12月31日(木)

深大寺まで徒歩で行く。
分散初詣を推奨するこの寺は2月14日(旧暦1月3日)までを三が日と同様のご利益がある期間としているらしい。
おみくじを引くと「生死(いきしに)は十に八九死(し)すべし」と出る。
2020年が終わる。

東京・調布
山田亮太



12月30日(水)

年の瀬はパンデミックにもかかわらず
例年通り年賀状を出すことになっているのですが
思いもよらなかった後悔のはじまりをこれが生みだすのである。
名簿というのがいまは京大式カードではなく
コンピュータに入っている、
マイクロソフトエクセルのどうということもないブックである
それをチェックすることが一苦労。​
まずはモチューのはがきを全部チェックして
もももももももも
と、ことしの列に書いていく。折角おことわりをいただいた方に出したら大変だから。
次に、是非出したい人をセレクションする。  これがさらに一苦労。
1という字を打ち込んだ行の方々だけに出す。
すなわち足し算すれば一瞬で、いま出した枚数が自動計算できるようになっている。
まあ大体この年齢になると人間関係が固まってくるから
去年に出したヒトの列をコピーして
それをもとに若干を出し入れするだけでもおそらく間違いがない
住所変更はすでに記入済み(ということになっている)ので
宛名リストを印刷して打ち出す

さあここからが大変で
はがきの裏面は印刷で妻が仕上げてくれているのだが
表面は手書きを旨とするので
一日三時間ずつ四日間かけて住所を書きますね
実にまだるっこしいがそういうことになっている

日本全国の丘や谷にお住いの
方々
の住所。
札幌や京都のような碁盤の目になっているところはめずらしく
たいていは
町や村やニュータウン
のどこか、そして枝番。
マンションの名前まで書いたほうがよいかについては議論があるが
レイアウトの難しさを別にすれば
確実に届けてもらうためには書いた方がよいに決まっている
しかし難しい。

そしてこのひどい文字を何としよう――。
手書きでこんなにたくさん文字を書くのは
一年にこの一回のことだから
何年繰り返しても上手にならない。ごまかし方が多少うまくなるだけだ。
ペン習字の草書体を念頭においているのだろうということはわかるけれど
何かそれとは似ても似つかない。みみずがのたくっている。
あきらかにカタギの人の字でないことがこれでばれてしまう。ような文字。
間違えたら間違えたなりに白い修正テープで修正。
さらに思いついたご挨拶を左にぐじゃぐじゃと書くのだが、
これもほとんど読めない文字になってしまうことが多いのである。
しかしそれでも、手書きで書きたい。
年賀状は手書きにこだわる。
手書きで相手の名を書かなければ伝わらない。
という意識にとらわれているのである。
肉声の朗読にこだわるように。

それで、
そういうことで、
数百枚の賀状をまあなんとか出したとしましょうよ。
ほっとするのもつかの間、
明けまして、つまり正月を明けるとすぐ、五月雨式に
今度はきちんとそれと同じだけの枚数の賀状が到着するのである。
賀状や賀状のご返事をいただくのは大変うれしい。だから
どんどんいただければと思うのですけれども
名簿の整理。お年玉くじの当選確認。
出さなかった方に
早々のお賀状有難うございました。の返礼。
だがこれらに使える時間が日に日に取れなくなってくる。一月は
年末年始休暇でたっぷりお休みになった方々が
その間にさまざまな問題を考えあぐねて投げまくってくる。
だから当然忙しくなる。
個人の事務に使える時間がほとんどなくなる。

そういうことで
中途半端に整理された
賀状の束が、便利なはずのつやつやした
壁掛け整理ポケットに
人知れず
忘れられる。

だが、それでもなお――。
収納されたはがきは、永遠にそこにあり続ける。
静かにこの部屋の壁で存在感を喪ったまま、
われわれと一緒にめでたく一年を
過ごすのである。

東京・西荻窪
田中庸介



12月29日(火)

四月四日に書きはじめたとき
こんな年の暮れを
想像していたっけ?
と思い出そうとしても
うまく思い出せない

秋冬に第二波が予想される
というのは春から聞いていた気がする

どれほどのことが起こるのだろう
と思ってみてもうまく想像できなかったけれど
じっさいその場にいま身を置いてみると
今日は
新しい詩集の
いくつか先にできあがった分を
予約してくれたひとや
秋に世話になったひとや
親しく付き合っている知己や
実家の父母に送った

