9月14日(月)

きちんとした順序を組み立てれば一日で世界一周だって出来るという言葉が忘れられない。浮遊をするということは私にとっては呼吸をすることだったようで、耐えていることもないはずなのに、台風が来て気づく。持ち重りばかりを増やしている。

今わたしが捕まえようとしていることは捨て去ること放り投げることばかりで、それは私が、むかし街にいたときにずっと考えていたことだった。街の音は積もってしまうから、あんなにたくさんある中からもう少ししかいらないって砂を落とすために書いていた。街からはずっと遠く、今、虫の音が響くこの場所で、もういらないものはいらないんだよねって思ってしまうのは、やっぱり風が吹いたからなのだと思う。

ジャムを保存していた冷凍庫、顔をうずめたソファ、亡くなった祖父の代からの古釘、いつ手放したってよかったものを外に運び出して、いつかのなんらかの得体のしれない薬品がまだ古い倉庫で笑っているから、古紙を詰めた箱にゆっくりとゆっくりと流し込む。少しずつ少しずつ瓶が空になる。この家にもいたずらに高く積みあがる城があって、それと面と向かおうとするといつも立ち止まってしまう。その高さに、止まらないと動けなくなってしまう。10秒だけ止まっていいよって許しながら、止まって、動き出して、息をどうしたらいいか分からないから、数を数える。1、2、3、4。

今日もいだイチジクは4つだった。街を遠ざかってから食べ頃のとろりとしたイチジクの見分け方は完璧になった。とっておいたイチジクは砂糖と一緒にくつくつと煮込んでいく。何もかも飛ばしてしまうんじゃないかと思われてた、あの台風の日の翌日は、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12。12個も熟してはじけていた。あのイチジクは台風ですらも待っていたんだ。

暦通りの温度もなくなれば、いつかという先のことも言えないけれど、秋の風は、あの大風は空を切ったね。切られた空は、切られた先から軽くなっていくんだね。秋が一番好きだっていうことはまだ何も変わっていないから、夢を見て踊ろうか。

大分・耶馬渓
藤倉めぐみ