12月21日(月)

冬に生まれたからといって
寒さが得意なわけじゃない
それでも今日は
乾ききってガラスのように張りつめた東京の青空のかわりに
暗い湿気をたっぷり含んで垂れ込める日本海側の冬雲が
恋しい
轟くような重さに煽られる体を海辺まで運んで
荒れ狂う波を見つめて立ち尽くせば
いつだって体の奥底から獣じみた力が湧き起こってきた
あの水がほしい
増えたり減ったりする数字に無感覚になっていく自分がゆるせない
咳こんだり発熱したり死んでしまったりするひとじゃなくて
数字だけが残っていく日々を洗い流したくて蛇口をひねる
おとなしくやってくる水と
流せない矛盾に
冷えて
なんかさあ冬眠できる獣だったらよかったのにね
みんなで冬眠できたらいいのにね
やっかいな感染症が乗りモノを見失ってあきらめるまで
いまは寒いし
いろんないみで寒いし
今日は冬至
最も死に近づく日なのだから
かたくてやわらかな土に包まれて死のとなりで
眠る
ゆめをみる
週末の詩の講座であるひとが
〈かわいた器を戸棚にしまう〉
〈器の位置はおおむね決まっている〉と
詩の行をつくってくれたこと
思い出す
ゆめのなかで死のとなりで
わたしの位置もきっとおおむね決まっているだろうから
かたくてやわらかいその位置にあてはまっていく
荒れ狂うことだってできる獣じみた力を
球状にまるめて抱き込む姿勢で
やがてあたたかいものになるまで
冬の水のように閉じ込めた呼気を巡らせている

東京・神宮前
川口晴美



12月20日(日)

私のことばに、私が隠れないように
と願う。

じゅうせいこそ
きこえないが
ちはいってきも
ながれてないが

いりょうは
ひっぱくし
げんばには
ついに
じえいたいがはけんされた

じゅうしょうしゃの
かずはひび
さいたをくりかえし
ししゃのかずも
ふえるばかり

けいざいは
しんこくなだげきを
うけ
でんしゃでは
じんしんじこが
ひんぱつし

じしゅくに
じじょに
じこせきにん
そう。
きょうせいは
しないが
ようせいはする

ふわっと
せなかをおされ

ころなのししゃ
より ついに
じさつりつがうわまわった

わるかったのは
わたしです か。

そう。
せんそうをしないためには
せんそうということばを
ぜったいに
つかわないことです

そう。
ふわっと

国のことばに、国が
隠れないように、と願う。

  *

この冬はラニーニャ現象とかの
影響で厳冬になる予測があたったのか。
大雪で立ち往生する関越道での、白い雪に埋もれて
長々と続く車の列をテレビで観た。

二日間も狭い車内で、人々はどんな思いで過ごしたのだろう。
そんな災難に思いを馳せながら、寒いのでマスクを二枚重ねにして
今夜はあったかい鍋だ、鍋だと食材の買い物に出ると

この大寒波のなか、おまけに寒風吹き荒れる夕暮れ時の
駅前でひとり立って、フォルクローレを演奏する濃い顔の青年が居る。
まじか、と驚いた。

手を震わせながら、ケーナやサンポーニャとアンデスの楽器を
取っ替え引っ換え、演奏している。

アンデスの笛の音色は、吹き渡る風の音色に似ている。
寒い師走のまちで、わたしはたちどまって、
南米からやってきた、風の音色を
聞いた。今を、聞くように。

暖冬のときの、エルニーニョ現象
厳冬のときの、ラニーニャ現象
異常現象とともに、日本にやって来る不思議な響きのことばは
ともに、南米生まれのことばだ。

スペイン語で、エルニーニョ(El Niño)は男の子。
ラニーニャ(La Niña)は女の子。
暖かい冬の男の子と、冷たい冬の女の子。

2020年12月20日、すでに第三波を迎えた日本の、新型コロナウイルスの感染拡大の波は、過去最多を日々更新し、東京都の感染者数は三日前に822人の最多を出した。重傷者も増え、医療は逼迫している。

日本の埼玉の飯能の駅前の師走の夕暮れの寒風吹きつける駅前で
今夜の鍋の食材費の一枚を目の前のプラスチックの箱に落としてわたしは
南米の青年に、リクエストしていた。

