11月30日(月)

僕は保健所の主査だったので
PCR検査の抑制にはすぐにピンときた
検査技師が少ないのだ
検査技師は熟練工と同じで
かんたんには増やせない
だから検査数を少なく抑えて精度を維持しようとしたのだろう
他人の身になって考えることが苦手な職業だから
デリカシーのない対応
思いやりに欠ける対応はいっぱいあったに違いない
だからそれはそういう職員に代わって謝るけど
心身をすり減らしてボロボロになっている保健所職員を
政府の手先みたいに言ったり
怠けているみたいに言っているのを聞くのは今も耐え難い

誰かに当たりたいのはわかる
悪者を作ってうっぷんを晴らしたいのもわかる
正義の味方になって
営業自粛していない飲食店に嫌がらせするのも絶対に認められないけど
わかる
世の中がきれいごとですまないことを
あらゆる場面で知らざるを得ない職業である

公務員をやっていると
友達たちの「そういう会話」に入れない
このまま
友達がどんどん遠ざかってしまうのではないか
でも僕は保健所を悪者にすることはできない
すべてを利権に結びつけてしまうことができない
「埋蔵金」なんてありえないことを知っていたときのように
少なくとも保健所の事実を多少は知っているのだから

渡した原稿が無断でボツになっても
二度と原稿依頼が来なくなっても
長年書き溜めた散文が出版できなくても
そして詩集を出せなくても
詩人の友達が一人もいなくなっても
僕は僕でありつづけなければならない

僕は詩人でありつづけるしかない

東京・小平
田野倉康一



11月29日(日)

殺されて捨てられた女の子の詩を書いたことがある
わたしが〈殺された女の子〉だった可能性をいつも考える
この世のあらゆる場所で殺されていく女の子たち、
4歳で殺されたあの子も、13歳で殺されたあの子も、19歳で殺されたあの子も
わたしだったかもしれないとおもう
わたしのなかには何人もの〈殺された女の子〉がいて
このわたしが生きているのはたまたまなんだってかんじている
たまたま殺されずに生きてきて
今こうしているけれど
先週
64歳で殺されるのかもしれないって思い始めた
帰る家を失って
夜半にバス停の固いベンチでようやく休んで
横たわることをゆるさないベンチだから座ったまま浅く眠っている間に
ペットボトルだか石だかを入れたどこにでもあるビニール袋を
振り上げた知らないひとに
虫を振り払うみたいに殴られて11月16日に死んでしまったのは
わたしなのかもしれない
だって
幡ヶ谷なんてすぐ近くじゃないか
彼女もわたしも四捨五入すれば60歳ほとんど同い年じゃないか
今のわたしにはたまたま住むところがあるけれど
何かあれば失うのはたやすい
ひとりになってしまうことだってすぐ想像できる
感染症は春から流行りだした
フリーの仕事なんていつ全部なくなってもおかしくない
どうすることもできないまま夏を過ぎ
お金は使い果たしてもう8円しか残っていない
疲れ切って冷えた体で
助けてくれるかもしれない誰かに連絡する気持ちも萎えて
そこに座っていたのはわたしだったんじゃないか
痛い11月の夜の底に殴り倒され
わたしはサイゴノアサに何を見たのだろう
壊れていくのはわたしか世界か
終わりは解放だっただろうか
ねえわたしを殺したのはいったい誰?
ビニール袋を振り上げたあの知らないひと?
そうだけどきっとそうじゃない
10月のうちにわたしがバス停を通りかかって
わたしかもしれないあなたを見かけて気になったとしても
たぶん何もしなかっただろう
できなかった
わたしも
わたしを殺したんだ
わたしは殺された女の子で、殺された女の人で、殺したなにものかの一部だ
寒い12月がくる

東京・神宮前
川口晴美



11月28日(土)

