりかなぁ、と思う
今頃、新井さんは望遠鏡を携えて気球に乗っているかのように、なにしろ世界各国300人の詩人が70の言語で参加するというユネスコ主催朗読会の、われわれ東アジアの会の続きを旅して、サハラ砂漠をきっと越えた頃
田中さんからはインドの英語の話、そしてインドの農業大臣の話を聞いた
まるで私も大臣に会ったような気がする

すべてはバーチャルで、でもそれは確かに、ほんとうに確かにあったのよ

昨春、私のバーチャル詩祭はマケドニア詩人からの誘いで始まった
おそるおそる、というよりも、おそろしい状況下で
一気に地球がウイルスの霧に覆われて、私たちみんなは出会った
大事なおもちゃと毛布だけを持って、こわごわ集まってきた子どものように私たちは出会った

それを繰り返して、世界各地にオンライン朗読の輪が広がり、遠くではじまったものが
最近はヨーロッパの詩人たちで、アジアの詩人たちでと、というふうに輪の数がふえ、そして少し小ぶりに、近づいてきた

もしかしたら歴史上初めて、ありえないほど広い地域の人々が手を握り合った
その情熱が、大きな覚束ない輪から、次第に小さな渦になるにつれて
思い知らされるのは、情熱は人々をつなぎもすれば、おなじ情熱のままで小さな輪を閉じさせもする、その予感

ありえないほどに、夢のように、差を超えた

どうかそのまま
どうかその、知らない言葉の、知らない顔の人を
初めて出会った子ども同士のように愛せた
そのままでいたい

告白するならば詩ほど、この一年、私を励まし、何度も何度も地球の上に軽々と放り投げ、世界を見せ、惜しみなく友を与えてくれたものはない
それは言語でできている
言語を私たちがどれほど愛しているかは、意味のわからない外国語の詩の朗読を聴くときに、よくわかる
自国の言葉だけでは、それをありありと見ることは、もしかしたらむずかしい
人がどれほどの愛情をこめて、地球にしっかりつかまるようにして、母国語を話しているか
その横顔、横姿を、
どれほどに背中を向けて何をうそぶいても、言語を愛しているかを何度も見た
文学としてではなく、そっと、内緒で差し出された、生きる力として

千葉・市川
柏木麻里



3月20日(土)

娘のスーツを買いに行った
四人兄弟の最後だ
そしてこの
洋服の青山の店舗も
これが最後だ
これが最後、がこの街道に重なっている
コイデカメラも無くなった
和菓子屋も無くなった
焼肉の安楽亭も無くなった

「完全閉店」の看板を前に
新しい旅立ちもある
その向こう

終末の日々を
ゆっくりと歩いている私もいる
コロナの日々だからではない
孤独は
コロナの日々だからある孤独に
すこしづつ塗りつぶされてゆく

遠く
見えているもの
見えないもの

東京・小平
田野倉康一



3月19日(金)

