6月30日(火)

うちのベランダで、ゴーヤがそよいでる
アサガオのタネ蒔きをする鉢に、ことしは
もしものときは、
せっぱ詰まった晩春だったから

だが、違うのだ、ツルの這い方が
アサガオが、時計と逆まわりにとぐろを巻いていくヘビだとしたら、
ゴーヤは、ムカデ
ヒゲのようにかぼそい足を無数にだして、さがしてる、
つかまる何かを

いや、かぎりない触角というほうがいい
どこへ行こうか、かぜに揺れつづけているそのヒゲは
どこへ行こうか、においを嗅ぎつづけている虫のそれと
そっくりで、
じぶんでうごくとか、うごかないとか、
じつは、どうってことないんじゃないか

きょう、咲いたよ
かわいい花がひらいたよ
いや、それは、黄色い肛門のようでもあって、
ひかりとあめとつちを
舐めつくした果ての、出口が、
ようやっと、あらわれて

でてくるよ、
みどりいろのヘビも
もうじき、
いぼいぼのかたいヤツが、でてくるよ
その朝、ドアをしめるかどうか、
じつは、どうってことないんじゃないか

ねぇ、
咲いたよ
かわいいのがひらいたよ
やがて、わたしの黄ばんだ肛門からも
でていくのだから、それは

ながいながいヘビじゃないのか、
時を逆まわりにたどるなら
すべての因果は、

どこへ行こうか
どこへ行こうか

神奈川・横浜
新井高子



6月29日(月)

六月の雨のなか
ひとつの傘で帰った

これ以上ふれたら
ふかく傷つけ
傷ついてしまう
と知りながら

そんな出会いがあったことも
忘れようとしていた

もし
羽を痛めた小鳥を
ただ 守りたくて
てのひらでつつめば
その子はひどく驚き
逃れようとするだろう
死んでしまうほどの激しさで

でももう 安心して
だれも あなたに ふれられない
あなたも だれにも ふれることはできない

いま 離れていることが
あなたを守ることなのだから

雨の季節はまだ終わらない
それでも 今朝の天気予報は 晴れ

おおきく窓をひらき
もう会えないひとのもとへ
てのひらのなかの
見えない小鳥を放つ

ほんとうは
あなたも わたしも
どこにでもいけるんだよ

それを忘れるために ではなく
思い出すために
今日の空は
ある

東京・杉並
峯澤典子



6月28日(日)

数日前から、ノートパソコンをMacに変えた
そこにOfficeを入れて、この日記もWordで書いている
マウスでスクロールするのがWindowsとは上下逆、よりも戸惑うのは、
キーボードで入力する時の予想変換がシビアだということ
シビアというのは、キーを一つでも間違えると、書きたい単語が選択肢に上がってこない
きびしいな、わかるじゃん、文脈で、と思う

そこで気づいたのは、仕上がりとか、
磨き上がりみたいなものへのイメージが変わっていたこと

なんとなくとか、似たようなもので済ますことが、いやじゃなくなっていた

最近(オンライン朗読会で)知り合った中欧や中東や東南アジア詩人たちの投稿をFacebook翻訳で読んで、不自由を感じない(これは人に言わない方がいいのかもしれないが)
自分が雑になったといえばそれまでなのだけれど
そもそも発音すらわからない、遠いところにある言語の詩を、一秒で読めるのだから、そこにあるのが「古い歌」という言葉で「失われた夢の道を歩くとき」※と言っているのだから、それでいいではないか、というような気持ち

SkypeやZOOM越しの出会いの数々は、もどかしさよりもむしろ、
液晶の向こうにいる世界各地の人たちの暮らしぶり、部屋の様子に飽くことなく惹かれて、
その小さな窓の向こうの息づかいにチューニングしようと
自分の気配を澄ませてきた
不自由さの代わりに与えられたのは、
液晶の向こうにある、たくさんのスープのようなもの
人の家に入ったばかりの時のような、かぎなれない匂いがして、
部屋の、家の、家族の、その人の味がして
それはみんな食べやすくて、体にいい
名前をきいても、きっと答えられないスープ