第三波が来たようだ。
昨日、東京では過去最多の感染者数570人を出した
重傷者も死者も増えている

ひとが、ことばになり、やがて数字になる
なまみ、よびかた、かず
それは、痛みから、遠ざかり、麻痺を起こす。

「もう、1000位でても、おかしくないね」
と、数字だから、平気で言える。

ことばを取れば、数字だけが、のこる
もの書きは、数字とたたかう、存在かもしれない
つまりは、麻痺とたたかうのが、ことばの仕事かも

「 節子、それドロップやない、ただの数字や」
みたいに。

「東京都は、酒を提供する飲食店などを対象に、
営業時間を午後10時までに短縮するよう28日から
要請を始めます」*NHKニュース

「感染対策もやって、何とかお客さんも戻ってきたのに。または…
正直きびしいっすね。いくもじごく、もどるもじごく、っすよ。」
と居酒屋の店主。

飲食店の悲鳴が聞こえる――
それなら、とゆうべ、寝しなに

「飲み屋さんが時短するなら、このさい会社も、時短して痛み分け、したらどうかと 思うけど。3時に終業して3時から飲んだら どっちも、飲めて、飲ませて、早めにお帰りできて。いいんじゃないかしら。」と思いつきをツイートしたらば。

今朝、
4リツイート、44いいね、がついていた。
まんざらでも、ないじゃない。

片側ばかりに、要請せずに、
美味しいものは、お裾分け。
辛いときには、痛み分け。で、いきましたい。

感染症対策、人数制限に配慮しながら、会場でのイベントも
再開し始めた矢先、の第三波。こちらも、演者や会場、
ライブハウスが、再び死活問題に直面する。

今夜もひとつ、出演ライブがある。
来てね、といえない、よろしく、としか――

「イデオロギーなんか、どうでもええんや。
とりあえず、マスクだよ、せっちゃん。」と介護職の友人。

アメリカでは、大統領選後のまちで
「Thank you for voting」(投票を、ありがとう)
のメッセージボードを持った人の、映像を動画配信でみた。

これだね。

秋の木々も、明るい色で最後の挨拶をくれている。
大丈夫。未来があるよと、伝えるように。

わたしも電車や、お店や、いく先々で、出会う人、
見かける人に、心の中で、声を掛ける。

「Thank you for the mask」(マスクを、ありがとう)

マスクを着けてくれて、どうもありがとう!

埼玉・飯能
宮尾節子



11月27日(金)