夜の湯船に固形入浴剤を入れる
沈む入浴剤は溶けながら静かな音と泡を立ちのぼらせ
薄紅色に滲んで花の香りを記号のように広げてゆく
溶ける、
身体を浸せば
疲れは溶けて消えるだろうか
どうすることもできない不安や気がかりは溶けるだろうか
身体は溶けたりしないまま
今日をゆく
溶ける、
という言いまわしがお金に対して使われることがあって
あっけなく失われたことを意味するのは
ネットで見知っていたけれど
時間に対しても使われているのをさっき目にした
なるほど
何かに夢中になっていつのまにか長い時間が経っていたと気づくと
数時間前と今とが直接つながって重なったみたいな
あいだにあったはずの時間が溶けてなくなったみたいな
不思議な感じがするよね
認知症になった母の時間感覚も不思議で
5年前のことも5分前のことも妄想の出来事も「2、3日前」と話す
時間は線状に流れているのではなく
身体のなかで層を成していて
レイヤーが薄くなったり剝がれなくなったりすると
それぞれの時間が重なって見えて区別できなくなるということだろうか
それともこの世界ができたのが2、3日前なのか
入院した母の
冷蔵庫を片付けておこうと開けたら
スーパーで買ったきり忘れられた様子の節分の豆と雛あられが
いくつもいくつも仕舞われていた
仕方なく何袋か持ち帰って2月と3月を交互に
ぼりぼり食らうわたしのなかで
時間は渦巻く
この1年は
何だったのだろうね
わたしたち、
手洗いとマスクと消毒に慣れて
誰かに会いたいのもどこかへ行きたいのもガマンするのに慣れて
イベントが中止になったりチケットを払い戻したりする悲しみに慣れて
それなのにコロナは相変わらず
何ほどかを溶かして出現した小さな布のマスク2枚は
使われずに仕舞われたきり
何だったのだろうね
時間は
なにもない虚空へと絶えずわたしを押し出す
押し出されるにつれそこが〈今〉になってゆくけれど
いつか必ず押し出された先にはなにもなくて終わりになる
無慈悲でやさしい
4月から先はどんな〈今〉になるのか
今年のお気に入りの手帳に予定(仮)を書き込みながら
確かなものなどないってわたしはもう知っていて
でもたぶんまた花は咲く
1年前の花と同じではない花ができたてのこの世界に咲く
と、
そんな言葉を夜の船に入れ
溶けてゆくものを抱えたままわたしは
明日へ
渡ってゆく

東京・神宮前
川口晴美



3月18日(木)

「きゃりーぱみゅぱみゅ、きゃりーぱみゅぱみゅ、きゃりーぱみゅぱみゅ」
と3回繰り返すのが義母の得意な早口ことば
老齢による滑舌の衰えに備えてのトレーニングだった。

きっと、きゃりーぱみゅぱみゅが誰だか知らないまま
テレビの健康番組で仕入れただろう、ぱみゅぱみゅの連呼が
たのしかった。

「じっこうさいせいさんすう、じっこうさいせいさんすう……」
いま、我が家ではこれが滑舌訓練のトレンドになっている
これがなかなか、難易度が高く、言えない。

じっこうさ、までいうと、さん、か、せん、かに
口が落ち着きたくなって、「じっこうさんせいさんすう」か
「じっこうさいせんさんすう」と間違ったことばの道をはしってしまう。

(やってみてください、アナウンサーさんは本当にえらい)

「実効再生産数」とは、「感染状況を示す指標の1つで、1人の感染者から
何人に感染が広がるかを示す」数のことらしい。

意味を知れば、頭では簡単に理解することだけど、口はそうでもない。
頭で分かっても、体に落とし込むのは、容易ではない。

だれもいやしない、からすがカアぐらいの
ひろい河川敷や田んぼのあぜ道をひとり歩くときも、
つい、ひとりマスクをしてしまう。

あ、別にとってもいいんだわ、マスクと
気づくけれど、それも何だか、めんどうになって結局
そのままにすることが、多い。

マスクは最初、することがめんどう、だった
ものごとは、だいたいにおいて、するほうがめんどうだ
しないより。

だがしかし、マスク暮らしも、はや一年を過ぎて
マスクするのがすっかり、習慣づいたさっこんは

なんてことだろう。
マスクをしないことが、行為として、するほうになっている
逆転に驚く。ほら。変異はウイルスだけではありませんて。

「そのうち、外せなくなったりして」とムネチカさんがわらった。
「鉢かつぎ姫の、鉢みたいに!」とわたし。
(猿ぐつわ、みたいに――とは怖くてとても言えません)

そうこうしてるうちに、下がりマンボウや上がりマンボウという
妖怪ことばまで、一昨日あたりから出てきて

(へんなことばには、へんな妖怪が、もれなくついてくる)

日本昔ばなしのような、日本今のはなしでした。

おしまい。

今日は、よいお天気でした。

麦畑では
まだ寒い頃に、しっかり踏まれた麦たちが
日を浴びて黄金色に茎を輝かせながら、健やかに立ち上がっています。

風に乗って、鼻を突くほど香るのは、黄色い菜花(なばな)です。
花のまわりでは何匹もの、モンシロチョウがうれしくて、うれしくて
たまらないように、小さな羽で上へ下へ、花から花へと
飛びまわっています。

