7月21日(火)

鳴きはじめた蝉たちは
鶯の初音のように、ういういしい
土用の丑の日の今夕
鰻を食べた

夫が仕事帰りに鰻を買ってきてくれた
このひと月、ほとんど外出していない私には
外界のことは、想像に思い描くだけ
だから今日、夫は
職場で仕事する人ではなく
鰻の狩人である

私はといえば
家で校正しながらゆっくり一日を過ごして
鰻を待っていた
東京の感染者数は237人
日が傾く気配を窓の遠くに感じるように
このごろは
地球のまわりをいくつかの大きな円がめぐっている

今年もまためぐり来た
蝉のあらわれという、透明な初夏色の円

土用の丑の日という
鰻を食べる時にだけ口にする旧暦の今日が
太陰暦の中に抱かれながら
太陽系をめぐる、たゆみない軌道

COVID-19の円もめぐっている
大きさのわからない軌道は
このところ逆まわりをはじめたのか
それとも小さな誤差を飲みこんで
軌道が自分で決めたとおりに、順調にめぐっているのか

そして私ひとりの円もまためぐる
不思議なことに
私にはこの円がいちばん大きな軌道なのだ

未来に私たちは、箱の中の迷路を右往左往するネズミを眺めるように
こう言われるだろう
「この時、人類は、悲劇の規模をまだ知らなかったのです」あるいは、
「人々はすぐ先に希望のあることを、予見できずにいたのでした」

知ったことか
私は鰻がおいしいんだ

もっとうんと未来に
宇宙考古学者は、私たちをこう呼ぶだろう
あの南の空の星座は、
鰻の狩人座と、家で校正する妻の座です

千葉・市川
柏木麻里



7月20日(月)

今日もまた不備書類の督促だ
コロナを理由にごまかすな
電話の向こうの女の声
書類を通してくれないと
大変なことになると言う
ならば登記を完了してよ
守るべきは顧客の権利だろ

人の世界が遠い

すこしづつ
恨まれる
仕事ではある

すこしづつ
消えてゆくわたし
全体が色褪せてゆくのではなく
ただ、薄くなってゆく

仕事帰りの駅のベンチで
昨日見てきた足利市立美術館『如鳩と沼田居』展の画像を見ている

足利は昭和40年代まで
旅の絵師を共同体で養う、みたいな文化が残っていた
全盲になっても
絵を描き続けた長谷川沼田居
その師にして
聖堂の犬に
1日中説教をしていた正教の伝教者、牧島如鳩
フランスの
かの聖人のように

電車一本をやり過ごすうちに
展覧会をひとつ見ると言うこと
もう豆は煮ないから
電車一本やり過ごすうちに
自分の一生を見てしまったような

そんな夕暮ではある

小平市
田野倉康一



7月19日(日)

STAYとかHOMEとかGO TOとか
わたしたち犬みたいだよねって
誰かが言って本当にそうだなって怒りながら笑ったけど
そういえば犬を飼ったことはない
猫も
小鳥は子どもの頃に家で飼っていたことがあって
でもあれはどちらかといえば弟の小鳥たちで
おいで と呼んだことはあっても
来い と命じたことはない
かわいい小鳥の1羽は逃げてもう1羽はどうしたのだったか
たぶんわたしが実家を出たあとに死んだのだ
不明1
死1
は 埋められているあいまいなわたしの記憶の庭の奥深く
おいで は言えても
来い とは言えない
命令形は使い慣れていない
やめてください は言えるけど
やめろ と言ったことはたぶんない
きのうコロナに感染した女性が同じ舞台を何度も観に行っていたことを嘲笑するように責めるニュース的なものが目に入って何もかもを振り払いたい気分になったわたしだって好きな舞台なら体力があってチケットが取れれば通いたいし同じ映画を20回くらい映画館で観たことだってあるしどこの誰だか知らないけどあなたは何もわるくないおかしくない好きにしていい命じられることに慣れなくていいんだって
言いたい
雨は
今日やっとやんだ
涼しい青空に飛行機の轟音
オリンピックが何ごともなく今夏ひらかれることになっていたら
暑さで人がばたばた倒れるような気温じゃないのを
せめて寿ぐ気持ちになれただろうか
明日はまた雨になる予報
振り払うようにここから飛び立って
逃げることを夢想してみる
新幹線も飛行機も使わずにGO
できたとしても
降り立てる場所は見つからない
1 は
埋められてしまう
あいまいな「東京都で新たに188」という数字の奥深く
そこからどこへも届かない声で
命令したい
光れ