久しぶりに終電近くまで残業する。会社から飲食店の利用を控えるよう通達があったので、コンビニでビールと弁当を買う。起床後、家の端末で業務を再開する。昨日の定時後に、月曜の午前中までに報告するよう指示された資料の目途が立たない。別で提出する予定だった資料と合わせて、土日のあいだに間に合うかどうか。休日出勤をしている上司に連絡を取り、方向性の調整を夕方までにできればと伝える。昼前に松田さんから「日記」の確認ができていないと連絡が入り、担当日を一日まちがえていたことを知る。後輩(添削担当)に「日記」用のメモを送る。しばらくして、後輩(添削担当)から連絡が入る。
――(後輩)どういうこと?
――(作者)元のテキストは用意したから、それを組み合わせて「日記」にできない? 今度お礼するので……。
――前にダメだっていわれたやつじゃん。
――テキストは「昨日の日記」で大丈夫なものしかないよ! 「今日の日記」だったらダメだとおもうけど。
――あ~、なんとなくわかりました。テキストは一平さんのだけ? 前に書いたやつは?
――べつに全部採用しなくてもいいし、すこしぐらいなら(後輩)も書いていいよ。
出勤途中、ひさしぶりに電車の座席に座ることができたので、会社の最寄り駅まで本を読む。頭の近くを飛んでいた虫がマスクの内側に入り込んできて、口のまわりで暴れはじめる。急いでマスクを外して虫を追い出すと、電車のなかの空気を感じる。昨日からずっと鳴りっぱなしだった大学の同期グループLINEを確認。やるかやらないかで話し合っていた忘年会が、いらなくなった服を持ち寄る会に変わる。持っていけそうな服のメモを送る。
・Tシャツ3枚
・ニット1枚
・カバーオール1着
・コーチジャケット1着
・パンツ2本
・靴下(未使用)1足
――(大学の同期)オレが持っていくやつだとアクネのパンツ、グラフペーパーのキャップ、マルニのニットなどがある。
――(なまけ)キャップほしい。
――(作者)ニット着てみたい。
ラーメン屋の前に置かれていたゴミ袋の中身が散乱していて、そこに大量のハトが群がっている。散らばっているのはキムチ。ハトが勢いよくついばむと、キムチの切れ端がポーン、ポーンと飛び上がる。あたりでいくつものキムチがはじけているのをスーツ姿の男が避けながら通り過ぎていく。横切るときにマスク越しでもキムチの匂いがわかる。曲がり角の向こうから、あたらしいハトが歩いてやってくる。
午前中、ECサイト各社がブラックフライデーを開催しているのに気がつく。買おうかどうか悩んでいた服が半額以下になっているものの、採寸がよくわからなかったのでブランド名や品番で検索し、着用イメージを収集する。海外のサイトを回っていたせいなのか、Googleの使用言語が急に日本語から英語に切り替わる。昼食(たまねぎラーメン、納豆巻き、豆乳)。今年の春から、昼食は必ずたまねぎラーメンを食べている。決められたお湯の分量だと味が濃いので、お湯は多めに入れる。規定量を示す線を越えてから5秒余計に注ぐ(分量は目視ではなく、時間によって知覚される)。麺がふやけたあとで粉スープと液体スープを入れる。液体スープを先に入れると粉スープは溶け残りやすい。溶け残ってペースト状になった粉スープと具の肉は見た目が似ていて区別がつけにくい。粉スープを溶かしてから液体スープを入れる。食べているうちに粉が沈殿するから定期的に底をかき回す。何ヶ月もくり返し食べ続けて把握した手続き。その味はどこかで愛着のようなものとすり替わっている。一口ごとにこれまで関わってきたたまねぎラーメンとの時間が折り畳まれていて、私はそこで私の身体を通過した時間、でなければ私が身に着けた技術そのものを味わっている……けれど、何度もくり返し失敗を経験するなかで、失敗そのものの方に味覚が慣れていったとしたら? 他部署の先輩が、――またお前たまねぎラーメンかよ、という。矢口高雄の話が出る。《釣りキチ三平》と検索すると英語で書かれたものが優先されて、《Fisherman Sanpei》の記事が候補に挙がる。それを見ていたべつの先輩が、――「釣りキチ」は訳されへんもんなあ、という。話題はしずかに、『スーパーフィッシング グランダー武蔵』の方へと移行する。
午後になって、他部署の人が仕事をやめて地元に帰ることを知る。家族の体調がよくないらしく、まわりの人の口ぶりから精神的なものが原因であることを感じる。最近はその人も調子を崩してしまっていたという。このあいだ自分もとても暗い気持ちになって、一日中家から出ないときがあったことを思い出す。夕方になってコンビニに向かった。途中で風が強くなってきて、大学時代のサークルの先輩に電話をかけた。先輩は『水曜どうでしょう』を観ていたらしく、いまさらパイ生地の話を持ち出されて逆に面白かった。最近すごくしんどくて涙が止まらない、コンビニに行くのはいいけど何を買っていいかわからないから、何を買ってどうすればいいか聞くと、酒飲んだら? といわれた。酒を飲んだらよけいに気持ちが沈んでしまう……それでも、赤星が売っていたから2本カゴに入れて(前に友達がよく飲んでいるといって飲んでみたらとても美味しかった)、チャーシューとメンマと味付けタマゴが入ったよくあるおつまみセット、アオサの味噌汁、コンビニ限定の棒アイスを買った。レジに並ぶときに電話を切った。電話でアドバイスを受けながら選んでいたせいか、レジの人にお箸は2膳でいいか聞かれたので、うなずいた。見栄を張ってしまった! ひとりで笑いをこらえながら先輩に電話をかけ直す。先輩は、そういうふうにプログラムされてるだけなんじゃないの? と笑った。赤星1本だけだったら聞かれなかったかもよ。
山本から、――●●さんから、一平さんの文章を引用した論文を書いた、その抜き刷りを送りたいから住所を教えてほしいとさ、と連絡が入る。住所を伝える。合間を見て、「三野新・いぬのせなか座 写真/演劇プロジェクト」座談会の文字起こし修正と、今後の撮影に備えて取り上げる話題を考える。
《次の座談会に向けた「戯曲」の草稿。