コンドルを、と

コンドルを飛ばせと
高く高く、遠く遠くへ。

どうか
コンドルを飛ばしてくれ
その笛の音で。

埼玉・飯能
宮尾節子



12月19日(土)

なまけがイギリスに移住することになったので、送る会を開く。午前中は原稿。午後になって作者となまけ、同期、後輩の4人で集まって要町へ。整理券をもらう。時間までリサイクルショップに行って服を見る。外に出て散歩していると、大学の後輩と数年ぶりに会う。おなじ店のカレーを食べにきたという。
カレーを食べて池袋へ。服屋でなまけがマフラー、後輩がダウンジャケットを買う。同期が本屋で本を買う。同期の家に行く。買い出しの途中で古着屋を見つける。なまけがニット、同期がスニーカーを買う。スラックスを買おうか悩んでやめる。タラとマグロと鶏肉を買う。後輩2が合流。鍋。テーブルを拭いたティッシュを捨てる。ゴミ箱を開けようとして、同期に止められる。
後輩1が帰る。長渕剛が一部のアナキストに注目されているらしい。日本酒。クイズ。マグロの卵黄漬け。同期がギターを弾く。歌をうたう。ジェスチャーゲーム。テーマ「格言」と「映画」がむずかしい。瓶ごと熱燗。古着屋に戻り、スラックスを買う。魚屋の前で猫が地面をなめている。コンビニの前に人だかりができている。同期の家に戻って、着替えをもらう。なまけに「日記」を書いてみないか提案する。なまけがベッドの脇に座って今日の「日記」を書く。帰り際に送ってもらう。添削する。向こうに行ってもたまに書こうと持ちかける。
退職届を書く。上司に提出する。上司からさらに上のほうに回してもらう。上のほうから退職届ではないと言われたと上司に言われる。退職届と退職願はちがって、退職届は被雇用者から雇用主にたいして一方的に通知されるもので、退職願は被雇用者と雇用主とのあいだでの合意にもとづき被雇用者から雇用主にたいして提出されるもの、ということらしいんだよね、ほんとかよ、っておもうけどね。あと会社の規定上、退職日の一ヶ月前の日付で出さなきゃいけないからそこも修正してもらえると。
退職願を書く。上司に提出する。上司からさらに上のほうに回してもらう。上のほうから文面を修正してほしいと言われたと上司に言われる。退職願は被雇用者と雇用主とのあいだでの合意にもとづき被雇用者から雇用主にたいして提出されるものなので、被雇用者から雇用主にたいして一方的に通知される退職届ではなく、被雇用者と雇用主とのあいだでの合意にもとづき被雇用者から雇用主にたいして提出される退職願という趣旨にのっとって文面を修正してくれ、ということなので、よろしくお願いします。
退職願を書き直す。上司に提出する。上司からさらに上のほうに回してもらう。上のほうから応答はないので受理されたとおもう。別のルートで人事から、退職手続きを進めるにあたって確認事項があるとメールが届く。退職手続き書類の送付先、社会保険料と事前支給された通勤費の精算方法、住民税の徴収方法、転職先の有無(転職先がある場合は転職先への入社日)、引越し予定の有無(引越しする場合は転居日と転居先の住所)を聞かれる。退職手続きは書類の授受でおこなうため、書類の準備ができたら送ります。
メールの返信で確認事項に回答する。回答結果を受けてまたメールが来る。引越しされるとのことなので住所変更の申請をお願いいたします。会社と健康保険組合にたいしては書類の提出、労働組合にたいしてはメールでの連絡となります。提出先及び連絡先は以下です。書類の様式を添付いたします。添付された書類の様式を確認すると、ハンコを押す欄が設けられている。セキュリティ上、添付ファイル付きの社内メールを個人メールアドレス宛てに転送することは許可されていないため、書類の印刷のために出社する必要が出てくる。
最終出社日も決める必要がある。返却するものは、会社貸与のPC、会社が入っているビルの入館カード、社員証、健康保険証、など。処分するものは、自席の書類や文具類。あと引継ぎ資料の作成。いつまでに引継ぎ資料をつくるかを上司に連絡する。会社以外では、家具や家電の処分。不用品回収の業者に頼むつもりでいる。冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器、洗濯機、ベッド、など。どれも10年近く使っていてそろそろ買い替えどきだったというのもあり、処分。掃除機も処分。買ってから2年もたっていないのに吸引力が落ちていて使いものにならない。
不用品回収の業者に連絡する。いちど下見にうかがうので、そのさいに回収日を決めさせてください。最終出社日と重なる可能性が出てくる。TとSに連絡する。回収の立ち会いをお願いできますか。2人には出国当日に空港まで車で送ってもらう約束もしている。いけるよ。Y(Mさん)が出国するときも車で空港まで送ってもらった(あのとき寝坊して来られなかったHも今回は来てくれるらしい)。いつもとてもありがたいとおもう。まだ確定ではないけどお願いすることになったらお願いします。
引越しのための荷物を整理する必要もある。本と服。引越し先に持っていくものと持っていかないものを選ぶ。どれも処分できるものではないので、持っていかないものは国内の倉庫を借りる。なんとなく決めているが細かいところで悩むとおもう。書き出してみる。
・『エチカ』
・『スピノザ『エチカ』講義』・
『動いている庭』
・『2666』
・『砂時計』
・『死者の軍隊の将軍』
・『墓地の書』
・パーカー(crepuscule)
・ニット(Yves Saint Laurent)
・半袖シャツ(AMI Alexandre Mattiussi)
・BDUパンツ(STORY mfg)
・ロシアントレーナー(REPRODUCTION OF FOUND)
・オランダ軍のライナーコート
このあいだの服の交換会で手に入れたものが記憶に新しい(うれしい)。酔っ払って書けなくなる。メールが来る。社内で立食パーティをしたときのお酒があまりました。ご自由にお持ちください。数は少ないので先着順とさせていただきます。出社する意欲が高まる。
みんなで酒を飲みながら『激動の昭和史 沖縄決戦』をすこし見る。ガマを見にいったときのことを思い出す。ひめゆりの近くのほう(伊原第一外科壕)。自分がエレベーターや新幹線や高いところが苦手だからということ以上になにかあるとおもう。平和記念公園から見た摩文仁の崖、辺野古ゲート前まで歩いた道の両側をかこんでいるフェンス、嘉手納基地のなかに入れるレストランシーサイド。家に帰ったら続きを見る。ゲップをして昼に食べたカレーをおもいだす。日記を書き終えてぺいちゃん(鈴木一平)に送る。今日も服を買った。