東京・神宮前
川口晴美



7月18日(土)

きのうさいた
花なら、いいけど。
東京で293
埼玉で51

かこさいた
感染者数です。

最多を更新する
数字ばかり、目にしていると
まるで
数字に黙らせられた
かわいそうな
言葉の姿にも、見えてくる。

道ゆく人びとの
口を覆った、マスク姿が。

だんだん大きくなる
マスクには
もうひとつ、見覚えがあった。

津波のあと
巨大な防潮堤が建設されて
すっかり海の景色が隠れてしまった
東北の海岸線。

コロナのおかげで顔にも
高い防潮堤ができたようだ
隠れてしまったのは笑顔の水平線。

コロナの海岸には
黒船が来たように
なぜか、横文字もどっと押し寄せた。

ソーシャルディスタンス、アラート、リモート
ニューノーマル、そして、エピセンターだって。

ところがちっとも、馴染めない
横文字がさっぱり、身につかない。
なぜだろう。

クックパッドでレシピを検索すると
どんな料理もすぐできるが、すぐに忘れる。
台所に並んで母に一度習ったきりの卵焼きは
母が死んでも、忘れてないのに。

「さいきん、小さい文字が見えないので
お風呂場でシャンプーとコンディショナーの
区別に困るのよ」と、隣りでぼやいたら

まあちゃんが、「あら。
シャンプーの頭にはボツボツがあるのよ。
目の見えないひと用の」と風呂場で教えてくれて
日頃の悩みが、いっぱつで解決。

触れて、覚える。
そばで、教わる。

本当に、わかる時は
あたまではなくて、
すとんと、落ちるように
からだで、わかる。

からだに、沁みて
細胞が、記憶する。

なのに、
濃厚接触、密――
どれもが、悪いことになった、今。

オイ、コロナ
いったい、どうやって
わたしは
わかったらいいんだろう。

文通で知り合って、結婚した
幸せな夫婦をひと組、知っているのが
ちょっとした、希望かな。

コロナ、長丁場になりそうだね。

それでも
少しずつ、イベントの話が舞い込みはじめた。
主催者は(出演者も)
薄氷を踏む思いだろうが、文化の灯を消さない
ように、何とか個々の表現の生きのびる道をさがして、
ひっしで、みんな知恵を絞っている。
せめて、その思いに寄り添いたい。

ウイズコロナ

水コロナ、に聞こえる今日の、日本列島。

***
それでも
夏に向かって
元気はつらつの
いのちの、なかま。

草木、草花に
日々の大丈夫、をもらっています。

埼玉・飯能
宮尾節子




7月17日(金)

