12月29日(火)

四月四日に書きはじめたとき
こんな年の暮れを
想像していたっけ?
と思い出そうとしても
うまく思い出せない

秋冬に第二波が予想される
というのは春から聞いていた気がする

どれほどのことが起こるのだろう
と思ってみてもうまく想像できなかったけれど
じっさいその場にいま身を置いてみると
今日は
新しい詩集の
いくつか先にできあがった分を
予約してくれたひとや
秋に世話になったひとや
親しく付き合っている知己や
実家の父母に送った

昼は
米粉とトウモロコシ粉をまぜた
パンケーキ?トルティーヤ?を
きみがホットプレートで焼いてくれて
家族三人で食べた
なかなか焼くのに時間がかかって
焼き上がったら固い生地で
シーチキンやアボカドやキノコやレタスをのせて

どれほどのことが起ころうと
できる仕事があればしたいし
食事時にはちゃんと食事をしたい

郵便局まで出しに行った帰り道
近所にある泡盛の蔵元で
これは正月用にと
十五年ものの甕仕込みの古酒に
二十年ものをブレンドしたという触れ込みの
ここでしか買えないとっておきの小瓶を一本買って
細長の紙袋にぶら提げて帰った

夜は
香川に住む友人と
久しぶりに電話で話した
ぼくが吉祥寺に住んでいた十年前は
向こうも国分寺に住んでいて
そういえばいまごろは
よく公園口の飲み屋で飲んでいたっけ

今年の春にだって
この冬の状況をうまく想像できなかったのに
まして十年前のぼくなんて
ほんのこれっぽっちでも今日の日のことが脳裏を掠めたはずないのだけれど
2010年と2020年とじゃ
ほとんど何もかも変わったんじゃないかって思うぐらいだけど
電話でちょっとしゃべっただけでも
やつと話してるときの心持ち、て
あのときもいまもあんまり変わんないなあ

(近くの 目の前の
理不尽なことばかりを見ていると
だんだん心が縮こまってしまいそうなときは
うっかりすると忘れてそうな
たいせつな 場所や 時間に
思い馳せてみても いいのかもしれない
心の平衡感覚をとりもどせるように
じぶんがどんなのんきな場所に
ほんらい居られるはずなのか
ちゃんと思い起こせるように)

そういえば
四月じゃないけど
三月になら沖縄の新聞に書いたっけ

──検査が不十分では無自覚の市中感染者による見えない感染拡大を招きかねませんし、感染の実態すら把握できません。

とか

──私たち自身が人間の価値を低めることが、いまの日本社会の人命軽視を許しているように思います。

とか

食卓でこれを書いてたら
子がやってきて
ぼくのノートパソコンの
右手のひらを乗せるところに
バーバパパのシールを貼ってった

*「時評2020 詩」(「琉球新報」三月二十四日)より

沖縄・那覇
白井明大