東京都・下北沢
鈴木一平



12月18日(金)

関越道は激しい積雪で
もう30時間以上もクルマが立ち往生している
予報もあるはずなのに何故だろう

昨日東京は新規感染者が800人を越して
節目があっけなく1000人にきり上がった
それでも今日の忘年会は予定どおり
家内も食事にでていた
娘はイルミネーションを見にでかけていた
警報ということばも
医療崩壊ということばも
用心への集中力を喚起できなくなっている
酒場ではあちこちで
話し笑い触れ合う享楽が
背徳的な空気さえ帯びていた
戦時ってこんな感じなのだろうか
前回の日記も飲んだ帰りだった
私はなんで感染しないのだろう
出張帰りの同僚から地方の歓楽街の様子をきいた
休業補償を得るためにまちのあかりが消えているという
東京にはもうその警戒感はない
あきらめた店はたくさんあるけれど

この夜景はさびしいのか
それとも十分ににぎやかなのか

東京・世田谷
松田朋春



12月17日(木)

読み終わっていない本があるのに新しく本を積んでしまう。今年読み残している根性の必要な本はあと3冊。来年早々までに読まなければならない本があと1冊。そのほか気楽に読むために買った本が何冊か、本棚の「これから読む本」に置いてある。それでもまた本を借りる。ハヤブサ、雨、運動生理学、雪崩、気象、山岳地図、鳥の感覚世界について。今年は残り二週間になった。やれなかったことはあるが、やりのこしたことはほとんどない。過去数年でリストマニアになったわたしは「今日やったこと」リストを連日Google Keepに積み上げている。たとえ息をするだけでもひとはそこそこの偉業を成し遂げている。わたしの呼吸はわたしだけのものだ。

東京・つつじが丘
河野聡子



12月16日(水)

「聞こえましたか?
 …あなたを死刑に処する
 …聞こえましたか?」

はい 聞こえました
と答えて証言台からゆっくりと席に戻りました

「もうここにくることは二度とありません
あなたは揺れる麦畑の案山子 あなたは陽の当る白いだけの切り紙
階段のない二階から 
やがて底なしの青空へ飛ぶのです無限の」