元気な春の景色をぽかんとながめていると
何があっても、大丈夫な気がします。

どうぞ、ごきげんよう。

埼玉・飯能
宮尾節子



3月17日(水)

深夜に山本と異常論文についての最終調整。翌朝、異常論文が完成。夜通し書いていた山本が樋口さんに原稿を送る。
歯を磨いて、新宿へ。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観る。意外な結末。門前仲町へ。Yさんとカレーを食べる。お互いに総柄のパンツを履いて来て笑う。バナナの葉の包みを開けて、ライスのまわりに敷き詰められた具を混ぜながら食べる。IさんやSさん、Aさんの近況についての話をする。店内のディスプレイに宇宙空間を背景にした仏像の動画が流れていて、味わい深い気持ちになる。都営大江戸線に乗る。車内の音が大きすぎてYさんの声が聞き取れず、耳だけを顔に近づけると、Yさんが大笑いする。
――(Yさん)所作が完全にジジイなのよ。
初台まで移動して、千葉正也個展を観る。会場の壁に穴を開けて張り巡らされた木製の細い通路のなかに、おが屑のようなものが敷き詰められている。壁から自立して、あちこちの方を向いている絵を眺めているうちに、通路の上でおが屑を堀りながら移動している亀を見つける。Yさん曰く、今日は前に観にきたときよりも元気らしい。亀は赤いランプの近くを行ったり来たりして、ときどき思い出したように地面を掘る。亀の様子を監視するライブ映像が観られるQRコードをモチーフにした絵を見つける。
ギャラリーショップで図録を買いに行くと、入り口でIさんと会う。Sさんと個展を観に来たという。
――(Yさん)さっきIの話してたからびっくりした。引き寄せてしまった……。
――(作者)そのジャケット、KikoとAsicsのやつですか。
――(Iさん)そうなんですよ。
Sさんが向こうからこちらに向かって歩いてくる。はじめはだれがだれなのかわからなかったらしく、足取りが左右に大きくぶれながら近づいてくる。下の階におりて、喫茶店で話をする。
――(Y)亀って美術館のなか歩かせていいの?
――(I)いいんじゃないかな。それより植物とかがむずかしかったとおもう。黴とか虫とか連れてきちゃうから。
解散して、下北沢へ。同期と待ち合わせをして、今回も現実の「加工」を行うための話し合い。塩麹に漬けた豚バラ肉をアボカドといっしょに炒めたものと、醤油で茹でたブリ。エヴァの話をして、あまり乗り気でなかった同期が、結末を聞いて興味を示す。テレビ版と旧劇場版、新劇場版を観て、来週までに「観られる体」をつくることにするという。
――(作者)今日どうする?
――(同期)仮説を提唱したいんだけど、散歩すれば思いつくとおもう。
酒を買って、行き先を決めずに散歩をする。何駅か過ぎて、住宅街が続く。しだいに家のスケールが大きくなってきたので、――資本主義を見せつけられているね、というと、同期がうなずく。とりわけ大きな家を見つけたので、――これこそが資本主義だ、といいながら表札を探すと、コートジボワールの大使館だった。道なりに進んでいくうちに、見覚えのある道に入る。
――(作者)近くに詩とダンスのミュージアムがあるな。
――(同期)何?
――野村(喜和夫)さんの家を美術館にしたやつ。
――行こうぜ!
三十分ほど歩いていると、詩とダンスのミュージアムを見つける。詩の朗読をしながら、日付が変わるまで散歩を続行。次の日が仕事なので、タクシーで同期の家まで帰る。

東京・下北沢
鈴木一平



3月16日(火)