鈴木 今年の春から『スピナー』というwebマガジンで「空気の日記」というプロジェクトに参加しています。新型コロナウイルス感染症に引っかけて、「今日の空気」の描写を試みるという目的で、詩人が輪番制で割り当てられた日の日記を書くというものなのですが、このあいだそこで三野さんといぬのせなか座メンバーが沖縄に行った際に撮影した写真をもとに「日記」を書きました。といっても、写真をもとに考えたことを書いたり詩にしたりしたのではなく、写真に収められた被写体や看板の文字をひたすら列挙していく構成を取りました。それを書きながら、三野さんが今回のプロジェクトにあたって「イメージの距離」というものを詩において(また、制作者みずからにおいて)どのように「上演」できるか、それに向けた試みについて考えさせられました(一部を読み上げる)。具体的な話をすると、ぼくは沖縄に行かなかったので、写真のなかの被写体や風景とぼくのあいだにそもそも距離があります。そして、ぼくはなぜこれらの写真が撮られたのかについての根本的な動機を撮影者と共有していません。そのうえで、写真からあらためて言語表現を立ち上げたこと。これらのことは3つの距離を写真群と制作者=ぼくのあいだにつくりました。》
《まずは端的に写真が持つ視覚的なイメージと、それを記述しようとする行為者とのあいだの距離です。写真はあらかじめ記述されることを前提として撮られていません。看板などが代表的な例ですが、ところどころで途切れていたり遮蔽物があったりして判然とせず、細かすぎて読めない字などもある。看板の文字をひたすら文字にする方法は「みんなのミヤシタパーク」という作品でも実践したのですが、そこで看板と結んでいた関係とは異なる距離がここでは設定されています。後日談的に、山本からは「みんなのミヤシタパーク」を書いた鈴木への配慮があり、看板の写真をできる限り撮影したと話されましたが、すでに看板の文字が鈴木によって書き起こされることが撮影者に意識されていたことを念頭に入れても、私ではない他者の撮影行為が介在することで発生するノイズはどうしても避けられない。つまり、この配慮と現象のあいだの歪みはそれを知覚する私の視点を媒介することで生起する「わかりあえなさ」の視覚的なイメージとなっています。》
《この話から付随的に、というより言い換えとして引き出される次の距離は、撮影された写真に埋め込まれる撮影主体における主観性と、その記述を行おうとする制作者における主観性のあいだの軋みです。写真のほとんどは「なぜそれが撮られたか」を被写体の様子から確認することができましたが、なかにはなぜそれを撮ったのか本当によくわからないものがあります。ここで撮影主体と記述主体のあいだのイメージに対する注目が一致しなくなる。いわば、イメージに埋め込まれるふたつの視点のズレが、そのまま写真そのもののズレとして知覚される。あるいは「日記」を書くにあたって撮影された写真のすべてを記述するのは体力的にも時間的にも不可能であるという判断から、「スルー」した写真がありました。撮るに値したはずのものが、書くには値しないものとして受け取られるわけです。そこには一方的な無関心というより、体力的・時間的な限界として切り捨てざるを得なかったことで、遡行的に「無関心」が形成される点が重要であると感じます。しかし、のちに山本が撮った写真でフレーム外へと途切れていた写真がhによってはうまく収められている、つまり複数の撮影主体のあいだの撮影意図の差異が強調される組み合わせがあって、そこから無視したはずの写真を取り上げることに決める、という事態が発生しました。それぞれの写真はそのつどの契機において撮られ、「途切れた」ということは異なる興味においてそれらの写真が撮られたはずです。にもかかわらず、それらを記述する主体は複数の意図が点在するイメージ群を見て、事後的に書くことの契機を見出していったわけです。》
《すこし話は脱線しますが、今回撮られた写真と「日記」のあいだにはあんがい構造的な類似性があるというか、構造的な類似をつくっています。沖縄で撮られた写真はくり返し「なにかを撮影する人物」または「なにかを撮影すること」そのものを撮影するような意図が確認できます。この傾向を受けて、「日記」では「写真に収められた事物や文字を書いていること」を過度に強調する記述の方式を取りました。》
《最後の距離は、「写真を撮ること」と「詩を書くこと」のあいだの距離です(ここまで「日記」という語を用いてきましたが、当のプロジェクトではあくまでも「詩」として書いています)。当たり前の話をしてしまいますが、当該の「日記」を書く上で「写真」という語はほとんど記号を乗せる函数的なものになっていて、写真に収められたイメージについて語るというより、イメージを記述へと輸送するための装置として機能しています。つまり、「それが写真であること」が消去されている。それは「日記」を書くうえで採用したスタイルそれ自体の問題でもあるのですが、たとえば「砂浜の写真」という記述は、それがどのような色合いの砂浜であり、海はどのようにそこで存在し、まわりにどのような岩や植物が存在していたのかを捨象した――端的にいえば「沖縄」や「久高島」の「砂浜」が持っていた具体性(山本はたとえば色彩についての指摘をしていましたが)を、一般的な砂浜のイメージへと類型化している。それは「当事者性」への軽視であるともいえる。しかし、ここから撮ることと書くことのあいだの差異、つまり「写真について語りえること」がいかに当の写真から脱線していくかの問いだけではなく、写真を撮ることと撮られた写真のあいだの距離、または撮られた写真とそのイメージを知覚すること、イメージを使用(再-使用)することのあいだの距離――いわば、行為や流通、事物を媒介することで複数化される表現の問いへと返していけるのではないでしょうか。》
夕方にトラブルが発生して、定時までに進めようとしていた資料が滞る。定時後、上司から資料作成を指示される。