昨日食べた麻婆豆腐が効いたのか、痛みで目を覚ます。提案資料作成、あんかけうどん。処理が重くなった端末の整理していると、十年前に書いた文章が出てくる。小さい頃に父親から聞いた家の話を思い出しながら、いつか小説を書くときのためにまとめておいたもの。《二百年ほど前に大きな飢饉が起きて、当時この家に住んでいた人が庭に降りてきた鶴を食べて呪われたせいで、子どもが生まれなくなった。親戚の子や身寄りのない子を養子に迎えて、大人になって所帯を持つと、またべつの家から子どもをもらってくる。それを何代かくり返して、ようやく子どもができるようになったのは、曾祖父のひとつ前の代からだという》。いまなら庭に鶴が降りてくることがあっても、捕まえて食べようとはしない。もっとささやかに取り返しのつかない出来事で、解けない呪いに見舞われることもあるだろう。ゆるくなったドアノブのネジを閉め直したとき、中にいた虫を閉じ込めてしまうとか? 妹が帰省を親に打診して、断られる。前に住んでいた人たちが残していった部屋が蔵の近くにいくつかあって、入り口は木の板でふさがれていたとおもう。最後まで外の空気を吸うことなく、取り壊しに巻き込まれてしまったのだろうか。
後輩(添削担当)から連絡がきて、手直しされた「日記」が送られてくる。すこし話したあとで、『現代詩手帖』で発表したテキストについての感想をもらう。
――自分は一平さんのよい読者にはなれないとおもいました。表現のなかで明示も暗示もされないこと、《無症候性》によって不可避的に表現されてしまうものとしてのコロナの《形象》という見立ては、けっこう説得的ですね。でも、この指摘は書き手の側での批判可能性を事前に牽制してしまうというか、それこそ表現の「自粛要請」をしている気がする。
――やっぱりそういうとこあるよね……。
――全体的にはおもしろかったです。山本さんも言ってましたけど、最後こう来るかっていうおどろきはたしかにありますね! でも、動員のくだりはそんなこと言われても……って感じになりました。一平さん自身がこの問題をどう引き受けていくかなんですよね。なのに、それを書き手全員の《具体的な行為の水準》を持ち出して「一般化」してしまうのは、けっこう抑圧的ですよ。
――詩でなにが語れるか、みたいな気持ちになれなくて。
――そういえば手よくなりました? よくなったら、今度みんなで集まりましょう。
右手が突然ふくれ出したのは、六月の半ば、梅雨空の暑い日差しを避けて、台所に敷いた布団の上で昼寝をしているときだった。手のひらに熱っぽさを感じて目を覚ますと、手首の付け根のあたりから寸胴にふくれている。虫刺されの跡のようなものがまん中にできていたので、謎の虫に刺されたのだとおもう。皮膚の下には冬瓜のような青っぽい色味が入っていた。夏になるといつも体のどこかがおかしくなる。何年か前に詩集の刊行記念会を開いたときは、当日の朝に左腕の肘のあたりが紫色にただれて、笑っている顔のような模様ができた。薬をぬって包帯を巻く。会社の同期の家に泊まりにいって、その汁は抜いたほうがいいといわれる。裁縫針に除菌スプレーをかけて刺してみると、ぱっと手のひらの上に水のようなものが広がった。なめてみるとすこしだけ鉄の味がして、小学校の水飲み場の蛇口から出てくる水みたいな味だと同期がいう。夏場は外を走り回っていた子どもたちが列を組んで、順番に水を飲み干していった。

東京都・高田馬場
鈴木一平



7月16日(木)

流行は波状に押し寄せ
災禍もあとを絶たないので
これから都市は衰退して
村づくりがはじまると考えてみる
日本を20000の村に分け
いちからつくりなおす
神社がいるとして
宗教を選ばなければいけないからそれは留保して
仮神社と名付ける
仮神社の仮神主に
仮の祝詞をあげてもらい
仮村長と仮議員が仮の議会で話し合い
仮条例ができる
でもそれより先に
まずは村人が必要で
お医者さん
歯医者さん
農家
畜産家
狩猟家
漁師
八百屋
肉屋
魚屋
米屋
陶芸家
林業
木工
大工
瓦職人
漆職人
金工
旋盤工
プレス屋
織り屋
染め屋
印刷屋
紙屋
折屋
製本屋
パン屋
お菓子屋
酒屋
革屋
鞄屋
自転車屋
看板屋
傘屋
靴屋
洋服屋
着物屋
草履屋
下駄屋
土建屋
解体屋
工務店
石屋
コンクリート屋
廃棄物処理業者
溶接屋
重機屋
ガラス屋
鏡屋
塗装屋
家具屋
楽器屋
文房具屋
本屋
庭師
整体師
マッサージ師
占い師
税理士
玩具屋
ケーキ屋
オーディオ屋
額屋
表装屋
金物屋
荒物屋
乾物屋
お茶屋
おでん種屋
居酒屋
バー
喫茶店
たこ焼き屋
もんじゃ屋
お好み焼き屋
ウェブデザイナー
酒屋
蔵元
醤油屋
出版社
地方紙
記者
釣り道具屋
模型屋
音楽家
建築家
デザイナー
画家
劇団
歌手
ピアノ教室
バンド
楽器店
書道家
算盤塾
学習塾
スポーツ用品店
ゴルフショップ
古本屋
骨董屋
レコード屋
花屋
家電屋
自動車ディーラー
スナック
風俗店
銀行
市場
学校
警官
消防士
旅館
ホテル
映画館
銭湯
葬儀屋
掃除屋
小説家
写真家
華道家
茶道家
噺家
ダンサー
おどりの教室
詩人
歌人
俳人
みどりのおばさん
みんなに集まってもらって
最高の村をつくる
職人は全部は揃わないから村ごとに特化して分業する
職業はどこまで間引くことができるのだろう
筒井康隆の音がひとつずつ消えていく小説を思い出す
村と村との間は風船のようなクルマが行き来し
疫病の時は行き来をとざし
人々はデジタルでやりとりして友人は世界中にいるし
会社は場所に縛られず繋がって大きな仕事をする
でも立派なものは段々と不要になって
美しい村の祭りを訪ねる旅をみんながして
そこで恋をして住まいが変わったりする
評判のたつ良い村に良い人が移り住み
そうでない村は村人がデジタルコンテンツに依存して
うつろになっていき
豊さに格差が生じてくる
必要最小限のインフラとはなんだろう
お墓の整理も必要な気がする