昼は
米粉とトウモロコシ粉をまぜた
パンケーキ?トルティーヤ?を
きみがホットプレートで焼いてくれて
家族三人で食べた
なかなか焼くのに時間がかかって
焼き上がったら固い生地で
シーチキンやアボカドやキノコやレタスをのせて

どれほどのことが起ころうと
できる仕事があればしたいし
食事時にはちゃんと食事をしたい

郵便局まで出しに行った帰り道
近所にある泡盛の蔵元で
これは正月用にと
十五年ものの甕仕込みの古酒に
二十年ものをブレンドしたという触れ込みの
ここでしか買えないとっておきの小瓶を一本買って
細長の紙袋にぶら提げて帰った

夜は
香川に住む友人と
久しぶりに電話で話した
ぼくが吉祥寺に住んでいた十年前は
向こうも国分寺に住んでいて
そういえばいまごろは
よく公園口の飲み屋で飲んでいたっけ

今年の春にだって
この冬の状況をうまく想像できなかったのに
まして十年前のぼくなんて
ほんのこれっぽっちでも今日の日のことが脳裏を掠めたはずないのだけれど
2010年と2020年とじゃ
ほとんど何もかも変わったんじゃないかって思うぐらいだけど
電話でちょっとしゃべっただけでも
やつと話してるときの心持ち、て
あのときもいまもあんまり変わんないなあ

(近くの 目の前の
理不尽なことばかりを見ていると
だんだん心が縮こまってしまいそうなときは
うっかりすると忘れてそうな
たいせつな 場所や 時間に
思い馳せてみても いいのかもしれない
心の平衡感覚をとりもどせるように
じぶんがどんなのんきな場所に
ほんらい居られるはずなのか
ちゃんと思い起こせるように)

そういえば
四月じゃないけど
三月になら沖縄の新聞に書いたっけ

──検査が不十分では無自覚の市中感染者による見えない感染拡大を招きかねませんし、感染の実態すら把握できません。

とか

──私たち自身が人間の価値を低めることが、いまの日本社会の人命軽視を許しているように思います。

とか

食卓でこれを書いてたら
子がやってきて
ぼくのノートパソコンの
右手のひらを乗せるところに
バーバパパのシールを貼ってった

*「時評2020 詩」(「琉球新報」三月二十四日)より

沖縄・那覇
白井明大



12月28日(月)

ずいぶん長く眠っていた
雪が降りつづいていた
行為として胃におさめた

眺めていた
しらじらしく声をだした
希望を摂取したらすぐに消えた

受けとめたら走った
横にわたすものは
わたしの景色になった

増えていく水滴
乾いていく部屋
窓枠を額縁にして
そとでおきることは
映画になって流れた
エンドロールに名前がない
どちらかにしてほしい

きみが毎日
わらうから
なんとなく
過ごせていたよね

ふるえる指が
降りつづいていた

北海道・札幌
三角みづ紀



12月27日(日)

昼前に

女は
車で

エアロビに出かけていった

GoToは停止しても
感染者と重症者の増加が止まらない

ようだ

予約していた笠井叡と
高橋悠治の今日の天使館”ダンス現在vol.18″はキャンセルした

モコとふたり
朝から

ソファーで
録画していた映像を観ていた

イタリア西部劇のメイキングと
阿部 定のドキュメンタリーだったか

クリント・イーストウッドと阿部 定は生きようとしたのだろう

TVは消して
居間と仏間と寝室に

掃除機をかけた
年賀状をプリントした

夕方
モコと散歩した

西の山際は明るくて群青色の空に月はにじんでいた

もうすぐ
今年

終わる

この世は終末に見えるがまだ終わらないのだろう

ひとびと
生きようとしている

静岡・用宗
さとう三千魚



12月26日(土)