生き延びるためには変異もするだろう
ヒトも鰐やらトカゲに変異して
凌ぐのだから

ナントカ禍なんて言い方には慣れたくねえなと
腰から下を鰐化させた師匠が言うと
手足だけがトカゲの惣領弟子は
悪党征伐の噺はわかりやすいですからね
と応じている

消毒とひとつ飛ばしの客席で落ち着いている現場は
このごろ彼らをもう完全変異させない

わたしは左手に痒いものが治るのを待って
自分だけのためのコーヒーを久しぶりにいれた
がまんしていたから
入念に落としたから
さぞや美味かろうと思っていたのに

気がついたらなくてもいいものばかりだ
靴や上着や本や かかわり
ふるい落とした身からは
何も負っていない皮膚があらわれて
花びらや雨粒と
やわらかくすれちがうことができる

はじめての空気を吸いながら
詩を書くことがまたちょっと
すきになってしまって

はじめてが拡げる国境             
海へと続く川を下ろう
そこに鰐たちと遊ぶ            
                           

東京・目黒
覚 和歌子



3月15日(月)

11月3日の日記に、来年の春のためにチューリップの球根を買ったことについての記述がある。植え付け時期を忘れなければいいが、と11月3日の私は書いているが、その後の私はとても偉かった。おととい最初のチューリップが、今日、二番目と三番目のチューリップが咲いた。

チューリップを咲かせたのは数十年ぶりである。数十年前、私の家の庭には花壇があり、春になると赤と黄色のチューリップが咲いた。花がおわった後に地面を掘ると、小さな球根にまじってカブトムシやクワガタの幼虫があらわれた。花壇をみおろす縁側の隅には水槽が置かれ、兄が釣ってきたフナを入れる。夜中にフナは高く跳ね、外に飛び出して、そのまま死ぬ。

縁側には猫もやってきた。小学校の夏休み、知らない猫が網戸の隙間から入ってきて、家の中を悠然と通り抜けていった。一度や二度ではなかった。私の家は猫の通り道だったのだ。母は猫が嫌いだったから、このことは一度も話していないし、母のいるとき猫はけっして現れなかった。猫は玄関の鳥かごを襲い、裏庭のボイラーで暖をとっていた。家の中を通り抜けた猫と、玄関の鳥かごを襲った猫と、ボイラーで暖をとった猫は、すべて異なる猫だ。

庭には金木犀、白木蓮、泰山木、山茶花、薔薇があった。沈丁花の木は私が小学校の五年生のころ、園芸クラブで挿し木をして、家に持って帰ったもの。夏の昼間は泰山木の幹でセミが鳴く。夜は草の中で鈴虫その他の虫が鳴く。どちらもとてもうるさいので、虫とはけっして風流に鳴けない生き物だと学ぶ。

中学生三年生の夏休み、世界で起きているのは私だけだったはずの丑三つ時、窓の外でガサガサと草が鳴り、むらかみさんの手がブラインドのあいだからにゅっと伸びる。すぐ隣で犬がまるい目をみひらき、はねさんが散歩のついでに遊びに来たよ、という。むらかみさんの犬はすこし吠え、すると遠くのどこかでべつの犬が吠えた。

あのころは、あちこちで犬の吠え声が聞こえた。小学校一年生の通学路は貯水池のそばを抜ける山道だ。たまに野良犬が出ると恐怖で足が止まってしまう。うしろ向きにさがって、犬が吠えないうちに、ついてこないことを祈りながら、そうっと、そうっと道をいく。あの頃の恐怖の意味は、もうはっきりと思い出せない。一年前に何を怖がっていたのかすら、今はとてもぼんやりしている。

東京・つつじが丘
河野聡子



3月14日(日)

分岐した朝から 消えていく星を見送る朝
静謐な 蒔絵の先の世の 文箱をあける
源氏車に桜散る絵柄に 人は描かれておらず
失われた人は
文箱に眠る星の表情を 思い出せずにいる

 また異なる世の同時刻に
 分岐した朝から 消えていく星を見送る朝
 あなたは
 源氏車に桜散る蒔絵に 描かれていないあなた自身が 
 いつどこで 分岐したのかを 思い出せずにいる
 わたしらはともに 青史の天に流されていくばかり