日々の食料品も、近似値で進行している
食べたいものよりも、数日おきに夫がスーパーに行ってくれるので、
野菜売り場や肉・魚売り場、お菓子売り場なんかの映像を思い浮かべ、
たぶんこれがある、と予想してメモを書いて渡す
しかも人に頼んで買ってもらうわけだから、なければしょうがないし、
似たようなものでもO K!となる
お花を買ってもらうのも、自分で選べないから、かえってどんな花がやって来るか、くじ引きやおみくじみたいに待っていた

とても多くのものを、家にいて、へだたりの向こうから
遠い山の電気を届ける鉄塔みたいなものをいくつも介して
手に入れてきた
届くのがたとえ、どんぴしゃではなくて似たようなもの、であっても
それは怖いものから守られるためにしていることだから
綿のように暖かい

そういう暮らしに慣れていたことに気づく
でも、自分に対しては、その綿のやわらかさを生かせない

今日は一日中、期限が迫って書かなければいけない仕事の量に弱っている
自分に対する要求や、人には見せられない矜恃みたいなものは
人々や世の中への適応よりも遅い
動きにくくなった体で、ここまで行かないと、これくらいはできないとと
バージョン遅れかもしれない古い期待をかけている
アップデートのアイコンはどこにも見つからない
自分の外の流れと内の流れが、一つにならない潮のようにずれている

※クロアチアの詩人、Ivan Španja Španjićさんが6月28日(日)午後10時過ぎ(クロアチア時間では日曜日の午後3時頃)に投稿した詩の一部

千葉・市川
柏木麻里



6月27日(土)

このところ東京では50人くらいがアベレージで
ウイルスが社会に定着していくようすが
想像できるようになってきた
真夏日に少し動くとマスクが息苦しい
許容は様々なことがらを
天秤にかけながら形成されていく

イベントで詩の書店をやって
何ヶ月かぶりに知らない人たちと接して
目ばかりを見て話しかけた
鼻も口も皮膚の下の内臓のようだ
そのような出会い方で
人を記憶するには
もう少し時間がかかる

そう
マスク越しの会話と
詩を挟んでの会話の
類似と違いを思ったのだった
この声は自分ではないし
あなたでもないでしょう
それでも強く伝わっていることはあって
そのような出会い方で人を
正しく記憶するには
もう少し時間がかかる

東京・港区
松田朋春




6月26日(金)

じゃ映画館のロビーで18時にね
そんなふうに待ち合わせしたのはいったいいつ以来
こんなことになる前は友だちと映画館や劇場へ行くのは
日常だった
ひとりでも出かけた
最後に映画館で観た映画は三池崇史監督の『初恋』で
3月19日
舞台がどんどん延期になったり中止になったりしていたから
映画もそのうちだめになるだろうと思って
そのまえに映画館で観たいと思って
歯医者の定期検診帰りにひとりで駆け込んだのだった
ひとが次々と豪快に死んでいく物語になんだか元気が出て
ひとりで笑っていたら
隣の席の知らないひともふるふる笑ってた
まだ少し寒くて映画のなかでも雪が降っていた気がする
気がするだけかもしれない
3ヶ月前なのに100年前のことみたいに遠い
死んでいくひとの姿は見えないまま
数字だけを知らされ続ける6月の
手は映画館でもアルコール消毒され
ひとりひとり体温を測られてから入場する
体温測定の習慣がないから自分の平熱がわからないのだけれど
36.4度
友だちとも1つ席をあけて並んで
マスクをしたままスクリーンを見つめる
繰り延べになっていた公開初日
ああ映画館にいるなあとばかり思ってしまって
かわいい死神と死神遣いの物語がところどころ空白になり
終わってから友だちと
ごはんを食べながら控えめにおしゃべりをする
出勤しないでいると自分は会社にいなくてもいいんじゃないかと思い始めるとか
オンライン授業1コマ分の準備に2日もかかる自分の効率がやばいとか
入院中の父親に会うには病院に防護服を用意してもらわなくてはならなくてあからさまに迷惑がられるから行くのをやめたとか
しかたないよね東京から行くと特に汚染物質扱いなのかもねとか
そういう話はさっさと終わらせて
自粛期間中に見ておもしろかったアニメや舞台の配信やドラマの
推しがどんなにきれいで素敵か
元気でいてほしいか
祈りのように延々と話す
話した
それが2週間前
体温計が手近にないから測っていないけれど
今日のわたしもたぶん36度台
少なくとも映画館では感染せず発症もしていないということだろうと
考えながら思い出して
歯医者に定期検診の予約を入れる
3ヶ月たって
細胞の多くが入れ替わっているならわたしはほとんど別人になったから
100年前とは別の夏を
生きていく
汚染物質として

