12月23日(水)

新型感染症について見聞きする
頻度の高い言葉は
変わってくる
このところは「曜日最多」という
去年の今ごろ聞いたら
まったく訳がわからなかったであろう言葉
そして「ワクチン」

ワクチン、がどことなく底光りしてこわいのは
ウイルスよりもなによりも
人間たちの気配がするから
持つものと持たざるものという音が
「ワクチン」の語の響きの中に揺れているから
さぁ、またあたらしい闘いがはじまった
そう感じてしまう、耳の中で耳を澄ましている私
光明であり助けの糸であるはずのものなのに

棒グラフの第一波と第二波のスケール感を比べて
こわいと思ったが
今まさにいる第三波は、ちょうど倍々くらいの大きさを現わしつつあり
この、第一波の山が小さく見え、今や第二波の山まで小ぶりに見えつつある
大きさよりも、その小ささが
こわい

とはいえ
例年
年末にはすでにあちらこちらに春の色が兆していることに
今年も気づかされている

私の場合、本当に「冬」に打ちのめされるのは
10月の終わりから11月にかけて
冬そのものはまだどこにもいないのに
長い夏がもう終わったことを思い知らされる季節が
いちばんこたえるようだ
紅葉?そんなさびしいもの何がいいの?と思っていたが
実際に遅い紅葉がたけなわになると
そのゴージャスさに歓声をあげ
真っ赤な紅葉を見上げて
くるくる回る
ここにはなにも死んでいない
衰えていない
植物に色があることの豪勢さが傲岸なほどにゴージャスにきらめいているのだ

夏のほそい残響が長い尾を曳いていた
それがふっと消えた瞬間を
生き延びれば
また私は生命の魔術にやすやすと嵌まり
幸福の肉と光と甘みを噛み締める
そのようにつくられた生きもののひとつであることを
噛み締める

千葉・市川
柏木麻里