おとずれなかった朝に セキレイが鳴く
地図から失われた その町を歩くと
凛凛と冷たい 鈴の音をきくだろう
(あれはセシウムの降る音(トリチウムの降る音
どこに落ち延びようとしているのか
静かに眠る星の地表で あなたの柩は千年前の光みたいだ

(昨夜見た流れる光点は 人工衛星だったかもしれない
あるいは 散る桜 あるいは 書き終えぬ手紙の
その光はいつの どの時代の光かもわからないが
(あの日の喪失の光景は 空に転写されたままだった
そこにはあなたが いる

 朝 十年ぶりに あなたが古い文庫本の頁を開いたとき
 あの星の ウイルスは容易に変異していた
 本を開くたびに 物語は違う結末を迎えるということだろうか

福岡・薬院
渡辺玄英



3月13日(土)

一年続けた「空気の日記」が間も無く終わる
緊急事態宣言は延長されたし
楽しみをひた隠ししつつこっそりむさぼる
病の日々は変わらず続いているが
兎にも角にも私たちの一年は終わる
この一年の変化を考える
外に出るのに靴を履くように
外出時につけるようになったマスクや
コンビニやスーパーで息を隔てる透明なビニール
小銭の代わりの電子マネーやZoomのミーティングや
そうやってかしこく肌触りを無くしながら
日常は器用に続いている

今日は雨で
海に行くと
打ち上げられた魚をカラスが食っていた
腹に穴を開けられた魚を思うと哀れだったが
カラスを思えば今日を生き延びられたと安堵する
いよいよとなれば私だってきっと
カラスから魚を奪って食う
あるいはカラスの羽をむしってむさぼる
今はそれを誰かがやってくれる
丁寧に捌き血を抜いた
プラスチックに乗せられた
切り身や手羽のかたまりを
スーパーのカゴに入れるだけで
私はたやすく手に入れる
そうして野蛮や苦痛を
日々誰かに押し付けている

今日までの
日本の感染者の数は約4.4万人
そのうち死者は8,457人
これまで44万4千の病を誰かが必死に治療し
あるいは治療しようと奔走して
かなわなかった8,457の無念さに
目を背ける事も許されず
その人たちが向き合っている間に
私たちは詩を書いてきた
誰かが悪いはずだとか
誰かの努力が足りなかったとか
伝聞の切れ端をかき集めながら
せわしくキーボードを叩いてきた

十年前の一昨日
ちょうど東日本大震災が起こった
あの時も私たちは詩だけしか書けなかった
そうして十年経った今も
相変わらず詩だけしか書けていない
だったら次の十年も
私たちは詩だけを書いてゆくのだろうか
誰かに鳥や魚を捌かせて
スーパーで値札に文句をつけたり
見知らぬ人ばかりに病の治療をさせつつ
海で過酷をうたうのだろうか

きっとしかし
そうなってゆくのだろう
私たちは今後も
詩人をやめたりはしないのだろう

うずくまる傷みのもろさを持ち逃げて
持続に囲うのが詩なのだから
鞭打つ資本に忍従したりはしないから
私たちはこれからも書き続けてゆく
古り去るふるえを惜しむ私たちだから
裏返った思想に抗争し
大きいばかりの声に踏みしめられる
息の無数をこそ記すために
私たちはこれからも書き続ける
詩人できっとあり続けてゆく

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹



3月12日(金)

宇宙で初めて形成された星々
––野獣、巨人
だけど、すべて––若き死    ​​化学は誘惑
神様が万物で遊ぶ唯一な遊び—
               隠れん坊
            Find Me.
            我の巧みを復号化してみろ
            我の手
            Come kiss Me,
            Become One,
            Die with Me.
    着地した。
なんでも すぐに信じてしまう
神話の影を投射する
ハイエナにでも
爵位を授ける

洞窟の壁を通りかかる影の
黒ヤギさんから
契約がきた
しろやぎさんったら
読まずにサインしたら
影が重さを持った

    ライオンと一緒に
    まろやかな声のきらめきを
    吸い込みながら
    宇宙の始まりに戻る

東京・神楽坂
ジョーダン・A. Y.・スミス