12日前の引っ越しのとき、見積もりだと100箱ほどといわれていた段ボールが、実際にやってみたら300箱になり、作業は朝の9時から22時近くまで及び、引っ越しやさんにたくさんの応援要員と、追加の段ボールを調達させてしまった、その300個の段ボールがまだ半分以上未開封のままで残っていて、探す本がことごとく見つからない、逆にいうと探している本を見つけることだけが段ボールを開く推進力にはなっていて、昨夜は東京でたぶんいちばん高いところ、というか二番目くらいに高いところ、というのは一番高いところは値段も高いから、(しらべたら、一番高いところが450メートルで、二番目が350メートル)そこにいて、そこでスマートフォンを落としてしまったのだった、さいわい350メートル下に落下させたわけではなく、たかだか1メートルくらいのところから、つまり351メートルから350メートルのところへ、そんなことはままあるのだけど、今回はうちどころがわるかったのか、あるいは1メートルから0メートルへ落とすよりも、351メートルから350メートルへ落とすほうがダメージが大きいのだろうか、タッチパネルがうごかなくなってしまった、画面の左から下へきれいに直線に斜めに、一本の亀裂が入って、分断された、その1/4ほどの狭いほうの領土は反応をする、残りは反応しない、別の領土になってしまった。その塔が新しい家の玄関をひらくと目にそびえている、昼間はそんなに変わらないが、夜になると夜ごと光の色が異なる、それだけで街の空気が違ってみえる、こちらからあちらが見えるということは、あちらからもこちらが見えるということだとおもい探してみるが、見つからない。よすがとなるものがない。よすがなのだとおもう。十数年前の展覧会のチラシなどがなんぜんまいとかあるせいでそれもまた段ボールを増やしている。捨てればよいものの捨てがたいのは、一瞥しただけで、多くを思い出すことができる。展示のこと、そこにいたる路。ときには季節。その前後のこと。もはやチラシではなく把手である。失えば抽斗を二度とは開けることができない。それでその対処法などを考えたり調べたりしなければならなくなり、今日の昼過ぎからの仕事までに用意しなければいけない作品の制作が遅れ、睡眠時間が削られ、10時半の開店に合わせてスマホの修理屋へ行くと、部品がないので直したければ同じ機種を中古で手に入れてくださいと言われる、古い身体を新しい身体に入れ替える、それで12時からは遅刻したサンタみたいな仕事をして、そのあと新しい身体を手に入れると、楽しみにしていたこの空気の日記のZOOM忘年会が始まってしまっている。帰路の乗り換えの東京駅で途中下車して、丸の内イルミネーションのところ、丸ビルの前の、通りと垂直に置かれているベンチを陣取ると、一時間遅れで参加する。静岡の詩人と大分の詩人が参加していて、東京の詩人は最近三重に行ったといい、東京と静岡と大分と三重の空気の違いについて空気の詩人たちが話をしている。20時になるとイルミネーションが消えて、光が消えると空気が変わり、屋外の私がコロナにならないようにと会はお開きになる。そもそも、家のベランダの前のお気に入りの木がある日突然切り落とされた、なによりそれが気にいらなくて引っ越すことにした。引っ越す直前、家から駅までの道の、高速の高架下の小道の林の木々がある日突然ことごとく伐採された、今日は公園の木も切り落とされてしまい、木々が切られた匂いばかりが夜の空気のなかにひろがり、肺のなかにしみいり。

東京・冬木
カニエ・ナハ



12月25日(金)

12月25日(金)

ふゆは ふゆ
ふゆ ふる ふゆる

よわい よわい おひさまが
とうとう しんで
もういっぺん うまれる とき
そうして ひかりの ふゆる とき

きりすとの たんじょうびは
ほんとうは わからない
かいてない ばいぶるに
だから きょうが よかったのさ

おひさまの ふえよう とき
きたかぜの うまごやで
おぎゃあ とさけべば

ふに おちる
ふゆに おちる
かみの こ
ひかりの こ

ほら きょう
ちいさい ちいさい かみのこが
ふって ふゆって きれいだね
かんむり かがやく かぜのこたちも
ふって ふぶいて きれいだね
せかいじゅう あらしの ふぶきさ
きれいだよ

のどの おくまで まっかっか
よわい よわい ひとのこも
ふぶかれ しわぶき
うまれて しんだ

メリー・クリスマス
メリー・ウィルスマス

神奈川・横浜
新井高子



12月24日(木)

よいお年を

そのひとは改札で別れるとき そう言った
つぎに会えるのはいつだろう

おつかれさま
ありがとう
どうぞお元気で
たくさんの言葉のかわりに
よいお年を
とだけ わたしも返した

家に帰ってパソコンをひらくと
海外に住むひとから
よいクリスマスを!
たくさんのくちづけをおくります
というメールが届いていた

くちづけを、という言葉から思い出したのは、フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの『コロナ』。
冠、という名を持つこの詩集には、詩人が六十代の後半から亡くなる直前まで、三十二歳年下の最後の恋人に送りつづけた詩が収められている。
彼は詩のなかで、若い恋人が彼の額にふれるその両手とくちづけで描く輪を「コロナ(冠)」と呼んだ。