東京・神宮前
川口晴美



6月25日(木)

マスクがあまったら
このポストに入れてください。
そして
マスクがほしい人は
自由にもっていってください。

まちの郵便ポストのそばに
マスクポストができました。

買い過ぎてあまったマスクや
色とりどりの手作りマスクが
(おばあちゃんも大活躍して)
ポストにたくさん集まりました。

もう、だいじょうぶ。

ワクチンを開発したいのですが
お金と研究者の人手が足りません、と
呼びかけたら

「わたしは何にもないけど
お金だけは一杯あるんですよ」と
世界中のお金をもっているひとから
たくさん寄付が集まりました。

「わたしはお金はないけど
研究だけは自信があるんですよ」と
世界中から研究者もたくさん集まりました。

もう、だいじょうぶ。

3人寄れば文殊の知恵
といいますが――なんと
世界中の知恵が一堂に集まったものだから
(今回ばかりは世界中のどの国も
他人事ではなかったからです)
あっと言う間に

ウイルスを退治する画期的な
ワクチンが発明されたのでした。

もう、だいじょうぶ。

以前なら
内緒にして、ひと儲けしたいなという
気持ちも(ふつふつ)わきましたが

以前なら
肝のところは、わたしの発見だよと
自慢したくて(もやもや)もしましたが。

今回ばかりは、ぜんいんが
「はやく、ワクチンを」ただ
その思いひとつで、がんばったのでした。

なので
「できた!」と声があがったときは
世界中でたくさんの拍手がわきおこりました。
(黒い手も白い手も黄色い手も
兵士たちも銃を置いて、喧嘩していた若者も
振り上げた拳をひらいて、大きな拍手です)

これは
誰のワクチンでもない、みんなのワクチンだ。
そうだ、異議なし!
ということで、ぜんいん一致で、話がまとまり

世界中で、いっせーのせで
無料でワクチンが配られることになりました。

すると、誰もが
マスクの時のように、長蛇の列になることもなく
われ先にと、おたがいを押しのけ合うこともなく

あなたからどうぞ、いえいえ
あなたのほうが大変そうだから、どうぞお先にと
ひととして、あたり前のことができるのでした。

ひとがひととして
あたり前のことができるようになった頃。
ひとでなしウイルスと呼ばれたおそろしい感染症も
だんだんと世界から収束しはじめました。

みぎだひだりだ、きただみなみだと、さんざん
いがみ合ったり、ののしり合ったりした人びとが

満ち欠けをわすれた白い月のように
大きなマスクの下で隠されていたのは、そうだ
この笑顔だったんだと、にわかに気づいたとき。

大切なのは、あなたと
戦うことではなくて、あなたと
助け合うことだったと、やっと知ることができました。

なので
今までは、殺し屋ウイルスと呼んでいたけど
あれは、ほんとうは
愛のウイルスだったねと、わらって囁きあいました。
(マスクのないくちで)

おしまい。

***
きょうは、昼間から
そんな夢を、みてました。

一年で、一番晴れない日が
6月25日、の今日だそうです。
そして、なんと
あしたが、晴れ女でゆうめいな、あたしの誕生日です。

めでたし、めでたし。

埼玉・飯能
宮尾節子



6月24日(水)

