6月23日(火)

慰霊の日だった。
一年前に「平和の詩」を読み上げた、
白い制服の少女の声は、まだ耳に残っていた。
「2メートルの間隔を空けて式典会場で黙祷する参列者」の写真を見た。
沖縄戦。黒のかりゆしウェア。
去年は立ち止まることのなかった光景が
「2メートル」
人との“距離”で鮮明に立ち上がる。

3月頭、友人の結婚式に出席するため、初めて沖縄へ行った。
シャトルバスは貸し切り状態、海辺のホテルの客は少なかった。
那覇空港行きの電車でようやく 見知らぬ人と隣り合わせた。
同じ車両に揺れる、マスクの下の素顔はわからないけれど
漠然と不安なのは皆同じだろう。

「シャボン玉を吹いてみましょう」と提案されたので
想像のストローから細く息を吐くと、
顔よりも大きなシャボン玉ができた。
ぶるぶると輪郭をふるわせながら水色の空へのぼっていく。
わたしたちの震える現実を載せるにふさわしい、
シャボン玉の舟だった。
「評価せずに気持ちを味わいましょう」
だけど、大人になるほど難しい。
正しさを勝手に判定して
あなたに伝える言葉さえ推敲してしまうのは、
もはやどうしようもない習慣なのだ。

朝食前/昼食後/夕方/夜その1/夜その2/夕食後/就寝前
とにかく薬が増えた。
カバンの裏ポケットにも、炊飯器の横にも。
あらかじめ決められた服薬時間。
おかげで規則正しい生活ができる。
まだ飲み慣れない漢方薬は、
舌の上に置く瞬間の
ざらつきだけを味わってみる。

線路に置き石をした少年のニュース。
「実験で置いた」
その理由があまりに素朴だったから。
少年よ わたしも
わたし自身から脱線がしたくて、
ポケットに小石をあつめて
時折、その重さに笑ってしまうんだ。

東京
文月悠光