でも、ぼくの机にはむかしからいつも
逃げなさい 生きなさい、と落書きされているのです
だから保健室のあまのセンセに相談してもいいですか

「いいえ もうここに二度ときてはなりません
あなたと 馘 手首 踝 
あなたのものでない長くてつややかな黒髪がゆるやかに渦巻いています
ばらばらに彼女たちが植えられた鉢やクーラーボックスがある
あなたのためだけの遠いお部屋
そこへ行くのですよ」

(私に気づいてくれたのは彼だけでした
(私に気づいてくれたのは彼だけでした
(私に気づいてくれたのは彼だけでした
(これまでだれ一人私に気づかなかったのに
(私に気づいてくれたのは彼だけでした
ぼくが殺してあげる ぼくが殺してあげるぼくが殺してあげる
ぼくが殺してあげるよぼくが殺してあげるぼくが殺してあげる
ちからが抜けたあと ふと視線をあげました
空があることに初めて気づいたのはそのときだった
(空には見たことのない形の雲がありました

「さようなら。
次の学校へ行くのです。どこでもないところへ。
句読点を忘れてはなりません。
あなたのロッカーに
隠されていた青空の欠片は不要でした。
誰にとっても不要だから。」

ぼくは揺れるだけの案山子
いくら切られても白いだけの切り紙

福岡・薬院
渡辺玄英



12月15日(火)

Go Toトラベルを
止めない、止めない、と言い続けて
やっぱり止めると言い出す
いつもの法律に
推進をくじかれた我々は
方位を失いながら
やはり
信じてしまう

ワクチンも開発されたし
あとは供給を待つだけだし
困窮をつぶやき
虐げられたと嘆き合っていれば
神聖を模した
あきらかでない偶像が
その面を上げてくれるのだと
無闇な我々のその信仰が
2020年を供物にして
2021年を迎え入れてゆく

浜辺には今日も
病み疲れた身体が並んでいる
疲労した私のまなざしは
友人のようなしたしさで
それを見つめている

私たちはいっそこのまま
線のように
たたずんでいると良い

街は私たちを幾度も
よどみのない恨みに感染させる
人との隔たりが
我々をあの従属から
ほどいてくれる

だから病のため
自由のために
私たちはいっそこのまま
冬枯れた景色だけを
まなざしにひたしていると良い

そうして
あたえられた像を
きっぱり忘れ尽くした頃に
私たちはこの浜で
まなざしだけをかわし合いながら
誠実なおとを立て
すずしくなった影を朽ちさせると良い
(だけどみんなすでに感染している)

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹



12月14日(月)

朔望
今年の最後の新月
満月のときと同じく
惑星直列
地球 月 太陽 
整列している
この時、潮が膨らみ
嵐が激しくなる

ギリシャ喜劇の
ライバル派閥間の対立は
最も大きなもの
戦争​   対   ​セクシュアリティ
死 ​   対   ​生

現在は
朔望の時代だ

時代とはいえ
その一般的な潮流は
その引っ張り合う巨大な力にて
ピクセル化される

列に並ばない瞬間たちを
征服することができず
明確な強制ルールなんて
天体くらい
これは、社会や精神に
あるように
見えるのと
同じように
物理的な現実にも
当てはまる
ように見えるだけ

殺されている世界では
まだスポーツの旗を振って
殺したりする人もいる
大規模な醜さの時代
皮肉さの時代
人間の中にいる動物の動物性
人間の外にいる動物の人間性

さあ、食べよう

境目を渡るものが疑われてくる
スネークオイルのセールスマン
貧しい人
混血の人
放浪者
泥棒
スパイ

相互関係を治める境界線を再描画し
壁を高く積み上げては 
飛び越える
生活を求めて
栄養、友情、家族
超えることは人生そのものを意味するから

月に乗って時間を図ると
次第に現れる
一日の狂いを正すために
十進数とその親戚の頻繁を
抱きしめたシステムの
順序を乱す朔望
どこかで、きっと
それを祝う魔女が残っている

東京・Amazon・ロサンジェルス・サイバースペース
ジョーダン・A. Y.・スミス



12月13日(日)