送り火に雨粒が飛び込んで具体的な音をたて
灰の匂いが広がった

キャンペーンから東京が切除された

東京・世田谷
松田朋春



7月15日(水)

不要不急の寿司屋で細胞分裂した犬を手に入れた
行くように推奨され、行かないようにお願いされる水曜日
みんなの利益を守るために誰かの指示を待つことが
ほんとうに必要であるかのように
思いこんでいる

東京・つつじが丘
河野聡子



7月14日(火)

雨が世界を打擲する
この世の半分が流されていく
災害の危険が切迫しており、自治体が強く避難を求めています
洪水警報避難指示が連呼される夜
ひとりで
ラジオの災害速報を聴いている
豪雨でたくさんの土地が流された
人もたくさん流されていった
見覚えのある看板や家屋
たいせつなものが数多流されて消えた

チューニングが乱れてノイズの向こうから
ふるい深夜ラジオの音声が流れてきた
氾濫した濁流に押し流されてきた前世紀の電波だった
断続的なノイズの連鎖に(波打ち際の星がまだ青かったころの記憶
口のない者の声は
波の音によく似ている
こうして余白から瓦礫が
耳鳴りのように打ち寄せられるのだった
失われたものがおびただしく漂着する
目をそらしていたもの(たとえば死せる魂や盲目の恐怖
かれらが背後から見つめている
黒い影こそが寄り添っている黒い影だ、と

激しい雨音の向こうからだれかが
昨日まで地球の夢を見ていただろとささやくのだった

福岡市・薬院
渡辺玄英



7月13日(月)

不安を日常で薄めながら
進められてきた私たちの七月

上下する関数の曲線を
ただの数字として解釈する
法律にせっせと小突かれながら
かつての会話のぬくもりや
築きかけのポイエーシスに
付きかけた錆を取り除こうと
人びとが力を込め出した
手指のその支点ごと
二百人を超える連日の
感染者の数が挫いてゆく

私にせよ先週
はじめて会った人からは
「感染が怖いので、完全オンラインにしなくては」という言葉を
だけど先々週は
久しぶりに会った知人の
「感染しても、たいした事なんて無いんでしょ?」という声を
同じ耳が聞いたばかりで

傾きの
その方位を計量しつつ
数えられる側にはいないはずだと
信じていた人たちを
x軸に組み入れ肥大してゆく
この座標が果たしてふたたび
翳りを延ばしてゆくのだろうか 

生存の証に座り続ける
私たちの食卓の上に
道辺が取り戻しはじめた
子らの交わす声の上に

四月が、五月が、六月が
放り出したしぐさを結局真似て
私たちのこの七月も
危惧にあるいはその逆に
交互の方位へ振り分けられる
やみくもな均衡を八月へと
譲り渡してゆくのだろうか

神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹



7月12日(日)

石庭に住むとかげ
隠れん坊
空中で交尾している蜻蜓(dragonfly)
公案を孕む

寺院の荷物預け所は
荷物を預けなくなったが
荷物はまだ荷物だなと
足元に広がる
小石の道を見て思う。

新たな形を取る時勢に
離れ  ばなれにされる

荷物を降ろし
門に入り 
束の間を延ばし
竜の安穏な日々

京都、龍安寺
ジョーダン・A. Y.・スミス