5月8日(金)

日焼け止めとマスクで過ごした2週間の後に
今朝、ひさびさに化粧をした。
これが正解なのか、わからないまま
わずかな粉と液体で毛穴を埋めて
投げやりに口角を上げる。
頬と共に持ち上がるベージュピンクが
ぽってりと重い。
(今までよく、こんなことをして暮らしていたな)
素朴なつぶやきが口をついて出る。

肌をうっすら窒息させ、
微笑みながら社会へ潜っていく。
お化粧は、不要不急ですか。
しようがしまいが、わたしの勝手でしょうか。
けれど、うっかり溺れてしまうことのないように
「必要」と「急務」をしずかに飲み込んできた。
今まで、こんなことをして暮らしてきた。

立て続けに3件のSkypeやZOOM打ち合わせ。
2件目の後、珈琲を淹れていると、
カーテンの仕切り越しに
よそいきの声ひさびさに聞いた、という指摘。
「よそいき」をしまっていたのだ。
化粧ポーチにクローゼット、声帯の奥から
わたしの「よそいき」を取り出して埃を払う。
リップクリームもすっかり欠けはじめていて
ご無沙汰だった「よそいき」の自分に戸惑っている。

カーテンの仕切りの奥から まだ
「よそいき」の声は響きつづけている。
窓のない台所で わたしは
アジの開きと目玉焼きを二つ焼いて
黄身が崩れなかった方にラップをかけた。

わたしたち、オンライン会議まみれの(非)日常で
「よそいき」を脱げない誰かのために
ふわりとラップをかけてあげる。

東京
文月悠光