東京・飯田橋
鈴木一平



11月26日(木)

近所の小学6年生が
姿を消したという町内放送が流れた
男の子だ
一昨日の夜中に出て行ったらしい
家族はどんなに
心配だろうか
「となりの地獄」
という言葉が浮かんだ

半年前は一様に不安だったのだ
感染者数という手がかりに
不安が一様だった

今日はひどい暑さですね
そうですね、今日も50人超えてますね
そうですね、はやくおさまりませんかね

いまは
数字の話をしなくなった
不安は不安
でもひとりずつ
別々の顔をもった
不安になったのではないか


横浜にいて
ずいぶん飲んで帰る日だ
馬車道の終電間際で
ラフマニノフを一心に弾いている人がいて
立って聴いた
他に誰もいない
今日一日が
救われるような気がする
誰でも弾いてよいピアノには
アルコールのスプレーがあって
除菌して握手してもらった
詩でも同じことができるかな
ああもう今日はアルコール消毒はおしまいにしたいな
小さな感情が囁き合っている
音楽のおかげで
マスクをしていることを忘れていた
私はずっと
今日のこのことを
覚えているだろう

吉川くん
見つかったらしい
吉川くんは近所の小6
スープ飲んだかな
まずは風呂か
泣いたかな
よかった

東京・世田谷
松田朋春



11月25日(水)