いつもより早く目が覚めたので、遠くのコンビニで揚げあんぱんとエナジードリンクを買う。家に戻ると、公園のベンチのひじ掛けに食べかけのリンゴと食パンが置いてあった。コンビニに行くときはなかったとおもう。こしあんと炭酸の食べ合わせが悪かったのか、胃をやられる。シャワーを浴びてすこし眠り、スーツに着替えたあとで家を出る。東西線へ。アパートの前に飲み物をこぼしてできたような、うっすらと白い線が引かれてあって、近くを通りがかる人がそれを踏み越えるたび、あたりに散らばっていた虫の脱け殻がひとつに集まった。
母親が勤めている病院の駐車場に熊が出る。親とはぐれたらしい小熊だった。小熊は車と車のあいだを隠れるように渡って、薬局の脇にある茂みのほうに消えていった。昔、友だちの家に遊びにいく途中、坂道で熊とすれちがったことがある。地元の熊は体毛が固くバサバサしていて、強いにおいがいつまでも消えずにあたりに残る。同じ年、妹の同級生が神楽の稽古の帰り道で小さな熊に追いかけられた。それから一〇年後、実家の近くにある美術館でやっていた岡崎乾二郎展を観に行って、人間の理性や芸術についての講演を聞いていたとき、窓の向こうをふつうサイズの熊が歩いているのを見た。帰りに警察が来る。道沿いの竹やぶが破壊されていた。裏手の山には崖をのぼるカボチャの蔓や四角く掘られた穴があって、金色のトンボが何匹も飛び交っていた。
仕事終わりに会社をやめた先輩と食事。職場を出て駅に向かう途中、同期から仕事が嫌すぎる、三歳になりたい、と連絡がくる。道のあちこちで、割れた石が花のように咲いている。おたがいに暗いことを言い合っているうちに、窓のなかで抱き合っている人の姿が通りから見えた。ワンタンとビール。先輩が待ち合わせに三〇分ほど遅れる。店が閉まったあと、地下の喫茶店に移動。赤ワインのグラスを倒されて下半身が真っ赤になり、先輩の家で洗濯してもらう。シャワーを借りて、大理石の床みたいな石鹸で体を洗う。豆菓子とビール。ハングルのパッケージで味の説明が読めず、甘いことだけがわかる。寝室に天井近くまで背が伸びている木があって、先輩がテレビに話しかけると、焚き火の動画が流れはじめた。タバコをもらうと急に酒が回り、気持ちわるくなってきたので目をつぶる。翌朝、頭痛で目を覚ます。寝間着に借りたTシャツと下着、着替えを入れる用のトートバッグをもらって、代わりに昼食代を出す。親子丼。その頃になって、先輩がずっと斜め向かいの席についていたのに気がついた。駅の改札口で別れたあと、焚き火の光に照らされながら眠っている自分の写真が送られてくる。
前回の「日記」で引用したソンタグの著作について、大学の後輩から指摘が入る。調べなおすと、該当箇所では《人種》についての記述があまり強調されていない。というより、《人種》をめぐる問いとして解釈するのは、すこし強引だったとおもう。《結核》についても同様で、ソンタグがユダヤ人に対する病の比喩も、そのあとで述べられる《癌》のほうが(ナチス・ドイツによって用いられた語として)適切だった。いわれたとおり、たしかにミスリードだったと答えると、――おつかれさまです。結局、鈴木さんも《病気》だったんですよ! とフォローされる。話の流れで、今回から書き上げた「日記」とメモを知り合いに送り、添削してもらうことになった。

東京都・飯田橋
鈴木一平



6月23日(火)

慰霊の日だった。
一年前に「平和の詩」を読み上げた、
白い制服の少女の声は、まだ耳に残っていた。
「2メートルの間隔を空けて式典会場で黙祷する参列者」の写真を見た。
沖縄戦。黒のかりゆしウェア。
去年は立ち止まることのなかった光景が
「2メートル」
人との“距離”で鮮明に立ち上がる。

3月頭、友人の結婚式に出席するため、初めて沖縄へ行った。
シャトルバスは貸し切り状態、海辺のホテルの客は少なかった。
那覇空港行きの電車でようやく 見知らぬ人と隣り合わせた。
同じ車両に揺れる、マスクの下の素顔はわからないけれど
漠然と不安なのは皆同じだろう。