「あっ、きみの両手だ。ひんやりとさわやか、花びらのよう、
ぼくの額には断然これ、他のどんな冠(コロナ)ももう考えられない。
私の精神も明晰だったはずが、さすが「愛」に包まれると、
涙のみなもとの優しい影に惑乱するよ

(…)
きみの両手のあいだにあるものにキスを、キス一つのルビーで
ぼくの王冠が完璧になるのだもの、きみを愛する額にキスを!」
(松田浩則・中井久夫訳「ナルシサへのソネット」より)

二十年という詩作の中断ののちに、愛するひとのために書かれた詩は、読むこちらが戸惑うほどにみずみずしく。
このまばゆい花の冠は、その数年後のふたりの破局と詩人の死によって壊れてしまうのだから。かなしいくらい甘い。

いま地球の額を覆う冠がはずれたときに
この地上できっと交されるだろう
無数のくちづけのかわりに
今夜
一通のメールを送るひとのもとへ
たったひとつの
言葉を

どうか
よい年を

東京・杉並
峯澤典子



12月23日(水)

新型感染症について見聞きする
頻度の高い言葉は
変わってくる
このところは「曜日最多」という
去年の今ごろ聞いたら
まったく訳がわからなかったであろう言葉
そして「ワクチン」

ワクチン、がどことなく底光りしてこわいのは
ウイルスよりもなによりも
人間たちの気配がするから
持つものと持たざるものという音が
「ワクチン」の語の響きの中に揺れているから
さぁ、またあたらしい闘いがはじまった
そう感じてしまう、耳の中で耳を澄ましている私
光明であり助けの糸であるはずのものなのに

棒グラフの第一波と第二波のスケール感を比べて
こわいと思ったが
今まさにいる第三波は、ちょうど倍々くらいの大きさを現わしつつあり
この、第一波の山が小さく見え、今や第二波の山まで小ぶりに見えつつある
大きさよりも、その小ささが
こわい

とはいえ
例年
年末にはすでにあちらこちらに春の色が兆していることに
今年も気づかされている

私の場合、本当に「冬」に打ちのめされるのは
10月の終わりから11月にかけて
冬そのものはまだどこにもいないのに
長い夏がもう終わったことを思い知らされる季節が
いちばんこたえるようだ
紅葉?そんなさびしいもの何がいいの?と思っていたが
実際に遅い紅葉がたけなわになると
そのゴージャスさに歓声をあげ
真っ赤な紅葉を見上げて
くるくる回る
ここにはなにも死んでいない
衰えていない
植物に色があることの豪勢さが傲岸なほどにゴージャスにきらめいているのだ

夏のほそい残響が長い尾を曳いていた
それがふっと消えた瞬間を
生き延びれば
また私は生命の魔術にやすやすと嵌まり
幸福の肉と光と甘みを噛み締める
そのようにつくられた生きもののひとつであることを
噛み締める

千葉・市川
柏木麻里



12月22日(火)

新しいアクリル板が配られ
カウンターに設置された
今度のやつは背が高く
下の開いてる部分が広い
台帳や図面を囲んで業者さんと打ち合わせをする
ための高さだ
秋口から不動産がよく動いている
最初は手放す人が多いのだろうと思っていた
しかし、実際には建て替えが目立つ
相続が多いのはコロナ関連かもしれない
何を考えるにもコロナを考えている自分がいる

仕事を早退して
旧知の若い彫刻家たちのグループ展を見に行く
コロナだから
これで最後だ
今年の展覧会は

切れてゆくものを追って
追いきれない自分がいて
切れてゆく自分を切り刻む
ように刻まれた
モデリングされた
接着された
撮影された
動かされた
ものたちの間に
ただボーっと「彫刻」を見ている

何も考えることなく
ボーっと見ている
何も考えることなく
何かを見ていることは難しい
それを可能にする
永畑智大の彫刻は凄い

永畑さんとマスクごしに語り合い
ツーショットを撮って

ほら穴のような孤独のなかへ
帰ってゆく

東京・小平
田野倉康一