朝ごはん。米粉パンとコーヒー。パンにクッキークリームを塗る。クッキークリームはクッキーをスプレッド上にしたものだと瓶に書いてあるが、味と舐めた感触は粉っぽいピーナッツバターである。問題なくおいしい。昼ごはん。つめたいご飯を電子レンジで温める。ホットサンドメーカーに油を塗って冷凍の鰆(休校中に余った給食用食材のセール品)を焼く。お湯を沸かす。ご飯をどんぶりにいれ、焼いた鰆、刻み葱、お茶漬けのもと(新型コロナウイルスにより在庫がだぶついた結婚式の引き出物セール品で種類はたらこ、さけ、うめ、たい、ちりめん山椒、等々と種類があるが今日はたらこにする)、おろし生姜をのせ、ゴマをふり、お湯を注ぐ。薄暗い寒い昼に食べるお茶漬けはとてもおいしい。お茶漬けのもとに加え、魚や肉(ハムやウインナー、魚肉ソーセージ、昨夜の残り物のとんかつなどでも可)を焼いたり茹でたりしてのせるのがポイントである。晩ごはん。一昨日のカレーを炊きたてご飯にかける。激辛のルーを使用しているが、じゃがいものかわりにさつまいもを使っているので、ほどよく甘さがプラスされる。このカレーを作ったのは私ではないが、3日目のカレーを温める時は勝手にミニトマトを数個投入し、水分と酸味を補給する。カレーと一緒に煮たミニトマトは形はそのままでも口に入れるとトロっとして、カレーが辛いので甘く感じる。カレーは、たぬきに金を借りて無人島にテントを張り、木の枝を拾って焚火をし、飯盒炊飯して食べるものである。無人島の木にはナシが実っている。魚はなかなか釣れないが、虫はかなり簡単に捕まる。たぬきに捕まえた虫をみせにいくと、博物館の学者に送るという。博物館の学者は生き物を集めているくせに虫が嫌いだ。我が家では今年1匹もゴキブリをみていない。ベランダのレモンの木に黄色くなりかけた実がついている。

東京・つつじが丘
河野聡子



11月24日(火)

深夜の駅
るるる6両の電車が目の前を通過する
誰も乗っていない
明るい視野の中には
ただ
空気と呼ばれる死が満ちていて
誰も乗っていないるるるるる

最後尾の車両には
ここにいないわたしが白いマスク姿で
乗っている
しずかに咳をしている
心音はもうきこえない
電車が通り過ぎたら
わたしはいなくなっているからね

 西鉄電車はアイスグリーン
 (歯磨き粉の色をしてる
 あたりは明るくても(駅の外は闇だよ
 だれも気にしてくれないなら(波打ち際
 わたしは一人でここで毎晩歯磨きしてもいいな

車窓からここにいないわたしをみているホームのわたしが見える
ほんの一瞬
あれは六年前にいなくなったわたしですね
わたしに出会っていれば死ななかったかもしれないあなた
もうちょっと生きてみっかなと呟きながら
すこしずつすこしずつそして一瞬で波に攫われたわたし
(死の気配に包まれてもマスクをしていれば耐えられる
耐えられる、生きているあいだは死なない気がする
(駅を通過して
(暗い窓に蛍のように波が打ち寄せる
あのときわたしは
電車には乗らなかった
るるるるる

福岡・薬院
渡辺玄英



11月23日(月)

中旬くらいから
四百人、五百人と感染者が増え出して
そうして迎えた十一月の三連休
江ノ島は観光客で大賑わいだ
政府がGo toにストップをかけると
数日前に言ったものだから
ようやく取り戻した享楽に
自粛をかぶせられるその前に
人びとは休暇をむさぼっている

とはいえ
私たちの善良に疑いはない
遠くの人たちの不幸の為に
私たちはいつでも祈ってみせる
ふたたび中止になってゆく
イベントの報せを聞いては嘆き
感染者の急増加に胸を痛めて
身近な人が罹らないかと
食卓の上で心配しながら
Go toトラベルで安く訪れた
京都土産の阿闍梨餅を
熱いコーヒーと一緒に食べている
それが我々の善良だ