アムスの中央駅の
裏から出ている無料の連絡船
シテ島の花市場の手前の
いつもひっそりしている三角形の小さな広場
マクシミリアン橋の袂から川辺に向かって降りてゆく草の斜面
これらはわたしの
大好きな場所のほんの一部です

まるでそこで生まれ育ったような足取りで
我が物顔に歩き回っていた
それでいて瞳孔だけは普段よりも一回り大きく開いて
人類の大半は土地にしがみつくように
生きているという事実には見て見ぬふりで
難民センターの前を通るときだけは
伏目がちになってもみたが

ア・コルーニャの町はずれの高台で吸いこむ潮風
リフトから見下ろす雪原の
翼の輪郭みたいな自分のスキーの陰影
メムリンクの聖母の目の縁の、赤い顔料から滲みでた雫の透明
オムレツの輝くクレタの砂浜
これらはわたしの
大好きな場所のほんの一部です

どんなにワクチンが行き渡っても
帰ることのできない処がある
同じ町で暮らしていても
二度と会ってはならない人がいるように
自分が自分であることにやり切れなくなったら
大好きな場所を思い出してみるんです
すると少し気分が晴れます

あの石段のあの段の
剥がれかかったペニスの落書き
脱衣場のロッカーの鍵の
まだ奇跡的に濡れていない赤いバンド
地下鉄の座席でタッパーウェアから直接食べる
ツナサラダ……

註 Oscar Hammerstein II「My Favorite Things」からの引用があります。

横浜・久保山
四元康祐



12月12日(土)

二番弟子でございます。持ち前の色白の肌に映える真紅の着物をアイコンにしております。この難しい色を品良く着こなす私のセンスったら。弟子うちで着るものに気遣うのも、おかみさんの服飾をほめる孝行ができるのも私だけです。

月に二度、師匠のお宅に伺って朝ご飯をいただきます。芸人の現場で風邪っ引きは犯罪ですから、念入りな手洗いは入門時からの躾です。今さらハッピバースディ2回分でもない。今朝のおかずは焼き鮭と春菊の白和えと湯豆腐。

歳末のこの時期、師匠のお宅にはたくさんの到来物があります。酒と米。佃煮詰合せ。菓子折。季節の果物。積み上がるさまは笠地蔵の勝手口さながら。これらはほぼ弟子が腹におさめます。目上の方の指令のままに。それが伝統芸能。

おかみさんは私たちを見るたびに必ず太ったとか痩せたとか言います。時下の体調をお気遣いただいてのことと承りますが、多少、そう。ははは。うざ。食と天気が誰にも共通する当り障りのない話題だと考えてるのは年寄りだけです。

おかみさんは弟子の食欲を歓迎してくれる反面、見た目が大事な人気商売ゆえダイエットせねばという私たちの気持ちにも理解はある。よって食わせたい、でも食わせたくないという二つの間でご自身も引き裂かれているのだそう。

今年は高座の本数が激減したので、在宅中は新作をたくさん書きました。弟子の中で古典一辺倒でないのは私だけ。かつてはヒップホップなんかに手を染めたりもしたので、おかみさんとは創作という点で分ち合えるものがあります。

ともに大好物の都市伝説で話がはずみ、気づけば三時間を過ごしていたこともありました。入門初日に着てった上着の黄緑色がおかみさんの超贔屓の色だったとかもあるし、でもカードの暗証番号まで偶然同じじゃなくていいと思う。

最近書かれてる詩の中で、私たち弟子はトカゲなんだそうで。おかみさん爬虫類は苦手じゃなかったっけ。託して言いたいことでもあんのか。正直、歌詞じゃない詩は誰のも読まないしわかんねえ。芸の肥やしとかにも出来なさそう。

化けるとしたらきみが抜き手を切るだろうね。おかみさんにはそう言われています。化ける、は、いい意味で芸が生まれ変わることを指します。達者というのと違う私のようなタイプはある時期突然の変容をするのです。ああ化けたい。

真赤な着物は四年前の二ツ目昇進の折に誂えました。そう、クリスマスの色でもあります。今年は硝子のコップの内側から眺めている人の世の、そこかしこに点滅し続ける警告灯の色。そして鮮血、私の中にいつか目覚める鬼の色です。

東京・目黒
覚 和歌子