12月11日(金)

随分と寒くなり、訪れた冬の輪郭を指でなぞるようになりました。息は白いですか。イヌイットは向かい合う相手に白い呼気を放ちそれを相手が吸い込み、お互いに繰り返すというのを聞きました。息が躍ること、身体が劇場になることが耳から私の中に入ってきて、息の所存がどこにあるか分からない今、それはより一層遥かで、ほんの少しの尾ひれすらも呑みこみたいほどの憧れです。

彼の地に行ってきました。私の住むところでは人と人の密度が取れる分だけ近くもあるため注目点の空気を持ち帰ることは正直、罪と等しいことだと思います。衝動を愛し衝動に引っ張られて生きてきた私は、たやすさにまみれてざらつきを失いつつあることが分かっていた私は、観念するしかない揺さぶりを秘密にしました。

みっちりと口元、鼻元を覆うことは都市と里の空気を均一化させる同類項になり、通過しない苦しさと引き換えにどれほどか分からない安らぎを手に入れることは、居る場所の差異を生まなくなることかもしれません。

私はかつて誰でも見つけることができました。人を強くとらえてしまうから、いくらでもどんな人でも雑踏の海の中で察知することが出来ていたのに、鼻と口が覆われると目も利かなくなりました。相手の顔が分からなくなるだけではなく自分の感度が完全に塞がられるのです。それを高い密度の中で知りました。

求めていたものは求めていたことにふさわしく、佇んで踊ること、踊り子がそれまで踊りつけてきたその地点を見ました。青い空も赤い空も揺らめいたこと、止まっていても踊る指先を振り返ります。

私はもっと震えてもいいのに震えることができないことにとまどってばかりいます。たやすさと引き換えに失ってしまったもの、代わりに降ろしてしまった大きな岩があるように思うのですが、我が身、我が心、我が女、我が少女に傷を負わせることを、もうしたくはないので、その岩を削り型取っていくこと、その岩を砕き笹舟に乗せることに、付き合っていこうと思います。

念願の海はみち潮の白さが浮かびますが、私の思う海は砂浜がないと海をもたらさないようでした。それでも暮れなずむ橙色の中で、私は涙を流しました。触れ合うということはいっぱいで、どうしたっていっぱいになってしまうのに、どうして泣くのなんて分からないから涙は出るのだと思います。

そんな全ては今はまだ罪で、着々と増える数字に突き進んだ私は彼の地と同じようにマスクで空気をふさぎ、彼の地と変わらぬ呼気を最小の単位にとどめようとしています。

朝、役目を終えた柚子の皮を畑に埋め、土に還りゆく柚子の上に脚立を立てて、新しい柚子をもぎました。深く深く吸い込んで。

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