最近のどの週末よりも
いっそう沢山の人々が
江ノ電や小田急の改札から
列車が着くたび続々出てきて
弁天橋を渡ってゆく
回廊のこの混雑を
確か前にも見た事があると
四月十二日に自身が書いた
一番最初の「空気の日記」を
さっき一度読み返してみた

「つい先月の
三月の三連休も
島へと繋ぐ弁天橋は
にぎやかな群れで混み合っていた
したしく呼気を触れ合わせ
ひとびとが笑顔で渡ってゆくのを
やさしい風景の快復なのだと
わたしもここでながめてた、その微笑の
誤謬への加担」

三月の連休の後に
私たちに起こった事が
いま一度また起こるのだろうか
欧米の都市が再びロックダウンしてしまっているように
この国でも
もしかしたら
(あるいは)

いずれにせよ
幾度だって日常をあやうくしてゆく
私たちのこの善良は
まったく遺伝的なものなのだ

だから
不安に打ち据えられながら
希望にうっとりと束縛される
私たちはこれからも幾度だって
史実を安易に模倣して
生存と享楽とを秤にかけては
時代を過酷にさらしてゆくのだ

神奈川県片瀬海岸・江ノ島
永方佑樹



11月22日(日)

かつて
いつも
嵐になっていた
ところの
枯れ木の並木の間に
落ち葉が群れ
大学生の代わりに
将来の野心を語り合う

K—POPがきっかけで「日韓翻訳者になりたい」
     という声とか
モデルだったころに生まれた摂食障害を乗り越えたい
会議にちょうどいい瞬間に虹色シロフォンで句読点をつけたい
KOTOBAスラムジャパンの西東京大会を優勝し全国大会に出たい
法人契約を取って少しでも楽になりたい
現場で弁当に炭水化物ばっかりだと不満を言う俳優を首にしたい
マスクなしに人と自由に交流できる世界を連れ戻したい

という風に
あらすじのイトが交錯している
皆のチャットボックスに
8888888888と褒め言葉を入力し
繰り返す

東京・神楽坂/千葉・東金/東京・表参道
ジョーダン・A. Y.・スミス



11月21日(土)

頭のなかでも声を出さずに
完全なる沈黙のうちに記された言葉と
認知の茶の間に闖入するマカDXのインフォマーシャルの
恥しらずな声で喚いた言葉を
区別できるかい、
同じフォントの活字で印刷されていたとしても?

7階にはLoftや無印
8階はスポーツウェアや子供服なんかがあって
海と緑の食祭空間「ダイニングパーク横浜」は10階、それをそらで
言えるくらいには君のことを分かっているつもりだけど
9階のあのがらんと殺風景な空間を
「市民フロア」と呼ぶのはどうなんだろう

関内マリナードの地下街にいる人たちって戸籍ないんですよいろんな事情があって
だから寿町にだっていられないのよ

どうなんだろう、そうなんだろう、はい、じゃあ
お口を開いてみましょうか、彼はどんな
断定も命令もしようとしない
優しさとはひたすら痛くないであることと心得て、ふわふわのタオルで
視界を覆おうとする、おおおうとする、おおお
うおぅ菅義偉様

首相就任して、
おめでとうございます!!!!!
「して」が余計だけど、ここは半分日本じゃないからね
人種や国を越えた素朴な純情(拍手)
その隣でずらりと鈎の先から吊り下げられて
整列する首なし死体は

奴ら、それとも俺たち?
毎日夕方の雲が素晴らしいから
空ばかり見上げていますがキョービの抵抗の合言葉だ

それから夜がやってきて
大岡川の川面に角海老の巨大な触角が揺らぎ始めると
誰かが成層圏の一番の上層の
きらびやかな氷窒素のあたりから
バスクリンをぶちまける、すると羊歯の胞子か
白亜紀の海岸の砂粒のようなあの黄緑色が音もなく爆発して
浜風に乗ってあたり一面に蔓延してゆく、
舌先に凝固する

*宮沢賢治からの引用があります。

横浜・黄金町
四元康祐