「シャボン玉を吹いてみましょう」と提案されたので
想像のストローから細く息を吐くと、
顔よりも大きなシャボン玉ができた。
ぶるぶると輪郭をふるわせながら水色の空へのぼっていく。
わたしたちの震える現実を載せるにふさわしい、
シャボン玉の舟だった。
「評価せずに気持ちを味わいましょう」
だけど、大人になるほど難しい。
正しさを勝手に判定して
あなたに伝える言葉さえ推敲してしまうのは、
もはやどうしようもない習慣なのだ。

朝食前/昼食後/夕方/夜その1/夜その2/夕食後/就寝前
とにかく薬が増えた。
カバンの裏ポケットにも、炊飯器の横にも。
あらかじめ決められた服薬時間。
おかげで規則正しい生活ができる。
まだ飲み慣れない漢方薬は、
舌の上に置く瞬間の
ざらつきだけを味わってみる。

線路に置き石をした少年のニュース。
「実験で置いた」
その理由があまりに素朴だったから。
少年よ わたしも
わたし自身から脱線がしたくて、
ポケットに小石をあつめて
時折、その重さに笑ってしまうんだ。

東京
文月悠光



6月22日(月)

インターネット諸行無常。
このアカウントはベン図や数直線や二次関数や、真っ白の床の上でたっぷりペンキを含んだ刷毛で、描くことができます。おめでとう、11年前の今日、あなたはこのアカウントを開設しました。あなたのアカウントの中心からはキノコの傘が広がっている。わたしの菌糸はあなたのキノコをめざしている。雨がやむと傘がひらき、胞子がポコッと飛びだして、ほかのキノコの上におちる。枯れるキノコ。消えるキノコ。一度消えてよみがえるキノコ。眠るキノコ。ひとりで立っているキノコはさびしい。森でキノコをみつけた時、とてもたのしい気持ちになるのは、キノコがキノコというくせに樹ではなく、虫でもなく、ねずみでも、ねこでも、いぬでもなくて、小さな家や洞窟に似ているからです。キノコは故郷に似ている。たしかに昔は、湿ってしっかりした、いい匂いのする木に菌糸をのばして、ちゃんと立っていたはずなのに、いつのまにか摘みとられて、赤ずきんのカゴに入っている。狼に食べられた赤ずきんのカゴは家の床に落ちて転がり、七人の小人のひとりに拾われ、白雪姫はおばあさんがくれた毒林檎をカゴに入れてひとくちかじり、ガラスの棺に入ってしまう。眠る美女は誰にもリプライを返さずに、ワーカホリックの王子様が起こしにくるまでそのままでいます。たくさんのキノコがポコポコと暗い森の底に菌糸をのばし、田舎道で点滅する信号機のように光っています。わたしの菌糸。あなたの菌糸。最近、あなたの胞子が降ってこないのですが、お元気ですか。あなたがどこの誰なのかわたしはまったく知らないから、たずねるのも憚られるけれど、あなたの言葉の胞子をときどき摂取できると、わたしはほっとするのですが。雨がやむ。胞子の傘がひらく。森に太陽がのぼり、しずみます。今日は2020年6月22日。夏至はもう過ぎました。

東京・つつじが丘
河野聡子



6月21日(日)

昨日まで地球の夢を見ていた
ちょうど雨期がはじまり
一日中溺れるように雨の音ばかりきいていた
骨は真っ白で さらに透明でなくてはならない
(生きていればそうなる(さりさりと
今夜の新月の闇のなかを雨水が循環している
あのころ水の惑星は地球だった(眠りの岬をめぐり
はるかむかしの蜃気楼の都市の夢を見ていた

 雨の匂いとか空気の震えとか
 見えないものを受信している
 ふと窓に目をあげると
 窓に映る机上のガラスの花瓶さえ
 前世のすがたを思い出そうとしている
 どこかへ漕ぎ出そうとして
 (さりとて花はなく、水は枯れはてて

雨につつまれると
電話の声は水の被膜におおわれて聞こえるという
昨日までの地球から届くあなたの声は
漂泊してすでに途切れがちだ(った
(衛星軌道(から地平線の(かなたに沈む(玻璃の浮舟
「いとはかなげなるものと明け暮れ見出だす小さな舟に乗りたまひて……」
水没した記憶のようにGPSは現在地を表示しない
そのとき過去の私がふいにマップに点灯する

福岡市 薬院
渡辺玄英